第19話 もう一人の来客
折角、彼に会わなくてもいいようにと裏方に徹していたのに、裏は裏はで坂牧の対応に苦労していた。
あの告白の日以来、坂牧の私に対するアプローチは日毎増していき、同じ部署の人間はもとより、
希美がいる2階フロアーまで有りもしないような噂が流れていっていた。
「咲いる?」
控え室に緊張した声が響き渡る。
その声の持ち主にすぐ気付き、顔を見ないまま手を上げて返事をした。
「はいはい。ここにいま〜す」
やる気なくそう答えると、希美はすたすたと歩いて私が座っている眼の前に立ちはだかった。
そして机にバンッと勢い良く両手をついたかと思うと、今度は私の胸ぐらを掴んだ。
「さぁ咲。どういうことなのか、ちゃんと話してもらおうか」
「な……何をっ?ちょっと落ち着いてよ」
「あんたがそんな奴だったとは思わなかったよ」
あぁ……とうとう希美の耳にまで情報が入ってしまったみたいだ。
私ががっくり項垂れると、希美は掴んでいた手を離し、呆れたように息をつく。
そして、さっきまでとは打って変わって悲しそうな表情をした。
「翔平くんのことはどうしたの?まだ会ってないんでしょ?」
「うん。まだ連絡してない……」
「じゃあ何で坂牧と付き合ってるのっ?」
坂牧って……。部署は違えど先輩でしょっ、一応……。
飲み仲間、恐るべし。
「それだけど、どこでそんな風になっちゃったのかなぁ」
「何?付き合ってないの?」
「付き合うはずないでしょ。私、そんないい加減じゃない」
「じゃあ坂牧が勝手に言ってるのか。どこにいるの、坂牧は?」
「しばらく助っ人でいない」
そうだった。坂牧は今、新店舗へ応援のため、部下を何名か連れて出張中だった。
文句を言いたくても当の本人がいなくては、どうしようもない。
希美も一気にテンションが下がったようだった。
「ご…ごめんね、咲。そうだよね、咲が二股かけるなんてね……」
私の頬に手を当ててスリスリしながら許しを乞う希美。
「分かってくれればいいんだけどね」
はぁ……前途多難。
3日後、坂牧はたくさんの土産を手に出社してきた。
そして、いの一番に私のところへ来て、後ろから両肩に手をおいた。
「チーフ、それセクハラ」
そう言ってから坂牧の方へ振り向き、睨みつけた。
ここはビシッと言ってやらないといけない。
しかし私のそんな態度にも、全く怯むことなく尚も近づいてくる坂牧。
「なに照れてんだよ。お前にも土産買ってきてやったから、今度の土曜日家に来い」
照れてない照れてない……。それに、来いって、偉そうに。
周りにいた後輩たちから、おぉーっと歓声が上がる。
もう否定する元気も出てこない。
「はいはい。行きます」
今度はヒューヒューと口笛がなった。もう好きにしてくれという感じだ。
ここで話をしても坂牧には勝てそうにない。坂牧の家に行って、ちゃんと話をした方がいいと思った。
坂牧には申し訳ないが、付き合う気は全くない。だとしたら、早くその事を伝えなければいけない。
彼……翔平くんに会う前に……。
週末私は、朝から坂牧の家に向かった。坂牧の家には、もう何度も来ている。
部署のみんなでクリスマスパーティーをしたり、希美と三人で一緒に年越しをしたり。
でも、一人で来るのは初めてのことだった。
少しドキドキしながらエントランスにあるインターホンに部屋番号を入力する。
少しして、いつもの威勢のいい声が聞こえた。
『おう花田か。今、開けるよ』
ガチャっと音がして自動ドアが開く。
エレベーターで5階まで上がり、一番奥の部屋の前まで行った。
部屋のインターホンを押そうとするとドアが勝手に開いて、坂牧がヒョコッと顔を出す。
「待ってたよ。さあ、入って入って」
「お…お邪魔します」
「リビングで適当に座ってて」
そう言われ、そそくさとリビングに向かい、ソファーにちょこんと座った。
一人だと、何だか落ち着かない。
キョロキョロと部屋の中を見渡していると、キッチンから声がした。
「今日、もう一人来るから」
「え?もう一人って。私の知ってる人ですか?」
そう聞いてみたけれど、聞こえなかったのか返事がない。
まっいいか。来たら分かるんだし。と、その事をあまり気にしずにいた。
坂牧がコーヒーを運んでくる。豆にはこだわりがあるらしく、いつも必ず言う癖は「うまいぞ」だ。
そして今日も「うまいぞ」と言ってから、私の横に座った。
「なぁ。なんで今日、一人で俺の家に来る気になった?」
「いや……ほらっ!お土産があるから取りに来いって言ったのチーフじゃないですか」
「それだけ?」
「そ…それだけって」
何だかまずい方向に話が進んでるような気がするんだけど。
少しずつ坂牧との距離が縮んでいる。
駄目だ。ちゃんと言わないと何されるか分かったもんじゃない。
そう思い、慌てて口を開きかけた……その時。
(ピンポーン)
玄関のチャイムが鳴った。
でも坂牧は動こうとはしなかった。それどころか、私の顔をじっと見てニヤリ
とほくそ笑む。
何か嫌な予感がするんですけど……。でも今はどうすることもできない。
しばらくすると玄関でカギを開ける音がした。
「チーフ、鍵勝手に開けてるってことは家族ですか?」
「うん?ああ、そうだよ」
なんで今日、家族を呼んだんだろう。あっ、お土産渡すのかな?と呑気に考えていたら、リビングの扉が開き、いかにも面倒臭いと言わんばかりの声が聞こえてきた。
「なぁ兄貴、いきなり呼ぶの止めてくんない?」
えっ?この声って……。
私の大好きな彼の声に似ているような気がした。
恐る恐る振り返って見ると、驚きを隠し切れない表情で立ち尽くしている彼がいた。
「咲……さん?」
「翔平くん……」
なぜ彼がここに来たのか分からず、私もただ彼を見つめていた。