表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

脳筋父達が脳筋と婚約させようとするが断固拒否します〜妖精さんにお願いしたら、なぜか父達が〇〇になりました!?〜

作者: 雅せんす

「お前のことを愛することはない!」


 豪華なシャンデリアが輝き、宮廷楽団の美しい音楽が奏でられ、華やかな装いの貴族達が踊り、社交に勤しむ王城の夜会の最中、場違いな野太い大声が響いた。

 途端に音楽が止まり、会話が消え、シンと静まった。


 その中心にいるのは、これみよがしな筋肉に覆われた、派手な金髪にくどい顔つきのモンデスハム・モルツ侯爵令息。そして、淡い水色の髪に儚げな容姿のアメリア・ウォルダー辺境伯令嬢だった。

 そして、みんな小首を傾げた。


(なんかセリフが違くない?)


 普通、こういう夜会で言うセリフは、婚約破棄系ではなかろうか?


   ◆


 ――時はひと月ほど前に遡る。

 

「アメリア! お前の婿となる婚約者を決めたぞ」

 体も大きいが、声もでかいアメリアの父、ドッドル・ウォルダー辺境伯が上機嫌で言った。


 アメリアは、柔らかな菫色の瞳に、淡い水色の真っ直ぐな髪の、亡くなった母によく似た、華奢で儚げな容姿の十六歳だった。

 結婚適齢期で、父のその言葉は何らおかしくはない。辺境伯家は、娘を嫁に出すのではなく婿取りをするのが普通だった。


「よかったな! アメリア」

 その両脇には、これまた父によく似たアメリアの三人の兄、ガッドル、ギッドル、グッドルが同じようにガハガハと笑っていた。


 白銀の髪を短く刈り上げ、くっきり太い眉、鋭い目は辛うじてアメリアと血の繋がりを感じる菫色の瞳、貴族というよりは盗賊か傭兵では? と尋ねたくなるような彼らは、この国でも右に出る者がいないくらい強かった。


 しかし残念なことに、彼らの右に出る者がいないくらいお馬鹿さんだった……。アメリアは、彼らの脳には筋肉が詰まっていると確信していた。

 そんな彼らが決めた婚約者なんて恐ろしすぎる。

 何より自分には将来を誓った人がいた。


(嗚呼、お母様。どうして亡くなってしまったの……)

 この四人を止められるのは、アメリアの亡くなった母しかいなかった。


「私は、カティス様と結婚したいとお願いしたはずです」

 カティスは、優秀な文官の家系、ガークイ伯爵家の次男でアメリアの恋人だった。


「駄目だ! 駄目だ! あんなもやし!」

「「「そうだ! そうだ!」」」

 それは、この筋肉でできた父と兄達から見たら頼りなく見えるだろう。でも、アメリアにとっては誰よりも頼もしい男性だった。

 アメリアは、全く聞く耳を持たない彼らに諦めのため息を吐いた。


「ちなみに婚約者はどなたですか?」

「ん? モ何とかという長たらしい名前の奴だ」

「全くわかりません」

 大雑把にも程がある……。


「父上、確か最後の文字はムではなかったですか?」

「確かどっかの侯爵家の次男でしたよね」

「髪の色が紫じゃなかったですか?」


 一体なぜ、自分の娘(妹)の婚約者にしようとしている者の名前を覚えていないのだろう。これではまるでクイズのようだ……。

 しかし、そのヒントでやっとわかった。


「モンデスハム・モルツ様ではありませんか?」

 アメリアよりひと回り上の年齢だが、貴族の結婚なら許容範囲で問題ない。

 そう、貴族の結婚という点では問題はないが、モンデスハム本人には問題があった。そりゃ、その年まで侯爵令息が結婚できないなんて、やはり問題があるのだ。


「おお! そうだ! そんな名前だ。いい筋肉の男だぞ」

 モンデスハムは、確か体もがっしりとした筋肉の男性だった。

 きっと父と兄達のすぐ左側に位置する強さだろう。


 しかし、悲しいかな……。そのお馬鹿っぷりも、父と兄のすぐ左側、もしくは並ぶ位置にいた。いや、もしかしたら、右側かもしれない。


(お母様、最悪です……)

 アメリアは遠い目をした。


 そして、密かにある決意を固めた。


   ◆


「ご機嫌よう。ウォルダー様」

 王城の庭園でのお茶会に招かれたアメリアは、燃えるような赤髪の縦ロールに勝気そうなルビーの瞳の、女王の如き微笑みを浮かべた美貌の王太子妃に声をかけられた。


「王太子妃殿下……」

 アメリアは、すぐさまカーテシーを執った。


「まあ、そんな堅苦しくなさらないで。どうぞ、私のことはオリビアとお呼びになって」

「はい、オリビア様。では、私のこともアメリアとお呼びください」


 少し離れた場所では、王妃を中心に令嬢方がアハハオホホと楽しそうだ。

 しかし、アメリアはわざとその輪から離れて青い花の咲き乱れた一画にいた。


「アメリア様にブーケは必要かしら?」

 オリビアが、扇子で口元を隠しそっとアメリアに問うた。


「はい。青い花のブーケを……」

 アメリアはドキドキしながら、はっきりと秘密の暗号を答えた。

 オリビアは扇子を閉じると、その紅い唇をゆったりと微笑ませた。


 貴族の間では、ひっそりと流れる噂があった。

 本当に困った時には、青い花の咲く場所で青い花のブーケを欲せよと……。そして、〝幸運のブーケ〟に願うべしと。

 そして、そのブーケまで導くことができるのは、未来の王妃、オリビアただ一人だった。


   ◆


「シャーリー、ごめんなさいね」

「いえ……」


 アメリアの前には、簡素なドレス姿ながら、星の粒子を纏うような艶やかなブルネットの髪に、極上のブルーサファイアの大きな瞳、薔薇の花弁のような唇の、美しい容姿の女性が遠い目をして諦めたような笑いを浮かべていた。


