始まりと終わりの町
荒野の中心に運と仲間たちが勢ぞろいしていた。
どこまでも広がる乾いた大地には草木はほとんど見えず、風が砂を巻き上げては地平線に霞のような影を落としている。
まだ名前もないこの土地はただの荒れ地に過ぎなかった。
「じゃあここに、俺たちの町を作るその第一歩として、記念の樹を一本植えよう」
運が宣言すると樹の精霊ドリアードを代表してカレンが一歩前に出た。
「かしこまりました運様。それでは、どうぞこちらの苗木をお使いください」
「ありがとうカレン。これはどんな木に育つんだ?」
「燃えてしまったオクヤの森から私たちが保護していたものです。どんな樹に育つかは皆様次第。大切に育てればすぐに大きくなりますし、町のシンボルとしてふさわしい立派な樹に育ってくれることでしょう」
「そうか……なら、この樹はみんなで大切に育てていかないとな」
運はゆっくりと大地に膝をつき、カレンから渡された小さな苗木を両手で支えながら、大切に大切に根を埋め始めた。仲間たちは一歩引いて、運が植える記念の樹を見守っている。運は最後に手のひらでそっと土を押し固め、その表情に決意と希望を滲ませた。
その瞬間、柔らかな風が荒野を吹き抜け苗木の細い枝が微かに揺れた。乾いた土がふわりと舞い、周囲の空気に新しい命の気配が芽生えたようだった。
「風が……この風は、いつのときも森の命を育んできた息吹にも似た……」
「うん……懐かしい感じがするね……」
「落ち着く。まるで心を洗ってくれるよう」
五十鈴、ミュー、フィリーの三人は目を閉じ、全身でその風を感じていた。
そしてエルフだけでなく、その場の誰もがまだその小さな苗木を見つめながら、ここから町が根づく未来を胸に刻み込むよう、静かに祈りを捧げた。
「大きく太く、立派な樹に育つよう祈りましょう」
カレンは目を閉じ、みんなの気持ちを集めて苗木に注ぐように両手を合わせて祈った。
「ご主人様。そしたらその樹のまわりにはあの白い花をたっくさん咲かせようよ!」
祈りが終わったあと、ダイナが元気良く手を挙げて提案をした。
彼女はドラゴンでありながら、その持ち前の明るさによって途端に周囲の人々に馴染んでいた。翼や尻尾の生えた彼女にぴったりの衣服もすぐに馴染んだ人々が友好の証に作り上げてくれたものだ。ダイナはそんな衣類を大切に大切に、そして毎日嬉しそうに袖を通すようになっていた。
そしてそんなダイナの提案に運が賛成とばかりに手を打つ。
「それはいい考えだな。ところでダイナ、あの白い花ってなんて名前なんだ?」
「名前なんてないよ? 荒野に咲く白い花、それで十分じゃないか。もっとも、人が勝手に名前をつけてる可能性はあるけど」
ダイナが一同を見渡すが、誰も答えられる者はいなかった。
「植物に詳しいフィリーでもダメかぁ~」
「荒野だけに咲くのかも……それにしても、この花不思議。魔力を持ってる」
ミューとフィリーが言った。
「魔力を持った花って貴重なのか?」
運の問いにフィリーが答える。
「多少の魔力なら多くの植物が持つ。でもこの花の魔力は特に純粋で、量が多い」
「それはたぶん、母さんが長年この地に魔力を注いできたからだと思う。荒野で花が枯れないように、誰かに踏み潰されても負けないようにって」
「ドラゴンの魔力……もしかして、ものすっごくレアかも~」
ミューの目が輝いた。
「なんでそんな花が見向きもされなかったんだ?」
「魔力が透きとおるほど純粋過ぎて、人間には気づかれなかったんじゃないかな~?」
「それに不毛の荒野にさして珍しいわけでもない、だから雑草扱いだったとか」
「そんなもんか」
運は言った。
「せっかくだし、名前でもつけて大事にするか」
「それなら、ボクはこの町の名前がいいな」
「お、それいいな採用……と、言いたいところだが、そもそもこの町の名前ってなんだっけ?」
運は一同を見渡すが、当然誰も答えられない。
