街中の黒
僕は生き物係がとても好きだ。
生き物が、僕とサユラが与える餌によって、少しずつ形を変え、数を増やしていく。その過程を見ていると、胸の奥が静かに満たされていった。
羽が生え変わる。
皮膚の色が濃くなる。
昨日まで鳴かなかった声が、ある日突然聞こえてくる。
ひとつ増えるたびに、世界が正しい方向へ進んでいる気がした。
けれど同時に、心のどこかで小さな不満が芽生えていた。
それは、学校や社会が「生き物を殺してはいけない」と、当然のように教えることだった。
なぜ強い個体を選ぶことが、いけないのだろう。
どうして、すべてを平等に育てなければならないのだろう。
僕はまだ、飼育に対する「普通」が分からなかった。
歴史の先生だけは、少しだけ、僕の感覚に近い場所に立っている。
──そう、思っていた。
あの日が来るまでは。
僕とサユラは、飼育小屋で生き物たちの繁殖を見守っていた。
餌をやり、掃除をし、増えた数を数える。
何日も、何日も。
楽しい日々は、驚くほど早く過ぎ去っていった。
「三畳紀には、歴史上、最も強い恐竜が誕生しました──
ジュラ紀には鳥類が現れ、空を優雅に飛びました──
しかし白亜紀には、巨大な隕石によって、恐竜たちは絶滅しました──」
その話を聞いた瞬間、
僕の頭の中に、空が裂ける光景が浮かんだ。
真っ黒な空。
その中央にぽっかりと開いた、黒い穴。
こわい。
先生の言葉と、その時代の出来事が、頭の中で繋がっていく。
僕は椅子に座ったまま、何億年も前の地表を歩いているような感覚に包まれていた。
灰が舞い、森が倒れ、逃げ惑う生き物たち。
授業のチャイムが鳴っても、なかなか現実に戻れなかった。
いつの頃からか、
僕は歴史の授業以外、ほとんど記憶に残らなくなっていた。
その感覚は、日に日に強くなっていった。
「──そうして、この地球には人類が誕生したのです」
数か月にわたる授業の末、
先生は地球の歴史を語り終えた。
その頃の僕の頭の中は、生き物と、時代と、選別の記憶で満ちていた。
サユラと話していても、気づけば二人で生命の始まりや、絶滅の理由を語っていた。
校内の掲示物が入れ替わった頃、
それは、突然やってきた。
「なんか今日、暑くない?」
誰かがそう言い、
教室には小さなざわめきが広がった。
国語の先生はハンカチで額の汗を拭っている。
窓の外からは、重たい熱気が押し込んできていた。
サユラは落ち着かない様子で、窓の方を見ている。
すると、教室のカーテンが、ぶわっと風で舞いあがった。
みんなの視線が、窓の外に届く。
僕も、ゆっくりと顔を上げ、窓の外を見た。
そこには、
真っ赤に染まった山が、校舎を睨みつけるように立っていた。
逃げ場のない熱と色。
僕は、その光景から、なぜか目を離せなかった。
嫌悪よりも先に、胸の奥で、懐かしさに似たものが疼いていた。
教室の誰もが、まだそれを「風景」だと思っていた。
その瞬間、教室の悲鳴が、噴火した。
甲高い声が空気を響かせ、
机と椅子の足が、床と擦れる音が続く。
カツンっと小さなチョークが落ちる音がした。
「避難してください!」
国語の先生は言いながら教室の扉に飛び付き、ピシャリとその扉を引いた。
その瞬間、凄まじい衝撃と爆発音が耳に響く。
廊下側に駆けつけた国語の先生と生徒たちは、衝撃波に吹き飛んだ。
僕はその混乱した風景を椅子の上で眺めていた。
体が動かないのではなかった。
動く理由が、見つからなかった。
廊下にも、赤が迫っていた。
生徒たちのうめく声が重たく響く。
「こっち」
窓の方から声が聞こえた。振り返るとサユラが僕の服を掴んでいた。
僕はようやく椅子から立ち上がる。
倒れているみんなに、一瞬視線を取られかけた。けれどサユラの手によって、ぐいと引き戻された。
僕とサユラは窓からベランダに降りた。校庭には、火の手がない。
けれど、ここは三階なのだ。
逃げ場などない。
サユラはベランダの隅に走る。
サユラは振り返り、僕に手招きした。
しかし僕は、教室の中に重たく響く声から離れられなかった。
バンッという軽い音がベランダから聞こえた。
サユラは鉄製の四角いパネルを開いていた。そこには緊急用のはしごが地上まで続いている。
僕は動けなかった。
何をするべきか、分からなかった。
「ススムくん。こっちに来なさい」
校庭から声が聞こえた。
僕はベランダから顔を覗かせる。するとそこには歴史の先生が僕を呼んでいた。
「やっぱり生き残ったのね。
さぁ、いくよ」
その言葉に、僕の何かが砕けた。
僕は顔を伏せて走り、はしごをかけ降りた。
僕とサユラは息を切らせながら、校庭に並ぶ。
赤と黒が視界を染めた。
熱気がこの空間を埋め尽くしている。
呼吸が重く、皮膚がちりちりと痛い。
でも、僕らはその景色を見ながら、少しだけ笑っていた。
生き残った安堵が、頭の中に濃い色を浮かび上がらせた。
先生は満足気に周囲を観察している。
その眼鏡には、赤が映し出されていた。
すると、おもむろにカーディガンのポケットからライターを取り出し、左手に持っていた紙の束に火をつけ、それを飼育小屋に投げ込んだ。
僕が敷き詰めた干し草は、一瞬にして、炎に覆われた。
「あっ」とサユラは言いかけて、踏み出した足を止めた。
──じっと飼育小屋を見つめる。
鳴き声と羽音が胸を締め付けるように響き渡る。
「鍵は開けてある」
先生はポツリと言った。
「そこにいれば、定期的に餌が手に入る。
雨の心配も天敵の危険もない。
それがこの檻の中。
でもね、そんな環境では、足りないの。
それじゃ全然、足りない」
次第に鳴き声は、小屋の中で消えた。
そこには、選ばれなかった静けさだけが残った。
僕は何も感じていないことに、少しだけ驚いていた。
煤で顔を黒くした生徒と数人の職員が校庭に集まってきた。
先生は僕とサユラの手を掴み、裏口から学校の敷地を出た。
そして、火の手がない丘の上の空き地に僕らを連れ出した。
街には、いたるところからサイレンが響き渡っていた。黒い煙は山と学校だけではなく、街全体から吹き出ていた。黒い煙によって、赤い炎は黒に染まっているような気がした。
サユラは先生に言った。
「選別のために先生がやったのですか?」
先生は静かに街を眺めていた。
焦げた臭いが、頭の中の色を曇らせていた。
「いいえ、私は飼育小屋しか、燃やしていない。この黒い炎は彼がやったのよ。人間をまだ、認めていないの」
その言葉を聞いても、僕の胸は静かなままだった。
「……彼とは誰ですか」
僕はそう聞きながらも、答えを知っている気がしていた。
先生は街を見つめ続けていた。
「それは、誰か一人の名前じゃないわ。
気づいた人の中に、少しずつ染みていく色よ。
私は、理解してしまっただけ。
サユラちゃんは、感じてしまった。
あなたは──それを形にできる存在なの」