 アメリアはお茶会の後、そのままオリビアに馬車に乗せられて、王都から離れた、のどかな風景がどこまでも広がるどこかの、森の中の可愛らしいお店に連れて来られていた。


 そのお店の看板には

 

 〝シャーリーのブーケ屋さん〟

 

 と、これまた可愛らしい字で看板に描かれていた。


「オリー……。いつもながら、突然にやって来ますね?」

 その愛らしい女性が、未来の王妃であるオリビアを気やすげに愛称で呼んだ。


「ウフフ……。シャーリーと天使達に会いたくて急いで来てしまいましたわ。で? リアとエルはどこかしら?」

 オリビアもまた、目の前の美しい女性を親しげに呼んだ。

 それにしても、天使とかリアとかエルとか、それは一体何なのか? そして、目の前の美しい女性は何者なのだろうか?


「あの……?」

 アメリアは、わからないことだらけで目をひたすらパチクリさせた。


「ああ、アメリア様。紹介いたしますわね。こちらは、カツァーヌ公爵夫人ですわ」

「シャルロッテ・カツァーヌです。どうぞシャルロッテと呼んでください」

 美しい女性……シャルロッテが、人懐こくニコリと微笑み自己紹介をした。

 アメリアは、ヒュッと息をのんだ。


(この方が幻の!?)

 カツァーヌ公爵家は、先代のエリーゼ以外は滅多に社交に出ない幻のご夫婦だ。

 カツァーヌ公爵とその妻、シャルロッテの美しさは、貴族の間でも、そのロマンチックな馴れ初めと共によく話題にのぼっていた。


「お、お初にお目にかかります。ウォルダー辺境伯が娘、アメリアと申します。どうぞアメリアとお呼びください」

 アメリアは慌ててカーテシーを執った。


「はい、アメリア様。ここでは気楽にしてくださいね」

 そう言うと、シャルロッテは二階のプライベートスペースの応接室に案内した。


 公爵家の夫人が住むには狭く感じるそこは、それでも、よく見ると品よく質のよいソファやテーブル、絵画が飾られていた。

 アメリアは促されてソファに座ると、シャルロッテが紅茶を淹れた。


「ありがとうございます」

 アメリアは緊張しながら紅茶を受け取った。

「ねえ、リアとエルはどこですの?」

「リアとエルは、お義母様とルイがお散歩に連れて行ってます。多分、そろそろ帰って来ると思いますよ」

 シャルロッテがそう言ったちょうどその時、下から声がして、階段を上がる足音がした。


 バタンと勢いよくドアが開くと共に、ミルクティー色の緩やかなウェーブの髪に、月の光のような金の瞳、スッと通った鼻筋、形よい唇の、神様が細心の注意をはらいながら丁寧に配置したような、神秘的な美貌の男性が甘やかに微笑みながら、シャルロッテを抱きしめた。


「シャーリー、ただいま。愛している」

「ちょっと、ルイ! お客様の前だから!」

 シャルロッテが、とんでもない美貌の男性に抱きしめられながらあたふたと慌てた。


「んだっ、だぁ!」

 そして、二人の間から可愛らしい声がした。

「ほら。エルもダメだよって」

 シャルロッテが優しく窘めると、渋々その男性が体を離した。


「おかえりなさい。ルイ」

 シャルロッテがニコリと笑って言うと、ルイと呼ばれた男性はブンブンと振っている尻尾が見えそうなくらい満面の笑みになった。


「エルもおかえり」

「だぁ」

 エルと呼ばれた赤ちゃんの姿が見えて、アメリアは目を丸くした。


(天使!?)

 柔らかそうな巻き毛のミルクティー色の髪に、瞬きしたら音がしそうなくらい長いまつ毛、澄んだ青いぱちりとした瞳の、赤ちゃんでも目鼻立ちがはっきりしているのがわかる超絶可愛らしい天使がニパァッと笑った。


「ああ、エル! なんて可愛いの!」

 オリビアが堪らないと言った様子で身悶えした。

「アメリア様、騒がしくしてごめんなさい。夫のルイヤヴィスト・カツァーヌと息子のラファエルです」

「お、お邪魔しております。ウォルダー辺境伯が娘、アメリアと申します」

 アメリアは慌てて立ち上がり、カーテシーを執った。


 カツァーヌ公爵は、先程までの甘やかな顔ではなく、人形のようにスンと表情を消してアメリアを見た。

 その腕に抱かれたラファエルは、キョトンと見知らぬアメリアを見つめていた。

 その時、新たな足音がしてバンとドアが開いた。


「もう! ルイ! シャーリーに会いたいのはわかるけど、母の私と娘のリアたんを置いて行くなんて」

 プリプリとした様子で応接室に入って来たのは、これまたカツァーヌ公爵の容姿とよく似た美しい女性だった。

 〝母の私〟ということは、カツァーヌ公爵のお母上だろう。そして、その腕にはラファエルとそっくりな可愛らしい天使が抱かれていた。


「あら?」

 アメリアの存在に気づくと、途端に美しい女性は高位貴族の表情を作った。

「アメリア様。義母のエリーゼ・カツァーヌと、ラファエルの双子の妹のラフィーリアです」

「ウォルダー辺境伯が娘、アメリアと申します」

 アメリアは再度、カーテシーを執った。

 エリーゼは、鷹揚に頷いた。


「で? オリビア様? アメリア様をここに連れて来たということは、そういうことかしら?」

 デレデレと相好を崩していたオリビアは、スッと表情を引き締め、品よく微笑んだ。


「はい。妖精の魔法をお願いしに参りました」

「そう。では、リアとエルは私が相手をしていますね。さあ、エルたん。いらっしゃい」

 そう言うと、エリーゼは双子を抱いて応接室から出て行った。

 

