2話
トントンとつま先で床を叩く。
「本当に大丈夫ですか」
この問いかけは七回目だ。
「大丈夫だよ」
同じくこの答えも七回目。
ずっと心配そうなリギに対して、全然問題ないと明るく振る舞って主張するも、どうにも安心はしてくれない。
「何かあったらすぐ連絡するから」
鞄に入れていた通話器を見せて宣言すると、渋々といった雰囲気で「気をつけて」と見送ってくれた。
あの日、精霊が連れ去られそうになった騒動が起きてから、三日が経つ。怪我をしていたエイミーは当然として、怪我のなかったブリジットも七日は休学するよう言い渡されていた。
一日目は家に籠り、二日目は少し買い物に出掛けた。三日目の今日はここ二日間、事あるごとに声をかけ顔を合わせれば心配し続けるリギの姿にブリジットの方が心配になってきて、エイミーのお見舞いという名目のもと少し長い「おでかけ」をすることにした。
今までそんなに付き合いはないものの、何故エイミーの家がどこかなんとなくわかるのは、エイミーが学園でいつも誰かに話しかけられているのをなんとなく耳にしてしまう中で、不意に知り得てしまったからだ。
そんな情報で押しかけるのは不躾ではあるが、怪我の具合を心配しているのは本音だ。というのを大義名分として掲げ、ブリジットは見舞いの品を手に力強く踏み出した。
滅多に乗らない石動車に揺られながら、あの日のことを思いかえす。
当然のことながら「それは大変でしたね」では済まされなかった。
教員の通報によって警察が来る頃にはすっかり他の生徒も登校してくる時間になり、野次馬する生徒も少なくはなかった。
注目される中、二人とも病院へ搬送。エイミーとは病院でそれぞれに別れたきりだ。ブリジットは特に怪我も見当たらず、数日後に再診ということで早々と帰宅することになったのだが、そこで警察から事情聴取の申し入れがあった。
病院に迎えにきていたリギが、今じゃなくてもいいだろうと断ろうとしていたが、忘れないうちに話してしまった方がいいかもしれないとブリジットが承諾したので事情聴取が始まったが、あれもこれもと結局かなりの時間がかかってしまった。
防衛魔法がかかっているはずの敷地内に侵入、門などの魔道具に付与された防衛魔法の消失、精霊の誘拐及びその手口に使われた魔道具。どうやらブリジットが思っていた以上にこの事件は大事と取り扱われているらしい。
一旦はここまでと聴取が終わって家に帰って、いつもの家の匂いがした瞬間にその場で力が抜けて座り込んでしまい、リギを焦りに焦らせたのが今ではちょっと恥ずかしい。思った以上に緊張していたらしい。リギが逐一声をかけててくるのもたしかそれからだったので、余程の心配をさせてしまったのかと申し訳なさがある。
そう言えば“這う爪"は大丈夫だろうか。緊急事態とはいえ聖堂の柱をへし折ってしまったこと、休学が終わったらすぐに謝りにいかなければならない。“本の気まぐれ"も元気でいてくれるといいのだけれど。
あれこれ考えを巡らせていたら、目的の停留所に到着した。いつも家と学園の間を行き来するばかりで買い物もそう遠くへはいかないブリジットにとって、学園の向こう側に来るのはやけに落ち着かない。
「商店街の横の大通りの、緑の屋根の喫茶店の近くに教会が……」
断片的な記憶を元に目印をつけた地図と睨み合いながら歩いていく。
「お庭があって門があって……」
順調に進んでいた足が止まる。この辺りは大きな家が多く、立派な庭も門もある家だらけだ。門の表札も番地と家紋が書かれているだけで名前まではわからない。同じところをぐるぐると回ること三回、とうとうため息が出てしまった。
「どうしよう」
まるで押しかけなんて碌なことはさせないと言われているようだった。うーんと空を見上げながら悩んでいると、声をかけられた。
「どうかなさいましたか?」
ピシッと黒い服を身に纏った、ブリジットより少し年上くらいの男が声をかけて来た。その後ろには男と同じ年頃の日傘をさした、女が心配そうな視線を寄越してきている。
「あっ、と……同級生のお見舞いに来たのですが、どの家かわからなくなってしまいまして」
「まあ、大変。さっきあそこのお店でお茶をしてる時から、ずっと行ったり来たりしていたからどうしたのかと思っていたの。やっぱり困っていたのね」
ずいと女が身を乗り出してくる。
「大通りのこちら側は人通りがあまりないから、結構目立つのよ」
「ペテァ様、お下がりください」
「ドロールッツ、女の子をそんなふうに警戒するなんて失礼じゃなくて?」
「万が一もあります」
「そんな、大丈夫よ」
