心ひとつに
新しく習得した瞬間輸送のスキルにより、運たちはたちまちのうちにマケフ領まで帰還した。そして病弱な体質のセレナを診察してもらうため、ミューとフィリーのもとを訪れていた。
まだまだ避難先の仮住まいではあるが、診察が行われる部屋は穏やかな光が差し込む静かで落ち着いた空間だった。壁際には整然と薬草の瓶や薬剤の道具が並び、室内のアルコール臭に淡い薬草の香りが少し混じっている。木製のテーブルの上にはミューが持ち込んだ魔法の器具が魔力を持った怪しい光を放ち、部屋の空気をほのかに揺らしていた。
――ミューもフィリーも、こうして白衣を着ていると本当にお医者さんみたいだな。
セレナは白いシーツのベッドに横になり、少し緊張した様子で診察を受けていた。
「ふむふむ、たしかにこれは珍しい症状だね~」
「本当に。今まで良く頑張ってきた、偉い」
セレナを診察したミューとフィリーが言った。
「どうだ? なんとかなりそうか?」
運の問いに二人は親指を立てて答えた。
「もっちろ~ん! 改善への道のりは見えたよ~」
「大変だけど、安心して。これは治る症状」
運はほっと胸を撫で下ろす。
「良かった。さすがはミューとフィリーだな」
「でも……」
フィリーが俯き言った。
「森が燃えてしまった今、必要な薬草類が手元にない……」
そこへカレンが名乗り出た。
「フィリー? それなら私たちドリアードやアーシーズ、精霊を頼る場面でしょう? 任せてくださいな。すぐに必要な薬草をそろえましょう」
「ありがとうカレン。これですぐに治療が始められる。でもフィガロ、セレナ。体質の改善には時間と根気が要る」
フィリーの言葉にフィガロとセレナは顔を合わせ、決意を固めるように強く頷いた。
「大丈夫、大丈夫だ。な、セレナ?」
「うん。私、頑張る!」
セレナはその小さな拳を握った。
「よぉ~っし! それじゃあ私もフィリーも、いっぱい頑張っちゃうよ~!」
「セレナ、私たちと一緒に頑張ろ?」
「うん!」
ミュー、フィリー、セレナの三人は顔を合わせて笑った。
「ミューもフィリーもありがとうな。費用についてはすべて俺が持つ。金に糸目はつけねーから最善を尽くしてくれ」
「い、いいよいいよ~。大恩ある運さんからお金なんて受け取れないって~」
「ミューに同じく」
「お前ら、そんなんでいいのかよ? 商売だろ?」
「むしろ運にお礼を言いたいのは私たちのほう。なんなら身体で払う。ね、ミュー?」
「えっ!? ダ、ダメだよフィリー。そんな、子供の前で……」
いつも元気なミューも顔を真っ赤にして俯き、静かになってしまった。
「そういう冗談はいいから、二人ともくれぐれもセレナを頼むぞ。俺にできることがあれば遠慮なく言ってくれ」
「オッケー!」
「任せとけ」
ミューとフィリーは明るく答えた。
「と、いう訳で良かったな。フィガロ、セレナ」
運は明るく二人に笑いかけた。
「運お兄ちゃん、ありがとう!」
「兄ちゃん……あんたってやつは……」
セレナは満面の笑みで応え、フィガロは涙を流していた。
「セレナちゃん良かったね! ……もう、大人になるまで生きられないなんて、そんな悲しいことを言わなくても済むんだね」
久遠も釣られて泣きそうになりながらセレナの手を取った。
「うん。ありがとうね、久遠ちゃん」
「将来の夢、いっぱい考えておかないとね」
「うん。うん……」
セレナはそこでようやく実感が湧いてきたのか、笑顔のなかで一筋の涙を流した。
「セレナ。ゆっくりと考えていこう。セレナには、これからたくさんの時間があるんだからな」
フィガロは涙を流しながらセレナの頭を撫でた。そしてセレナは少し赤らんだ顔を俯けて、ゆっくりとフィガロの服を摘んだのだった。
「どうしたセレナ? もしかして、もう何か夢があるのか……?」
「うん……」
「そっか……それならセレナは、これからどんなことをしたいんだ?」
「いっぱい夢、あるよ……? たくさん発明をしてみんなのお役に立ちたいとか、学校の先生になってみたいとか、それから……」
セレナは少し上目遣いに運をひと目見てから言った。
「……素敵なお嫁さんになりたいな」
――ん? なんで俺のほうを見たんだ? ……なんでみんな、そんなに俺を睨むんだ?
