第2話 ♪藤井香織 行く先々に天敵がいる
振り返ってみると、青天霹靂な売場配属命令と、ミスタージェントルマンの微笑みにやられて、あの時は理解能力が半分以下になっていたのだ……と思う。
辞令告知のあと部署に戻ったら、デメキンのように腫れた私の目を、商品POP制作室・主任の大島弥生に爆笑された。
な! あんただって売場に飛ばされるんだぞぉ!!!
と、デリカシーの欠片もない笑い方に対し、心の内だが大激怒する。
いや、そんな事はどうでもいい。
そのスージー大島に憐れむような眼差しで言われたのだ。 とっても重大な事を。
『アンタ、4階なんてやっていけるの?』
ん? 4階? ああ、配属先か…。
どうやら、スージーは先に知っていたらしい。責任者の特権だろう。
「どこでも一緒だと思いますけど」
少しばかり強がってみせる。
ほんとのところ、どうせ売場になるのなら、せめて本館ではなくホビー館の文具あたりを担当したかった。ヤングカジュアル服なんてまったく興味がないからだ。
私の場合、身長が147cmとプチボディの為、とにかくおしゃれをするのに障害が多かった。SSサイズが無いに始まって、あっても値段が尋常じゃなかったりする。
使っている生地が少ないのにLLと同じ値段とはどういう事だね! と憤慨しきりな青春時代に疲れ果て、裏方の仕事に就いたのをいい事に、とんとおしゃれに無頓着となってしまったのだ。
ヤングと言わず、子供服まで対象年齢を下げてくれれば着れたのになぁ。
サイズはともかく、デザインはいいのか? と思わず自分にツッコミたくなるが、実際問題、Tシャツぐらいなら何の支障もないのが悲しい。
イマドキの小学生はいい物を着ているなぁ――と感心してしまう今日この頃だ。
ただ、そんなどうでもいい事もスージーの台詞で吹っ飛んでしまった。
『私なら絶対無理だけどな。……平居が上司なんて』
え? なんとおっしゃいました? 平居?
ひらいぃぃぃぃぃ!!!!!?
一瞬で血の気が失せた。
すっかり頭から抜けていた。ヤングカジュアルはアイツが統括している部門だったのだ。
これはマズイ。売場は嫌!などと悠長な事を言っている場合じゃない。
アイツの部下などもっての外だ。
これは100歩譲って、いや、200歩譲ってもアイツ以外の売場にしてもらわないと困る。
部長!! ぶちょぉーー!!
今、帰ってきた道を戻るため、振り返ってドアに手をかける。
『藤井!! どこに行くの?』
そこにすかさず邪魔が入った。スージーだ。
「いえ、部長に相談事がありまして……」
『相談? 何言ってるの! 話してきたばかりじゃないの。 仕事! 仕事してちょうだい!!』
いや、急ぐんです。大至急なんです。
『閉鎖までにやる事“いっっっぱい”残ってるのよ。わかってる?!』
わかっていますが、こちらも閉鎖後の私の人生が“いっっっぱい”かかっているんです!
『はい! ボォーっとしない!! さっさと仕事片付けて!』
くぅぅぅぅ。 あなたは鬼ですか!?
POP室が閉鎖になって、唯一嬉しかった事がスージーの部下じゃなくなる事だったのに、
アイツの下になるくらいなら、スージーの方がよっぽどマシではないか。
と嘆いていても仕方がない。この場はあきらめて仕事をしよう。
勝負は食事の時だ!!
というわけで、お寿司を前にして部長に闘いを挑んでいるのである。
なんとしても4階以外の配属を勝ち取らなければならない。
「でも……出来れば頑張ってみたいと思っています」
そう言ってジェントルマンの様子を伺う。……うぅ。神々しいまでの爽やかスマイルだ。
そんなに喜ばないでください。気持ちが折れます。
「ただ、ヤングカジュアルというのはちょっと……」
『え? どうして?』
統括している人が嫌なんです! とは言えない。 人格を疑われかねない。
「あの……私も今年で25歳になります。 今から高校生が着るようなお洋服を勉強すると言うのはちょっと……」
苦しい言い訳だが、これしか思いつかない。 上司が嫌!よりマシだろう。
『だったら、3階のレディース服なら頑張れるのかい?』
うぅ。 そうきたか。 しかしそれでは意味が無いのですよ。
我が天敵「平居郁人」は、とにかく他人の評価がとんでもなく高い。
それを証拠に、28歳という異例の若さで、レディース・ミセス服を展開する“3階フロアーマネージャー”に就任している。
ただ、それだけでも伝説の人なのに、今年の春、ヤングカジュアル服を中心に展開する“4階フロアーマネージャー”も兼務する事になったのだ。
つまり、婦人服販売のすべてをこの男が握ってしまった事になる。
まったくもって迷惑な話で、だいたいが調子ぶっこみ過ぎ!な男なのだ。
「できれば、そのぉ……3階・4階以外だと、頑張れる気がします」
突然、ジェントルマンが笑い出した。
口元を押さえるしぐさも、これまた素敵である。
「何か、おかしいですか?」
ちょっとむくれたフリをする。
『いや、ね。 そんなに平居君が嫌いなのかと思ってね』
ぎょ! ……バレてる。
「あの、その、嫌いというか……苦手です」
素直に認める。とにかく3階にも4階にも配属されたくない。
『どうしてそんなに煙たがるのかな? 僕からみても、とてもいい男なんだけどね』
そうやってジェントルマンがアイツの肩を持つから、余計に腹が立つんです!
本気でむくれる私に、ジェントルマンが苦笑する。
『具体的にどういうところがダメなの?』
全部です! ぜ・ん・ぶ!!!
とにかく、言語や行動が我慢できないほど不愉快なのだ。
と即答したいところだが、ぐっとこらえる。
「とにかく、権力を振りかざす、あの姿勢が許しがたいといいますか……」
『まぁ、フロアーマネージャーだからね』
「そこです! そこなんです!」
『ん? どういうこと?』
「あの人ぐらいですよ。フロアーマネージャーにもなって直接POPの依頼をする人は!」
あぁ、お願いです。聞いてください、ジェントルマン。
あの男がいかに傍若無人であるかを……。
読んで下さってありがとうございます。