第二話
子育てしながら、仕事するセレンは忙しい。
早朝、隣で眠る娘を横目に起きて、着替えをすませ、食事の準備。
その後、老婆の形見のネックレスに手を合わせる。老婆は亡くなった後、この土地の一角に散骨してほしい、墓はいらない、と遺言をのこしていたので、これしか故人をしのぶものがない。
そうこうするうち、娘が起きだし、朝食になる。
それが終わると家の掃除、そして畑仕事。娘は、畑の隣の庭で花をつんで遊んでいる。
食事や畑仕事なんか、魔法や魔術で簡単になんとかできるのではないか、と素人目線に思われがちであるが、うまくはいかないものだ。
魔法や魔術は、自然現象や肉体に変化をおこすための、介入するきっかけを作るものにすぎない。物質を新たに作り出すのは錬金術とよばれているが、完全なる有機物をつくることは今だに成功した例がないのだ。そして、魔法や魔術は気力・体力を消耗する。召喚術を使用するにしても、血の盟約と呼ばれる契約をするのだが、それは普段に使えるような代物ではない。いわば、自分の血と精を餌にして、招くようなものだ。だから、普通に魔法を使うより、体力を大幅に消耗してしまうから、畑を耕すために召喚するなどはありえない。
世の中おいしい話などないものである。
娘のリアンナは、色とりどりの雑草をつんでいたが、ふと、人の気配を察して、家の戸口を見た。どうやら、来客のようだ。母を呼ぶため、花をおいて、畑の母を呼んだ。
「おかあさん、だれかきたみたい。」
「?」
母のセレンは、鍬を置いて、額の汗を首から下げた布でぬぐった。誰だろう?
すぐに戸口に向かうと、青年が立っている。茶髪の背の高い青年。顔は造作が割りに良いような部類であるが、こずるそうな瞳が彼女を見つめていた。
「ルーニ・・・いえ、ローデンさん。何か御用ですか?」
ルー二・ローデン・・・村の有志の息子。過去、道場で共に学んだ者だ。村ではその容姿と背景から、娘達の憧れであった。彼は、女だてらに道場で学ぶセレンに興味と好意を抱いていた。だがセレンにとっては、単なる友人程度の認識。セレンが妊娠し、娘を産んだ後も、しつこく言い寄ってくるようになった。有志の息子であるから、暇と時間と若さをもてあましているふしがあるようだ。
彼は包みを差し出しながら、彼女に近付いた。
「セレン、そんな呼び方やめろって言っているだろ?」
彼女はすばやく後ろに一歩引く。
「・・・何の御用かしら」
すると青年は手を伸ばし、彼女の腰を引き寄せて彼女の右耳にいやらしく囁く。
「なあ、いいだろ?そろそろ俺のものになっても。お前はあの時、誰と交わったんだよ?あの時、俺が他の女といたからか?やきもちで出来心からなんだろう?な、いいだろ・・・・?こんな汚ねえターバンなんかはずしちまえよ――――――」
そう囁きながら、左手は体の曲面を這い回り、右手がターバンにかかった時。
セレンはぱん、とその右手を力強く叩き落とした。
魔法で追い払ってやろうかと何度思ったことか。こんなことは日常茶飯事である。だが、むやみやたらにに魔法は使うな、と老婆の言いつけがあった。自分の秘められた力を使用するのは、よほどの状況・よほどの敵対する者にしか使用してはいけない。異能・異端と認識されれば、この世で存在しにくくなる、と彼女はよくセレンに説いて聞かせていた。
セレンも辛抱強く、この言いつけを、老婆が亡くなった後も守り続けている。
これはひとえに、娘の為である。
自分一人であったなら、迷わず力を使用し、村をとっくに出ていたはずだ。
青年は右手を払われ、さっきまでのいやらしい表情を一変させ、怒りに燃えた瞳で彼女をにらみつけた。
「・・・・おい、いい気になるなよ。俺の力を持ってすれば、お前なんて・・・」
その時、小さな声が割って入ってきた。
「おそうじでーす!」
リアンナが、どこから取り出してきたのか大きな竹箒を手にして、いまにも掴みかからんとしていた青年の前を掃きはじめた。しかし、子供が自分より大きな竹箒をなれない手で扱うものだから、きれいになるどころか、青年とセレンの間に土埃が激しく舞っただけだった。
いいところを邪魔された青年は、ごほごほと激しく咳き込み「このクソガキが!」と、リアンナに掴みかかろうとした。
しかし、それより早くセレンがリアンナを抱き上げ、竹箒を取り上げる。
そして子供を抱いた手とは反対の手に竹箒を持ち、青年に突きつけた。
「回れ右。リアンナに手を出したら、許さない。」
セレンが短く告げると、青年はうっとつまり、じりじりあとずさりして「お前が俺のものになるまで、来るからな!」と悔しそうに吐き捨てて去っていった。
セレンは来客が去っていくのを見届けてから、リアンナに視線を合わせ、こう言う。
「危ないから、人が来たらでてこないように言ったでしょうが。」
リアンナはにこにこ笑って、セレンの首にしがみつく。ふわふわとした髪がセレンの顔にかかり、くすぐったい。
「おかあさんをいじめてたから、たすけにきたの。」
セレンは溜息をついて、竹箒を戸口に立てかける。そしてリアンナを抱いたまま「休憩。」と言って外の切り株に腰掛けた。
膝に娘を乗せながら、頬をなでていく爽やかな風を感じる。
どの瞬間も、娘と共にあるなら大切な時間であるが、この平和な時間こそ、セレンにとって最も幸せな時なのだ。