「まったく」
お互いにペテァとドロールッツと呼び合う二人。話している内容的に使用人とその主人といった関係だろうか。
「もしよければなんだけれど、訪ねに行く方の名前を教えてもらえないかしら? 知っている方ならすぐに案内できるし、知らなくても私なら聞きいても怪しまれないから」
「貴女がそこまですることではないでしょう。警察にでも任せればいい」
「私たちが案内できるならそっちの方が早いわよ。警察はここらからだと遠いし、お見舞いなら早く会いたいものでしょ? それに、せっかく久しぶりに外に出てきたのよ、ちょっとくらい変わったことをしたいじゃない」
「本音はそれですか……」
「ええと、お気持ちだけで……わたし、交番に行きますので……」
ブリジットが遠慮の姿勢を見せると、ペテァは大袈裟に衝撃を受けた顔をする。
「この唐変木の言うことなんて気にしないで! いっつもこうなの! 心配性で!」
「貴女が好奇心で関わってきてるのが嫌なのでは?」
「もう! ねえ、駄目かしら、あなたから見ても私たちは怪しいだろうけど、助けになりたいのは本当に本当なの。信じていただけない?」
「全然、疑っているわけではないですけど……」
「よかった! じゃあ、どこのお家に行くご予定だったか聞かせて? さあさあ!」
「お嬢様、少しは遠慮してください」
勢いにたじろぎつつ、ブリジットは行き先を伝える。
「マクレイアさん、のお家なんですが」
「えっ」
途端に二人の様子が打って変わる。
「マクレイア?」
ドロールッツはブリジットを睨みつけ、そんな彼の腕をペテァが小突く。
「やめて、ドロールッツ」
「マクレイアだけは別でしょう」
「でも私たちの都合とは関係ないわ。変に過敏にならないで」
二人は少し言い合い、それから気まずそうにブリジットに向き直る。
「うーん、ええと、そうね、うん、ごめんなさい、申し訳ないのだけれど、お家はこの場で教えるだけになってしまってもいいかしら?」
先ほどとは打って変わったペテァの態度は、何かしら事情があることを少しも隠せていない。これから向かう先の事情は知っておきたいものだが、どうにも気軽に聞ける雰囲気ではなさそうだ。
「大丈夫です、じゃあお家の場所だけ」
「ごめんなさいね。……あの、もし」
ペテァは何か決心をしたような目をブリジットに向けた。けれど言葉を詰まらせて目線をすぐに落としてしまう。
「いいえ、気にしないで、ごめんなさい。場所をお教えますわね」
「……お願いします」
持っていた地図を広げ、教えてもらった場所に印をつける。
「きっと……きっと、表札にお花を飾ってらしてるから、近くに行けばすぐにわかるわ」
「ありがとうございます」
そう言って別れた二人の背中を少し見送って、ブリジットは地図に目を向ける。大通りから道を三本奥へ入って、左へ曲がって五つ目の家。
ペテァの言っていた通り、表札には遠目からでも目を引く大ぶりの花が一輪飾られていた。家に近づくとふわりと花の香りが花をくすぐる。家をぐるりと囲う柵越しに、随分と大きな庭園が広がっているのが見えた。
門に付いた呼び鈴の紐を引く。からんからんと澄んだ音。しかし門から屋敷までの距離は遠く、家主に聞こえるのかどうかは疑わしい音だ。
ブリジットが若干不安気に門を見上げていると「どちら様ですか」と呼び鈴から声がした。思わず飛び退るも、すぐに持ち直して返事をする。
「ブリジット・ホーキンと、言います、マクレイアさ、あっ、エイミーさんのお見舞いに来たのですがッ!」
「……少々お待ちください」
「はいッ! お待ちします!」
流石に狼狽えすぎではと自分で自分が恥ずかしくなり、ブリジットはくぅと声を上げて空を見上げる。先ほどの二人とのやりとりで、少なからず不安になってしまっているのだろうか。しかしこの家自体に行くのを止められなかったことを考えるに、ブリジットが訪ねる分には大丈夫と言うことだろうか。
地図を畳んで、服をあちこち 払って整え、髪を何度も撫で付けて、大きく深呼吸をしてようやく落ち着いた頃、呼び鈴から再び声がした。
「お入りください」
閂がひとりでに外され、門も開く。ややぎこちない動きで中へ入っていくと、背後で門の閉まる音が聞こえてきた。
模様になるよう敷かれた石畳。両脇を彩る生垣は少しの乱れもなく切り揃えられている。柵越しに見えていた庭園は一層美しく、非現実と錯覚しそうなほどだ。
目的地である屋敷もそれらに負けず、いやそれらを飾りとしてしまうほどに立派で、ブリジットは石畳の中程で立ち止まりぽかんと呆気にとられてしまった。
帰ろうかな?