「お兄ちゃん、まだ名前も決めてないでしょ」
「……そうだったな」
「どうするの? 町の名前」
「ん? ん~……そんなものはみんなで決めればいいだろ」
「そうはいきません! 町を作ると言い出したのは運殿なのですよ?」
「ええ~。面倒だな……」
「あっは。運さんらしいね~」
「運の考えなしは今に始まったことじゃない」
ミューとフィリーは呆れ顔だった。
「兄ちゃん、適当に決めちまえ」
フィガロが急かす。
「ん? ……じゃあ、『ん』」
「ご主人様、さすがにテキトー過ぎ」
「待ってダイナちゃん。もしかしたら、ここを最後の町にする、絶対に守り抜くっていう、運お兄ちゃんの覚悟の表れなのかも知れないよ? 私はいいと思うな、『ん』」
おっとりした表情でセレナが言う。
「え~? 絶対そんなこと考えてないでしょ、お兄ちゃんのことだから」
「それに運殿、さすがにちょっと言いにくいのでは?」
「花の名前も『ん』になっちゃうよぉ」
久遠、五十鈴、ダイナに気圧され、運は顔を背けつつ言った。
「それじゃあ……『アン』にしたらどうだ?」
するとエルフ三人娘がこれに良い反応を示した。
「たしかに考えてみれば、この荒野は運殿にとって始まりの地でもあったのですね」
「なっるほどぉ~! 始まりの『ア』に終わりの『ン』だね、五十鈴ちゃん!」
「安寧の地の、『アン』でもある。ナイスネーミング、運」
そしてそんな三人の反応に一番意外な顔をしていたのは運である。
「お、おう。そうだろう?」
そんな運を久遠は横目で見ていたが、すぐにまた笑顔に戻る。
「怪しい……けど、いい名前だし私も賛成するよ。お兄ちゃん」
「運様。私も賛成いたします」
「オラもだ兄ちゃん」
「私も。運お兄ちゃん」
「花にも似合うとっても可愛い名前だよ、ご主人様!」
久遠、カレン、フィガロ、セレナ、ダイナが続き、その名は満場一致となった。
「決まりだな。俺たちの町、ここはアンの町だ」
「「おおお~っ!」」
今はまだ何もない荒野の中心で、大きな声が上がった。
それからアンの町は多くのエルフ、ドワーフ、精霊の力によって急速に町の体を成した。
精霊の働きにより急速に樹木は育ち、開墾した田畑においては豊穣の限り。穀物や野菜が整然と列を成し、その緑の葉が風に揺れている様子はまるで土地に命が宿ったようである。
新たに建てられた家々からは人々の笑い声や作業の音が響き、辺りには穏やかな活気が漂っている。
当初必要だった物資等の調達もマケフ領主エアロスター夫妻の協力を得ながら万事順調にことは運んだ。
時折荒野を通る人との交流を通じて、アンの町の出現はたちまち大陸に知れ渡ることとなった。町の輪郭が少しずつ広がり、未来を担う新しい町がたしかな歩みを始めていた。
「なぁ久遠、あの辺りにカラオケボックスでも作ろうぜ?」
「ダメ! そっちは居住区」
「じゃあ、あっちは?」
「工業区。で、こっちはエルフ族のための自然区」
「ええ~。めんどくせーなー」
「あのねぇお兄ちゃん。せっかく一から町を作るんだから、ちゃんと都市計画はしないと!」
「運殿、ここは大人しく久遠殿に従ったほうが身のためでは?」
「さ、さすがはご主人様の妹だね。ボクには手も足も出ないや」
久遠に怒られっぱなしの運に同情するよう五十鈴とダイナが冷や汗を垂らす。
「荒野には色々な地形があるから上手く活用していかないと……あっ! そうだ。アーシーズたちが言ってたけど、山岳地帯の近くに温泉が出そうだって」
そんな久遠の言葉を聞いて五十鈴とダイナは途端に目を輝かせる。
「温泉っ!? 久遠殿、ぜひそれは!」
「うっわ~っ! ボクも楽しみ~!」
今度は運がそんな二人に呆れた視線を向けた。
「お前ら……無事に久遠に飼い慣らされてんじゃねーか」
運はため息を吐いた。
「だけど結局、こういうのは久遠に任せときゃなんとかなるんだろうなぁ」
そして徐々に広がりつつある町を一望して運は言った。
