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魔法使いの挟持  作者: 彳々
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4話

 鈍い銀色の懐中時計。蓋は星空の模様が彫刻されている。開くと小さな小さな歯車が、規則正しい動きで指針を動かし正確な時刻を示す。その繊細な動きが何層も重なっていて、しかしそれらが透かして見えるように緻密に計算され正確に作られていた。もはや芸術品と言っても過言ではない。こんなに美しいものが自分の手のひらにすっぽりと収まって動いていることに、ブリジットは何度も新鮮な高揚を覚える。

「すごい……」

「何度見ても素晴らしい技術ですね」

 リギも横から時計を覗き込み、うんうんと頷く。

「ここまで内部の動きが綺麗に見えるよう計算されて作られているのは流石といいますか、うん、本当にいいですね」

「ここの動き、どうなってるんだろう。すごい……」

 見る角度を変えながら感激しているブリジットの様子に、リギは思わずと言ったふうに笑うと、懐中時計の蓋をこつこつと爪で小さく叩いた。

「もしも壊れたり新調したりするときが来たら、解体してみたらいいですよ。きっと面白いですから」

「それいい、かも」

 ついそう言ったものの、この時計はリギからブリジットへの卒業祝いの名目で贈られたものだ。あ、と声をこぼしてブリジットは気まずそうにリギを見る。

「で、でも、戻せなくなっちゃいそうだから、せっかくリギさんに貰ったものだし、うん」

「私の贈り物なら尚更、もしその機会が来て、いい体験としてあなたの糧になるなら私はそれでいいと思っていますよ。やるなら遠慮はいらないです。いやぁ、私も随分と前にこういった時計を分解したことがありますが、とても楽しくて……はぁ、元に戻すのに結構骨を折りましたがそれがまた面白いのなんの」

 珍しく興奮した様子でリギが話す。回路や機器のことになると、たまにこの保護者はブリジットが見慣れない顔をするのだ。

「お待たせしましたぁ」

 少し間伸びした声が二人にかけられた。少しくたびれた雰囲気の店主が、いくつかの木箱を抱えて現れた。

「今はこちらの三点しか在庫がなかったんで、合うのがあればいいんですがね」

 そばにあった台に乗せられ開かれた三つの木箱の中から、丁寧に厚手の布で包まれたものが取り出され、並べられる。金属と木材で作られた杖たちだ。

「どいつも丈夫ですが、合金なんで伝導があんまりよくないですよ?」

「ああ、大丈夫です。この子は……ちょっと過多気味なんですよ」

 リギの言葉に店主は「ああ」と納得したような顔をする。

「そいつぁ失礼、私ぁてっきり」

「いえ、お気になさらず。さぁ、ブリジット、試させてもらいましょう」

 リギに促されてブリジットは改めて杖を見る。金属部分の飾り気のなさを補うように持ち手の木の部分はすこし彫刻がされているものの、石も塗装もなく簡素な見た目のものばかりだ。

「じゃあ、これ……」

 杖の細かい違いはよく分からず、なんとなく一本手に取った。持ち手の木は不思議と手に馴染む。

「これの窪んでいるところ、下のところのですね、そこに杖の先で触れてながら思い切り力を込めてみてください」

 店主が取り出したのは目盛がいくつも書かれた透明な硝子の筒で、中に少しだけ薄い青色の液体が入っている、よくある一般的な測定器だ。ブリジットは言われた通りに杖の先を筒の下方にある窪みに触れさせて、いえやと力を流し込んでみる。途端にボンと鈍い音とともに一瞬で液体が筒いっぱいに増えた。同時に持っていた杖から、ばきりと鋭い音がしたものでブリジットは驚いて思わず杖を落としてしまった。

「うおっと、お嬢ちゃん怪我してないかい」

「びっくりしたけど、大丈夫、です、でも杖が」

「おお、おお」

 落ちた杖を手に取り、まじまじ見ながら店主は声を上げる。

「持ち手が割れたのか。こりゃすごい。こんなに豪快に歪むもんかね」

「壊してしまってすみません、それは買い取りますので……」

「いや、いや、事故みたいなもんですんで。しかし過多でもここまでのは、ああ、いや、うん、これがこんなに歪むなら他のやつらも駄目だな。ふーむ……、お客さん、ちょっとまたお時間いただいても構いませんか」