今更後悔が襲ってきている。そこでふと鞄に入れた見舞いの品のことをふと思い出した。いつも飴の量り売りを買っている店で選んできた、ちょっと割高で普段はあまり買わない花の飴の瓶詰め。三種類の色も味も香りも違う飴が入っていて飽きずに楽しめるものだ。
花が好きならば、これはまさに正解のお見舞い品と言えるのではないだろうか。そう考えると少し勇気が出てくる。ブリジットが鞄を抱きしめて力強く決心すると同時に、玄関の扉が開いた。
「何かございましたか?」
その声は呼び鈴から聞こえてきていたものと同じだった。黒を基調とした服装に乱れなく巻き上げた髪、前掛けの白さが少し眩しい。格好からして使用人だろうか。
「ごめんなさい、ちょっと緊張しちゃってて」
「……、どうぞお入りください」
促されるままに、いざ行かんとブリジットは屋敷へと足を踏み入れる。外の華やかさとはまるで印象の違う落ち着いた屋内だ。しかし調度品一つ一つに気品を感じて落ち着かない。
「お嬢様から伺っております。どうぞこちらへ」
「はい!」
ブリジットは使用人の後を遅れないよう懸命に足を動かして着いていく。圧倒されるあまり今足の下にある絨毯ですら踏んでいいのかと自問し始めた。そうしているうちに、一室の前で使用人が足を止めた。
「お嬢様、お客様をお連れしました」
「通して」
使用人が扉を開き、どうぞと中へ促される。使用人は部屋に入らず、じっと命令を待っていた。
「飲み物を。赤い缶の香茶がまだあったでしょう、それをお願い。大事なお客様だから丁寧に用意して」
「かしこまりました」
扉が閉められ、向こうから遠ざかる足音が聞こえた。二人きりになった室内では、沈黙が横たわっている。
「どうぞ掛けて?」
「はいっ!」
指し示された椅子に、そっと座る。
「さて、何のご用かしら」
部屋の主人、エイミー・マクレイアはベッドの上からブリジットを静かに見つめている。頭に巻かれた包帯や、顔や手に貼られた綿紗が痛々しい。
「怪我は、大丈夫? その、今日はおみまいに……」
「そうみたいね。でもあなたにこの家のことなんて教えたことがあったかしら」
気まずい問いが早速投げかけられて焦りが天元突破しそうである。
「学校で、その、聞こえた話を元に、です」
「大まかには話していることはあっただろうけど、具体的なことは話してないはずよ。私が話したくないことだから」
「そうなんだ……あー……、それで途中でわからなくなって。迷っていたら、親切な人たちが教えてくれてたどり着いた、です」
「ふぅん」
なんだか、学園で見てきた彼女とは随分と雰囲気が違う。こんなにも威圧感のある態度をするとは思いもしなかった。あまり関係もない同級生というだけの人間が、都合も考えず急に押しかけてきたのだから怒っているのかもしれない。
「あなたの方こそ大丈夫? 病院にも行ったんでしょう?」
「わたしは怪我とかしてなかったから全然大丈夫、それよりも警察の人に色々聞かれた方が大変だったかな。答えられないこともたくさんあって」
「何か犯人のこととかは聞いたの?」
「犯人のことはわからなかったけど、なんかすごい大事になってるみたい」
「そう、どうせ私も聞かれるだろうから色々と聞き返そうかしら」
トントンと扉を叩く音。
「お茶がご用意できました」
「入って」
先ほどの使用人が二人分の香茶を手に部屋へ入ってきた。ブリジットの前の机と、ベッドのそばの台にそれぞれ香茶が置かれる。
「ありがとう、あとは呼ぶまで下がっていて」
「……失礼します」
使用人は深く頭を下げてから部屋を出ていった。
「本当はお茶菓子でも添えられたらよかったのだけど、私あなたのこと何も知らないからごめんなさい、今度からは事前にお伺いしておくわね?」
「はい……」
やはり怒っているのでは?
