第3話 ♪藤井香織 お守りをいただく
売場にとって、商品POPは “所詮” 程度の扱いでしかない。
なので、それを依頼するという作業は、だいたい新人の仕事に当てられている。
そう言う理由からか、POP室には普段から役職付きは主任までしか依頼に来ない。
しかも主任クラスでやって来る人は “催事責任者になったので嫌々” というほどめずらしい存在なのだ。
なのにアイツは、どんなに出世してもやってきた。
アイツが主任からフロアーマネージャーに出世した時、どれほど喜んだことか。
これで顔を見なくて済む! そう言って私は小躍りした。
翌日やってきた。
アゴがはずれるかと思うぐらい、驚いた。
もう少し夢を見させてくれてもいいじゃないか!と心から嘆いた。
しかも、嫌味な事に必ずスージーの居ない時にやってくる。
同期なんだから、スージーに依頼すればいいじゃないかと、遠まわしに何度か言ってみた。
ところが『俺は忙しい。時間を選んでやって来れる程ヒマじゃない!』とか何とかエラソーな事を言う。そんなに偉くてお忙しいなら、依頼そのものを部下に任せちゃえよ! と言いたい所だが、怖くて言えない。
さらにその依頼内容が、ムチャクチャでわがまま放題な内容となると、誰だって怒りだしたくなるというものだ。
ちなみに “できません!!” と泣きついてみた事があったが、『定時に帰るヤツが何を言っている!売場は毎日残業だぞ!』と豪語された。
言い訳するわけではないが、私は決して定時にあがれるような仕事をしている訳ではない。
ただ、スージーが定時になると帰ってしまうので、POP室イコール定時あがりのお役所部門というレッテルを貼られてしまっているのだ。
現実はむしろ、依頼の量の多さと人員不足で、こちらも毎日残業続きである。もちろん責任者は帰ってしまっているので、サービス残業だ。
それでも続けてこれたのは、ひとえに好きな事を仕事にしているからだ。
ここ以外で自分の能力を生かせる所なんてない! と思っていたからだ。
あぁ、話がそれてしまった。
とにかくゴリ押しで依頼してくるので断れず、泣く泣く受けてスージーに依頼報告をすると『こんなのできるかぁ!!!!』と毎回怒られた。
そして結局、『藤井が責任を持ってやりなさい』と押し付けられるのである。
マジでやってらんない!! きぃぃぃぃ!! ……状態なのだ。
しかも、さらに最悪なのが、アイツは出来上がったPOPにまで難癖をつけた。
ひどい時にはやり直しまで食らうのである。
マジで何様なんだ?! んんん??? 一体何の権限があって、アイツはそこまで自由に振舞っているんだ?! おい!! ……とキレる毎日だったのだ。
余りに辛いので、そういう悩みを同期で仲良しの “総務のあっちゃん” に愚痴ってみた。
しかし……
『ええ? 平居さんが? そんな風に見えないけどなぁー。カオリンの思い違いじゃない?』
と一括されて終了した。 ……あまりに冷たい仕打ちである。
納得できずに異議申し立てを行うと、あっちゃんに『誰に言っても同じ答えが返されるよ』と窘められた。
聞けば社内に “平居郁人ファンクラブ” というものがあるらしく、それは女子社員の中で水面下に結成されているらしい。こんな男をイケテル社員と崇める乙女達が存在する事にびっくりしたが、かなりの会員数を誇っていると聞いて、さらに仰天してしまった。全く持ってどうかしているぞ!と強く思うのだが、一般世間は大抵がどうかしているものらしい。
詰まるところ、社の女子たちは大半が平居にメロメロ状態なので、悪く言うと逆に睨まれるよと、あっちゃんにアドバイスされたわけだ。
彼女は冷たいのか優しいのか、よくわからないお人である。
まあ、それはさておいて、とにかく世の女子に支持されて、上司受けもよろしく、出世の道を驀進する天敵に、一介の平社員ごときが太刀打ちできるはずもなく、ただ甘んじて依頼を受けるしかない状態だったのだ。