運は周囲からの視線に戸惑いながら一歩引いた。
そしてフィガロはセレナの発言に一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにまた優しい顔に戻ってセレナの頭を撫でたのだった。
「そっか……可愛らしい夢だな。きっと叶うさ。きっとな……」
「うん……」
そう言ってフィガロはセレナを強く抱き締めたあと、改まって運のほうへ向き直った。
「兄ちゃん。オラ、この恩は絶対に忘れねぇ。兄ちゃんのためなら、どんなことだってやってやらぁ!」
「そいつは頼もしい限りだな、よろしく頼むぞ」
「おう! 町の一つや二つ、オラが作ってやるとも!」
「お、おう。意気込みはありがたいがセレナもいるんだ、お前も無理をするなよ?」
「兄ちゃんもあんまりドワーフを舐めんなって。オラの仲間たちをみんな連れて来てやっから、あっと言う間に町なんかできちまうぜ? 驚くなよ?」
「運殿。そのことについてなんですが、実はエルフ族の中でも民のほとんどが運殿について行きたいと申しておりまして。自分たちの家は自分たちで作る。フィガロ殿にご指導いただけるのであれば労働力はいくらでもありますよ」
次々に上がる協力の声に運は驚いたように仰け反った。
「マ、マジか……頼もし過ぎだな」
「運さん、もちろん私とフィリーも行くからね~」
「これからもよろしく」
さらにはミューとフィリーまでもが名乗り出た。
「……なんか町作りの話がすげぇことになってきたな」
運はまわりの反応に驚くばかりだった。
「すごいなんてものじゃないよっ! お兄ちゃん、ちゃんとわかってる?」
久遠が興奮気味に声を上げた。
「エルフのみんながついてきてくれるだけじゃなく、ドワーフが力を貸してくれる。さらにドリアードやアーシーズたちのおかけで豊穣は約束されてる上に、これからはセレナちゃんの協力のもと、向こうの世界と同水準の消耗品や電化製品まで作れちゃうってことなんだよ?」
「久遠殿。それはエヒモセスに革命が起こるかもしれない、そういうことですか?」
「そう! ……で、そんな町が大陸の中心にできちゃうなんてことになれば……」
その場の誰もがそれを想像して言葉を失った。
「とんでもねぇ話だ……何度も聞くが、兄ちゃん。あんた、本当に何モンなんだ?」
「いや、俺はただのトラック運転手だ。みんながすげぇだけで、俺はなんにもしてねーだろ」
「そうじゃない。そうじゃないよお兄ちゃん! お兄ちゃんはこれだけの人や精霊の心を一つにまとめちゃったんだよっ!?」
運は一歩引くが、それには久遠を始め、一同口々に詰め寄った。
「最初からすごいお方だと思ってはいましたが……運殿。これはもはや、ただ力が強いだけで成せることではありませんよ?」
「運はみんなを惹きつけちゃった責任を取るべき」
「運さん、私たちも一生懸命支えるからね~」
「あらあら。私たち精霊も忙しくなりそうですね」
「兄ちゃん、オラたちにできることならなんでも言ってくれ」
「運お兄ちゃん。私も発明、頑張るからね」
全員に背を押されるようにその中心に立つ運。
――なんだよこれ、もう引くに引けねぇじゃねぇか……悪い気はしねーけど……。
「……これはさすがに、ちっとは気張らねーといけねーみたいだな」
運は言った。
「となると、少し見切り発車になっちまったが荒野のドラゴンだけはなんとかしねーとな」
「大丈夫? お兄ちゃん」
「今さらダメなんて言えるわけねーだろ。絶対になんとかするっきゃねー」
運は表情を引き締めた。
「大丈夫だ。これだけ多くのみんなが俺を支えてくれてんだからな、心強ぇよ。それに、俺はもうどんなことがあっても負けねえ、みんなを守るって誓ったんだ」
そして最後にニカッと笑って見せた。
「俺がなんとかする。だからみんな、黙って俺についてこい」
「うっわ~。お兄ちゃん、そういうこと言っちゃ……」
なじろうとする久遠の声を掻き消すように。
「「おおお~っ!」」
その場の全員が立ち上がって腕や大声を上げたのだった。
久遠はその様子に言葉を飲み込みながらも小さく笑った。
「意外にもすっごくまとまっちゃったよ……。お兄ちゃん、カッコいいじゃん」
みんなが心を束ね、盛り上がりのなかで締められた会合のあと。
