繋がれゆく色
人類。
人間。
ひと。
どれもこれも、
ホモ・サピエンスを指す単語。
それらの言葉に「色差」を感じている。
……でも、生き残ったのは、この種族だけ。
僕は白い世界をただ歩いていた。
そこには白い街が浮かんでいた。
人が淡々と動いている。
誰かの髪を切る人。
誰かを車で運ぶ人。
誰かの何かを作る人。
僕はいったい何をしているのだろうと、ふと思ったことがある。
朝起きて、学校に行き、勉強して、寝る。
その繰り返し。
僕は違和感を覚えていた。
生き物は、生まれ、死に、強くなる。
そう思っていたから。
人間は死を重ねて、強くなっているのだろうか。それともこれ以上、強くなる必要がないのだろうか。僕はわからなかった。
……わかりたくも、なかった。
かすかに声が聞こえた気がした。
「……ム…」
空で楽しそうに光っている何かの情景が浮かぶ。
「……ねぇ、ス……ム…」
声は強くなる。そのたびに僕は薄くなる。
嫌だ。消えたくない。色を失いたくない。
僕だけの色を、奪わないで。
……そこにまた、黒い炎が灯った気がした。
「起きて!ススムったら!」
目の前には顔を真っ赤にしたサユラが息を荒げて僕の身体を揺すっていた。
「痛っっ!」
むせ返るような黒煙の臭いが鼻を突き抜けた。
僕は力が抜ける感覚を振り払い、ゆっくりと身体を起こした。
心臓がとても痛かった。
「突然倒れて、死んじゃったかと思ったよ」
サユラは尻もちをついて、空を見上げた。
その後ろには先生が僕を見つめていた。
その目はどこか冷たさを抱いていた。
その瞬間、街の喧騒が急に耳に届いた。
鳴り響くサイレンと人々の混乱が、この丘の上にまで流れてきている。
「先生は知っているのですか?
なぜ、炎が吹き出したのかを」
僕は言いながら、白い記憶を頭に浮かべていた。
「新第三紀になると、たくさんの人類の祖先が誕生しました」
先生は歴史の授業のように語りだした。
僕とサユラは何も言わず、先生の話に耳を傾けた。
「その生き物に彼は名前をつけました。
ピテクス
ハビリス
そして──ジャワ
様々な人類の祖先たちは争いました。
そして現在のホモ・サピエンスが生き残ったのです。
しかしそこには、かつてのような生き物の多様性はありませんでした。
どれも、ほとんど色が同じ、人なのでした」
先生は静かに目を閉じた。
サユラは手を上げてから言った。
「はい先生!人はなぜ、色が淀んでいるのですか?それが、原因?」
先生は少しだけ寂しそうな顔を浮かべた。
何かを憂うような表情で周囲を眺めている。
「それは彼が、最後に願ったから──かな」
それ以上、先生は何も言わなかった。
すると、丘に登る階段から、ひとりの男がここにやってくるのが見えた。
街は燃えているのに、焦る様子はなく、妙に落ち着いている。
階段を登り切ると、その男は異様に背が高かった。いや、腕も手も指も長い。
肩幅が広く、堂々とした態度と表情で丘の上を見つめた。
その男を視界へ捉えると、ズキンっと頭が痛んだ。僕は目線をずらした。なぜか直視することが、怖かった。
それにその男は──黒くなかった。
白い。
決して色白なわけではない。むしろ、毛深いくらいだ。
人は一様に、どこか黒く濁って見える。
けれど、その男の背景は、真っ白だった。
先生と同じくらいの年齢に見えるその男は、僕らの前で立ち止まった。そして先生とサユラを順に見て、最後に僕を見つめた。
「何か御用ですか?避難所はあちらになります」
先生はその男に声をかけた。
男は野太い声を発した。
「丘の上から街に水を流せると思うのです。一緒にやってみませんか?」
唐突に、しかも真剣な眼差しで僕らを見つめる。
僕らは急な提案に、どうするべきかわからず、ただ呆気にとられた。
男は構わず、続けて声を発する。
「丘の上に湖があります。その水を──」
その後も、身振り手振りを交え、合理的な解決策を僕らに話し続けた。
僕は小さく震え、視界が白く明滅した。
この男の言っていることは酷く正しい。
けれど僕は、その色に染まりたくないと強く思ってしまっていた。
心臓が張り裂けそうなほど強く鳴る。立っているのがつらい。そう思ったとき、サユラは口を開いた。
「私たち、そこの学校から命がけで逃げてきたところなんです。今は休みたいんです」
男は眉を上げると、少し悲しげな表情を浮かべた。
「これは申し訳ない。避難所はあちらでしたね。何か必要そうなものがあれば、持ってきましょう」
そう言うと、男は足早にこの場を去っていった。
僕のつま先は避難所と反対方向に向いた。
サユラも先生も同じだった。
