昔話1
少し昔を思い出す。
あの夫婦があの子をこちらに来させると決めた時のことだ。
細々と魔導機器回路の修理工をしていた自分に、突然の白羽の矢が立ったのは流石に驚いた。
生まれてこの方、上手く生活を共にできていたのは片手で事足りるくらいの人数しか心当たりの無い自分にまさか赤の他人、それも十にもなったかもわからない子供の面倒を見ろと言うのは、いくらなんでも乱暴な話ではないか。
断ろうとしたところで、自分の受けた恩義を忘れたのかと返り討ちにあってしまった。それでもこんな商売で他人が養えるかと抗議したが、あの子を不幸にするつもりなど毛ほども無い、金くらい渡してやると逃げ道を塞がれた。
他のツテで幾分もマシなところは沢山あるはずだと食い下がってもみたが、あの男曰く、そんな立場で市街地のど真ん中に店を構えて問題なく過ごせているお前が安全なことを示しているとのことだ。
しかし、それでもまだ一番の問題は残っていた。その子供に自分の体質が作用したらどうすればいい、同居どころの話ではなくなってしまうではないか。これには夫婦も何も言えまい、と考えていたのも束の間、あの子はなぜかそういったものに影響を受けない言われた。そんな馬鹿な、どういうことだ、そんな事情を持っているなど聞いていない。
あの子の詳しい事情を聞いたのはそこが初めてで、どうしてそのことを伏せていたのかも、妙に強引に話を勧めている理由も十二分に理解させられ、そして断る選択肢が消えてしまった。
話が決まると夫婦の動きは早かった。本当に早かった。
次の日の早朝、店の戸が叩かれたと思いきや、そこには不釣り合いな大きな鞄を両手で必死に持っている少女が立っていたのだ。名前を聞けば夫婦の言っていた子供で間違いはなく、大変焦った。あの夫婦の判断の速さ、行動の速さは知っていたつもりだったが、まさかこれほどまでとは。緊急事態であったことが察して余りあった。
前日に念のためと大急ぎで倉庫がわりになっていた部屋を空けておいたのはいいが、その皺寄せに家のあちこちには乱雑にものが積まれてできた山が足場を埋めており、あの子が恐る恐る通っていた姿は今でも気まずさと共に鮮明に思い出せる。
早々に瓦解するだろうと思っていた生活は、思いの外うまく行った。うまく行ってしまった。そうならなければ困るのはこちらだったので喜ばしくはあったが、実に奇妙な感覚だった。
どこで足がつくかもわからないのであの夫婦とのやりとりは少なく済む方がいい。ということで、仕事の方針を変えて収入を増やし予定されてた送金をまず断った。特に金品の移動は怪しまれる可能性が高い。まともな食事を摂らせているか心配されないよう、滅多にしてこなかった料理に奮闘した。学ぶことに時間を使うならできるだけ有意義に使った方がいいと、評判の良い学校に入れようと奔走した。子供の世話などしたこともないので衣食住全てが試行錯誤の繰り返しだった。思い返せば色々と大変な数年であったけれど、決して悪いものではなかった。
あの子も見知らぬ土地で、どこの誰かもわからない人間と一つ屋根の下など、よく耐えられたものだ。耐えた、というよりは気にしていなさそうという様子ではあったか。それはそれで心配になった。
そうしてついこの間、夫婦から連絡が来た。連絡が来ること自体は然程も驚きは無かったが、内容を聞いて少し複雑だった。あの子をパーン国立研究学校に入れると言い出されたからだ。しかも、実験体のような扱いで。とはいえ生徒として生活することも保証はされているらしい。そういった条件が守られなければまずこの話は成立させる気はないと夫婦は言った。
あの子が自分自身の問題に向き合うことは大切であるし、自分もその分野はどうにも苦手で何ができるわけでもないことは重々理解していた。それにパーンは精霊のことだけではなくあらゆる分野の学習や研究ができる。あの子が夢中になっている魔導機器回路もだ。いいことじゃないか。夫婦の言うことは正しい。
けれど、あの子が血のつながりすらないただのしがない修理工をしている他人の自分のことを慕って、倣って、今の学校を卒業したら一緒に仕事をしたいと言っていたから。単なる独占欲か何か、くだらないものとはわかっていたけれど、少しだけ、気が進まなかった。とはいえそんな感情であの子の足を引っ張るわけにも行かないので、それらは頑張って心の内から掃いて捨てた。
話が決まると夫婦の動きは早かった。話が付いて次の日にはあの子宛の手紙が来ていた。本当に話が早い、逆に怪しまれるだろと思うほど早い。
そのまた次の日、つまり今朝。いつものように起きたらあの子が居らず、書き置きが一枚残されていたのを見てから、ずっと落ち着きのない心のままだ。あの子にとっては突然のことだから戸惑っているのだろうか。いや、あの夫婦の下にいたから慣れているかもしれない。どうにしろ、何か思うところがあったからいつもと違う行動をとっているのには違いはなく、さてどうしたものかというのが本題で。
この年頃の時に自分はどうだったか、自分ならどう思いそうかと振り返ってみた。四六時中部屋にこもって機器をいじくり回していた記憶しかなく、全く参考にならなかった。
「帰ってきたら、少し話そう……」
丁度鳴った呼び鈴に返事をしながら、受付の方へと足を向かわせた。
終