「え、ええ、はい」

 店主は出していた杖を全て片付けて再び店の奥へと姿を消した。

「少し難航しそうですね」

「気をつけて使う、じゃ、だめかな」

「普段はそれで問題ないとは思いますが、危険なことに巻き込まれた時はきっと力加減を考えてはいられない。そんな緊急時にすぐ壊れてしまっては困りますからしっかりと合うものがいいですね。……まあ、そんな危険な目にもう会わないのが一番ですけれど」

 事件の後、再び授業で杖を使おうとした瞬間に杖が弾け飛んで粉々になったのは強烈でよく覚えている。曰く、過度な負荷に耐えきれず壊れたのだとか。すぐに聖堂の柱を壊した時のことが思い当たった。もしもあの時に仕留められていなかったらどうなっていたか、想像すると少し寒気がする。

「おーい、タキグチー、帰ったぞー」

 店の扉が開かれて、男が一人入ってきた。額当てで少し影のある目元が威圧的だが、胸元に可愛らしい紙袋を大事そうに抱えていているのがなんともちぐはぐな印象を持たせられる。

「お、いらっしゃい。あれ、タキグチ居ないのか?」

「店主さんなら、今杖を取りに奥へ行ってますよ」

「そうか、ありがとう。タキグチー、これ貰い物ー」

 男はずかずかと遠慮なく店主のタキグチが行った方へと入っていく。奥から「うわぁ」と声とともに何かが崩れる音が聞こえ、それから何やら言い合う声が聞こえた。

「まったく、すみませんねお騒がせして。あいつ失礼なことしてなきゃいいんですが」

 箱を小脇に抱えたタキグチがぼやきながら出てきた。この一瞬で何があったのか、タキグチはあちこち服を汚している。

「こちらが試してもらいたい杖です。新品じゃあないんですが、特別な作りをしていましてね。きっと合うんじゃないかと」

 そう言って二人の前に箱を置き、その表面を一度撫でた。深い赤色の布が張られた箱は少し異様な雰囲気を纏っている。

「またこれで先ほどと同じことをやってください」

 箱の中の黒い布が捲られた。杖は木材は使われておらず、全て金属で作られている。持ち手のあたりは角ばった作りで細かな彫刻がされており、店の明かりに照らされきらりと眩く光った。見慣れない形の杖に少し興味をくすぐられながらブリジットが手を伸ばす。

 それを、リギの手が止めた。

「これは、どういったものですか」

 タキグチに対してリギは静かに問いかける。

「ああ、全部金属なんて珍しいでしょう。これは、ただの金属杖じゃないんです。持ち手の中に回路が仕込んでありましてね、過度な力を調整して上手く魔法を使えるようにしてくれるんですよ。杖への余分な力を使用者に戻すことで杖詰まりを予防したり、その余分な力を杖の強化に組み替えたりと、過多も過多な体質にはぴったりな作りなんです」

「そうですか……」

「本当に今回のような特別な場合じゃないとお出ししないものですよ。今まで過多のお客さんもそれなりに居ましたがね、大体は先ほど出したような合金のもので十分だった。俺もこいつをお勧めする時なんて無いと思っていたくらいですよ」

「そうでしょうね、これは特殊すぎますから。素材も、技術も」

 ピンと空気が張り詰めた。

「……あんた、こいつ知ってんのかい」

 返事の代わりにリギはタキグチを無言で見据える。それが何を意味しているのか察したのか「まいったね」とタキグチは頭を掻いた。

「おーい、フィゴ! ちょっと大事な話だ、裏口閉めといてくれ」

 タキグチは先ほどの男に向かって声をかけると、店の入り口に歩いて行って鍵をかけた。窓掛も下ろしてすっかり外の様子を見えなくしてから二人のもとに戻ってくる。

「後ろめたいわけじゃない、ただ用心ってことです、こいつが何か知ってるなら、わかるでしょう?」

「しっかりと説明してくれるようで、何よりです」

 少し威圧的なリギにタキグチが「まあ、なんだ」と頭を掻いて言葉を濁し、杖を見つめ、それから再び話し始めた。

「さっきも言った通り、こいつは新品じゃない、かなり前に引き取ってくれと突然持ってこられたんだ。そんで杖の状態を確認しようと道具を引っ張り出してた隙に持ってきた奴は逃げていきやがったんです。だから俺ぁどこからどう流れてきたか、詳しいことはなんも知らねぇ。最初は盗品でも押し付けられたかと疑ってあちこち問い合わせたが、どこにも何にもなかった。置き去りにしていった碌でなしを探すにも何の手掛かりはねぇし、壊れてるわけでもねぇのに処分するにゃ不憫だ。だったら杖に詳しい俺が相応しい相手を探してやるのが一番いいと考えましてね。こうやって他のやつらと同じように、うちの商品になってもらったわけです」

