第14話 ありえない現実
車が故障し、急遽お泊りをすることになってしまったあの日から、私たちの仲は急速に深まっていった。
平日こそ、お互いの都合やシフトの関係で会うことは稀だったが、休日はそのぶんを取り返すかのように、少しでも多くの時間を一緒に過ごすようにしていた。
そんなある日、彼からメールが届いた。
『咲さん、ごめん。土曜日なんだけど、急に仕事の予定が入っちゃって……』
そうなんだ……。寂しいけど、仕事だったらしょうがない。
でも、夜からだったら会えるかな……。そう思ってメールを返送した。
『仕事だったらしょうがないよ。頑張ってね。……ねえ、夜は会える?』
どんなに遅くなってもいい。一緒にいたかった。
いつものように色よい返事が帰ってくると思って、心がウキウキしていた。
しかし、そんな私に帰ってきたメールは、予想外のものだった。
『う〜ん……明日は何時に返してもらえるか分からないんだ。それなのに咲さんを待たせてしまうのは
悪いし。日曜日の午前中には咲さんのところに行くから、待ってて』
何時に返してもらえるか分からないって……。取引先のエライさんでも接待なのかなぁ。
少し気になったが、そこまで聞くことは出来なかった。
なんだかいつもの感じと違うメールに一抹の不安を感じたが、ブルブルと頭を振り、その不安を吹き飛ばす。
(翔平くんが嘘を言うわけないでしょ。)
それでも寂しいには変わらず、少し落ち込みながら『分かった、待ってる』そう返送した。
土曜日の朝、目が覚めると、外は雲ひとつない青空だった。
「こんないい天気なのに……」
寂しさからつい、こんな言葉をつぶやいてしまう。
今日は何も予定はないのだが、一日中家の中にいるのもどうしたもんか。
最近新しい服も新調していないのを思い出し、買い物に出かけることにした。
デパートやブランドショップが建ち並ぶ、にぎやかな街まで出ると、パッと気分が華やいだ。
いつまでも落ち込んでいたって何かが変わるわけでもないし、今日は思いっきり買い物を楽しもう。
街に出ると必ず寄るセレクトショップに足を運ぶと、私のお気に入りのブランドの服や鞄の新作が並んでいた。一つ一つ手にとっては鏡の前に自分の姿を映し出す。
やっぱりここの服は好きだ。30過ぎた私でも派手過ぎず、かと言って地味ではない、
それなりの可愛らしさを私に与えてくれる。
何着かを試着させてもらい、今日はワンピースやカットソーなど全部で5着買い店を出た。
太陽が高く上がっていて、いまがお昼頃だと私に知らせてくれる。
(なにか軽く食べようかな)
ふとそう思い、希美とよく行くサンドウィッチ専門店に行こうと回れ右をしようとしたら、
呼び慣れた名前が聞こえてきた。
「ねえ翔平、ちょっと待ってよ」
彼と同じ名前だ。彼を思い出し、顔が少し赤くなる。
同じ名前の彼がどんな人なのか少し気になり、声がした方を振り返った。
そして私はその場所で立ち尽くすこととなる。
今、目の前で起きている現実。
もっと近くにいるであろうと思っていたその声の持ち主は、意外と離れたところにいた。
彼女が話しかけながら、翔平と呼んだ彼の腕に自分の腕を絡ませていく。
「もうっ翔平!ちゃんと真剣に付き合ってよ」
「付き合ってって……笑里こそ、ちゃんと選べよ」
話し方こそ少し乱暴な感じだが、二人の顔は全く違っていた。
相手のことをよく知っているかのように、微笑み合っているのだ。
(何?この光景……)
何がなんだか分からなくなってしまった。
この場所から一刻も早く逃げ出したいのに、足が全く動かない。
そして眼の前の現実は、私にとってどんどん悪い方向に進んでいく。
「なぁ、どんな指輪がいいんだよ」
「う〜ん、そうだなぁ。やっぱりシンプルで洗練されたのがいいかなぁ」
「はぁ…なあ笑里、早く選んでくれ」
そう言って彼女の頭をコツく彼。
(指輪って……。それに、小柄で可愛い女性……。歳も若そうだなぁ)
その人は誰?どうしてここにいるの?
そう聞ければ、この嫌な現実はすぐに解消されるのかもしれない。
でももう無理だった。
彼を疑いたくはないけれど、こんな場面を見てしまっては無理。
(やっぱり若い子がいいよね……)
だったら最初から30過ぎの私になんて声をかけなければよかったのに……。
怒りにも憎しみにも似た感情が溢れ出してきた。
彼女が彼の手を引き歩き出し、苦笑しながらも嬉しそうについていく彼。
その時、立ち尽くしてただ一点を見つめている私に、彼女のほうが気づいた。彼女が見た先を彼も見る。
彼は、あっと小さく声を出すとバツの悪そうな顔をした。そして慌てて彼女と繋いでいた手を離し、私の方へ近づいてきた。
「咲さん、どうしたの?こんなとこで会うなんて」
それはこっちのセリフ。よくそんなことが聞けたもんだ。
何も話したくなかった私は、何も言わず振り返ってこの場から離れようとした。
すると彼は慌てて私の手を握った。
その手に嫌悪感を感じた私は、とっさに彼の手を振り払ってしまう。
「触らないでっ!!!」
彼も、近くにまで来ていた彼女も私の声の大きさに驚いた。
それは周りにいた人たちも同じだったようで、行き交う人たちが私たちのことを見ていく。
こんなの恥ずかしすぎる。今すぐにでもここから立ち去りたい。
でも彼女がそれをさせてくれなかった。
「翔平、この人がこの前話してた人?」
「そうだけど、いらない事言うなよ」
何?私のこと話してるんだ。それも自分の彼女に。
それに、何かを軽く口止めしちゃってるし。
そんなことを話してる間も、彼女は彼の腕を触ったり顔を嬉しそうに覗き込んだりしている。
こんな場面を見せられてまでここにいる私って……。バカみたいだ。
今度こそここから立ち去ろうと、一気に走りだした。
「……!? 咲さんっ!!」
慌てて追いかけようとする彼の手を彼女が捉え、それに従うように彼の足は止まった。
どこをどうやって帰ってきたのだろう。
まったく分からないが、なんとか無事に家にたどり着いた。
部屋の鍵を開け靴を脱ぐと、ふらふらとしながら部屋の奥まで歩いていった。
(なんだか心と身体が疲れた……)
ベットの上にドサッと倒れ込む。
その途端、涙がワーっと溢れ出し、制御できなくなってしまった。
次から次へと溢れ続ける涙で布団はグショグショだ。
(もうどうだっていい……。)
この後私は、何時間も泣き続けた。
泣き疲れて寝てしまうまで……。