第一章6 「霧が晴れる」
霧が晴れ、地面に倒れている山賊たちの姿が見えてきた。
ついさっきまで自分に暴力を振るっていた男たちが、今は無防備に転がっている。
僕は、何一つできなかったのに。
「大丈夫かい?」
優しい声が、すぐそばから聞こえた。
あの時、冷たく凄みを帯びていたあの人――団長が、今は膝をつき、僕の顔を覗き込んでいる。
「巻き込んでしまって、申し訳ないね」
その声は、深く静かで、どこかあたたかかった。
「……あ、ありが……とう……ございます……」
うまく言葉が出なかった。けれど、それだけはどうしても伝えたくて。
かすれた声で、ようやくそう言った。
ふと目をやると、少女がうずくまっていた。腹を抱え、小さく震えている。
「……あの子、大丈夫ですか……?」
問いかけると、団長はそっと頷いた。
「生きてるよ。意識も、じきに戻るだろう。しっかりした子だ」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。
「もう安心だ。安全なところまで君を届けよう」
そう言って、団長は僕の上体をそっと起こした。
その手のぬくもりに、何かが堰を切ったようにあふれ出す。
震えが止まらない。僕は、みっともなく泣いた。嗚咽交じりに。
生きている――それだけで、今は十分すぎるほど幸せだった。
* * * * *
馬車はゆっくりと森を抜け、ぬかるんだ道を進んでいた。灰の匂いが、まだ鼻に残っている。
死体はすべて焼かれた。――僕は、黙ってその火を見ていた。火葬を行ったのは、同い年くらいの少年だった。手際よく、黙々と、淡々と。
僕の心は、まだざわついていたが、ようやく呼吸が落ち着いてきた頃、団長がそっと口を開いた。
「落ち着いたかい?」
頷くと、彼は穏やかな声で続けた。
「改めて名乗ろう。俺の名は、ダリオン・ヴェルトナー。この国の第二騎士団の団長をやってる。怪しいもんじゃないから、安心してくれ」
目の前にいるのが、山賊たちを恐れさせた“騎士団長”。
優しい声をかけてくれるけど――この人は、本当にすごい人なんだ。
そう思うと、自然と体が強ばった。
「で、あっちの御者台に座ってるのが、俺の連れのアッシェル・フェルステッド」
促されるまま視線を向けると、御者台の少年がこちらをちらと振り返った。綺麗な顔立ち。けれど、どこか冷たくて、鋭い。
「ど、どうも……」
思わず声をかけると、彼は目を細め、ふん、と鼻を鳴らして前を向いた。
「少々気難しいやつだが、悪い奴じゃないから」
ダリオン団長は苦笑まじりに言った。
「じゃあ次は……君の番だな」
ダリオン団長の視線が、馬車の隅に膝を抱えている少女に向けられる。
「……名前、聞いてもいいかな?」
少女は、顔を上げず、小さな声で答えた。
「ミーリャ、です」
「ミーリャ。いい名前だ」
今度は僕に目を向けた団長が、優しく問いかける。
「君の名前も、聞いていいかな?」
一瞬、答えに迷った。
「久遠蓮也」――この世界の人たちとは少し違う響きの名前だ。下手に本名を名乗って、何か詮索されるのは避けたかった。
だから僕は、よく呼ばれていた愛称を口にした。
「……レン、です」
「そうか。よろしくな、レン」
その声には、信頼があった。まっすぐなまなざしに、どこか胸が温かくなった。
「今回は、危険な目に遭わせてしまって申し訳ないな」
「そんな……団長さんが謝ることじゃないです」
僕は、慌てて言った。けれど、ダリオン団長は首を振る。
「それが、あるんだよ」
少し表情を引き締めて、彼は語り出した。
「実は、ここ最近、このあたりで山賊の被害が相次いでいる。ただ、やっかいなことに――目撃者が誰一人として生き残っていない。だから、しっぽをつかむことすらできなかった」
淡々とした言葉に、冷たい現実がのしかかってくる。
「そこで、山賊をとらえるために、餌を用意することにした」
その言葉を聞いた瞬間、背筋に寒気が走る。
「……まさか」
僕の声がかすれる。団長は静かに頷いた。
「そう。この馬車が、その餌さ」
「…………」
「商会から馬車を借りて、人を用意した。俺たち二人は目立たない格好に変装して、馬車の近くで控えていた。奴らには、護衛がたった一人の商会の馬車が、さぞ美味しそうな餌に見えたことだろう。毒入りとは知らずにな。」
僕は苦笑した。
「はは……じゃあ僕も山賊も同じだ。間抜けにも騙されてしまった。毒入りとは知らずに」
胸の奥に残っていた小さな誇りが、静かに崩れていく音がした。
震える手、喉の渇き、あの時必死に振り絞った勇気――
その全て、無駄だったのかもしれない。
そう思うと、どこか可笑しくなって、自然と口元が歪んだ。
そんな僕の声に、ダリオン団長はゆっくりと首を振った。
「君は間抜けなんかじゃない」
はっきりとした口調だった。
「本当は彼女――ミーリャの叫び声を合図に、すぐに駆けつける予定だった。
だけど、山賊の伏兵がいてね。……少し時間を取られてしまった」
ダリオン団長の視線が、ミーリャに向く。
「でも君が時間を稼いでくれたおかげで、山賊を捕らえられた。ミーリャも、無事だった」
僕もミーリャの方を見た。目が合った――が、すぐに彼女はそらしてしまった。
「これは君の戦果だ。感謝するよ」
その言葉に、胸の奥がぐっと熱くなるのを感じた。
騎士団の団長――そんなすごい人が、自分に感謝してくれている。褒めてくれている。
僕は、少しだけ前を向けた気がした。
土日に数話ずつ更新していく予定です。
スローペースになるかもしれませんが、どうぞ温かく見守っていただければ幸いです。