第6話 ☆平居郁人 土偶に出会う
ヤベ、もうこんな時間か。
腕時計の針が間もなく10時を指そうとしていた。
「小森! ちょっと事務センターに行ってくる。あと頼んだ」
『あ、お迎えでしたっけ? 了解です』
売場のある本館から事務センターまで歩いて5分と掛からない。そう思ったのがまずかったようだ。10時の開店作業を小森にまかせて、急いで売場をあとにする。
本来、異動辞令を受けた者は、異動初日に自ら異動先へ行くのが通例だが、藤井にはPOP室で待機してもらっていた。
売場どうしの配置換えならともかく、藤井はまったくの新人と言っていい。
こちらも朝の忙しい時間帯に、事細やかな対応など出来るはずも無く。よく言えば見学、悪く言うならボーっとつっ立つ時間が、どうしても出来てしまう。
同じボーっとされるなら、POP室でされるほうがいい。
バタバタする売場をみて、忙しくてついていけない……なんて思われたら敵わない。
とにかく、俺は真木の挑戦状を受けた。
申し訳ないが、藤井には自分の意思に関係なく辞めてもらう訳にはいかなくなったのだ。
と言ってもそれなりの配慮はしてやろうという、ちょっとした心遣いだ。
事務センターの建物まで、息があがらない程度に走ったので3分と掛からずに到着した。
エレベーターに乗り込み3階のボタンを押す。POP室のある階だ。
普段は2階の会議室や総務に用がある事が多いので、階段を利用している。しかし、走った上に3階まで階段で上るのはさすがにキツイ。
目的階について扉から出ると、思わぬ女性が待ち構えていた。
商品POP制作室の責任者 “大島弥生” だ。
同期の間でも毒舌マシンガンとして有名な人物である。
なんだろう。あまり関わりたくないんだが……。
『藤井を迎えに来たんでしょ?』
とりあえず、頷く。……にしても、社会人なら「おはよう」の挨拶から始めるべきではないだろうか。明らかに軽視されてるんだよな、俺。
「歓迎されてる雰囲気じゃないみたいだけど……」
『別に……。連れてかれる前に言っておきたい事があるだけ』
いきなり? 何だよ……。
『あの子、ちょっと数字に弱いから気をつけて。 それと……』
何やら、いっぱいコメントが続きそうだ。 意外な事に、大島は部下に過保護らしい。
『藤井の事……辞めさせたりしたら、アンタを許さないからね』
って! お前もか。 一体何なんだ? 企画部は、どうしてそこまで藤井を溺愛する?
「どういう意味だ?」
少し苛立ちながら聞き返す。 しかし、大島は怯むことなく宣言した。
『私、諦めてないから。POP室のこと』
あぁ、そういう事か……。 お前、相当頑張っていたもんな。
商品POP制作室は、販促物を作成する裏方の仕事なので、直接数字に表れる売場と違ってその成果がわかりにくい。 しかも作成物の材料費や人件費など、数字に表れるのがマイナス部分なので、もともと叩かれやすい部署なのだ。
そこを大島は、あらゆる角度からデータを出してきて、具体的数字でその成果を訴えてきた。手を替え品を替え、その必要性についてわかりやすい形で示し続けたのだ。
残念ながらその行動で上層部を動かす事は出来なかったが、まぁ、仕方がない。
言って悪いが、ウチの上層部のメンツは素晴らしいとは言い難い人物達で構成されている。大島の努力不足というより、お歴々の頭の固さの方に問題があるのだ。
……でも、まだ諦めてないんだな。 ちょっと感心する。
『POP作製室には、あの子が必要不可欠なの。 だから、潰さないでほしい』
そんな風に懇願されてもな……。 重荷を背負わされる感じで困るんだけど。
「俺も最大限の努力はする。それでも藤井次第だろ? それは承知してくれ」
辞めさせるつもりは毛頭ないが、これ以上藤井に関して負担になる約束は避けたい。
『頼りない返事ね』
そう言い捨てると、長い廊下をPOP室に向かって大島が歩き出した。
少々傷ついたが、まぁいい。小さくため息をついてその後につづく。
POP室のドアを開けて先に大島が入る。一旦外で待った。
『藤井、迎えが来たよ』
中にいるだろう藤井に声を掛けながら、ドアを大きく開けて招き入れてくれる。
室内に入って藤井の姿を見つけた。その途端、何とも複雑な心境になる。
は? 寝ていたのか? 嘘だろ?
たしかに緊張して待ってろとまでは言わない。しかし、そこまでリラックスして新しい上司を待てるものなのか? ある意味、とても頼もしいよ。
俺に気付いて慌てふためく藤井。 しかも異常に暗いオーラを身にまとい、項垂れながら俺の側までやって来る。 そんな憂鬱な藤井の姿を見ていると、なぜか頭の中にド●ドナが流れ出してきた。
……オイ。 これじゃあまるで、俺が無理やりさらって行くみたいだろ!