「本当に?」

 タキグチの話にリギは訝しげにしている。

「疑ってかかっても俺から埃なんざ出ませんよ。まあ、信じろったってな、怪しいと疑うのはわかりますよ。だが誓って、お客さんを騙したり厄介払いにしたりという狙いは俺にゃありません。納得出来なければこのままお引き取りいただいたっていい。ああ、なんならうちが怪しいって警察に駆け込んだって全然構いやしねぇ、無駄骨になるからお勧めはしませんがね。……こいつがどんな杖わかった時にはそりゃ驚きましたよ。だがその技法も素材も、珍しいが違法じゃないでしょう。俺にだって誇りはある、うちのにするって決めたからには、誰かの手に渡る際に問題になりそうなことは全部俺が責任持って調べ尽くした。魔法がかかってないか、精霊と繋がりがないか、犯罪に使われた形跡はないか全部調べて問題がなかったから、こうやって他のやつらと同じようにお客さんにお出ししたわけです」

「……なるほど」

 リギの目はどこか遠くを見るように杖を見つめている。タキグチは腕を組み、リギが次は何を行ってくるのかじっと待ち構えているようだ。どうしようもなく、ブリジットは縮こまっているしかなかった。

「なんだ喧嘩か? 子供の前でするなよ」

 ぬっと先ほどフィゴと呼ばれていた男が顔を出してきた。それから台に出されていた杖を見て「お」と声を上げる。

「そいつ、持ち主見つかったのか? やっとか。ずっとタキグチが売らないから、棚の肥やしになっててかわいそうだった」

「お前は奥に引っ込んどけ。今ややこしいことになってっから」

「ようやくだなー、昨日箱も布も綺麗にしたばっかりで丁度よかった」

「おい、話を聞けお前」

 タキグチの言葉に耳も貸さず、杖とブリジットの顔を見比べながらフィゴは嬉しそうにしている。

「まだ決まったわけじゃねぇ。このお嬢ちゃんに試してもらってもいねぇんだ」

「そうなのか、じゃあほら」

 フィゴは杖をひょいとブリジットに渡して測定器を掴んで寄せる。ブリジットは手にした杖を見て、そろりとリギを見上げた。リギは目を瞑って数秒何かを考えるように天を仰ぎ、それからなんとも言い難い顔をしながらもブリジットを見つめながらひとつ頷いた。

 ブリジットは杖を握り、測定器の窪みに杖先を添えて力を込める。

 測定器の液体が揺れた。一度目とは違い、液体は増えるものの緩やかで、丁度よく真ん中の目盛で静かに止まった。

「おお、ぴったりだ」

 フィゴは測定器にずいと顔を近づけて楽しそうにしている。ブリジットが力を抜くと液体は元の量に戻り、穏やかに揺れた。

「……決まりでいいのかね」

 ちらとタキグチはリギを見る。「ええ」とリギは答えるが、二人の間には気まずそうな空気が漂っている。

「よし、じゃあ面倒な話はそいつらに付けさせるとして、お嬢ちゃんは俺と二階行くぞ。道具を買ったらそれに合った携帯用の入れ物をおまけで付けてるんだ」

 フィゴはブリジットを店の二階に上がる階段へと案内する。少し軋む階段を上がると小さな引き出しが壁一面に広がる、少し埃っぽい匂いのする部屋に着いた。一体どれほど収納できるのかと圧倒されるが、その途方もない量の引き出しがあってもなお入り切らなかった様子のものが床や机に積み上げられている。

「そいつの長さだとその赤っぽい棚のやつらだな、好きに開けて見ていいぞ」

 おずおずとブリジットはひとつ引き出しを開いてみる。引き出しの中でさらに仕切りで分けられて、刺繍のされた厚手の布製のものや透かし彫りの施された木製のものが並んでいる。隣の引き出しを開くと、色とりどりの紐や蔓で編まれたものが入っていた。