「あの……妖精とはどういうことでしょうか?」

 アメリアがわけがわからず尋ねた。

「何か願いがあってここに来たのだろう?」

 まるで真実を見通すような金の瞳で、カツァーヌ公爵が感情のこもらない声で言った。


「いいですか? アメリア様。これから話すことは誰にも話してはなりませんよ」

 オリビアが、真剣な顔で言った。

「もちろんです。亡き母に誓います」

 アメリアも真剣な眼差しで頷いた。

 オリビアがシャルロッテを見て頷いた。


「アメリア様。〝幸運のブーケ〟とは、妖精の魔法なのです。人が願い、その願いを妖精が叶えたいと思い、わたしがその願いを妖精にブーケをかざしてお願いすることにより叶えられるのです」

 アメリアは、驚きに目を見開いた。


「すごいです。シャルロッテ様は妖精と会話ができるのですね!」

 辺境伯家にも妖精の存在を聞いたことはあるが、御伽話だと思っていた。


「えっと……わたしは妖精の姿が見えるだけなんです」

 シャルロッテは肩身が狭そうに言うが、それだけでも充分すごいと思った。ただ、疑問が残った。


「いえいえ、妖精が見えるだけでもすごいです。でも、それではどうやって妖精が願っているってわかるのですか?」

「僕は妖精のおしゃべりが聞こえる」

 カツァーヌ公爵がぼそりと答えた。


「では、カツァーヌ公爵が妖精と会話ができるのですね」

「えっと……。ルイも妖精のおしゃべりが聞こえるだけです」

 なるほど。シャルロッテは妖精が見えるだけ、カツァーヌ公爵は妖精のおしゃべりが聞こえるだけのようだ。

 それでも、充分すごい。


「あの! どうか、私の願いを叶えてください! 実は――」

 アメリアは藁にも縋る気持ちで、好きな人がいるのに、無理矢理別の人と婚約させられそうなことを話した。そして、アメリアを囲む脳筋事情も伝えた。


「それは、大変な状況ですね……」

 シャルロッテが心底気の毒そうに言った。

「はい……もうこれ以上脳筋が増えてしまっては、辺境が野生の領地になってしまいます」


 辺境伯領は、総じて脳筋率が高い。そのトップが脳筋しかいなくなっては、本当にまずい。

 アメリアの母のリリーが生きていた頃は、彼女が抑止力となっていた。しかし、まだアメリア一人では荷が重いのだ。


「王家としても、軍の要であるウォルダー辺境伯家があまりに野生に生きられては困りますわ。ぜひ、アメリア様には本能で生きる方ではなく、理性的な方を婿に取っていただければと思っております。それでいうと、優秀な文官の家系のガークイ伯爵家の次男のカティス様は、理想的な縁組なのですが……。ウォルダー辺境伯は、筋肉命の方ですから、なかなか難しいようですね」

 シャルロッテは、「うわぁ〜」と小さく呟いた。


「わかりました。ルイ、妖精さんはどう?」

「うん。妖精は、『あの辺境の筋肉ヤバくない!?』『マジヤバい』『この前、岩を素手で割ってた』『もう人間じゃなくね?』『マジウケる』『あ、ねえねえ、筋肉の娘と丸メガネくん、くっついたらおもしろくね!?』『筋肉、絶対オモロ〜』『ゲラゲラ』と言っている。辺境の筋肉とは、お父上のことか」


 アメリアは、妖精の話し方が想像と違う? と思いつつも、数日前にドッドルがこの岩が邪魔だとか言って素手で割ったのを思い出した。


「はい……間違いなく父です」

 人間で岩を素手で割るなんて奴は、父の他にいるだろうか……。

(あ、お兄様達もできそう?)

 ふと思ったが、どちらにしても妖精が話す辺境の筋肉はアメリアの家族に違いない。


「えっと……ワイルドですね……?」

 シャルロッテがフォローの言葉を入れてくれた。

 なんて、優しい人だろう……。

 アメリアは、心の中でほろりと涙した。


「コホン。大丈夫でしたら、早速お願いできますか?」

 オリビアが言うと、シャルロッテが気まずそうにアメリアを見た。


「その前に、妖精の魔法は思いもよらない作用が起こることがあります。例えば、わたしは妖精の魔法で二十一年間十四歳の姿のままでした」

「そういえば、私も王太子殿下と入れ替わりましたわね」

 オリビアがいい思い出だとばかりに微笑んだ。


「大丈夫です!」

 どちらもなかなかな体験談だが、アメリアは食い気味に返事した。それくらい些事だ。

 これ以上、辺境に脳筋が増える方が恐怖だ。


「わかりました。では、妖精さんにお願いしてみますね」

 そう言って、シャルロッテはブーケを持って来ると、何もない頭上にそれを掲げた。


「アメリア様とカティス様が結婚できますように」

 すると驚いたことに、ブーケがチカリと幻想的なオーロラ色に光った。


「これで願いは叶うと思いますが……」

 シャルロッテは、心配そうに「……大丈夫かな?」と小さく呟いた。


    ◆


 ――そうして……シャルロッテの心配はばっちり当たった。

 

 数日後、アメリアは〝シャーリーのブーケ屋さん〟を訪れた。

「すみません……。ご心配が当たったようで、父と兄達が行方不明でして……。何かご存知でしょうか……」

 アメリアが申し訳なさそうに尋ねた。

 シャルロッテが、あちゃ〜という顔をした。


「ごめんなさい……。辺境伯達がどうして行方不明なのかは、わたしにはわからなくて……。カティス様と結婚できますようにという願いが叶えば大丈夫なはずです……多分。どうか、気持ちをしっかりお持ちください」


