第7章 魔神アディポスの心理攻撃──「今日くらい、いいじゃないか」
健康であれ
アディポス本体覚醒まで──残り89日。
三ヶ月覚醒計画が始まってから、
俺はそれなりに順調だった。
朝は白湯と味噌汁。
昼は「野菜 → タンパク質 → 炭水化物」の順で食べる。
夜はホットミルク+軽い間食だけ。
歩く時間も、意識して一日10分は確保している。
「……我ながら、けっこうちゃんとやれてるな」
「ですよねレン様!
王国の“炎症レベル”も着実に下がってますよ!」
ラクティが胸を張る。
セラフィミアも、ふわふわした白髪を揺らして微笑んだ。
「内臓脂肪ゾーンも……ほんの少しずつですが、
縮んでいます……。
レン様のメンタル領域も、
前より安定しています……!」
そう、たしかに調子は良くなっている。
――そのときまでは。
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◆ 第一の心理攻撃:仕事地獄と「甘いものくらい」の罠
その日、仕事は地獄だった。
上司「この案件とあの分析、今日中にレポート出しておいて」
俺「え、今日中ですか」
上司「うん、今日中」
二回言うな。
夕方には頭が回らなくなり、目の奥がズキズキし始めた。
肩はガチガチ、背中もバキバキ。
「……甘いもの……欲し……」
その瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
視界の端に、黒い脂の霧が立ち上る。
『……ククク』
魔神アディポス・ベリーの声だ。
『ストレス値上昇を確認……
“甘味依存ルート”開通だな』
俺の目の前に、コンビニスイーツの映像が浮かんだ。
新作の濃厚プリン。
期間限定ティラミス。
「疲れたあなたにご褒美スイーツ!」というポップ。
『ほうら……
頑張ったご褒美に、
甘いものくらい良いだろう……?
今日は特別だ……
“今日くらい”は、いいだろう?』
ぐらっ、と心が揺れた。
「……今日くらい……」
「ダメですレン様ぁぁぁぁ!!」
ラクティの絶叫が頭の中に響いた。
「それです! それが一番危ないやつです!
“今日くらい”が週3になり、
気づいたら“ほぼ毎日”になるんです!!」
セラフィミアも必死だ。
「れ、レン様……!
甘いものを“完全禁止”する必要はありません……
でも、“ストレスの穴埋め”に使うのは……
アディポスの思うつぼ、です……!」
それでも、頭のどこかでささやきが続く。
『いいじゃないか……
甘いものぐらい……
どうせ三ヶ月なんて続かない……
今だけ、楽になれ……』
「……うるせぇ」
俺は立ち上がり、デスクを離れた。
向かった先は――コンビニではなく、「給湯室」。
白湯を入れ、ゆっくり飲む。
ついでに、引き出しに入れておいた一口サイズのナッツを取り出す。
「レン様……!」
ラクティが涙目で喜ぶ。
「えらいです! えらいです!
“ゼロか百か”じゃなくて、“少しだけ満たす”選び方……!」
セラフィミアも、胸に手を当てて微笑んだ。
「脳の“報酬回路”は、
ほんの少しの甘みや脂でも満たされます……
問題は量と、“使い方”です……!」
アディポスの声が、少しだけ遠ざかった。
『……フン。
今日は防いだか。
だが、人間のストレスは続く……
何度でもチャンスは来るぞ?』
俺は深く息を吐き、PC画面に視線を戻した。
「三ヶ月くらい……やってやるよ。
何年もサボってたツケだ。
安くねぇのは、知ってる」
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◆ 第二の心理攻撃:飲み会と「付き合いだから」の罠
アディポス本体覚醒まで──残り78日。
「レン、今日さ、久々に飲み行かない?」
同僚からの誘い。
断る理由は特にない。
むしろ、たまには行きたい。
でも――。
「……揚げ物……ビール……シメのラーメン……」
ラクティが震えながら耳元で囁く。
「レン様、それ全部“アディポスの主食”ですよ……!」
セラフィミアも、心配そうに裾を握る。
「れ、レン様……
飲み会自体は悪くありません……
ただ、“完全に防御力ゼロ”の状態で行くと……
王国が……脂に沈みます……!」
魔神の笑い声が聞こえた。
『ククク……
飲み会……いいじゃないか……
“付き合いだから”
“断りづらいから”
“せっかくだから”
その全部が、ワシの栄養源だ』
たしかに、飲み会は怖い。
気を抜くと、無限に食べて飲んでしまう。
だが――。
「……行くよ」
「れ、レン様ぁぁぁ!?!?」
ラクティが絶望顔になる。
「行くけど、“全部食う”とは言ってない」
⸻
◆ 居酒屋戦線
乾杯のビール。
この一杯を、どう捉えるか。
『さぁ飲め……!
ビールで気が緩めば、
あとは流されるだけだ……!』
アディポスの声が響く。
俺はビールを一口飲み――
そこでグラスを置いた。
「最初の一杯だけ飲む。その後は、烏龍茶。」
同僚「え、今日は珍しくセーブしてるね」
「今、腸と戦争中だから」
同僚「何言ってんの?」
説明しづらすぎた。
ラクティが喜ぶ。
「アルコール量、かなりカットできました!
肝臓への負担も軽くなるし、
代謝へのダメージも減ります!!」
料理が運ばれてくる。
唐揚げ、ポテト、ピザ、チーズ、シメの炭水化物。
『さぁ食え……
“せっかくだから”全部食え……』
俺は箸を伸ばし――
まずサラダを取った。
「野菜 → タンパク質 → 炭水化物、だろ」
ラクティがガッツポーズを取る。
「キタァァァァ!!