「あっ!」
そういえば鞄に入っていたものの存在を忘れていた。思わず大声を出してしまいブリジットは慌てて口を手で塞ぐ。
「あの、お見舞いの、ものが……」
カバンの中から紙袋を引き出す。一応贈り物ということで賑やかな柄の紙袋に入れてもらっていたが、すっかりくしゃくしゃで台無しになっている。それを隠すように慌てて紙袋から飴の瓶だけを取り出し、エイミーの方に向けた。
「お、美味しいお花の飴! おすすめだから喜んでもらえるかなって」
「あら、嬉しいわ、ありがとう。……申し訳ないけどこちらに持ってきてもらえる? 贈り物は直接手に受け取りたいのだけど、あいにくと動けないから」
「もちろん!」
少し好感触と感じたブリジットは喜び勇んでベッドへと向かう。やはりこれは正解だった、過去の自分に感謝しつつ、差し出されたエイミーの右手に飴の瓶を乗せると同時に、ブリジットはベッドの向こう側で花と水、花瓶だったものと思われるかけらが散らばっているのが見えた。
「あれ、それ、どうし……」
言葉は続かなかった。ブリジットの手に鋭い痛みが走ったせいだ。
エイミーは瓶を受け取った方とは逆の手に散らばっているものと同じかけらを握っていて、それをブリジットの手の甲に深々と突き刺していた。
飴の瓶が毛布に転がり落ちる。どれだけ力強く刺したのか、ブリジットは呆然と掌から飛び出した切っ先を凝視していた。
「悪いわね」
かけらが引き抜かれると、そこからは赤い血が滴り
落ちなかった。
流れた血は毛布に落ちる前にひらりと宙に舞い散って消える。傷口も蔦のようなものが蠢き、瞬く間に癒えていく。エイミーの握っているかけらを濡らしていた血も消え、まるで何事もなかったと錯覚しそうなほど全て元通りだった。
被害者であるのはブリジットなのに、彼女の内心は「やってしまった」の洪水になっていた。例え予測の出来なかったことだとしても、見られてしまった。怒っているにしてもまさかこんなことをされるとは。飴も気に入らなかったのかもしれない、こんな家に住んでいる人とは価値観が違って更に怒らせたかもしれない。そういえば「ごめんなさい」とまだ一度も言っていなかったな、それかな。
体感では長く困惑し混乱していたが、実際には数秒しか経っていない。ブリジットはそろりと自分の手からエイミーの顔へと視線を向ける。
「うわ」
エイミーは引いていた。そちらから刺してきていたにも関わらず、まるで嫌なものを見せられたと言わんばかりに、顔を顰めてブリジットの手を見つめていた。
「なんで!」
さすがに抗議せずにはいられなかった。
「刺したのそっちなのに! なにその顔!」
「思ったより気持ち悪い……」
「ひどい……!」
本当に酷い言いようである。
「本当に治ってるの?」
エイミーはかけらを放り投げて、ブリジットの手の甲に触れながら問いかける。
「大丈夫……。というか、あの、本当に、そんなに怒ってるとは知らず、ごめんなさい」
「え?」
「勝手に家に来たこととかお見舞いの飴とか、あとごめんなさいって言ってなくて。それで怒らせてこんなことさせて……」
「なに考えてるか知らないけど、別にそんなの気にしてないわ。会うのが嫌なら門前払いしてる。むしろ謝るなら私の方なのよね」
エイミーの言葉にブリジットは首を傾げる。
「ずっと考えていたの。聖堂で確かにあなたは胸の辺り刺されてたのに何故無事なのか。私もあの時は冷静とは言い切れなかったから勘違いかとも思ったけど、あなたの服に穴が空いていたのを思い出して。それならやっぱり勘違いではなさそうだから、何か不可解なことが起きたのかって。確かめたくて、でもどうやって確かめようか考えていたの」
エイミーがちらりとベッドの向こうに散乱している花瓶だったものに目をやる。
「だから、あなたが勝手に家まで来てくれて助かったのよ。学園じゃ人の目とか気にしなければいけないけど、私の部屋なら気兼ねなく確かめられるから。本当によかった、私の勘違いじゃなくて。勘違いだったら私、あなたに大怪我させているところだったわ。驚かせて悪かったわね」
「こわい……」
事情を聞いてもよく理解できず、残ったのは恐怖しかない。刺された手を庇うようにそっと胸に抱いてブリジットは後ずさる。
「さてと。改めて聞きたいことがあるのだけど、まずそれって一体なんなの?」
「えーと……」
返答に困る。実のところブリジットだって知りたいところだ。
「ああ、あなただけがあれこれ秘密を教えろって言うのは不公平ね。私もそれなりに差し出しましょうか」
そういうとエイミーは襟元を寛げ始める。
ブリジットは「え、え」と困惑しつつとりあえず目を閉じた。