 励ますように言ってくれたシャルロッテには申し訳ないが、アメリアはあまり心配はしていなかった。

 あの父と兄達がどうこうなることはまずないという自信があった。


「ありがとうございます。でもきっとこれは、父達がいない間にやっちまいなということなんだと思います」

 アメリアは深く納得していた。

 父達がいたら、間違いなく婚約に向けて突っ走っていただろう。


 しかし、父達がいない今、その全権をアメリアが握った。辺境伯領では、当主やその息子達が領地にいない場合は残っている当主の嫁、もしくはその娘に全権が渡る。

 まさに今、モンデスハムとの婚約を撤回、カティスとの婚約を結ぶ千載一遇のチャンスだった。


(ありがとうございます! 妖精さん)


「えっと……? そうなのかな?」

「はい! 間違いありません。私、今この隙に願いを叶えます」

 しきりにシャルロッテは首を傾げていたが、アメリアの瞳は希望に燃えていた。


   ◆


「カティス様。突然お邪魔して申し訳ありません」

「いいえ。アメリアがこんな突然来るなんて、何か急ぎのことがあったのでしょう?」


 オレンジがかった髪を後ろでちょこんと一つにしばり、丸い眼鏡をかけた奥には淡く茶色のつぶらな瞳、微かにそばかすが散った、優しげな顔立ちのカティスがニコニコとアメリアを迎えてくれた。


 カティスは、決して美しい容姿ではなく平凡な顔立ちだ。体つきも華奢だし、背も低い。

 でもアメリアは、穏やかで思慮深く、時に鋭い意見もくれるカティスのことが大好きだった。


「まずこの書類を見てほしいのです」

 アメリアは書類を渡した。それは、アメリアとモンデスハムとの婚約に関する書類だった。


 カティスは、鋭い目つきになった。眼鏡が光を反射してピカリと光る。

 カティスは、その書類をはじからはじまで読むと、その優しげな顔を険しくした。


「これ、とんでもない内容ですね」

「はい」

 その婚約の書類には、モルツ侯爵家に有利な条件ばかりが並び、極めつけには、なぜかモルツ侯爵家の借金の連帯保証人にまでなっていた。


「この婚約の書類を破棄することはできませんか? 私は自分でサインしていないんです」

 アメリアのサインはドッドルが勝手にしていた。だが、そういった事例は結構高位貴族には多く、暗黙の了解で認められてしまっていた。


「大丈夫です。そもそも、この書類は無効ですよ?」

 カティス様が、クスクスと笑いながら言った。

「え? どういうことですか?」

「だってこれ――」


 アメリアは、唖然としてカティスの指摘を聞くと脱力した。

 脳筋共よ……と、乾いた笑いが出た。


「よかった……。カティス様、今父達がいないので私が全権を握っているんです。この隙に、私と婚約してくださいませんか?」

 アメリアは、用意してきた婚約の書類をカティスに差し出した。しかし、カティスは受け取ってくれなかった。


「ありがとうございます。私もすぐにでも、アメリアと婚約したいです。でも、ちゃんとお父上達に認められたうえで婚約したいです」

「カティス様……」


 筋肉命のガッドル達に認められるのは簡単だ。筋肉をつければいい。

 しかし、アメリアはそんなカティスは見たくない。そのままのカティス様がいいのだ。


「アメリア。認めてもらえるようにがんばります」

「カティス様……」

 その気負わず、自然体のカティスの姿にアメリアは改めて惚れ直した。


 アメリアがカティスにキュッと抱きつくと、優しく頭を撫でられた。

(くぅっ! この包容力……)


「カティス様、大好きです」

「うん。私もアメリアが大好きです」

 アメリアが、ひとしきり甘えていると、カティスはそうだというように体を離した。


「アメリア。最近迷い犬を四匹保護したんです。見に行きますか?」

「まあ、子犬?」


 アメリアの頭には、コロコロとした愛らしい子犬の姿が浮かんだ。

「子犬ではないけど、可愛いですよ」

「ぜひ見てみたいです」




 そうして庭に出たアメリアは、その四頭の犬を見た瞬間、崩れ落ちた。

「あれ? アメリア?」

「ホホ……すみません。ちょっとつまずいたようで」

 アメリアは、誤魔化しながら立ち上がり、目の前の四匹の犬を見た。


 白銀の毛に目つきの悪い、アメリアと同じ菫色の瞳……。

 どことなくどこかの誰か達の面影が……?

 そして、その体つき……。筋肉ムキムキだ。決して愛らしい風貌ではない。熊も倒してしまいそうだ。


 どうしよう……どう見てもどこかの誰か達と姿が重なる。

 四匹の犬が、アメリアを見てブンブンと尻尾を振った。

 ガハハと言う幻聴まで聞こえてきそうだ。


「アメリアのことが好きみたいですね。ドンとガンとギンとグンという名前をつけました」

 名前までなんとなく似ている。

 四匹の犬が、気づいてとばかりにアメリアにじゃれついた。


「お父様……。お兄様達……」

 小さくアメリアが呟くと、四匹がワフワフと嬉しげに鳴いた。

(嗚呼、間違いなくお父様達ですね……)

 残念臭までそのままに、アメリアの家族は犬の姿でそこにいた……。

 

「こら! アメリアのドレスが汚れるだろう」

 カティスが制止するも、四匹は全く聞く耳を持たない。

 ますますその姿は残念過ぎた。

(うぅ……。私の家族が申し訳ありません……)

 カティスは、スンと表情を消した。


「カム」

 カティスが短く声をかけた。

 驚いたことに、四匹はパッとカティスの元に戻る。

「グッド」

 四匹がブンブンと尻尾を振っている。


「シット」

 バッと揃ってお座りした。

 その目はカティスから離れない。

「ダウン」

 そのまま伏せた。

「グッド」

 カティスが四匹の首元をワシワシと撫でると、四匹は誇らしげに尻尾を振った。


(素晴らしく躾られていますね……)