「あの男がまた来るかもしれない」という寒気は、重い身体をいとも簡単に動かした。
男が見えなくなったことを確認して、先生は弾かれたように歩き出した。
「行きましょう」
僕らは丘を迂回して山の中を歩いた。
そこらじゅうから熱気が吹き出していた。
それを見ていると鼓動の高まりを感じた。
山の中に、古びた家があった。
僕は、ひと気のないその家に近づいた。
すると、爆発音とともに赤い炎が窓から吹き出した。
先生は慌てた様子で僕とその家の間に割って入った。
「ススムくん!それ以上踏み込んではいけない。あなたはもう、近づいてしまっている」
僕は背後の土の感触を足で確かめた。
先生の言葉が、僕にはよく理解できなかった。
「先生、どこに向かっているのですか?」
サユラは歩きながら言った。
先生は足を止めずに山の奥へと歩いていく。
僕とサユラはそれに続いて歩く。
鼓動は徐々に高まっていく。
「もう少しでわかるわ。もう感じているでしょう?」
──日が傾きかけた頃、僕らは山奥の岩壁にたどり着いた。
鼓動はうるさいくらいに高鳴っている。
その岩壁には、大きな亀裂から蒸気が吹き出していた。今もその亀裂はボロボロと崩れている。
それが今日の災害によってできたことは、想像に難しくなかった。
先生は、人がギリギリ入れる程度の亀裂に足を踏み入れた。
「熱くないんですか!?」
サユラは心配そうに先生を見つめた。
すると、先生は振り返って小さく頷くと、僕らを後に続かせた。
岩肌はとても冷たかった。
身体をよじって暗闇の中に入る。
そこには、広い空間があった。
暗いせいもあって、洞窟が果てしなく続いているように見えた。
先生は懐中電灯を取り出して、内側を照らす。
そして、長い暗闇をひた歩いた。
するとそこには、色があった。
明らかに誰かによって描かれた抽象的な色。
それを見た瞬間、
僕の頭の中を、
酷く濁った色が埋め尽くした。
細長い身体。
色を落とす手。
足元には白い大地。
背後には、影。
周囲には、空から降りてくる存在が描かれている。
星を割って現れ、地に色を撒き、去っていくものたち。
──宇宙人の壁画。
映画で見るような壁画にまったく現実感がない。
けれど、こんな壁画が見つかればニュースにならないはずはない。
つまりこの壁画は、今まで誰の目にも触れずにここにあったのだろう。
──そう思ったとき、僕はすでに、この壁画を見ていた気がした。
暗い洞窟の彼方の記憶。
そこは淀み、沈んでいた。
そして、僕は、
……おぞましいほどの嫉妬の念を抱いて、この壁画を見ていた。
僕は知っている。
この絵に書かれた生き物の名前を。
「……カビス」
僕は小さくつぶやいた。
思い出した。
閉じ込められた記憶が僕の中に溢れてくる。
「ここで、黒が生まれたんだ」
その刹那、ドクンと鼓動は大きく脈打ち、そして静かになった。
「思い出した!そうだったんだ!」
サユラは目をパチパチさせながら大声を出した。
サユラも何かを感じ取っていた。
この時代、この場所に、
僕は人として、生まれた。
僕は……
いや、ススムは現在であり、未来でもある。
けれど過去は──過去だけは”カビス”なのだ。
それは絶対に覆らない。
僕の頭の中は、黒い夜空を駆け回っていた。
思考の奔流が湧き出してくる。
街を焼く炎は突然やってきたと思っていた。
けれど、それは違う。
人の中に沈殿した黒が僕に気付いたから。
僕がここにいるから燃えたのだ。
そして僕が僕に気付く日は、今日以外あり得ない。
だって今日は──
「僕が生まれた日だ」
僕は人間に生まれた。
ホモ・サピエンスになった。
ススムの過去になった。
僕はそっと、赤を垂らした。
腕から落ちた赤はゆっくりと土の中に染みた。
──しかし何も、起きなかった。
変わりに鈍い痛みが腕に走った。
そこからは血が、滴り落ちていた。
「ススムくん、今のあなたにカビスの力はないわ」
先生は僕よりも、わかっていた。
僕は遠い記憶をたどる。
「えーと、石炭紀とペルム紀に生まれた生き物ってことでいいんですよね」
先生の表情は、とても穏やかだった。
「どーいうこと!?私にわかるように喋って!」
サユラは腕を振り回しながら言った。
「私はサユラちゃんが生まれる前の生き物なのよ。先生の過去の名前はセキベム」
サジュラは頭を抱えた。
「私、まだよくわかってない」
「僕もまだ、全部を理解してない。たぶん、すごく長い時間をかけて、ここまで来たんだと思う」
サユラは少し落ち込んだように見えた。
「でも、これだけはわかった。
サユラの過去は、恐竜を創ったサジュラなんだ」
過去と未来は今、
記憶の中で繋がれた。




