記憶を消す魔法
まじまじとこちらを見つめてくるセオドアさんの前で、私は目を瞬かせる。
「あの、もしかしてあるんですか?」
「可能性はある、と言ったところだな」
『確証はない』と告げ、セオドアさんは両腕を組む。
「以前、忘却魔法関連の文献を読んだことがあるんだ。ただ、資料の欠損が激しくて全ての内容を把握することは叶わなかった。だが、あらゆる文書を閲覧出来るタブレットなら────」
「────欠損してしまった部分も含めて読める、ということですね」
『了解です』と大きく頷き、私はタブレットを召喚した。
すると、セオドアさんがソレを受け取って該当の文献を探す。
「……これだ」
不意に顔を上げ、セオドアさんはこちらにタブレットの画面を向けた。
なので、私は一通り目を通すものの……
「つまり、どういうことなんです?」
さっぱり理解出来なかった。
『専門用語の嵐って、えげつない』と感じる私の前で、アランさんとキースさんも横から文献を読む。
「あー……要するにああして、こうだ」
「分からないから、素直に白旗を上げた方がいいッスよ」
適当に誤魔化すアランさんと、呆れて苦笑するキースさん。
それから、心底冷めた目をしているセオドアさん。
「ここには、頭の足りない者しか居ないのか」
やれやれと頭を振り、セオドアさんはタブレットを持ち直した。
「いいか?簡単に言うと、これは光魔法の浄化で記憶を消す類いのものだ」
「「「光魔法で?」」」
ちょっと意外に思って聞き返し、私達は小首を傾げる。
と同時に、セオドアさんは一つ息を吐いた。
「理屈を説明してやってもいいが、長いぞ」
「「「要点だけ、教えてください」」」
セオドアさんの『長い』は、本当に長い……軽く二時間を越えてくるため、潔く諦めた。
『人体に影響のない方法で、記憶を消せればもう何でもいい』と感じる私達を前に、セオドアさんは歩き出す。
「私は魔法陣の準備をする。アランとキースは、念のため周辺の警戒に当たれ」
『万が一、このことを外部に知られたら困る』と言い、セオドアさんは私の横を通り過ぎた。
そのまま二階へ上がろうとする彼の前で、私は手を上げる。
「じゃあ、私は何をすれば?」
「精神統一」
言外に『大人しくしていろ』と命じ、セオドアさんはさっさと自室に行ってしまった。
そして、三時間ほど経った頃────彼は戻ってくる。
「待たせたな。消去する記憶の定義や範囲をどう指定するか悩んで、少し時間が掛かった」
ダイニングテーブルの上にタブレットと魔法陣が描かれた紙を置き、セオドアさんは着席した。
ちょっと一息つく彼を前に、私は椅子の背もたれから身を起こす。
「お疲れ様です。ところで、消す記憶って具体的にどの程度なんですか?」
「ドラゴンがアジトに現れた件に関する記憶全てだ」
こちらの疑問にサラッと答えるセオドアさんに対し、私────ではなく、キースさんが反応を見せる。
「あれ?巨大亀討伐の方は、消さないんスか?」
「ああ、この魔法で消せるのはあくまで記憶だけだからな。記録は消えない以上、下手にいじらない方がいい」
『拗れる』と主張し、セオドアさんは小さく肩を竦めた。
その横で、キースさんはポンッと手を叩いて納得する。
「あっ、なるほど。あっちでは、もう神獣ヴァイス出現の公式文書が出ていそうッスもんね」
「あー……個人の日記やメモなら記憶と齟齬があっても『気のせい』で済むけど、公式文書だとそうは行かないからな」
アランさんも理解を示し、うんうんと大きく首を縦に振った。
────と、ここでセオドアさんがタブレットをこちらに向ける。
「説明はこのくらいでいいな?じゃあ、始めろ」
「えっ?私がやるんですか?」
「当たり前だろう。光の気を持っているのは、お前だけなんだから」
『何故、私達がやれると思った』と呆れるセオドアさんに、私はハッとする。
「そういえば、そうでしたね。私、レアキャラでした」
「ミレイちゃん、そういうのは自分で言うもんじゃないッスよ」
思わずといった様子でツッコミを入れ、キースさんは苦笑を漏らす。
と同時に、セオドアさんがトントンッと魔法陣の描かれた紙を突いた。
「とにかく、魔法陣に魔力を流してタブレットに書かれた呪文を言え」
「分かりました」
タブレットの文章に目を向けつつ、私は魔法陣に手を翳す。
その上で、魔力を流した。
「【光よ、人々の記憶を浄化したまえ】」
タブレットに書かれた通りに呪文を唱えると、魔法陣が白い光を放つ。
そして、弾けるようにして消えた。
「……終わり、ました?」
呆気なく魔法の発動が完了してしまったため、私はつい疑問形で報告をした。
『ちゃんと記憶、消えているのかな?』と考える私を前に、セオドアさんは視線を上げる。
「アラン、キース。外に出て、記憶が消えているのか確認しろ。もちろん、さりげなくな」
「「了解」」
アランさんとキースさんは短く返事して、席を立った。
そのままアジトを後にする彼らの前で、セオドアさんはこちらを見る。
「一応聞くが、体調に変化はないか?」
「ありませんけど。この魔法って、術者に副作用でもあるんですか?」
ふと疑問に思って問い掛けると、セオドアさんは小さく首を横に振る。
「いや、特にない。ただ、魔法の効果範囲を世界規模にしたから魔力消費が半端ないんだ。邪法のおかげで魔力無限に近い状態とはいえ、何か影響があるかもしれないと思ってな」
「なるほど」
今、サラッと『世界規模』って言ったなぁ。
さすがにちょっと驚いたよ。
まあ、文句はないけども。
万全を期すなら、世界全体に行使した方がいいし。
などと考えていると、外出した二人がぼちぼち帰ってくる。
「記憶はバッチリ消えていたぞ」
「多少齟齬はあるっぽいけど、昨日の今日なので混乱も少ないみたいッス」
手短に調査報告を行って、アランさんとキースさんは再び席についた。
と同時に、私は『良かった』と安堵する。
「じゃあ、また何かやらかしてもこれで揉み消せますね」
「おい……」
「ミレイちゃん……」
「まず、やらかさない努力をしろ」
何とも言えない顔のアランさん、どこか遠い目をするキースさん、呆れた様子のセオドアさん。
三者三様の反応でありながら言いたいことは概ね同じに見える彼らを前に、私は
「はい、すみません」
と、反省した。




