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キャンディ

作者: 片名すたる

 広い部屋の対角からでも、彼女の姿を見つけることができた。それはとても容易なことだった。たとえ、部屋の中をキャンディが飛び交っていても、僕の後頭部にとけたチョコレートがくっついていても、問題なく彼女をみとめることができただろう。

 彼女を見つけた途端、その日は僕にとって最高の一日となる。たとえ最悪で最低な出来事に満ちあふれた一日だったとしても。たとえその日が、僕にとって忌まわしくて、恐ろしくて、厄介なハロウィンの日だったとしても。


 *    *    *


 またひとり、またひとり、と去っていってしまう。僕をとり囲んでいた知り合いや家族の顔の数はどんどん減っていく。やめてくれと僕は叫ぼうとする。しかし、埋葬されてしまったゾンビのそれのように、言葉は音声にならず誰にも聞かれない。

 次から次へと僕の周りから人がいなくなって、最後に残ったのは、メリーだけだ。しかし、彼女もその黒いマントを翻して歩き去っていく。僕は宿命的な墓標のように、そこから動けない。

 そこで目が覚めた。夢だった。夢だったのだ。


 ベッドから出て床を踏むと、ここが現実であると安心する。そして、カーテンを開ける。開けた拍子に、バサバサと何か大きな音がする。しかし、音源は次第に遠ざかってしまった。おそらく、窓枠の上からぶら下がっていたコウモリだろう。

 僕は鏡を確認する。大丈夫、昨日と同じだ。悪夢にうなされて少し色が薄いが、相変わらず健康的なオレンジの顔色だ。目は円型にくり抜かれ、鼻は小さな正三角形。一文字の口は決して理想的な微笑をたたえてはいないけれど、十数年間も共に暮らしてきたこの顔に今更疑問を投げかけるのも無意味だ。

 部屋を出て、母親におはよう、と言う。母親は作業場でかぼちゃをくりぬいていた。少し色あせ気味の橙色をした母親の頭はこっちを向いて、おはよう、と返してくれる。僕は包装紙をとったキャンディを母親の口に向かって投げる。無事、口の中に滑りこむ。

「ありがとさん」

 母も懐からキャンディを取り出して僕に投げた。けれど、キャンディは僕の口に入らない。

「クリス、あんたはいつになったらそれができるようになるのさ」と不服げに言って、母親はかぼちゃをくり抜きに戻る。

「ごめん、お母さん」

 僕は床のキャンディをとって、ローブのポケットに入れた。


 *    *    *


 たとえば、決定的で情熱的な恋情がふつふつと生まれたとする。感情と行為が一致しているときほど、納得して行動できる。ならば、その恋情はきちんと表明すべきなのかもしれない。しかし、僕にはそれができない。度胸がないのだろうか。

 僕の家は大通りにあって、同じ通りには魔女の一族の豪邸もある。つまり、メリーが住んでいる家だ。フランケンシュタインの店に毎週買い物に行く際、彼女の家の前を通ることができる。母はかぼちゃをくり抜くのに忙しくて、自分では買いにいけないのだ。だから、僕が代わりにかぼちゃやキャンディなどを買いに行く。父親は、野蛮ものによって殺されてしまった。僕が生まれる前のことだから、全く覚えていないし、感傷も特にない。

 野蛮ものは、キャンディをはじめとして僕たちの街を荒らそうとする者たちのことだ。高い黒い威圧的な柵に囲まれたこの街は滅多に部外者は現れないが、ときどき野蛮ものが紛れ込むのだ。野蛮ものは様々な姿をとる。ある者は頭から垂れ下がる赤い帽子をかぶっていたり、ある者は緑色の植物に紙切れを吊るした妙なものを持っていたりしている。いずれにしても、共通する点はひとつだ。

 この街のキャンディを美味しくないと感じるということだ。キャンディは通貨の次に大事なものだと言える。甘く、誰でも食べれば幸せな気分になれる、という。そして、これがわからないというのは野蛮ものくらいで、よく「舌利かず」と蔑まれる。