 ドヤ顔でこちらを見る四匹に、アメリアは乾いた笑いが漏れた。


   ◆


「え? 犬……?」

 ラファエルを抱いたシャルロッテが、アメリアの話を聞いて目をパチクリとさせた。


 隣に座るカツァーヌ公爵は、興味無さそうな顔でその話を聞いているが、腕に抱いたラフィーリアがニパッと笑うたびに後光が差しそうな美しい笑顔でふわりと微笑んでいた。


「ご心配おかけしましたが、元気そうでした」

 本当にドッドル達は生き生きしていた。

 何回か様子を見に行っているが、昨日はカティスにお腹を出して撫でてもらっていた。


 もちろん、約束通りカティスにも妖精の話は言ってないので、彼はまさか自分がアメリアの父と兄達のお腹を撫でているなんて思いもしないだろう……。


「それで、アメリア様はどうなさるんですか?」

「はい。多分、あそこまで懐いているので、もうカティス様との婚約を拒まれることはないと思います。今度催される狩猟大会に、カティス様は犬のお父様達と出る予定だそうなので、それが終わったら、お父様に婚約の了承をいただこうと思います」


 カティスが、せっかく狩猟大会に向けて犬になったドッドル達を訓練しているのだ。

 しかも、ドッドル達もとても楽しそうだった。


「ウォルダー辺境伯達は、早く人間に戻りたいのではないですか?」

 いや、どちらかというとこのまま犬でいたいと言いそうだ。

 苦手な社交やら書類仕事から解放されて、実に晴々とした表情をしていた。


 しかも、カティスから「お利口だね!」「賢いね」なんて、人間の時には言われたことのない言葉で褒められ、尻尾がちぎれそうなくらいブンブンしてたし……。


「大丈夫です」

 アメリアは、力無く微笑んだ。


   ◆


 そうして迎えた狩猟大会――。


 狩猟大会の場所は、鬱蒼と木々が茂る王都から少し離れたモルツ侯爵の領地の森だった。森の中の少し開けた場所には、いくつかの天幕が張られ、中はお茶会の会場のように準備がされており、見学に来た夫人達や令嬢達がゆったりとお茶やお菓子を楽しんだり、おしゃべりをしていた。


 アメリアは、オリビアやシャルロッテと共にいた。

 シャルロッテは、アメリアを心配してラファエルとラフィーリアをエリーゼに預けて、カツァーヌ公爵と共に狩猟大会に参加してくれたのだ。


「私のために申し訳ありません」

「いえいえ。事情を知っている人がそばにいた方が、アメリア様も安心でしょう」

 シャルロッテがニコニコと言った。


「シャーリーは、カツァーヌ公爵の狩りをする姿を見たくて参加したのではなくて?」

 オリビアが、クスクスと笑いながらからかった。


「うっ……。オリー、鋭いですね。それもあります。だって、こんな機会でもなければ、ルイが馬に乗って駆ける凛々しい姿を見られないじゃないですか! きっと、王子様のように素敵だと思います」


 カツァーヌ公爵は、馬上からシャルロッテと目が合うと蕩けるように微笑んだ。バックに花々の幻影が見えた。

 確かに王子様だった。


 シャルロッテは、少女のようにほわりと顔を赤らめると、熱のこもったため息を吐いた。

 途端に、チラチラとシャルロッテを見ていた令息達が顔を赤くしてざわめいた。


「本物の王子も参加してますわよ?」

 そう言うオリビアは、夫である王太子に目をやった。

「王子様ではあるのですが、ちょっと違います……」

 筋肉隆々で体格のよい王太子は、本物の王子様なのだが辺境伯領の騎士寄りだった。


「いい胸毛ですわよ」

「いや、本当にオリーの趣味が謎すぎます……」

 オリビアが軽やかに笑った。


「アメリア。来てくれたんですね」

 カティスが、嬉しそうに声をかけた。

 その両脇には、早く早くとばかりに気が急いている様子の四匹のごつい犬が、ブンブンと尻尾を振っていた。


(お父様達、絶好調ですね……)

 シャルロッテ達の、え? 本当にお父様達? 本物の犬じゃなくて? という視線が辛い。


「カティス様。応援してます」

 カティスが、はにかんで微笑んだ。

(はうっ! 可愛いです! 大好きです)


「おい。そんな貧弱な体で狩猟大会に出るのか?」

 その時、馬鹿にしたような野太い声がかけられた。


「俺は、アメリアの婚約者、モンデスハム・モルツだ。お前はアメリアの恋人らしいが、さっさと諦めるんだな」

 眩しい金の髪に、整った顔立ちから三十度ほどずれたようなくどい顔立ちの、無駄に筋肉量が多いモンデスハムは、偉そうに踏ん反り返っていた。

 ちなみに、そばにいるアメリアのことは完全に無視だ。


「アメリアのことは渡しません」

「ふん! お前のようなもやしより、俺を選ぶに決まっている」

 そのまま、高らかに笑いながら行ってしまった……?


「あの……、どうしてアメリア様に声をかけなかったのでしょうか?」

 シャルロッテが、心底不思議そうに小首を傾げた。


「婚約者なのですわよね?」

 オリビアも、眉を顰めて腑に落ちないといった顔をした。


「あ、それなのですが、実は――」

 アメリアがまずは婚約について話すと、シャルロッテとオリビアは一瞬呆気にとられた顔をしたあと、堪えきれないように吹き出した。

 カティスも苦笑いをしている。

 その脇で四匹の犬達は、パカリと口を開けてガーン! といった表情をした。


「それと、多分モルツ侯爵令息は私に気づかなかったのだと思います」

 アメリアは、ドッドル達も名前と顔を覚えるのが苦手なことを思い出す。さすがは彼らと並ぶ脳筋だ。


「あらまあ……」

 オリビアは心底呆れたような声を漏らした。未来の王妃に呆れられてしまった彼の未来は何色だろうか……。




 その後は、何事もなく狩猟大会が進んだ。

 シャルロッテは、オペラグラスを覗いてはカツァーヌ公爵の姿に感嘆のため息を漏らしていた。


「はぁ……格好いいがすぎる」

 オリビアは、特に王太子を見ることはなく、天幕の中で社交に勤しんでいた。


 アメリアも、オペラグラスを覗いてカティスを見ると、四匹の犬達が大きな猪を仕留めているところだった。

(嗚呼、お父様達がどんどん野生に返っていきますわ……)