しかし、このままでは腹の虫が治まらない。
といっても、鼻持ちならないあの態度を分かち合える人すらいない中、せめてもの仕返しとして、心の中で “たらし天狗” と呼んで憂さを晴らすぐらいしかできなかったのだけど……。
というような内容を、私的感情部分を抜いてジェントルマンに訴えた。
あまりに一気にしゃべったので、喉が渇く。
『うーん』
ジェントルマンは人の話をきちんと聞いてくれる。今もまた、私の話を吟味するかのように考え込んでいる。
お願いです。私の想いが伝わってください。
いただいたお冷に口をつけながら、ジェントルマンの様子を伺う。
『つまり、平居君は藤井の事が好きなんじゃないのかい?』
ぶへー!! ごほごほ!! く、くるしい。
『大丈夫かい?!!』
あまりの意見に、お冷が気管に紛れ込んだ。苦しくてむせ返る。
心配して、オシボリを渡してくれたジェントルマンが背中を擦ってくれる。
が、隣の男に
『汚ねえなぁ…』と苦情をもらされた。
ノーマナーな事をしてしまった。
「すいません。ごほごほ」 謝罪しておく。
『悪かった。冗談が過ぎた』
そうですよ。ひどいです!
ジェントルマンじゃなかったら、思わず「ばかも休み休み言え!」と叫んでます。
「あ、相手も小学生じゃないんですよ……」
私もおばさんの領域に入りつつあるが、向こうは立派なおじさんだ。
30歳を過ぎて“好きな相手に意地悪してしまう”などといわれても気持ちが悪いだけである。
『とにかく、平居君の下がどれだけ大変なのかはわかった』
……という事は、ぶちょー!! 別の売場に配属していただけるのですね!!
『それじゃあ、こうしよう。 藤井、携帯をかしてごらん』
ん? よくわからないが、言われるままにカバンから携帯を取り出し、ジェントルマンに渡した。 何やら、打ち込みはじめている。
『この番号をコールしてみて』
受け取った携帯の液晶に 知らない番号が表示されている。
素直に通話ボタンを押した。
一瞬の間をおいて、どこからか呼び出し音が聞こえてくる。
するとジェントルマンが背広の内ポケットから携帯をとりだした。
携帯はジェントルマンの手の中で、持ち主を呼び続けている。
……うそ、社用のド○モフォンじゃない。あの背中の林檎さんは…
『僕のプライベート番号だ。もしも、いじめられたら電話してきなさい』
なんとぉ!!!!!!!!!!!!!! うそでしょぉ!!!!!!
こんなかたちでお電話番号をゲットできるとは!
しかも、ジェントルマンはニコニコしていらっしゃる。
『これで、4階でも頑張れるかな?』
あまりの感激に声が出ない。
とにかく思い切り首を縦にふる。
もう4階どんとこい!! です。
たとえ、たらし天狗にひどい苛めを受けようが、このお守りがあるならば!!
いえ、逆にどんどん苛めにこい! です。 その先にこんな幸せが待っているんですから。
と、うっとり気分にひたって携帯にほおずりしていると
“きゅるるるるるる”
盛大に自分のお腹の虫が騒ぎ出した。 オイオイなんてことするんだ。
『ハハハハ。 藤井のお腹は正直だな。 沢山食べないと、これから体力勝負だからね。大将! 握ってくれるかい』
『アイヨォ! 何、握りやしょう?』
……すいません。 やる気になったら急にお腹がすきまして。
では遠慮なく。 といってもケースにネタがたくさん並んでいて迷ってしまうな。
『奥さん、今日のアワビは、いいのが入ってますよ。お好きでしたよね』
え?! 奥さん?!
『大将、違うよ。 彼女は僕の部下だよ。』
『えええ!! こりゃ、申し訳ない! 失礼しやした。
いや、この前お連れになられた奥様に似ていらっしゃったもんで。 お嬢さん申し訳ない。』
大将さんが、私に向かって頭を下げてくる。
待って、待って、私、奥様に似てますか?