「遅くなって悪かったな。 行こう」
敢えて藤井の態度を無視して声をかける。
もちろん、俺の頭に無理やり流しこんでくるそのBGMもブチ切ってやった。
……これは決まった事なんだ。 早く気持ちを切り替えてくれ。
そう思いながら、部屋から出ようとすると
『すいません! ちょっとだけ……じゃなくて、少しだけ待ってください』
そう断った藤井が、部屋に向き直って辺りを見回す。 何か忘れ物だろうか。
すると突然、藤井がその小さな頭を部屋に向けて下げた。
それは、誰か個人に向けられたものではなく、ただ漠然とその場で下げられたものだった。それでも、そのお辞儀には感謝の気持ちが溢れて見えた。
……意外に礼儀正しいんだな。
感心していると、今度は確実に、藤井の目が大島を捕らえていた。
その大島はいつの間にか、パソコンの前で作業をしている。見送るとかそういう気は一切ないらしい。
『長い間お世話になりました』
藤井が腰から深く頭を下げる。
『ありがとうございました!』
大島の返事は無い。相変わらずの天邪鬼っぷりだ。
さっき、廊下で言っていたお前の台詞を、藤井に聞かせてやりたいよ。
いつまでも腰を曲げたままなので、軽く背中を叩いて体を起こしてやる。
上げた顔には寂しさが滲んでいた。
心配するな。その気持ちは通じてるよ。
なぜかそう思って、頷いてやる。
それを合図に、藤井は肩を落としたまま出口から先に部屋をでた。
その背中がとても寂しげだが、これ以上俺がしてやれる事はないだろう。
ため息をつきながらその後につづく。 ……すると
『藤井!! しゃんとしな!』
うぉぁ!!
聞こえてきた怒鳴り声に、思わず声が出そうになるほど驚いた。
慌てて振り返ると、大島が今まで見た事も無いような、鬼の形相で立っている。
そして、腰に手を当てて言い放った。
『アンタ、いい仕事してた! だから胸張って売場にいきな!』
え? また、わかりづらい褒め方だな……。怒っているようにしか見えない顔だぞ。
気持ちが折れたんじゃないかと、心配になって藤井の方を見ると、じわじわと目頭に涙が溜まっている。 あぁ……どうやら藤井にはこれで通じているらしい。
まぁ、お互い通じあえているならいいんだけどさ……。
感動の別れのシーンの様なので、邪魔にならないよう、廊下の端によけた。
☆-☆―☆
「それはそうと、そろそろ泣き止んでくれないかな」
藤井は赤く腫れたまぶたのせいで、かなり細目になっている。 それを無理やりこじ開け、何かを凝視しているようだが、さらに涙は溢れ続けている。
横目でそれを見守っていたが、堪りかねてそっとハンカチを差し出す。
『けっこうです!』
あきらかに “迷惑です” という声で断られた。 少し傷つく。
しかも、見れば自分のブラウスの袖で涙を拭きあげている。だったらこのハンカチで拭いてもいいじゃないか!……そう思うが、そのまま黙ってハンカチを仕舞った。
ふと、藤井の透明バッグの私物入れに目が行く。青いハンカチが見えているのだ。
ん? 自分のハンカチがあるじゃないか。……え? どうして使わないんだ?
何のためのハンカチ? ……謎である。
そんな事を考えながら、実は困り果てていた。
藤井がこんなに涙腺が弱いと思わなかったからだ。
たしかに、今回の状況は致し方ない面もある。4年以上勤めていた部署が無くなるんだ。感極まっても仕方がない。 仕方がないにしても、これはちょっと泣き過ぎだろう。
女の子としては可愛いんだろうけど、仕事の上ではかなり問題だ。 いちいち感情に揺さぶられていたら、見誤る事も多いし、しかも非常に疲れる。
どうしたものかな……。 うーん。 とりあえず言っておくか。
「藤井」
呼びかけに答えて藤井がこちらを向く。 うっ! 思わず横を向いて目を逸らしてしまった。 吹き出さないよう堪えるのに必死になる。 ダメだ!!……か、肩が、肩が震える。
『な、何が可笑しいんですか!!!!』
「すま、ぶは! はハハハハハ!! ごめ……んフフフフフフ」
慌てて口を塞ぐが、間に合わなかった。
すごく失礼なのは分かっている。分かっているが、これで笑うな! と言うほうが拷問だ。 ……は、腹がイタイ。
横からしか見ていなかったから気付かなかった。いったいどんな魔法を掛けたら、そんな顔ができあがるんだ?
藤井の顔はどこをどう見ても、縄文時代の “土偶” にしか見えなかった。
もう目が横線なのだ。
元が可愛い顔立ちなのに、どうやったらこうなるのか不思議でしょうがない。
『すっごく失礼ですよ!』
怒って唇を尖らせる藤井。
ますます、遮光器土偶サマになってくる。 笑いの神様は容赦がないらしい。
……頼む藤井。 あちらをむいててくれ。
読んで下さってありがとうございます。
遮光器土偶って何だ? ……と疑問符が頭に浮かんだ方はぜひ、画像をググってみてください。
平居氏の気持ちが、理解出来るやも? しれません。