五十鈴は運が一人、マケフ領の集落から少し離れた丘のほうへ向かう姿を追った。そして丘の上で復興の進んだエルフ族の集落を眺める運を、遠くからそっと見つめていた。
赤く染まりゆく空が影を長く伸ばし、風が草の葉をそよがせる。その音が先ほどの会合での賑やかな余韻を洗い流すかのように静けさをもたらしていた。
やがて五十鈴は運の背中に向かい合うように歩み寄ると、そっと胸の前で拳を握りながら声を掛けた。
「あの、運殿。少しお話できませんか……?」
「ん? どうした五十鈴、そんな暗い顔して」
声に気づいて振り返った運は静かに応えた。
「はい……」
それきり、五十鈴は言葉を上手く発することができなかった。
空には薄い雲が広がり、淡い夕焼けの光が草原を照らし出している。柔らかな風に舞う小さな花びらが二人の間を漂い、微かな香りを運んできた。
「なにか不安なことでもあるのか?」
「……はい」
「そうか……じゃあ、座って話すか」
「ありがとうございます」
二人は近くのベンチに腰掛けた。
「で、話したいことってなんだ?」
「町を……作ったあとについて、です」
「ドラゴンをなんとかする前から、もうそんなことまで心配してんのか?」
「……私が心配しているのは、運殿のことです」
「俺のこと?」
「はい……ルヲワ共和国にいるときは、怖くて聞けませんでした」
「怖い?」
「運殿が、元の世界に帰ろうとしていることについて、です」
「あ……」
運は五十鈴の気持ちを察したかのように言葉に詰まった。
「運殿は、安寧の地として自分たちの町を作ると仰ってくれました」
「そうだな」
「その一方で、この地を去ってしまうとも」
「……そうだな」
「嫌です」
五十鈴は胸の前で握った拳をさらに強く握って、ひと思いに言い切った。
「五十鈴?」
「私にこんなことを言う資格がないのは百も承知です……ですが、運殿が元の世界に戻ってしまうと聞いたとき、私の心は、どうしようもなく乱れてしまったのです」
「……そうだったのか」
「運殿が目標のために頑張っているのに、なぜこんな気持ちを抱いてしまうのか……自分でも良くわかりません。ですが、運殿の力になりたい。それもまた私の正直な気持ちなのです」
運はただ頷いて返した。
「こんな不安定な気持ちのままで、私は本当に運殿を支えられるのでしょうか……いいえ、違います。本当に言いたいことはそんなことではありません」
五十鈴は正面から運を見据えた。
「私は、運殿と一緒にいたいのです。だから、あなたが離れていってしまうのが怖いのです」
「……ありがとう。そんなふうに言ってくれて」
五十鈴は寂しげに少し視線を落とした。
「少しだけ、私が期待していた言葉とは違いました」
そして少し自虐的な笑みを見せた。
「黙って俺についてこいって、さっきみたいに言ってくれれば良かったのに……」
「すまない。……俺たちのいた世界にエルフはいないんだ。だから元いた世界に帰れることになっても、五十鈴を連れて帰ることはできない」
「そう……なんですね」
「だけどこれだけは約束する。もし元の世界に戻れたとしても、俺は必ずまたこっちに戻ってくる」
「本当……ですか?」
「ああ。どんなことがあろうと、俺は元の世界に戻る方法を探し出す。久遠を連れて帰らないといけないからな。向こうでずっと久遠の身体を守ってくれている父さんに会わせてやらなきゃならない……俺は、家族の絆ってやつを取り戻したいんだ」
「そう……だったんですね」
「ああ。だけど、それが済んだら」
「戻ってきてくれるのですか?」
「確約はできない。なにせ、向こうには魔法とかスキルみたいな能力がないからな」
「……」
「でも、俺もまた、こっちに戻ってきたいとは思ってるよ」
「……嬉しいです」
五十鈴は安堵の表情を見せた。
「今は俺、そんなことくらいしか言えないけど」
「十分です」
五十鈴は笑って答えた。
「今の言葉だけで十分。また私、明日から心を一つにして頑張れそうです」
そう言って五十鈴は運の肩に頭を預けた。
「今日は、ちょっと疲れちゃいました」
「じゃあ、ちょっと休んでいくか」
運も身体の力を抜いてベンチに背を預けた。
二人の頬は、少し夕焼けの色に染まっていた。