第5話 自分らしく……
翌週の月曜日、いつも同じ時間に家を出て、いつもと同じ時間の電車に乗り込んだ。
しかし、先週までとは明らかに気分が違う。顔が勝手にニヤニヤしてしまう。
なんとかピシッと気持ちを整えて、顔を引き締める。
すると、いつもと同じ駅から希美が乗ってきた。
「おはよう」
いつものようにそう声をかけた。
「そんな顔して、彼氏でも出来た?」
やっぱり何故分かる……。努めて普通の表情で挨拶したつもりだったのに。
でも彼氏と言う言葉を聞いて、顔がニタ〜と崩れてしまう。
「図星だったかぁ〜」
何ヶ月か前に、同じようなやりとりしたのを思い出した。
あの時は彼氏と別れた後だったんだけど……。
「じゃあ話聞かせてもらおうかな。今晩空けておいてあげるから」
「はい。分かりました」
希美には逆らえないからね。それに、彼女にはちゃんと報告しておかなくちゃ。
初めて出来た年下の彼氏……。
嬉しい気持ちとは裏腹に多少の不安があるのだ。
その辺りの気持ちを希美に聞いてほしかった。
とは言うものの私も現金なもので、スキップしそうな雰囲気で仕事をしていたらしい。
自分ではまったく気付かなかった。仕事仲間達が訝しげに私を見ていたことを。
「花田っ!不気味っ!」
坂牧チーフにそう言われるまでは。
「え…えっ?不気味って…」
「どっちかって言うと、いつも怖い顔して仕事してるお前が、今日はどういう訳かニタニタしてる。不気味以外の何ものでもないだろ」
「いつもは怖い顔って……そんなにニタニタしてましたか?」
自分の顔を両掌で触って確認する仕草をしてみた。
「何?新しい彼氏でも出来たか?」
「そのセリフ、オッサン上司みたいですよ。私と2歳しか違わないのに」
「ほっとけっ!」
「でも、正解。彼氏、出来た…かな」
そう言うと一瞬、チーフの顔が曇った…ような気がした。
「そ、そうか。良かったじゃないか」
「まぁ、前途多難な気もするんだけど」
「何か問題があるのか?」
「いろいろと……」
こうやって話し出すと考えてしまう。素直に喜べば良いのに。
「そんな前途多難な彼氏なんかやめて、俺にしとく?」
「冗談も大概にして下さい」
「だよなぁ〜」
ハハッと笑いながら、事務所に戻っていくチーフ。
そのうしろ姿を見ながらため息をついた。
坂牧が悲しそうな顔をしていたなんて知る由も無く……。
いつもの店に到着すると、やはり希美は先に定位置に座りビールを飲んでいた。
「少しくらい待てないかなぁ」
「うん、待てないね。喉渇いてたし」
「私より喉の渇きの方が優先なのね」
「当たり前っ!」
なんて軽く笑いながら言ってくれちゃう。「はいはい」と言いながら席に着くと、
私もやっぱりビールを頼んだ。
店員がすぐにビールを持ってきてくれる。私は一気にそれを飲み干した。
「う〜〜ん、美味しいっ!」
「咲、あんたって本当に分かりやすい」
「え?何が?」
「まぁ、いいや。で、彼氏は例のよくレジに来てたとかいう子?」
「う、うん」
何か照れる……。
あまりに頻繁に通って来てくれてたから、希美に少し話はしてあった。
でもその時は、まさか彼氏になるとは思ってもなかったから……。
「で、彼氏が出来たのに何を悩んでるんだか」
「分かる?彼ね、あっ翔平くんって言うんだけど……8つも年下だった」
「8つ…そりゃまた若いねぇ。でも今どき年の差なんて気にしなくていいんじゃないの」
「彼もそう言ってた。けど1つや2つならまだしも、8つだよ!お姉さん過ぎて甘えられないと言うか、しっかりしなきゃって、なかなか素直になれなくて」
「まぁ咲の気持ちも分からなくはないけど。でもさ、恋人同士って気を使いすぎると長続きしないよ。
きっと咲が今のままの気持ちでいたら彼、どう思うかなぁ?」
「うん、それも何となく分かってはいるんだけど。身体が勝手にブレーキかけちゃうんだよなぁ」
「Hしちゃえば?」
ブーーッと勢いよくビールを噴いてしまった。
「ご、ごめん。いきなり変な事言うから!びっくりだよ」
土曜日の夜の事が鮮明に脳裏に甦ってきて顔が赤くなる。
「何、赤くなってんの。もしかして、もうしちゃったとか?」
「してなーいっ!!」
「初体験じゃあるまいし、何を照れてるんだか。咲、可愛いね〜」
完璧にからかわれてる……。
私って、からかわれやすい体質なのかしら?そんな事を考えていると、ふと自分に変化がある事に気付いた。
(あれ?さっきまであった、肩にズッシリ圧し掛かっていた重荷が無くなってる)
「分かった?咲はいろいろ考えすぎなんだよ。咲は咲らしく。いい?」
やっぱり希美には敵わない。大した会話をしてる訳ではないのに、私の心を正常に戻してくれる。
私は私らしく……か。
すぐには難しいかもしれないけれど、私なりに頑張ってみよう。
「希美、ありがとね。大好き!」
「大好きって…言う相手、間違えてるでしょ」
そう言いながらも嬉しそうに笑ってる。希美に、もっともっと良い報告が出来るといいなぁ。
その後、気分の良くなった2人は、しこたま美味しいお酒を飲んで、恋愛話に花を咲かせた。
ほろ酔い気分で家に帰ると、携帯のメール着信音が鳴った。
ソファーに座り、鞄の中から携帯を取り出すと翔平くんからのメールだった。
『もう家に帰ってきてる?また飲みすぎて記憶無くしてる…なんて事してないよね?