 全てを確かめる勢いで引き出しを開いては閉じ開いては閉じとしていくブリジットの手がある引き出しで止まる。途中から梯子に登りながら開いていったその中に、ひとつ目を引く杖入れがあった。



 杖入れは滑らかな皮で作られており手触りが心地よく、木々や花々の模様が細かく描かれていた。杖が簡単に落ちてしまわないように縫い付けられた帯に付けられている飾りの、青く澄んだ石が目を引いた。



「どこかで見たんだけどな」

 多くの人が行き交う駅の中。天井の灯りに杖入れの石を翳してブリジットが呟く。寄りかかっていた大時計が、時刻を知らせる鐘を打った。

 目の端に人々を縫うように避けながら少し早足で駆け寄ってくる姿を見つけて、ブリジットは杖入れをからそちらへ意識を移す。大きな鞄を持ったエイミーが手を振っていた。

「待たせて悪かったわね」

「ううん、さっき着いたところだから」

「この駅、こんなに広かったのね。少し調べておいたのにすっかり迷ったわ」

 疲れた様子のエイミーは服をぱたぱたと手で払って整えながらため息をついた。

「少し休む?」

 ブリジットが床に置いていた鞄を持ち上げながら聞くが、エイミーは首を振る。

「いいえ、列車に乗ればいくらでも休めるから大丈夫。行きましょう、……七番線ってこっちよね?」

 二人連れ添って歩き始めた。

「着てくるもの間違えたかしら、もっと身軽に動ける服にした方がよかったかも」

 エイミーは服の裾をつまんでぼやいた。見るからに上品そうで質の良さも察せられる服。確かに動き回るには少し不向きなものかもしれないが、エイミーの端正な顔立ちと手入れの行き届いた金色に靡く髪にはよく似合っている。

「でも似合ってるし、素敵だと思うよ」

「……そ、なら、まあ、いいわ」

 エイミーは髪の先をくるりと指先で撫でた。

 そうしているうちに七番線へとたどり着く。駅から溢れんばかりの大勢の乗客に気押されながらも二人は列に並ぶ。周りにはブリジットたちと同じような大きな鞄やもっと多くの荷物を持ったり背負ったりしている人がちらほらと目についた。

「たくさん荷物を持ってる人、多いね」

「確かこの列車、市場とか港湾に行くでしょ。きっと行商人とか旅行者とかも乗るのよ。中には私達みたいにパーンに行く人もいるかもしれないわね。ほら、あそこの人達とか」

 エイミーが視線を送った先には、二人と同じくらいの年頃の少年少女の姿もあった。

《まもなく七番線に列車が到着します。危険ですので柵の内側でお待ちください。この列車はナクサ市場、パーン研究都市経由、スタ港湾行きでございます。後方二両は行商専用となっております》

 放送が鳴り、列車が駅に滑り込んできた。柵がカラカラと開き、列車の降車口が開かれると下車する人々が駅に流れ込んでくる。こちらの乗車待ちの列も負けじと言わんばかりに乗車口から列車に雪崩れ込み、二人も流されるように列車に入っていく。

