第4話 素直になれない心
あの後の私はと言うと……かなりの勢いで飲んでしまい、途中からの記憶がまったくない……。
と言うのも、今私は自宅のベットの上にいるからだ。
お酒はかなり強いほうだ。いつもなら酔っても、こんな状態になることはないのだけれど。
と言う事は……(彼が一緒だったから?)
かなり痛む頭を擦りながらテーブルの上に目線を落とすと、小さな紙が置いてあった。
『咲さん、僕だって男なんですよ?いきなり可愛い顔して寝ちゃうなんて……拷問です。今日は何もしなかったけど、今度こんな事があったら…覚悟してくださいね!おやすみ』
小さな声で「あちゃ〜」と言って、今度は頭を抱えた。
30過ぎの女が20代の年下イケメンくんに迷惑をかけてしまった……らしい。
私、寝ちゃったんだ。そんな私を彼はちゃんと家まで送り届けてくれたんだ。
いくら私が女だと言っても、寝ている人間を運ぶのは大変だったろう。
申し訳ない気持ちが膨れていく一方で、なぜか胸の奥がキュンッとしていた。
時計を見ると、すでに日付は変わっている。明日は仕事休みって言ってたけど、もう寝てるだろうか。
こんな時間にメールしてもいいものか迷ったが、こういうことは早くに謝っておいた方がいいだろう。
記憶をなくす前にお互いのアドレスなどは交換していたから、私はすぐに彼にメールをした。
『翔平くん、今日は迷惑をかけてしまってごめんなさい。私を運ぶの重かったでしょ?このお礼は、ちゃんとさせてね。またメールします。 咲 』
これでよしっ!
寝顔見られたり、部屋の中を見られたのはちょっと失敗だった。しかし自分で蒔いた種だ。
まだ頭は痛かったけれど、顔を両手でパンッと叩き気合を入れなおした。
明日は休みだしお風呂は朝入るとして、今日はもう寝よう。
「さてと着替えますか」
そう言って立ち上がろうとしたら、メールの着信音が鳴った。
もしかして翔平くんかな…。そんな訳ないか。いくらなんでも早すぎる。そう思いながら携帯を見てみた。
「わぁ、翔平くんからだ。まだ起きてたんだ……」
また胸の奥がキュンッとした。すぐにメールの返信が来た事が、とても嬉しかった。
慌てて携帯を開く。
『朝まで起きないと思ってたけど、もう大丈夫?咲さんをお姫様抱っこして運べたんだもん。迷惑なんかじゃないよ。まぁ、ちょっと重かったけどね。って、ウソウソ!勝手に鍵さがして部屋に入っちゃって、こっちこそごめん』
ひぇぇぇぇ〜っ!お姫様抱っこ!?は、恥かしいっ!!!
意識がなくてよかった〜。あっ、意識があったらお姫様抱っこされてないか……。
ウソウソって言ってるけど、やっぱり重かったよね。ちょっとダイエットした方がいいかな。
って、私、また抱っこしてもらう気でいるし……。
なんかドキドキしてきたんですけど。それに、ちょっとだけ寂しくなってるし。
急激に私の中の何かが上昇していく感じがした。
(あと一回だけメールしてもいいよね)
勝手に指が動いていた。
『会いたい……』
しばらく自分が何をしていたのか覚えていない。
時計は彼に二回目のメールを送ってから、すでに30分以上経っていた。
携帯を見てみたけど、彼からの返信メールは入っていなかった。
「やっぱり寝ちゃったんだ……」
(会いたい……)なんて、いい年してメールするんじゃなかった。
勝手に『今から会いに行こうか?』なんて返事を期待していたんだ、きっと。
だから、こんなにも悲しい気分になっちゃってるんだ。
「ははっ……私ってバカだなぁ。もう30過ぎてるんだから期待なんてしちゃダメなのに……」
ちょっとだけ鼻の奥がツーンとした。泣くなんてみっともない。
しっかりしろ、私。
そう自分に言い聞かせて、今度こそ着替えようともう一度立ち上がった。
パパッととラフな部屋着に着替えていると、玄関の方から何か音がしたような気がした。
聞き間違えかなと思って首を傾げていると、やっぱりコンコンと玄関のドアから音がしている。
な、なんで、こんな時間に人が来るっておかしいでしょっ!