 舌利かずは、異端の極みだ。そう言われる。


 +   +   +


 私は棒立ちのほうきに向かって、会場の床掃きと窓ふきを簡潔に指示する。命令を与えなければまだまだ自分で考えて動いてくれないのだ。仕方ないけれど、どうしてもおばあちゃんのほうきに見劣りする。

 とにもかくにも会場設営を終わらせないとかなりまずい状況なのだ。ハロウィンの日はまだまだ先だという風に余裕になっていた私が悪い。いつの間にか今日になっているとは。両親も大急ぎでホールのテーブルをセットしている。

 この街での習慣として、ハロウィンの日には私の魔法使いの一族の家でハロウィンパーティを行うのだ。もともと財産はあるこの一族だけれど、ハロウィンの日のために料理の手配やライブなど、たくさんの準備はしなければならない。それでも、やっぱりハロウィンの日は私にもみんなにも特別だ。

 キャンディもたくさん振舞われる。キャンディは美味しいらしいが、私はあまりその魅力がわからない。

 私は舌利かずだから。

 キャンディは毎日食べなければならないものではないけれど、日常で口にするのを免れるのは難しい。そして、キャンディが嫌いということは異常なのだ。でも、私はキャンディをまずいと思うし、もし食べればもどしてしまう。この街で舌利かずだと誰かに知られれば、どうなるのか不安で仕方がない。だから誰も私のこの秘密は知らない。

 首を左右に振る。今はこんなこと考えている場合じゃない。会場設営が先だ、さて、ナプキンを並べないと。


 *   *   *


 パーティ会場はたくさんの者たちでごった返していた。フランケンシュタインは、傍らにいる彼の巨大な怪物が窮屈そうにしていることを気にもせず、嬉しそうに女吸血鬼と談笑している。おしゃれをしたゾンビたちもゆったりとした足取りで各自テーブルについたり、ほかのパーティの参加者と話したりしている。

「やあクリス、キャンディでも食べるかい?」

 知り合いにも何人か出くわす。僕はキャンディをやんわりと断る。断られた知り合いは、少し不審げな表情をした。

「お前、舌利かずかよー、ははは、まさかな、まあいいや」

 その知り合いはじゃああとでな、というふうに混み合いの中に消えていった。彼の言葉に少し胸の痛みを覚えた。

 こうした会話の中でも、自分が辺りを見回していることを発見した。それは当然といえば当然ではあった。僕はメリーを探していたのだ。ゾンビや吸血鬼や透明なゴーストがたくさん目に入る。それでも、暗闇の中に小さな小さな星を見出すように、メリーを見つけ出すことができた。

 パーティ会場はシャンデリアが何個もぶらさがっており、収容人数は三百人くらいだろう。白いクロスがかけられた円卓がたくさん配されていて、僕のところから五十歩くらい離れた円卓に彼女は座っていた。彼女の精力的な目や、魔女らしい高い鼻は、いくら離れていてもわかるものだ。彼女は笑顔で、目を輝かせながらゾンビと話している。彼女のそんな様子を見ていると、胸の中で何かふつふつと湧いて僕の中を浄化していくようだ。そのゾンビはキャンディをひとつ取り出して、彼女に渡そうとしていた。彼女は輝く目を細めて、受け取った。しかし、その場では食べなかった。

 彼女は何となしにパーティ会場を見回した。そして、僕と目があった。彼女は微笑んでくれた。僕も、一文字をなんとか笑顔にした。したつもりだ。けれど、僕にはそんな笑顔をもらう資格がない。

 なぜなら、僕は、舌利かずだからだ。


 +   +   +


 私はわざわざ街の外れから来てくださったゾンビに、できるだけ誠意をもって対応していた。途中で骨犬に噛まれそうになったおかしな話や、髪の毛が伸びなくなってしまって脱毛症に悩まされている話など、楽しんで会話できた。

 けれど、私は途中でゾンビさんの話が耳に入らなくなってしまった。なぜなら、私はあの人を見つけてしまったから。

 クリスさん。

 彼のお宅は、確かジャッコランタン飾り屋さん。毎年このパーティの飾りのひとつとして注文させていただいている。父親は確か吸血鬼だったんだけれど、野蛮ものの仕業で亡くなったらしい。だから、クリスさんのお母さんは女手ひとつで頑張ってクリスさんを育て上げてきた。

