赤の必然
僕はシルンが色を足した場所を回った。
緑と茶色が酷く混ざり、大地は汚染されたように荒れていた。そこに育っていた植物にも生き物にも陰りが見えた。
植物の葉は茶色に染まり、枯れていく。
海の色も濁り、暗い色をしている。大きく育っていた魚たちは海面に浮かび、身体の崩壊をただただ待っているように見えた。
僕は海に青を、大地に緑を足した。
けれど、色は濁るばかりで、生命の崩落を止めることはできなかった。
思考の中の黒が濃くなる。
この星の生物はいとも簡単に滅びていく。
その色は僕の感覚を蝕んでいった。
視界が、明滅する。
意識が、薄くなる。
呼吸が、重い。
「……っ」
僕は何色とも言えない濁った大地に沈んだ。
……寒い。
薄れる意識の中、生物の絶滅を片目に、途方もない時間を、そこで過ごした。
──サク、サク。
近くを足音が過ぎ去った。
僕は久しぶりに立ち上がる。
なぜか身体は、少し軽かった。
そこには1匹のトカゲがいた。
大地を平然と歩いている。
すると、頭上から声が聞こえた。
「だめじゃないか。こんなに色を濃くしちゃ」
眼前に灰色が落ちた。
それは濁った色の境界を曖昧にしながら、ゆっくりと溶かしていく。
「シャキッとしなよ。もう一度やり直そうじゃないか」
僕は全身に力を込めた。
「あなたは、誰?」
その声はやさしく答えた。
「私はセキベム。君はカビスだね」
「なぜ僕の名前を?」
セキベムはおどけたように言った。
「さてね」
続けてセキベムは、声を張り上げた。
「さぁ、いくよ」
その瞬間、空は薄っすらと曇り、しんしんと灰色の雨が降り注いだ。
大地の濁りは消えていく。
海は静かに波の音を奏でた。
生き物たちは世界に溶け落ち、その色が薄れていった。
「何してるんだい、カビス。
ほら、君の出番だよ」
僕は慌てて、青と緑をそこに垂らした。
また、やり直しだ。けれど、今度は上手くいく気がした。
灰色の世界には、ゆっくりと色が戻っていった。決して無色な世界に色をつけるわけではない。そこには、シルンがつけた色も美しく調和しているように思えた。
──破壊と創造。
その果てに生き物は大きく育つのかもしれない。僕はそう記録した。
僕は途方もないときを過ごし、かつてよりも大きく育った森の中で生き物たちを眺めていた。
森林、昆虫、爬虫類。
セキベムは僕に色んな生物の名前を教えてくれた。生物が育つにつれて、セキベムはどこか寂しそうに見えた。
セキベムは色が濃くなるたびに灰色を足し、色を整えてくれる。そのたびに生き物たちは圧倒的に巨大化していく。
けれど、大きな生物はこの世界を埋め尽くそうとしていた。
木々は空を遮り、影が大地を埋め尽くした。その木々を昆虫たちは住処にして、羽根を広げた。
そして、ついに、空を羽ばたく種が現れた。
青々とした空を縦横無尽に羽ばたく昆虫。どんな原理で飛んでいるのか分からない。
けれど、僕の感覚は強い温かさを覚えていた。
「こいつの名前をつけてやりなよ」
セキベムは僕に言った。
半透明な羽が身体から生えている昆虫。空を美しく羽ばたくその姿に、僕は魅了されていた。
「この生き物は、トンボと呼ぼうかな」
「いい名前だね。
……最後まで生き残るといいね」
セキベムはそう言うと、どこかに飛び去って行った。
僕はこの世界を眺め続けた。
けれど、この温かさは突然終わりを迎えた。
「カビス。ちょっといいかい」
ある日、セキベムは僕の隣にやってきた。
「どうしたの?」
セキベムは悲しげに、けれど語彙を強めて言った。
「この世界は進化しなければならない。このままでは、いずれくる、破滅を乗り越えられない。だから、これは仕方ないことなんだ」
僕はセキベムをじっと見た。すると灰色だった身体は徐々に赤みを帯びているように見えた。
「どういうこと?」
セキベムは何も言わずに、彼方の山に飛んでいく。
山の頂上で燃え上がるように身体は赤く染めまっていく。
そして山頂に、赤を落とした。
僕は何か言おうとして、言葉を探した。
だが、どの色も、この瞬間には重すぎた。
青も、緑も、僕の中で沈黙していた。
腹の底から震えるような地響きが、大地を覆い尽くした。
生き物たちはピタリと動きを止めた。
そして一様に、山を見上げる。
その刹那、山が一瞬だけ膨れ、
その背が縮んだような気がした。
「っっ……」
空間が張り裂けるほどの轟音が耳に届いたと感じた瞬間、空気の壁が、すべてを薙ぎ倒した。
森の木々が、その衝撃でミシミシといななく。
トンボたちは否応なく、大地に叩きつけられた。
空が赤く染まった。
山の頂から、赤い岩石が吹き飛んでくる。
どろどろとした赤いマグマが、森を焼いていく。
山の麓の大地は、地響きとともに砕け、赤い煙を吐いた。
空気を焼く熱風が世界を覆う。
生き物たちの体皮は、ちりちりと焦げ落ちていく。
言葉が出なかった。
何をすればいいのか、分からなかった。
僕は青も緑も持っていた。
けれど、この赤の前では、
それらはただの色でしかなかった。
色を足すことも、
記録することも、
何もできず、ただ立ち尽くした。
海はぐつぐつと煮えたぎり、
魚たちは海面に浮かび上がった。
それは怒りではなかった。
けれど、慈悲とも呼べなかった。
セキベムは、真っ赤に染まり、山々を渡り歩いていた。
赤は、終わらせるための色だった。
次の色を迎えるために。




