彼女限定「泣き虫」勇者は田舎娘に愛を請う
「アーシャ。ずっと、君が好きだったんだ」
満点の星の下、新緑の匂いを乗せた柔らかい風が、彼女の柔らかい茶色の髪を揺らす。
「帰ってこられるか分からない身で、言おうかどうか迷ったんだけど」
本当に。ギリギリまで迷ったけど、これが最後かもしれないと思うと、胸にしまっておく事ができなかった。
家の裏山のてっぺんは、ふたりのお気に入りの場所。
一面の星空と、村の家々も一望できる場所だ。
僕は、窓から漏れる暖かな灯りのように、優しいひとたちが暮らすこのイスカ村が大好きだった。
「待っていて、とは言わない。イヤだけど、他の誰かを好きになってもいい。だけど、僕のこと。忘れないで」
アーシャが他の誰かを好きになるなんて、我慢できないし想像もしたくない。
でも、帰ってこられるか分からない身で彼女の未来を縛ることはもっとできない。
一番の望みは、彼女の、幸せだ。
彼女の緑青色の瞳に月明かりの金色が映り込んで、キラキラと光る。
この光景が、好きだった。
「知ってた?私もクリスのこと、好きだったんだよ」
彼女は優しく微笑んで、一番欲しかった言葉を、気持ちをくれる。
涙が溢れそうになる。暖かな温もりと優しさをくれる彼女の前では、いつも涙が止まらない。
「ずっと待ってるから。無事に戻ってきて」
明日、僕は顕現した聖剣と共に、勇者としてこの村から旅立つことになっている。
絶対に生きて戻ってこようと心に誓う。
我慢ができず、彼女の柔らかい唇にひとつキスをした。
***************
僕の名前は、クリスチアーノ・パーペンロートと言う。
イスカ村があるモーガン領の森を挟んで隣、パーペンロート領の領主の庶子だ。
アーシャたちには言う必要もないことなので、「クリス」という名前しか伝えていない。
パーペンロート伯爵は代々騎士の家系で、現当主も騎士だ。
彼が遠征先で食堂の娘に手を出し、僕を身籠った母はひとりで僕を産み育ててくれた。
4才の時に母が亡くなり、パーペンロート伯爵に引き取られ、義母と異母兄ふたりと暮らすことになった。
父は騎士団寮から戻ることはなく、義母からはイヤミを、異母兄たちからは騎士の鍛錬と称した憂さ晴らしを受ける毎日だった。
2年経った6才のある日、異母兄たちの憂さ晴らしに命の危険を感じ、家を飛び出しモーガン領に続く森に逃げ込んだ。
森の中を歩き疲れてお腹も空いて、ボロボロになって倒れてるところを、アーシャと義父さんに助けられた。
異母兄たちから着の身着のままで逃げてきたので傷だらけの泥だらけだったから、洗われて手当されて食べさせられて寝かされた。
彼女らは亡くした幼い弟の代わりに、僕を家族にしてくれた。
暖かい家の灯り、暖かい優しい家族。
夜眠る時はパーペンロート家の悪夢を見る事があったけど、その都度同じ子供部屋のアーシャが僕のベッドにやって来て温もりを分けてくれた。
ぎゅっと抱きつくと、彼女の胸からトクトクと優しい音がする。
ちょっとだけ、もう顔も思い出せない母の温もりを思い出して、涙が溢れた。
それから8年は夢のような暮らしだった。
義父さん、義母さんに甘やかされて、ひとつ年上のアーシャに甘やかされて。
優しさと温もりが嬉しくて、でも幸せが突然無くならないか不安で、いつも涙が溢れてはアーシャに抱きついて、彼女の体温を確かめた。
僕が14才になった頃には、魔物があちこちに出没し、村人も時々襲われ始めた。
僕とアーシャと義父さんも森に入った時に狼の魔物に遭遇して、僕たちは全力で走ったけど逃げ切れる訳もなく、牙を剥いてアーシャに飛びかかってきた。
アーシャを突き飛ばし魔物と対峙した時、僕の右手に聖剣が顕現した。
そういえば、パーペンロート家は過去を辿れば聖剣を顕現した先祖がいる、本来なら由緒ある血筋だったはずだ。
