染み出る赤
男は、もう一度、引き金を引いた。
弾丸は、僕の頭があった位置を正確に通過する。
正確無比。
男の目は大きく見開かれ、白目が剥き出しになっていた。
その白は、先ほどよりも赤く濁っているように見えた。
再び、引き金が引かれる。
銃声。
赤い閃光。
白銀の軌跡。
すべてが、僕を中心に収束する。
逃げ場を塞ぐように。
存在そのものを撃ち抜くように。
だが──
弾丸は、僕に届かない。
僕が避けているのではない。
弾丸が、僕のいない場所を選んでいる。
男は何度も引き金を引いた。
森に銃声が重なり、
鳥たちが一斉に空へと弾ける。
やがて──
カチ。
乾いた音。
もう一度。
カチ。
そこには、何も生まれなかった。
弾丸は尽きていた。
男の顔から、色が抜けていく。
それは白ではなく、空白だった。
森が、ゆっくりと息を取り戻した。
「お前はいったい、何者なのだ!?」
男は拳銃をぽとりと落とした。
その音が僕の耳に届いたとき、目の前を灰色に光るナイフが通過した。
男は舌打ちを漏らし、地面を強く踏みしめた。
太い足が土を蹴り上げ、長い腕が迫ってくる。
僕は両手を前に突き出していた。
頭の中に心地よい声が響く。
「……ほら、いくよ」
右手からは、トマトのように艶めく赤を
左手からは、夏の晴天のように深い青を
そこに輝くアメジストのような紫を作った。
その紫を、迫りくる男の長い手に、そっと足した。
触れた瞬間、衝突は起こらなかった。
ただ、混ざった。
男の白が、ざわりと揺らぐ。
掴みたかった衝動。
消し去りたかった存在。
理解できなかった恐怖。
それらが、色を持ちはじめる。
白は、未定義ではなくなった。
そこに、赤の熱が宿り、
青の流れが通い、
紫の静かな重さが沈んだ。
男の動きが止まる。
長い腕は、僕の目の前で静止した。
それは攻撃ではなく、問いになっていた。
男の瞳の奥に、初めて“黒”が生まれる。
理解できないものではなく、
理解しようとする闇。
森が、深く呼吸をする。
男はじっと僕を見つめた。
その目には透明な煌めきが溢れていた。
「……そうだったの、か──」
その声は途中で森の中に溶け、そこで途絶えた。
男の目は赤く染まり、口から赤が吹き出た。
その赤は、怒りではなかった。
生の、最後の色に見えた。
「それ以上ススムに近づかないで!」
男の背後に、サユラが立っていた。
髪を逆立て、全身から赤を噴き出させながら。
彼女の赤は、守ろうとする色だった。
理解ではなく、選択の色。
彼女は一歩、後ずさる。
血の滴るナイフが、どろりと彼女の手を染める。
森が、再び息を止めた。
男の身体はゆっくりと崩れ落ち、大地に赤が染み込んでいった。
サユラは、動かない。
ナイフを握ったまま、男を見下ろしている。
その赤は、まだ止まらない。
守るための色だったはずの赤が、
彼女の足元から滲み出し、
土を、草を、木の根を、染めていく。
どくり。
森の奥で、何かが脈打った。
サユラの瞳は揺れていない。
ただ、強く、強く、僕を見ている。
「……大丈夫。もう大丈夫だから」
その声は優しかった。
けれど、その背後で、赤は増殖していた。
それは守りではなく、
拒絶の色になりかけていた。
僕は一歩、彼女に近づこうとする。
だが、足元で赤がひび割れのように広がる。
熱い。
赤が、森の緑を侵食している。
葉が縮れ、
小川の青が濁る。
サユラの呼吸が荒くなる。
「誰も……触れさせない」
赤が、彼女の背中から噴き上がった。
それは炎に似ていた。
けれど、燃やしているのは敵ではない。
世界そのものだった。
僕の胸の奥で、紫がかすかに揺れる。
森が、三度目の呼吸をする前に。
サユラの足元で、赤が脈動した。
そしてその鼓動は、僕の心臓と同じ速さで鳴っていた。