直接話したい事があるから、帰ってたらメールして』
昼間に『今晩は親友と飲みに行く』とメールしておいた。別に、毎日連絡しあう事もないのだけれど、
何となくそうしたかった。彼からも『うん、分かった。気をつけてね』そうメールがきた。
そんな些細な事も、今の私には幸せだった。
でも私、何だか飲んだくれみたいな扱いされてる気がするんだけど……。
『お酒は強いの!すぐに同じ過ちはしません(怒)今、家に帰ってきました。私から電話しようか?』
メールを送るとキッチンまで移動して、冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターを取り出した。
一口飲んで喉を潤わせながら元の場所まで戻ると、すぐに携帯が鳴り出した。
慌ててワンコールで出る。
「もしもし」
「出るの早っ。そんなに僕の声が聞きたかった?」
そうなのか、私?
「そんなことないけど……」
うん…なんて素直に言えない。まだ無理。
「そこは、うんって言わなきゃ」
言いたいんだけどね。
「以後、気をつけます」
電話の向こうで少し呆れたように笑ってる彼。
「じゃあ本題。咲さん、今週末は予定入ってる?」
「ううん。何も入ってないけど、今のところは」
「良かった。じゃあ僕が予約。ドライブしよ!ちょっと遠出になるけどいいかな?」
ドライブは大好きだ。今でこそ少なくなったけど、若い頃は休みのたびに車を走らせていた。
「うん、いいよ。嬉しいかも」
「じゃあ、時間とかはまたメールする。本当は会って話ししたいんだけど、今週は内勤だから終わる時間が読めないんだ、ごめん。もしはやく終わりそうな日が出来たら連絡するね」
「分かった。でも無理はしないでいいから。土曜日に会えるんだし」
「そう?僕はもっともっと咲さんに会いたいんだけどなぁ」
私だって会いたい……。
彼のその素直さが羨ましい。
ほらっ!頑張れ、私!
「そ、それは私だって……」
「私だって?何?」
「……なんでもない……」
やっぱりダメだぁ。この後がどうしても言えない。
「はぁ…咲さん。本当の気持ち言ってくれないと、ちゃんと届かないよ」
呆れてる?呆れてるよね……。嫌われたかな。好きだから嫌われたくない。
何だか、すっごく悲しくなってきた。泣きそう……。
あれ?私って、いつの間にこんなに彼のこと好きになっちゃってたんだろう。
「嫌いにならないで……」
勝手に口から零れ出た言葉。自分でも気付かないうちに出ていた。
声が震えていた。
「馬鹿だなぁ、なんで僕が咲さんを嫌いになるの?1日1日どんどん咲さんの事が好きになってるのに」
きっといつもの私の大好きな笑顔でそう言ってくれてるんだろう。
彼は、いつもいつも私の心を数秒で温めてくれる。心がポッと温かくなる。
いいのかな、こんな私が甘えても。ほんとにもう、どっちが年上なんだか……。
よしっ!今度の土曜日、本当の私で…素直になって、彼と一日を過ごそう。
心にそう決め、彼に伝えた。
「あ、ありがとう。私、頑張るね」
言ってから、ちょっと笑ってしまった。(頑張るって…彼に宣言してどうするの!?)
彼もクスクスと可笑しそうに笑っている。
言ってしまったものは、しょうがない。当たって砕けろだ!
そう思うと気持ちもだいぶん軽くなった。
「楽しみだね。咲さん」
「うん!」
……………早く土曜日になれっ!!……………
そう願わずににはいられなかった。