町娘に手を出した父、憂さ晴らしに異母弟に手をあげる異母兄たち、クズばかりの今のパーペンロートではなく、僕に顕現したということか。
聖剣は、いとも易々、魔物を切り裂いた。
僕に聖剣が顕現したということは、村長に、領主に、ひきいては国に報告して、勇者として最前線で魔物と戦わなければならないということだ。
とても面倒くさいし、イスカ村を、この家を、アーシャのもとを離れたくない。
でも、イスカ村も既に安全ではないということが、森の魔物の件で証明されてしまった。
窓に灯る暖かな光。
優しいイスカ村と家族。
大好きな、アーシャ。
大事なものを守るために、僕は勇者になることを決意した。
裏山のてっぺんでアーシャとお別れをした翌日、村長に連れられて領主の元へ行った。
このまま国に報告し、王都で騎士団と共に行動する事になるらしい。
聖剣を手にしてから魔物の気配を感知できるようになったので、領主と村長に森の奥の沢山の魔物の気配と警戒を伝え、王都へと向かった。
王都で騎士団に所属してからは、ひたすら鍛錬に打ち込んだ。
1年経ち、15才になる頃には騎士達と共に魔物の討伐に明け暮れた。
更に1年経つ頃には、魔王の存在をハッキリ感知できるようになり、各地で魔物のスタンピードも起こり始めた。
王都の近くで魔物のスタンピードが起こった時も騎士団と共に対処していたが、同時にイスカ村の隣の森でもスタンピードが起こったようだった。
僕が、故郷を大切にしていることを知っていた王と騎士団は、王都を優先させるために情報を秘匿していて、イスカ村のスタンピードを知ったのは村が壊滅したあとだった。
消えた窓の灯り。
瓦礫となった村。
一緒に見ることのできない、裏山のてっぺんの満点の星。
大切なものが突然消えてしまうことは知っていたけど、いとも簡単に王に奪われてしまった。
魔物が増え続ける中、王は「悲劇の勇者」の存在を前面に出し、民衆の不安を宥め始めた。
「貴族の庶子として虐待され捨てられて、拾い育てられた村は魔物に滅ぼされた、銀髪麗しい悲劇の勇者」
笑いがこみあげる。
パーペンロート家から捨てられたのではなく捨ててきたのだし、そもそもイスカ村を見捨てたのは王自身だ。
腹に煮えたぎるような怒りを抱えたまま、八つ当たりのように魔王を討ち滅ぼした。
***************
勇者の責任は果たしたので、褒章も何もかも辞退して王と決別してきた。
壊滅した、イスカ村を歩く。
村長と領主が察知してくれたおかげで村人の無事は聞いているが、皆散り散りになっていて行方はもう分からない。
今日は義弟の命日で、小さい頃からの習慣でお墓参りに来ていた。
お墓は難を逃れていて良かった。
魔王を討ち取ってから、2年。
大事なものは、全部無くなってしまった。
窓に灯る暖かな光。
優しいイスカ村と家族。
大好きな、アーシャ。
壊れた元我が家をひと眺めして、裏山に登る。
山のてっぺんから村をひと眺めして、少し思い出に浸ってから帰りたかった。
サクサクと草を踏んで、山のてっぺんを目指す。
開ける視界。
広い青空。
背後に気配を感じ、ゆっくりと振り返ると、求めていた最愛がたたずんでいた。
ポロポロポロポロと、溢れる涙が止まらない。
「アーシャ、良かった、会いたかった…会いたかった…」
譫言のように同じ言葉しか出てこない。
涙も震えも止まらないまま縋り付くように彼女を抱きしめると、懐かしい体温と匂いはそのままで。
「大きくなったのに、泣き虫、治ってないじゃん…」
ボソっと彼女が懐かしい独り言を溢す。
涙が溢れるのは彼女限定だし、一緒にいられるのなら泣き虫でも構わない。
子供のように背中を撫でてくれていた彼女の手が、今度は顔に触れる。
「よく頑張ったね。おかえり、クリス」