「ちゃんと見なさいよ見せてるんだから」
「あ、はい……」
ブリジットがそっと目を開くと、もう襟元どころか肩まで見えるほど脱いでいた。
再び目を閉じた。
「寒くないですか」
「寒くないから大丈夫。ここまで脱がないと見えないのよ、これ」
これ、と言われて恐る恐る目を開く。エイミーは自分の首と肩の間の辺りを指でとんとんと叩いている。覗き込むと、そこには黒い痣があった。見ようによっては何かの葉と蔦のような、少し不思議な形をしている。
最近、どこかで見たような。
「あまりピンときてない顔してるってことはあなたのはまた別のものなのね」
エイミーは何か確認するように呟く。
「これ、聖堂を襲った侵入者と同じものなの。細かいところでは少し違うけど、持ってる意味は同じ。あなた、ナシラトってわかる? 北の方にある国。この痣はナシラトに居る精霊の呪いなのよ」
呪い。確か"這う爪"ともエイミーはそんなことを話をしていた。
「これがあると何か悪いことが起きるの?」
「そうね。私はまだ兆候が出てきてないけれど、どうやら人それぞれ違った形で異変が起きて死ぬらしいのよね」
さらりと言われたことにブリジットはひどく戸惑う。
「どうにかできないの? 絶対に、絶対に死ん……じゃう……?」
「それがよくわからないのよ、私が調べられる範囲ではだけれど。ナシラトのことってあんまり良いものじゃないから、調べにくいしそもそも文献とか少ないし」
エイミーは寛げていた服を整えながら小さく息を吐く。
「これを見せて回って詳しく知ってる人に出会うなんて力技ができれば良いけど、そんなことしたら家ごと潰れるかもしれないから出来ないのよね」
「そんなに……?」
「……、聖堂で襲ってきた人もそうだけど、ナシラトって他の国に対して色々とやり過ぎてるのよ。精霊を攫ったりとか人を……殺したりだとか。ナシラトの名前聞く時って大体悪い話ばかりでしょ」
そう言われてブリジットが思い返してみると、確かにナシラトを耳にするときは物騒な話ばかりな気がした。
「昔の戦争のことで国同士の軋轢もひどいみたいだし、それに加えてそもそも精霊の『呪い』なんて驚くでしょ、精霊と人との関わりなんて基本的には共存か加護なんだから。呪われるなんて一体精霊に対して何をしたのかって思わない? ナシラト関係で呪われた人間、何もしなくても何か思われるのは当然なの。だから私の痣、家族以外じゃお医者様くらいしか知らないのよ? 学園にも別の理由で通しているし」
そこまで話してエイミーがくつくつと笑う。
「私、なんであなたにこんなに喋ってるのかしら。自分のことなのに、なんだかとても不思議」
チリリ、チリリ。
部屋の時計の鈴が鳴った。
「いけない、もうそんなに経ったの」
エイミーが焦った声でそう言った。
「悪いけど、今日はこれで終わり。そろそろ家族が帰ってきてしまうの。……会わせるのが、結構、その……」
彼女にしては歯切れの悪い話し方だ。それがかえって非常事態ということを強く示している。
「わかった、ちょっと待って」
ブリジットは鞄から手帳と万年筆を引っ張り出して、適当な頁にガリガリと走り書きで色々と記し、破ってエイミーに半ば押し付けるように渡す。
「これ、わたしの連絡先とか」
「ちょっと貸して、私のも渡すわ」
エイミーは手帳と万年筆を取り、破られた次の頁に書き記す。
「出口はわかる? 出て左に行って、右側の両開き。似てるけど反対に左側の扉は中庭に行くから気をつけて」
「わかった、それじゃ!」
鞄を持って足早に部屋から出て行こうとするブリジットの背中に、エイミーは言葉をかける。
「飴ありがとう、嬉しかったわ」
ブリジットが振り向くと、エイミーは毛布に落とされていた瓶を持って笑顔で見送っていた。
「また」
「うん、またね」
部屋を出てブリジットは足早に廊下を進んでいく。両側に現れた両開きの扉「えーと右の!」としっかり指差して飛び出していく。来た時は見とれた石畳も庭園も、一目もせずに門から出た。これでよしと息を吐き、地図を取り出して来た道を戻っていると、向こうから一台の獣車が走ってきた。立派な装飾の荷台に乗った人物がちらと見える。
明るくて透き通った金色の髪、快晴の空を閉じ込めたような澄んだ青の瞳。
なんとなく、今の人がエイミーの家族だろうかと感じてそっと振り向けば、いつの間にかかなり離れたエイミーの家の前でその獣車が止まった。当たったことのちょっとした満足感と、その一瞬遅れてやってきた関わってはだめなんだという焦りで冷や汗をかきながらブリジットは歩く速さを上げた。
続