「空いてるわ、ここにしましょう」

 エイミーに腕を引かれてブリジットは乗客の波から空いていた個室席へと滑り込む。通り過ぎていく乗客を横目に、向かい合う臙脂色の座席にそれぞれへたり込む。

「こんなに人……多いんだね。なんかびっくりしちゃった」

「私も使わないから……、普段からこんなものなのかしら、列車って大変ね」

 どちらともなく、ふぅと一息ついた。

《間も無く発車します。この列車はナクサ市場、パーン研究都市経由、スタ港湾行きでございます》

 列車内に響く放送を耳にしながら、エイミーはブリジットの手にある杖入れを指差す。

「ずっと持ってるけど、それは杖?」

 指摘されてブリジットはずっと杖入れを握っていたことに気がついた。

「うん、そう、ちょっと前に買ってもらったの。えーと、見る?」

 ずいと差し出せば、エイミーは丁寧に杖入れを受け取ってまじまじと眺め始める。

「綺麗な絵ね、飾りの石も。この杖は……全部金属? 珍しいわね」

「持つところに回路が中にあって、力の調節をしてくれて壊れにくくなってるんだって」

「ふぅん。ああ、そういえば授業で派手に杖を壊していたものね、私の目の前で。心臓止まるかと思ったわよ」

 杖を返しながらその光景を思い出してくつくつと笑うエイミーに、ブリジットは少しばかり恥ずかしさを覚えた。

「ま、マクレイアさんはどんな道具使ってるの? やっぱり杖?」

「……、私はそういうの持ってないわ、魔法を使うのは学園で基本的な使い方とか知識とかのためだけって決めてたから。魔法を使うとたまに少し呪いが反応するのよ。それが特に問題なければそれでいいんだけど、よくわからないから、一応ね」

「そう、なんだ。話しにくい話して、ごめんね」

「気にしてないから気にしないで。そもそも使わなきゃいけないから使ってただけで、私はどうしても魔法を使いたいわけじゃないの。まあ、少し勿体無いとは思うけど」

 世界で魔法を使えるのは、人口の約四割程度と言われている。

 この国では決められた年齢までに、国から認定されている機関に所属し、魔法の制御や知識を身につけることが義務付けられている。エイミーとブリジットの通っていた学園も、そんな機関の一つだった。

「で、でも、もしもの時とか不安じゃない? 何かあった方が……」

「魔法を使うための道具は持ってないけど、護身用のは持ってるわ。これとか」

 エイミーが首元から取り出したのは、小さな四角い金属の板に三つの石が埋め込まれた首飾りだ。よく見ると細かい回路が彫り込まれているのがわかる。

「結局使うには最初に少し力使わないといけないのよね、でもあとは石の力だけだから許せるところっていう感じなの。まだ実際に使ってはいないけど、防護壁と反発の魔法で危険なものを無理やり遠ざけるものらしいわ」

「へぇー……」

 少し目を輝かせてブリジットがそっと伸ばした手から、そっとエイミーは首飾りを遠ざける。

「……」

「……」

 少し沈黙の後、エイミーは静かに首飾りを服の中に戻した。

「なんで」

「目の前で杖を弾けさせた人に触らせるわけないでしょ。防護対象として登録されてるのは私だけだから、今うっかり使ったら多分あなた列車の外に叩き出されるわよ」

「そ……れはそれでちょっと面白いかも?」

 思考が好奇心に負けているのかとんでもないことを口走っているブリジットに少し引きつつ、エイミーは窓の外を流れていく景色に目をやる。ちょうど大きな谷に沿うように走っている最中だ。

「目の前で友達が列車から谷底に落ちる経験なんて、私はいらないわよ。というかあれね、あなた回路に興味があるの? 杖にしても首飾りにしても何というか、勢いがすごいわ」

「うん、とっても! パーンにも魔導機器回路についての研究や発明してるところがあるらしくて、すごい楽しみで……」

「私は回路の勉強とかしたことないからよくわからないけれど、そういう話を少し聞いたことはあるわ。何か乗り物の話で、何だったかしら、よく覚えてないのよね」

「それなら鉄蜥蜴じゃないかな、わたしも新聞で見たよ」

 動力や形態の違いはあれど、地を走る乗り物といえば車輪のついたものが主流。生き物の形をしたものの発明もありはするが、大抵は一人二人が乗れるのが限度な上、結局車輪の安定性には勝てずに一時の話題で消えていくものばかりだ。

 そんな常識に一石を投じるのが鉄蜥蜴。鉄蜥蜴には平均体格の人間が約十名も搭乗することができ、石動車にも獣車にも負けぬ速さで地を走り壁も走り水面も走る前代未聞の傑作である。という売り文句で発表されたものだ。

 ただし実際の乗り心地は製作者も太鼓判を押すほど最悪のようで、そこにあるのはただ巨大なものが人を乗せて疾走できるという浪漫だけだ。実用性は皆無だが、注ぎ込まれた技術は最先端をゆくものばかりだったので、廃棄するのは忍びないとパーン研究都市内で実験的に動かされていた。しかしすぐに騒音が酷いという理由で稼働は中止され、ひっそりと来訪者向けに展示されるだけの悲しき存在となっているらしい。

「マクレイアさん、一緒に見に行かない? 新聞の写真だとよくわからなかったけど、説明通りなら本当に大きいみたいだから。回路どうこうってわからなくても、きっと面白いと思うよ」