どうしようかプチパニックになってしまう。
「咲さん…僕です、翔平」
……………えっ? ウソ…………
すっごく小さな声だけど、今確かに翔平って聞こえた。
次の瞬間、私はすぐに玄関まで走っていき、何の確認もせずにドアを開けていた。
そして目の前に現れた彼にギュッと抱きつき大泣きしてしまったのはご愛嬌で……。
「落ち着いた?咲さん?」
今の私はと言うと……彼の膝の上に、抱き抱えられながらソファーに座っている状態。
かなり平常心に戻ってるからか、無茶苦茶恥ずかしいんですけど……。
顔を真っ赤にしながら落ち着きましたと言わんばかりにコクコクと頷いてみせた。
「咲さんから『会いたい…』なんてメールくるんだもん、もうビックリ。あんまりにも嬉しくて、すぐに家飛び出しちゃったよ。メールの返事しなくて、ごめんね」
「ううん…私の方こそ、こんな時間に変なメールしちゃって……それに、いきなり抱きついたりして……本当に、ごめんなさい」
「嬉しかったって言ってるでしょ。なんで謝るの?それにドアが開いたと思ったら、これでもかってくらいな強さで抱きしめてくれるなんて、嬉しすぎっ!!」
そう言いながら私をギュウギュウ抱きしめてくれる。
「ちょ、ちょっと苦しい翔平くん……」
「あっごめんごめん。でも、もう今日は咲さんを離さないから」
「今日は離さないって……うちに泊まるの?」
「えっ?せっかく来たのに帰れって言うの?」
「い、いや…その……」
「大丈夫。一人で寂しかった咲さんを抱きしめて寝かせてもらうけど、心配しないで。今日は何もしないから」
いつもの笑顔で見つめてくれる。
「今日はって……」
じゃあ今度は?……そんな事を考えてしまって顔を赤くしてしまった。
「酔っ払ってる女性に何かしようなんて、そんな男じゃないつもり。そう言うことは、ちゃんとお互いの気持ちが一つになってから……でしょ?」
翔平くんの心遣いがとても温かく嬉しかった。
本当のことを言えば、もう子供じゃないんだからHしちゃってもいいかな……なんて思っていた。
だって私はもう彼のことが好きだと気付いてしまったから。
「さてとっ。じゃあ寝ますか」
そう言いながら私をお姫様抱っこして寝室のベットまで運んでくれる。
うぅ……意識があると、やっぱり恥ずかしい。本格的にダイエットしなくっちゃ。
私を優しくベットに下ろすと、羽織っていた上着を脱いで隣にサッと入り込んできた。
さっき言っていた通り、私をギュッと抱きしめてくる。
うわ〜ドキドキがハンパないんですけど。心臓の音、聞こえちゃってない!?
すっごく恥ずかしい〜。こんな状況で、私寝れるのかしら……。
「咲さん、また一人でなに考えてるの?まったく……」
彼はちょっと眉を顰め、はぁーと溜め息をついた。
「ほら、ここ触って」
そう言って私の左手を自分の胸に押し当てた。
「分かる?僕だってドキドキしてるんだから。いろいろと結構頑張ってるの。だから、これからいっぱい一緒に過ごして、いろんなことに慣れていこう」
私の前髪を掻き分け、額に優しいキスを落としてくれた。
「うん」と言いながら頷いて彼の顔を見ると、何だかちょっと考えてるような……。
「やっぱり……キス、してもいい?」
心をきゅうっと掴まれた。私だってしてほしいけど……。
「今日は何もしないって言ったのに?」
ちょっとイジワルしてみたくなって、そう言ってみた。
「だって咲さん、目がウルウルしてて色っぽいから……ごめん」
もう、超かわいいんだけどっ!