 毎週、クリスさんは私の家の前を通ってフランケンシュタインさんのお店に行っている。いつも重そうな荷物を持って、母親のために親孝行している様子を見ていると、すごくいいな、と思っていた。彼は私の家の前を通りがかるとき、必ずこちらを見てくれる。私は隠れて目を合わせないようにしているんだけれど、私の姿が見つからなかったときの彼が残念がる様子も素敵に思えた。ジャッコランタンの彼はあまり自由に表情を動かせるわけでもないのに、その時だけありありと表情が変わる。

 たぶん、クリスさんは私のことが好きなのだと思う。私もクリスさんが好き。

 ――いや、ダメなんだ。私は舌利かずで、本当は存在理由なんてないんだもの。だから、クリスさんを愛する資格なんてないし、愛される資格もないんだ。

 私はにっこりとクリスさんを見る自分を制して、ゾンビさんの座っていたところに目を戻した。誰も座っていなかった。


 *    *    *


 毎年恒例のコンサートはいつになく盛り上がった。トリプルスケルトンズは古参のバンドで、女吸血鬼の黒髪の弦を使ったギターや、骨のドラムセットは抜群のロックを奏でていた。そしてやはり、最後はフードファイトに展開した。どこからとってきたのかわからないが、ケーキやチョコレートやキャンディまでもが縦横無尽にパーティ会場内を飛び交うのだ。もうバカ騒ぎ状態だ。飛んでくる食べ物を避ける大勢の人にもみくちゃにされていた。

 僕はできれば今日の一張羅を汚したくはなかったが、もう時すでに遅し。僕の濃い紫色のローブの後ろはチョコレートでべとべとになっていた。後頭部にも固まりつつあるチョコレートがこびりついていた。

 喧騒の中で、僕はやはりメリーを探した。このフードファイトの中、彼女だけはきっと一切汚れていないのだろうと思った。なぜかはわからないが、とりあえず僕みたいにチョコレートまみれではないだろう。さっき目があった際、笑顔で返してくれたのだ。だから、僕は心で決めた。次に彼女を見つけ、目が合い、笑ってくれたら、告白をしよう、と。

 けれど、いくら探しても全く見つからない。

 暗闇の中の小さな星が見つからない。

 きょろきょろと見回していた。そして視線を正面に戻すと、パイが迫ってきていた。僕はとっさに後ろに下がった。下がる際、勢い余って背後の人を巻き込んで倒れてしまった。

 きゃあ、とその人は倒れる。

「ああ! すいません……」

 僕はとっさに身体を転がしてその倒してしまった人を見た。

 メリーだった。


 +   +   +


 クリスさんはすごく驚いた表情をしていた。こんなに近くで会うのは初めてかもしれない……。

「ああ! すいません……」

 クリスさんは取り返しのつかないことでもしたかのように、焦りきった表情をしていて、おかしかった。

「大丈夫ですよ。はい」

 儀礼的に、私は懐からキャンディを出して渡す。でも、クリスさんはあ、えっと、と言って、キャンディを受け取ろうとしない。それが私にはものすごく不思議に映った。

「すいません、大丈夫です」

 私は、はあ、と少し間の抜けた返事をする。


 *    *    *


 そして心に決めた、僕はメリーには告白をしない、してはいけない。彼女は当然舌利かずではないはずだ。

 むしろ、最初から舌利かずだと期待していた僕があまりにも愚かだった。だから、僕は毎週、彼女の屋敷の前を通って、彼女を密かに応援し続けようと思った。それなら、許されるのではなかろうか。

「ごめんなさい、さあ」

 彼女の手をとって、立たせた。彼女の手に触れたのは、これが最初で最後なのだろう。


 +    +    +


 私の手をとって、彼は僕を立たせてくれた。でもすぐに、人ごみの方へ歩いて行ってしまった。私の手には、チョコレートが少し付いていた。

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