第1話 ♪藤井香織 異動辞令に悩む
今から3ヶ月前、私の所属している部署の廃止が決まった。
営業企画部 商品POP制作室 ……通称POP室。
社員2名とパート3名、バイト1名で構成されるこの部署は、わが社にとって弱小部門であることは間違いなかった。
それでも私は、必要不可欠な部門なんだと自信を持っていた。
ひとつひとつの文字にメッセージを込めて、ひとつでも多くの商品が売れることを願って……そうやって生み出し続けたPOP広告たち。
絶対に必要な仕事なんだ。
そう信じて疑わなかったのに……それはあっさりと決まってしまった。
そして 1週間後には、私の正式な異動辞令が出されてしまうのだ。
『すまない。……何もしてやれなくて』
POP室が所属する、営業企画部の部長に頭を下げられた。
そんな事、しないでください。あなたが悪いわけじゃないですから。
頭を軽く横に振って答えた。
『続けるつもりはないのかい…?』
その言葉に戸惑う。
「自信がない……です。」
それが正直な気持ちだ。
入社から4年間、同じ部署で同じ仕事を続けてきた私にとって、新しい部署でまったく未知な仕事をしなければならないというこの状況。
……不安以外に何があるというのだろう。
自分にはこれしか出来ないと言いきって、新卒入社の面接を受けたではないか。
『かまわない』と言ってくれたじゃないか。それを今さらどういうことなんだ。
……決定したから。
……はい。そうですか。
では納得がいかないんですよ! どうしたって!
しかしながら、決まったことには逆らえない。
それが世の常、お勤め人の悲しいさだめ。
そう言って自分に言い聞かせ、泣く泣く受けた辞令の内容に
またもや憤慨するとは思いもよらなかった。
藤井香織殿
辞令
あなたを、9月1日付けで
営業企画部商品POP制作室から
営業1部 本館4F ヤングカジュアル販売課へ
配属とする。
はしたなくも、告げてこられた部長の前で
「えぇぇ一一一一!!!」を7秒言ってしまった。
「事務職じゃないんですか???」
と混乱した頭で発した言葉は 多分にもカミカミで
「ジムシャク何デスワ???」
になってしまった。
『とりあえず 落ち着いてくれるか…』
自分に掛かった私のツバを気にする風もなく、優しげな顔で微笑む部長。
そう、あなたは悲しいぐらいに、いつだってジェントルマンなのだ。
我に返って考える。
POP室が無くなると聞いてから、不安で仕方がない毎日を過ごすうちに、てっきり事務職員にかわるんだと思い込んでいた。
いや、思い込ませていた。
社員の80%が販売に関わる仕事に就くこの職場で、普通に考えれば売場に配属されるのが順当だ。
そんな事はわかっている。 しかし私は「POPライター」なのだ。
裏方一本、必死に頑張ってきたこの私に、よもや表舞台で踊って来いなど口が裂けても言わないはずだ。いや言うわけがない!
そう強く言い聞かせてきたのに…。
あんまりじゃないですか。
ここで泣かない自分を褒め称えてやりたいよ。
と必死に目を開けて涙をこらえる私に、そっと差し出される青いハンカチ。
ミスタージェントルマン。どこまで紳士なんですか。
逆に涙が止まりません。
そんなわけで、貸して頂いたハンカチでは対応できない程の涙を流し続けていると、ミスタージェントルマンが食事に誘ってくれた。
別に誘ってもらう為に泣いていたわけではないが、少しばかりほくそ笑んでしまう。
今夜はお寿司だった。もちろん回ってなどいない。
一枚板が艶やかに光るカウンターの奥で、職人さんが持てる技のすべてを披露している。
普段なら小躍りしそうなほどハイテンションになるところだが、さすがに今日は気分が上がらない。
もったいない事である。
美味しそうな握りずしを前にして、冒頭の質問を受けたのだ。
自信がないと答えたその後、辞令を告げられた時の事を振り返っていたのだが…
『気を落とさないでくれ。それが普通だと思う』
しばし考えこんでしまったように見えたのか、ジェントルマンが普通の事だよと慰めてくれる。……とてもうれしい。
しかし、喜んでばかりもいられない。私はあの時、重大なミスを犯していたのだ。
ここから先、浮かれてミスを重ねるような事があっては決してならない。
私の、この先の人生がかかっているのだから。 よし! ここから気合を入れ直して……
部長! いざ! 勝負です!!
読んで下さってありがとうございます。