 しかし、異変は突如としておきた。

 天幕から少し離れた場所で、耳をつんざくような何か獣の咆哮が聞こえた。


 天幕の中は、女性達の悲鳴で蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

 アメリアは、すぐさま鉄扇を取り出し、オリビアを守るように立ちはだかった。

 いちおう、アメリアも辺境伯家の人間なので鉄扇は嗜みとして常備している。


「オリビア様、大丈夫ですか?」

「ええ」

 そのそばには、震えながらもオリビアを守るように立つシャルロッテがいた。


「アメリア・ウォルダーに、この場の指揮を命じます」

 オリビアがよく響く声で宣言した。

「はっ」

 アメリアは、パンと手のひらを鉄扇で打ち鳴らした。

 パニックになった天幕が、一瞬静かになる。


「みなさま、大丈夫です! さあ、ゆっくり息を吸って、吐いて。そう、大丈夫です。そのまま、もう一度、息を吸って、吐いて……そう、そのまま続ければ絶対助かります。大丈夫です!」


 その瞬間を逃さないように、アメリアは声を張り上げ、ゆっくりと深呼吸をさせた。

 何度か繰り返すうちに、天幕の中は落ち着きを取り戻す。

 その後も貴族夫人達と貴族令嬢達は、助かりたい一心でスーハーと何度も深呼吸を繰り返した。


「御夫人方、御令嬢方はこちらの天幕に集まってください。大丈夫です。はい。こちらに来たら目をつぶってゆっくり深呼吸を数えてください」

 再びパニックにならないように指示を出した。

 スーハースーハーと深呼吸音が天幕の中で揃う。


「騎士は、一一三の方向警戒! そのまま、包囲防衛! 構え!」

 騎士達がアメリアの命令に従って、天幕を守るようにぐるりと囲む。しかし、遅い。ウォルダー辺境伯領の騎士達の練度と比べると雲泥の差だ。

 確か、モルツ侯爵の私兵だったか。

 アメリアは、天幕の外に出て騎士の前に出ると、鉄扇をもう一つ構える。


「大丈夫かー!?」

 その大きな声に振り向くと、モンデスハムが剣を手にハアハアと走って来て、アメリアの前に立ちはだかった。


「もう俺が来たから大丈夫だ! ん? 女がなぜここに立っている? さっさと引っ込んでろ!」

「邪魔です。正式に王太子妃殿下から指揮を任せられています。戦う気があるなら、私の指揮下に入りなさい」

「なんだと!?」

 大柄な体が邪魔で前が見えない。


 その瞬間を狙ったように、木と木の間から大きな熊が飛び出して来た。

 慌てて振り向いたモンデスハムを、熊が薙ぎ払おうとするのを間一髪アメリアがモンデスハムを蹴り飛ばす。


 騎士達が剣を向けるも、二メートル以上ありそうな熊に動けずにいた。中には逃げ出す騎士もいた。

 アメリアは、すぐさま熊の前に立ちはだかる。


(ヒィ! なんで熊!?)

 普通、狩猟大会は危険がないように事前に危険な生き物は狩られているはずだ。


 アメリアは、内心涙目になった。

 しかし、自分はウォルダー辺境伯の人間だ。無様は晒せない。

 熊がアメリアを薙ぎ払おうとするのを、ひたすら鉄扇で受け流す。

 とにかく、自分は時間を稼ぐのだ。アメリアは、ドッドル達の助けを信じてひたすら耐えた。


「どけー!」

 しかし、思いもしない邪魔が入った。

 蹴り飛ばされて気を失ったモンデスハムが、意識を戻して突っ込んできた。


 ほんの一瞬、そちらに意識を取られた隙を熊が見逃さなかった。咆哮と共に、熊は鉄扇を薙ぎ飛ばし、そのままアメリアに鋭い爪が迫った。


(ヒェ〜! せめて腕一本でなんとか)

 アメリアは、覚悟を決めて左腕で熊の一撃を受け止めようとした。

 しかし、その爪が届くことはなかった。

 唸り声と共に、四匹の犬が熊に噛み付いた。


「お父様! お兄様達!」

「アメリア、無事ですか!?」

 カティスは、アメリアを庇うように前に出た。


「はい!」

 アメリアは、泣きそうだ。

 カティスの華奢な背中は頼もしく大きく見えた。

 四匹の犬達が、弾かれてもまた突進して体当たりして、天幕から熊を遠ざける。

 しかし、動きがバラバラだ。


(一対一では、さすがのお父様達でも厳しいです)

 残念なことに、個々の力が強い彼らは連携が苦手だった。


「よし! 充分距離が取れた。二二! プランD!」

 カティスの声と共に、二匹ずつに別れ、熊の周りをぐるぐると回りだす。

 そして、驚くほど見事に揃って攻撃を始めた。


「二一一! プランA!」「一二一! プランG!」「三一プランM!」

 次々と出されるカティスの指令に、四匹は鮮やかな連携を見せる。


 しかも、反応がとんでもなく速い!?

 まるで脳を使わず、脊髄反射でカティスの声に反応しているようだ。


(とど)めだ! 一三! プランZ!」

 カティスの鋭い声に応えるように、四匹は吠え、兄達三匹が囮となって引きつけ、ドッドルが熊の喉元に噛み付いた。

 熊は、一つ唸るとドシーンと地響きを立て倒れた。


(すごい! カティス様もお父様達もすごいです!)