「翔平くん、可愛過ぎ。いいよ、キスしても」
「咲さんの方が何倍も可愛い」
満面の笑みを湛えながら顔を近づけてきた。
優しくチュッと唇が重なる。一度離れた唇が、今度は私の気持ちを確かめるように長く口づけてきた。
それに答えるように少しだけ唇に隙間を開けると、彼の柔らかい舌がスルッと入り込んできた。
「……んっ……」
その時どちらともなく甘い吐息がこぼれた。
ゆっくりとした動きで私の前歯や歯茎をなぞったかと思うと、何かを探るように奥深くまで入り込んできた。
あまりの気持ち良さに身体から力が抜けていく。
彼の舌先が私の舌を見つけると、少し遠慮気味に絡ませてくる。私も自然に舌を絡ませていた。
「っ……ふぁ……」
キスだけで、こんなに感じるなんて、この年になるまで知らなかった……
ううん、知らなかったんじゃない。相手が彼だから、こんなにも感じるんだ。
「う〜〜〜ん、咲さん、ごめん。今日はここまでにしておく」
急に私の肩を掴んで顔を離し、彼は何かと戦っているかのような顔をして俯いた。
「これ以上、咲さんのそんな甘い声聞いたら、止められなくなる……」
あっ……そういう事か。
少しだけ、それでもいいかなって思ってしまった。
それくらい、彼とのキスは官能的で気持ち良かったから。
もっとしてって甘えたい……でも私の中の何かが、それを言わせてはくれなかった。
「うん……」
私がそう答えると、彼はほんの一瞬寂しそうな顔をして、でもすぐにいつもの笑顔で優しく抱きしめてくれた。
「まだ頭痛いんでしょ?時々、眉間にシワ寄せてるの自分で気付いてる?」
そう言われて、ふと自分に意識を合わせてみる。
「うぅぅ……痛い」
なんか、さっきよりも痛みが酷くなってる気がする。
右手の人差し指でこめかみを押さえ、軽く目を瞑った。
「飲みすぎっ。って、咲さんが飲みすぎる状況を作った僕も悪いんだけど」
そう言いながら頭をそっと撫でてくれる。
そんな彼の温もりが心地よくて、少しずつ痛みが和らいでいく感じがした。
でも、いいのかなぁ……年下の彼にこんな事してもらって。
私の方がお姉さんなんだし、もっとしっかりしないと。
「迷惑かけて…ごめんなさい。これからはちゃんと考えて飲むようにするから」
目を開いて、彼にきちんと謝罪した。
するとまた彼が、さっきも見せたような寂しい顔をした。
「……もっと甘えてくれてもいいのに……」
今にも消えそうな声で言った彼のその言葉を、私は聞き取れなかった。
どうしたの?と言うような顔をして彼の顔を覗き込むと、いつの間にか笑顔になっていた彼が、
「さっそろそろ寝よう」
そう言って私をギュッと抱きしめ、目を閉じた。
またギュッと抱きしめられた私は心臓がドキドキし始め、しばらく眠れそうになかった。
すると今目を瞑ったばかりの彼から、スースーと小さな寝息が聞こえてきた。
顔を覗き込んでみると、まるで幼子のように可愛い顔をして寝ている。
(でも、こんなにすぐ寝ちゃうなんて、疲れてたんだよね)
そっと手を伸ばし、頭を撫でてみた。柔らかい彼の髪が気持ち良くて、少しずつドキドキが治まってきた。
ふわっと睡魔が襲ってきて、私も深い眠りについた。
◆◆◆◆◆
いつもの私は低血圧のわりに目覚めはすこぶる良い。
なのに今日は布団の中の居心地がとても良くて、なかなか起きられない。
薄く目を開けると、そこには可愛い彼の寝顔があった。
(起きたくない原因は、これだよね)
いい歳して、ニヤけてしまう。久しぶりの幸福感?とでもいう感じか。
「翔平……」
まだ寝てるからいいか……と、『くん』を付けないで呼びながら頬を擦ってみた。
よく寝てるのか、まったく反応なし。ちょっとだけ、悪戯心に火が点いた。
両手で頬を挟み、そっと顔を近づけてチュッとキスしてみる。それでも満足せず、今度は少しはだけている胸に唇を這わせてみた。すると彼が微かに動く。その反応で我に返った。
(何やってんだ、私…)
頭を振って煩悩を振り払うと、朝食の準備をしようと彼を起こさないように起き上がろうとした。
しかし、起き上がれなかった。何故?