三段構えルールです!!」
サラダ。
その次に、焼き魚と豆腐。
そのあとで、唐揚げを2つだけ取る。
同僚「もっと食べないの? 好きだったよね唐揚げ」
「好きだけど……
“2個で幸せになれる”って最近知った」
唐揚げを噛む。
ちゃんと味わう。
しっかり噛む。
シュガ・ソースの幻影がボヤけた声で言う。
「……なんだよその、
“量より満足度重視”みたいな食べ方……
オレ、そこあんま邪魔できねぇんだよな……」
フライ・オイルも、ちょっと肩をすくめる。
「一気に山ほど食べられるときしか……
オレたちは暴れられねぇからな……」
ビフィズス王の声が響いた。
『レンよ、そのペース配分でいい。
飲み会を“完全否定”する必要はない。
だが、“毎回全力で暴走”するのは、
今日から禁止だ』
問題は、シメだった。
同僚「ラーメン行く?」
『来たぞ……“最後の罠”だ……』
魔神の声。
胃のあたりがズズズッと揺れた気がした。
俺は、一瞬だけ揺れた。
ラーメン……美味いんだよな、あれ。
……でも。
「俺、今日はパスしとくわ。
代わりに家帰って、味噌汁飲む」
同僚「味噌汁? そこで?」
「そこで」
ラクティが涙目で俺の頭をぺしぺし叩く。
「レン様……かっこいいです……!!」
セラフィミアも、瞳を潤ませる。
「レン様の選択が……
王国を守ってくれました……!」
その夜、俺は家で味噌汁を飲み、
軽くストレッチをしてから寝た。
アディポスの声は、遠くで不機嫌そうに唸っていた。
『……チッ。
飲み会での大暴走を防がれたか。
だが……
人間は、夜ひとりになると弱い……』
⸻
◆ 第三の心理攻撃:深夜スマホと「どうでもよくなる」の罠
アディポス本体覚醒まで──残り70日。
その日は、なんとなく心がざわついていた。
仕事のこと。
将来のこと。
やりたいことと、できていないこと。
布団に入ったあとも、スマホをダラダラ見続けてしまう。
SNSのタイムライン。
他人の楽しそうな写真。
深夜のラーメンテロ画像。
『見ろ……他人は楽しそうだぞ……
お前だけ、我慢している……
そんなの、馬鹿みたいじゃないか……?』
アディポスの声が、静かに囁く。
『三ヶ月も続けたところで、
人生、すぐに変わるわけじゃない……
だったら今、楽になればいい……
“どうでもいいや”って言ってしまえ……』
胸のあたりが、ぎゅっと重くなる。
「……そう、かもしれない……」
ラクティが必死に割り込んでくる。
「レン様! それは“諦めの呪い”です!!
魔神の最後の切り札は、“どうでもいいや”なんです!!」
セラフィミアも震えていた。
「れ、レン様……
私たちが守れるのは、
腸内王国だけです……
“意味”を決めるのは……
いつも、レン様なんです……!」
スマホの画面には、夜中まで起きて食べている人たちの投稿。
美味しそうなラーメン。
ピザ。
スイーツ。
『ほら見ろ……
みんな普通にやっている……
お前だけ、真面目にやって……
意味があると思うのか?』
……そのときだった。
画面の亮度が、ふっと落ちた。
「あ」
23:30超えたら、自動で画面が暗くなる設定にしてたんだった。
ついでに、「就寝モード」の通知も出る。
《睡眠時間になりました。おやすみなさい》
ラクティがぽかんとした顔をする。
「……レン様……
これ、もしかして……
事前に“自分で仕掛けてた防御魔法”ですか?」
「ただのスマホの設定だけどな……」
セラフィミアが、そっと微笑んだ。
「でも……
その小さな設定が、
今、“魔神の囁き”からレン様を守っています……」
俺はスマホを机の上に置いた。
「今日はもういいや。
どうせ夜中に見ても、ろくなこと考えないしな」
深く深呼吸をして、布団に潜り込む。
ホットミルクはもう飲んだ。
腹は、おおむね落ち着いている。
『……チッ……また逃げられたか……
だが、覚えておけ……
ワシは“少しずつ蓄積する存在”。
お前が“ちょっとだけ崩れる日”を、
何度でも狙っていく……』
アディポスの声が遠ざかっていく。
ラクティが、安心したように笑った。
「レン様、今日は……
心理戦、三連勝ですよ!」
セラフィミアも嬉しそうだ。
「ストレスの波……飲み会の誘惑……
孤独と夜更かしの囁き……
それでも、レン様は……
“全部じゃなくていいけど、少しは守る”を選びました……!」
ビフィズス王の声が、静かに響いた。
『レン。
覚えておけ。
長期戦において、完璧さは不要だ。
必要なのは、“折れたあとに戻ってくる力”。
もし明日、何か負ける日があってもいい。
その次の日に、また立てば――
それもまた、ワシらの勝利に繋がる』
「……ああ」
目を閉じる。
今日、防げた誘惑。
たぶん明日は、また別の形で来るだろう。
でも、
「三ヶ月ぐらいなら、付き合ってやるよ。
なぁ、アディポス」
『……フン。
言っておれ。
三ヶ月後……
真の姿で会おうではないか、育菌覇王候補よ』
意識が沈み、
深い眠りが訪れた。
腸内王国の空には、
少しだけ――以前よりも、
“澄んだ朝の光”が差し込んでいた。
健康に至れ