 アメリアは興奮に顔を赤くしたが、すぐさま熊が絶命していることを確認し、オリビアの元に報告に向かった。


「王太子妃殿下。熊はカティス・ガークイにより倒されました!」

 アメリアは、しっかりカティスの名前を出す。


「カティス・ガークイ、よくやりました。陛下にもこの功績を伝えることを約束します」

「身に余る光栄です」

 カティスが如才なく答えた。


「アメリア・ウォルダーも、さすがは辺境伯令嬢です。素晴らしい指揮でした。この場はもう下がってよいので、怪我の治療をして体を休めてください」

「ありがとうございます」

 アメリアは、ホッと肩を下ろすと、熊の攻撃をいなし続けた手首や、細かな傷がズキズキと痛み始めた。


   ◆


「アメリア。怪我は大丈夫ですか?」

 オリビアの前から下がり、アメリアはモルツ侯爵家から近いカティスの屋敷に行った。

 モルツ侯爵家は、さすがに頼りたくなかった。


 治療を受けている間、カティスはおろおろとアメリアを心配したが、よく見るとアメリアよりカティスの方が怪我だらけだった。


「はい。私は大丈夫です。私より、カティス様の方が怪我をしています。大丈夫ですか?」

「え? あ、本当だ。必死だったから気づかなかった」


 カティスの話によると、熊の咆哮があった時、王太子とカツァーヌ公爵と一緒にいたそうだ。

 お二人も、こちらに駆けつけようとしたが、モルツ侯爵がそばにいた騎士達も使って、必死で引き留めたそうだ。


 確かに、あんな咆哮の起こっている現場に、王太子と公爵が行って怪我なんかしたら大事だ。

 それで、カティスだけが駆けつけたらしいが、慣れない馬を必死で走らせて、木にぶつかったり、突き出た枝や突き抜けた茂みで切ったようだ。


「カティス様も、治療を受けてください。あの……、ドン達を見て来てもいいですか?」

「もちろんいいですよ。私も治療が終わったら行きますね」


 アメリアが犬舎に行くと、広々とした綺麗な檻にドッドル達が悠々とくつろいでいた。随分馴染んでいる様子だ。

「お父様、ガッドルお兄様、ギッドルお兄様、グッドルお兄様」


 アメリアが小さく声をかけると、ドッドル達がピクリと耳をさせてすぐさまアメリアの方に来た。

 四匹は、多少の傷はあったが、こんなのかすり傷だとばかりにブンブン尻尾を振っている。

 アメリアは、真っ直ぐに四匹を見た。


「お父様。お兄様達。私は、カティス様が好きです。カティス様は、確かに体は小柄かもしれません。しかし、勇気もあって頼もしい方です。私がカティス様を選んだのは、この気持ちだけが理由ではありません。カティス様は、ウォルダー辺境伯領に新たな強さを与えてくれると思ったからです」


 そう。『頭脳』だ。

 今までは脳筋共が、個々にワーワーと戦っていた。

 もちろんそれでも強いのだが、これから先もそれが通じるとは限らない。


 脳筋の代わりに考える頭脳。それにより、多彩な軍略が可能になる。

 奇しくも今日それが証明された。


 ドッドル達のいつもの戦い方だったら、何も考えずに個々に挑んでいた。

 しかしカティスの存在により、見事な連携を見せた。


 それが、答えだ。

 カティスは、ウォルダー辺境伯領に新しい風を吹き込んでくれる!


「お父様。お兄様達。どうか、カティス様と結婚させてください」

 アメリアが頭を下げた。


「「「「ワン!」」」」


 四匹が元気に鳴いた。

 アメリアが頭を上げると、四匹はオーロラ色に光り、そして、スッと檻の中から姿が消えた。


「あれ? ドン達がいない……?」

 少ししてカティスが来て、空の檻に首を傾げた。

「お家に帰ったのかもしれませんね」

 きっと、本来の姿に戻り、本来いるべき場所に戻ったのだろう。

 アメリアは、そっとカティスに寄り添った。


   


 その後、ウォルダー辺境伯領に戻ったアメリアは、すぐにカティスと婚約が結ばれた。


   ◆


 そして、冒頭。

 婚約者となって初めて参加した王城の夜会でまさかの珍事件が起きた――。


「お前のことを愛することはない!」

 豪華なシャンデリアが輝き、宮廷楽団の美しい音楽が奏でられ、華やかな装いの貴族達が踊り、社交に勤しむ王城の夜会の最中、場違いな野太い大声が響いた。


 アメリアは、シャルロッテにことの顛末を話している所で大声をかけられ、ギョッとした。

 どうやら、モンデスハムは先日の一件でアメリアの顔を覚えたようだ。


 シャーリー至上主義のカツァーヌ公爵は、巻き込まれるのは面倒だとばかりにさっさとシャルロッテを連れて離れて行く。シャルロッテは、心配そうにアメリアを見たが、少し離れた背後を見てると安心したように微笑んだ。


 音楽が止まり、会話が消え、会場はシンと静まりかえった。

 その中心にいるのは、鼻の穴を膨らませて、ドヤ顔のモンデスハム・モルツ侯爵令息と、スンと表情を消したアメリアだった。

 そして、みんな小首を傾げた。

 

(なんかセリフが違くない?)

 

 普通、こういう夜会で言うセリフは、婚約破棄系ではなかろうか?


「いいか!? 俺は、お前を愛することはない。俺は、浮気する。しかし、結婚はしてやろう。野蛮なお前など、俺以外結婚しないだろう。さあ、ここで認めろ!」

 阿呆もここに極まれりの存在がいた。


 なるほど、みんなの前で証言を取ってやろうとか考えた? 先日の、狩猟大会で恥をかかされたとか思ってこの場でアメリアにマウントをとってきた?