「俺たちの町、あっと言う間に大きくなっちまったな」
「何言ってんの。お兄ちゃんがみんなの心を一つにまとめたからできたことなんだよ?」
「しかし運殿、そうなると帝国や王国の反応が気になる頃ですね?」
「五十鈴さん安心して。もし攻めて来ようものならご主人様に教えてもらったボクの必殺技、ほろ……滅びのなんだっけ?」
「滅びの火炎疾風弾だ」
「そう! それで焼き払ってあげるよ」
ダイナは大層得意げに胸を張って全力の笑顔だった。
そしてそんな様子を見て久遠は頭を抱えていた。
「またお兄ちゃんは変なこと教えて……でも大丈夫。そんなことにはならないと思うから」
「なんだ久遠、また何か変なことを企んでるんじゃないだろうな?」
「内助の功って言ってよ~っ!」
「な、内助の功!? 久遠殿。兄上である運殿に対し、それはいったいどういう意味……?」
五十鈴は穏やかでない表情で久遠を見たが、久遠は自分の口先に人差し指を当てて見せ、誤魔化していた。
「んで? 何やったんだ久遠?」
「荒野を通る人たちにね、アンの町がいかに素晴らしいかを教えてあげたの」
「それがどうしたんだ?」
「その噂を聞いた特に転移転生者がね、生活水準の向上を期待してけっこう集まって来てるんだよね~。なんだかんだ言って、誰もがより良い生活をしたいんだから」
「久遠殿。それはつまりチート能力を持つ転移転生者ごと各国の力を削ぎつつ、逆にアンの自衛力を高めていると?」
「五十鈴さん、あったり~! もはやイロハニ帝国やホヘト王国がおいそれと手を出せるような小さな町じゃないんだよ、アンの町は」
「そういえば俺たちの旅は最初から久遠がブレーンだったな。やっぱ俺には久遠のサポートが必要だなって思い知ったよ」
「やった! お兄ちゃんに褒められた!」
久遠は嬉しそうに両手を上げて喜んだ。
「く、久遠殿。なんと恐ろしい戦略を……私も負けていられません……」
「でも五十鈴さんだって、最近じゃあ族長のギガさんに代わってエルフ族のまとめ役になることも多いんでしょ? すでにアンの町には欠かせない存在だよ?」
「私が言った意味とは、ちょっとニュアンスが違うのですが……」
五十鈴は運と久遠を交互に見ながら言った。
そんな様子を見ながらダイナが口を開く。
「もしかして、久遠さんも五十鈴さんも、ご主人様の番になろうとしてるの?」
「「なっ!?」」
目を見開くようにして飛びのく久遠と五十鈴。
「それならボクも、負けたくないなぁ」
「な、何を言ってるのかな~? ダイナちゃ~ん?」
「これは三人、あとで良く話し合う必要がありそうですね……」
少しだけ、三者間に不穏な空気が漂った。
「お前ら、これから忙しくなるんだから仲良くしろよな」
そんな三人から呆れ顔を逸らしつつ、運は遥か彼方の空を見て言った。
「俺たちの、本当の戦いはこれからなんだからよ」
「「あっ」」
久遠、五十鈴、ダイナは互いに目を合わせた。
「運殿、その言霊には何か不吉なものを感じます」
「わかる。ボクも何かが終わってしまうような感じがした」
「ほんとそれ……」
そしてそのあと、自然に笑い合う三人。
「でもさ、お兄ちゃんならどんな不吉なことも踏み潰していくよね、トラックで」
「運殿はやはり、突撃あるのみですからね」
「ボクはどこまでもついていくよ、ご主人様!」
「おう。しっかりついてこいよ、お前ら」
運は三人に背中を向けつつ、爽やかな笑顔で振り返る。
アンの町は、順風満帆な様子である。
いつもお読みいただきありがとうございます。
物語は続くのですが、ちょっと多忙によりしばらく更新が難しいところで、一度、ここで締めようかなと思ってます。
最後まで修正したところで、もしかしたら別の形ででも公開していければと思いますが、ひとまずここまで。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。