「……、そうね」

 エイミーは、ブリジットの顔をじっと見つめる。

「えー、と?」

「ああ、ごめんなさい、そのお誘いは喜んで受けるわ。ただ、ちょっと、あなたと私は友達なのに、なんだか距離がある気がして」

 エイミーの言葉に耳を傾けながら、ブリジットは頭の中で緊急会議を開いた。

 なんということだ、友達だったのか。

 怪しまれないよう誤魔化すためにリギに言ったことはあるが、ブリジットからエイミーに言ったことはなかった。逆も同じで言われたこともない。

 そうか、友達なのか。衝撃と興奮で荒れ狂う心中を必死に抑え込みながら、思考を本題に戻す。

 距離があるとはどういうことだろう。目の前の席にいるというのに。もしかして友達というのはこの間合いでも遠いのか。よくわからない。しかし、そう言い出されたということは、そうなのだろう。とりあえず距離を詰めて様子を探ってみようか。

 考えた末、ブリジットは立ち上がり、エイミーの隣に置いてあった鞄をおもむろに持ち上げて自分の座っていた場所へ動かし、代わりに鞄のあった場所に座った。

 さあどうだと言わんばかりにブリジットはエイミーを見つめる。

「これで距離なくなったけど、どうかな」

「え、あぁ、ふ、ふふッ」

 エイミーは少し呆気に取られた顔をした後、肩を震わせながら破顔する。

「そうね、そうよね、ふふ、そう、ね」

「違った……?」

「違うの、いや、違わないんだけど、あぁ、私の言い方が、うん、あは、だめね、ふふ」

 口元に手を当てて笑いを止めようとするエイミーの様子にブリジットは段々と心配になってくる。

「ごめんなさい、私が言いたかったのは、ふふふ、別に物理的に離れてるとかじゃ、なくて、お互いに畏まった呼び方をし合うのが、ちょっと気になっただけなの」

 やっと笑いが収まってきたのか長く息を吐いてエイミーはブリジットの顔を覗き込む。

「ねえ、ブリジットって呼んでもいい?」

 

 澄んだ青い瞳。


 あ、これだったんだとブリジットは杖入れの石の輝きを思い出した。

「いいよ」

「じゃあ、ブリジット、私のことはエイミーって呼んでくれる?」

「い、いいの?」

「もちろん。ほら、呼んで?」

「え、エイミー……」

 口に馴染まないその名前に戸惑いを隠せないブリジットだが、呼ばれたエイミーは嬉しそうに「はぁい」と返事をする。

「私ね、こうやって呼び合う友達、初めてなの」

「わたしも、そうかも?」

 そんなやりとりをしていると、こつこつと足音が近づいてくるのが聞こえた。大量の荷物を背負った商人らしき三人組が、少し窮屈そうに通路を横切っていく。三人とも深く被った帽子と鼻まで覆った布が顔をすっかり隠してしまっていて表情が見えず、ただならぬ雰囲気を纏っていた。

 三人目の背負っていた、がしゃがしゃと賑やかな音のする荷物からころりとひとつ何かが落ちた。気付かずに行ってしまいそうな様子に、慌ててブリジットは通路に出てそれを拾い上げる。

 手のひらにすっぽりと収まる小さくて丸いそれは、胡桃に似た形をした金属製の何かだった。

「あの、これ落とし」

 言葉は最後まで続かなかった。顔を上げたブリジットが商人の振り向いたのを見ると同時に、手のひらの上に転がっていたものが弾け、中から真っ赤な毛を全身に生やした蛇が大口を開けてブリジットに襲いかかったからだ。

 蛇はブリジットの肩に食いつき、個室へと押し返し勢いのまま窓へと叩きつけた。激痛が走る。そばでエイミーの悲鳴が聞こえた。

「やめろ"(どう)"!」

 誰かが叫んだ。蛇が頭を振り、ブリジットはもう一度窓に叩きつけられる。

 がしゃん。壊れた窓の枠ごとブリジットは列車の外へ放り出された。未だ列車は谷に沿うように走っていた。蛇は依然としてブリジットの肩に噛みついたままで、諸共谷底へと落ちていく。

「ブリジット!」

 蛇の唸り声と風を切る音の中に、エイミーの叫び声がわずかに聞こえた。


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