 どちらにしても、阿呆だ。

 いやはや、阿呆の思考回路は意味不明だ。

 しかし、その答えは一つだろう。


「謹んでお断りします」

 アメリアは、さっさと断った。

 それはそうだろう。

 誰が、こんな俺愛さない、俺浮気する、なんて阿呆と結婚するか!?


「は!? でも、俺達は婚約しているだろう!? ここで、認めないと結婚してやらないぞ」

「していませんよ」

 カティスが、アメリアを後ろから抱き寄せた。


「アメリア。大丈夫ですか?」

「はい」

 アメリアがにこりと微笑んだ。

 カティスがホッと息を吐いた。そして、冷たくモンデスハムを睨んだ。


「モンデスハム・モルツとアメリア・ウォルダーは婚約していません」

「何を言う!? 婚約書にサインしただろう。それとも、アメリア本人がサインしていないから無効だと言うのか?そんなもんは、暗黙の了解で何とでもなるんだ!」

 モンデスハムが憤って吠えた。


 しかし、暗黙の了解は暗黙であるからなあなあにされるのであって、こんな衆目の面前で堂々と暴露したら、暗黙ではない。


「そのサインの名前が両方間違ってました」

「……は?」

 モンデスハムの目が点になった。


「モンテスパム・モルッツーとアメリン・ウォーターが婚約するとなっていましたよ」

「モンテスパム……?」

 モンデスハムは、小さく呟いた。


 いつの間にかアメリア達の後ろに立っていたドッドルが誤魔化すように咳払いした。

「幸いにもお互い間違っていたようだ」

 ドッドルが、からりと言った。


「おかげさまでそういうことです。どうぞ、こちらは気にせず、思う存分浮気してくださいませ」

 なんせ、自分は未来永劫関係ない。

 アメリアは、心の底から嬉しそうに微笑んだ。

 本当にこんな阿呆と縁がなくて良かった。

 この時ばかりは、脳筋に感謝した。


「はあ!?」

 その瞬間、爆笑が会場を包んだ。


「まあまあ、楽しそうですこと」

 ひとしきりモンデスハムが笑われたあと、艶やかな赤い縦ロールを一房垂らし、後ろは優美に髪を結い上げた、女神もかくやとばかりに美しいオリビアが、紅い唇を楽しげに微笑ませた。

 その隣には、筋肉隆々の大柄な王太子が並んでいる。


「モルツ様。こちらを差し上げますわ」

 モンデスハムは、今までのやり取りも忘れたように〝差し上げる〟の言葉にウキウキと手を差し出した。

 そして、その書簡を声に出して読み上げた。


「た・い・ほ・しょ・う……?」

 モンデスハムがコテンと首を傾げた。


「モルツ侯爵家の令息はここまで阿呆なのか……」

 王太子が呆れたように言った。

「それは、逮捕状と書いてありますわ」

 オリビアが慈愛のこもった瞳で優しく微笑んだ。もちろん、その目は笑ってない。


「は?」

「モルツ侯爵家には、王太子とカツァーヌ公爵暗殺未遂で逮捕状が出た」

 王太子が冷ややかに告げた。


「あ、暗殺未遂!? 違う! あの熊は、俺がやっつけるために仕込んだだけだ。俺の強さを見せつけるためであって、暗殺未遂じゃない。それをあの女が邪魔して!」

 モンデスハムが見事に自供した。駆けつけたモルツ侯爵が止めようとしたが、残念、一歩遅かった。


「記録したか?」

 王太子が、後ろの側近に声をかけた。

「はい。ばっちりです」

「いや、違う。今のは間違った」

 口から出た言葉は消えないし、もちろんその記録も消えない。


「い、いやだぁ!」

「確保」

 逃げようと暴れ出したモンデスハムを、カティスの指令に反射で動いたドッドルが速やかにワンパンした。

「ご協力感謝いたしますわ」

 オリビアがにこやかに微笑んだ。


   ◆


 その後、ウォルダー辺境伯領の強さは天元突破した。

 カティス指揮官によるさまざまな戦術を、騎士達は脊髄反射で縦横無尽に駆け回り、近隣諸国は彼らをフェンリルの群れと称して恐れた。

 

 それは、少し未来のお話――。

 


 


 



 


『21年耐えたので離婚して今度は自分のやりたいことをしようと思います〜妖精が見えるだけの男爵令嬢は、妖精の声が聞こえるだけの公爵様に溺愛される』

限定SS「シャルロッテとウエディングドレス」付き


2月25日(火)コミックシーモア様より発売予定です!


騙されて偽装結婚させられたシャルロッテは、妖精の姿が見えた。そう。見えるだけ。でも、ひょんなことから妖精の魔法で14歳の姿で成長が止まってしまった。

それから、21年、辛い結婚生活に耐えた。もう良くないか!? 

離婚して、シャルロッテはやりたいことをすることにした。

オーロラ色の光と共にシャルロッテの時間が動き出す。そこから始まるルイの溺愛と、妖精の魔法が引き起こす涙と笑いの物語。


イラストは、水辺チカ先生です。

ルイが格好いい!シャーリー可愛い!


ぜひお読みいただけたら嬉しいです ∩^ω^∩


https://www.cmoa.jp/title/1101443955/vol/1/


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
同レベルの脳筋の稚拙な策にまんまと引っかかる敵同然の辺境伯家の脳筋どもは一生犬のままでいろやと思いましたが、アメリアが幸せならまあいいか…。
面白かったです。 家族の中で一人理性的に動かざるを得ない大変さ、心から同情します。 カーティスはかっこいい。脳筋プラス明晰な頭脳で、辺境伯家はますます強く、発展しそうですね。 それにしても妖精さんたち…
ギャグか?父親と兄たちそのまま犬で良かったのでは、と思いました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