「どこいくの?」
また力強く抱きしめ、顔をグッと近づけてきた。
「何しようとしてたの?途中で止めちゃうなんて、ひどくない?」
「いやぁぁぁぁ〜!!」
私はもの凄く恥ずかしくなって、何とか彼の呪縛から逃れようともがいた。
しかし彼がいくら年下とは言っても男だ。ビクともせず涼しい顔をしている。
かろうじて動いた両手で顔を塞ぎ恥ずかしさに耐えていると、彼が耳元で囁いた。
「ねえ、もう一回、翔平って呼んでみて?」
アニメのように「プシュー!!」と音を立てながら、頭から湯気を出して顔が真っ赤になる……。
きっと今の私はそんな状態だろう。
ちょっとしばらく動けそうもありません……。
でも今朝の彼って、昨夜までとちょっと違う気がする。なんか強気?って言うのかな。
「あれ?どうしちゃったの?咲さん?」
私の両手を顔から退けようとする。
首を左右に振ってイヤイヤをしても止めてはくれず、顔から離されてしまった。
硬く目を瞑っていると、瞼に優しく口づけてきた。
「目、開けて」
彼の優しい声色に従うかのように自然に目を開いた。
目の前に彼のいつもの笑顔がひろがっている。大好きな笑顔だ。
少し気持ちが落ち着いてくる。
「いつから起きてたの?」
「うーん、咲さんが起きる30分ぐらい前かな。ずっと咲さんの寝顔見てた」
よくもまぁどうして、そんな恥ずかしいセリフを、そんな笑顔でサラッと言っちゃうのかしら。
「はぁ……じゃあ、私が起きそうになったから、狸寝入りしたわけだ」
「結果的にはそう言うことになるかな。でも、咲さんが起きたら僕もすぐに起きるつもりだったんだよ。これは本当に本当。でも起きられなくなっちゃった。咲さん、嬉しいことしてくれるんだもん」
だもん……って。これが年下の特権ですか!?怒るに怒れないじゃない。
まぁ、悪戯してしまった私もいけないんだけど。
「したくなっちゃったの!悪い?」
素直になれなくて、可愛くない態度をとってしまった。
「悪くないよ。嬉しいって言ってるのに。素直じゃないなぁ」
私の事はお見通しと言わんばかりに、少しだけ怒ったようにそう言った。
この歳になると、簡単には甘えたり素直にはなれない。
特に、彼のように年下ともなると尚更だ。好きだからと言う気持ちだけで突っ走っていいものなのか。
すごく好きになりかけてるから、余計に怖い……。
「朝食作るね。パンでいい?」
つとめて明るく、ごめんなさいの気持ちを込めながら言った。
その気持ちが伝わったのかどうかは分からないけれど、彼も笑顔で頷いてくれた。
サラダにハムエッグ、レトルトのコーンスープにトースト。
コーヒーは、今流行のコーヒーメーカーでカフェラテを淹れた。私のプチ贅沢だ。
彼を寝室に呼びにいくと、まだ布団の中にいた。
「翔平くん。朝食出来たよ」
布団をバサッと捲る。
「翔平……」
あぁ、『くん』無しで呼べってことか。まだ無理……。
「う〜ん、それはもう少し慣れてからと言うことで…」
すると彼は小さく「ちぇっ」と言いながら起き上がり、リビングに歩いていった。
ササッと布団を整えてリビングに戻ると、彼が私の作った朝食を見て、目をキラキラさせていた。
「こんな美味しそうな朝食、ホテルでしか見た事ない!」
「それは言い過ぎでしょ」
あまりにも大袈裟に言うもんだから、笑ってしまった。
家にあったものだけで簡単に作ったのに、そんなに喜んでくれて嬉しい。
「さっ、食べて食べて」
「じゃあ、いっただっきまーすっ!」
誰かの為に作るごはんって、いいなぁ。
「わぁ、玉子が半熟だ!」とか「このコーヒー美味しい」とか感想を言いながら、満足そうに食べている彼。
私は彼の彼女になったんだ……少しだけ実感が湧いてきた。
彼の笑顔は最高だ。私の心を温かく満たしてくれる。
私も彼の心を満たせるように頑張ろう。
こんな日々が続くといいなぁ……ちょっと幸せをかみ締めながら、私もトーストにかじり付いた。