『でも、そうだね。藤井は少し、僕の奥さんと雰囲気が似ているかもしれない』
マジですか!!!
『僕の奥さんも身長が150センチしかなくてね。すごく小柄なんだよ』
なんて偶然! 小柄バンザイ!!
『お若くて綺麗でいらっしゃいますしね』
大将さんが補足する。
『ハハハ、参ったな。綺麗かどうかは別にしても、たしかに若いかな……』
なんと!ジェントルマンが恥ずかしがっている。 希少行動です!
そういえば、ジェントルマンは年の差婚だって聞いたことがある。
「あ、あの……奥様はおいくつでいらっしゃるんですか?」
恐る恐る聞いてみた。
『ん? たしか、今年で29になるって言ってたかな』
衝撃の事実です! 私と4つしか違わないんですか!
という事は 私にもチャンスがあったかもしれないという事でしょうか?!!!
おかあさん!! どうして4年早く産んでくれなかった!!
出会いが早ければ 私が部長夫人の座に就けたかもしれなかったのにぃーー。
悔しすぎるぅ。 くぅーー。
ひとりウェディング妄想にふけっていると、大将さんとジェントルマンが奥様の話で盛り上がっていた。
しまった! 奥様情報を手に入れ損ねてしまった。
とりあえずアワビを頼んで、会話に参加する。
『たしか、おぼっちゃんが小学生でしたっけ?』
『来年ね。まだお遊戯してるよ』
『かわいい盛りじゃありませんか。ビデオ回したりするんでしょうね、お父さんは!』
『もう、うちのは生意気ですよ。ほんとに勘弁してください』
あぁ。大将さんと笑いあって、楽しそうに会話するジェントルマンを見てると、本当に奥様とお子さんを大切に想っているんだな……って感じがする。
これまで、お家の話なんて聞かなかったから、少し油断してた。
真木部長には、大切な家族がある。
ちゃんと肝に銘じておかないといけない。
私はこうやってたまに食事に誘ってもらうだけで嬉しいんだ。
決して多くを望んではいけない。
それでも、その会食がこれで最後かもしれないと思うと淋しくて仕様がなくなる。
お守りの携番だって、自分からかけていいなんて思っていない。
ほんとはどこでも同じだった。真木部長の部署でなければ。
こうやって誘ってもらえなくなる事に変わりはないのだから。
悲しいけれどこれが最後だ。美味しくいただこう!
自分に言い聞かせる。
先ほど握ってもらった、大トロを一貫いただく。
あぁ、脂が口の中に広がって、溶けて無くなってしまう。なんて美味しいんだろう。
夢見心地に浸っていると、何やら視線を感じた。
横を向くと、ジェントルマンがじっと私を眺めている。
え、なんでしょう? お行儀が悪かったでしょうか?
『藤井は、ほんとに美味しそうに食べるね』
え? それは褒め言葉ですか?
『一緒に食べてて、楽しい気分になる』
あぁ。お役に立てていたなんて……恐れ入ります。
顔が赤くなるのがわかったので俯く。
『藤井……』
呼ばれて顔をあげた。
『4階で頑張りなさい。 そして上にあがってきなさい』
う、うえ? どこでしょうか?
『もう一度僕と、一緒に仕事をしよう』
思いもよらない台詞に心臓がキュっと音をたてた。
涙が自然にあふれ出してきて困る。
『待ってるよ……』
どうしようもなくなって、とにかく俯いた。
カウンターに涙が落ちて、波紋がいくつもできる。
すると大きな手が私の頭をすっぽり包む。
『少し、わさびが利きすぎていたようだね』
「……はい。 とてもからいです」
涙をお寿司のせいにした。
決めた!
どんなにつらくても自分からは辞めない!
やれることは何でもやってやる。 絶対あきらめない!
そう心に誓って 残りの大トロを平らげた。
お読み下さってありがとうございます。