優しい旅路
マケフ領の穏やかな田園地帯に朝の光が降り注いでいた。心地よい風が吹き抜け、畑に植えられた作物が軽やかに揺れている。遠くには青々とした丘陵が連なり、畑のあちこちでは働くエルフたちの姿が見える。彼らの手によって整えられた土地は日に日に豊かさを増していき、避難生活の名残が薄れつつある様子が見て取れた。
そんななか、運のトラックは町外れの広場に停められていた。荷台には運がこれからの計画に備えて積み込んだ道具や資材が集まり、旅の準備が着々と進められていた。
「どうせなら特産品をたくさん積め込んで、ルヲワ共和国の人たちにもマケフ領のいいところやエルフの技術をバッチリとアピールしていきたいよな」
「ん~、そうだね~……」
荷物を運び込む運の言葉に、荷台に腰掛けて頬杖をついている久遠がいい加減な返事をした。
「お~い、久遠もちょっとは手伝ってくれよ~」
「う~ん……でも私、あっちの戦争がちょっと気がかりだからなぁ……」
「なにっ!? またどっかで戦争が起きてんのか?」
「ん? ちがうちがう。……ほら、あっちでエルフの美女三人がケンカしてんの」
「ケンカ……?」
運が目をやれば、広場の入り口で口論を繰り広げているエルフはよく見知った顔だった。
「五十鈴にミューやフィリーじゃないか。普段はあんなに仲のいいあいつらがケンカなんて珍しいな。いったいどうしたんだ?」
久遠は能天気な運を鼻で笑った。
「さぁねぇ……いったい誰のせいなんだろうねぇ~……」
そして目を細めて遠くの空を見つめたのだった。
「平和だねぇ」
柔らかなの日差しのなかで三人の賑やかな声が心地よく風に乗って響いていた。
「まったく。三人ともエルフのみんなが収穫で忙しいときに呑気なもんだよな」
「それ、お兄ちゃんも人のことを言えないけどねぇ」
「ん? なんでだ?」
「さぁてねぇ……って、わ! 戦争の火種がこっち来た! 私、し~らないっと!」
そう言って久遠はどこかに駆けて逃げて行ってしまった。
そして久遠と入れ違いになるようにエルフ三人娘がやってくる。三人とも真剣な表情でズカズカと運の目の前まで近づいてきて、そろって顔を近づけるようにして迫った。
「「私たちもルヲワ共和国に行きたいですっ!」」
「お、おう……そ、そうなのか……?」
その気迫に押されて少し仰け反りながらも運は首を傾げていた。
――もしかして、三人とも作物の収穫作業がキツくて嫌なのか……?
そんな呑気な考えが表情に出ている運に、さらに身を乗り出して迫る三人。
「「私たちも連れてって!」」
それを聞いて運は少しだけため息をついた。
「お前ら……。ルヲワ共和国に行くのは単なる旅行じゃねーんだぞ?」
「そんなこと承知してますよ、運殿」
「私は運さんのお役に立ちたいだけ!」
「なら、私が一番運の役に立ってみせる」
そこでまたいがみ合う三人。
「でもなぁ……俺のトラック、乗員数は三人までだって知ってるだろ……?」
しかし運のその言葉がさらに三人をいがみ合わせる結果になっていた。
「だからこそです運殿! 久遠殿はやむなしとして、残り一席は絶対に譲れません!」
「む~っ! 五十鈴ちゃんはいいじゃん! 前に運さんと一緒に旅して来たんでしょ~? 今度は私に譲ってよ~っ!」
「ミューも五十鈴もダメ。運が風邪を引いたら私の薬学知識が必要、私が一緒に行くの」
――こいつら、なんでそんなことでこんなに言い争ってるんだ?
運はいまだに首を左右に傾げているだけだった。
「そんなの私の献身的な魔法で癒してあげるも~ん! 私が一緒に行くんだから~っ!」
「ミューの魔法はたまに失敗するからダメ。私がキッチリと薬で治すの」
そこで五十鈴の鋭い目が光った。
「ミューもフィリーも運殿の体調が心配なのはわかりましたが、そこは完璧な回復魔法が使える久遠殿がいれば問題ないのでは?」
「「う……!」」
同じ顔をした双子美女の表情が一瞬にして固まっていた。
「であれば、旅先でルヲワ共和国に立ち寄ったこともある私が適任かと思いますよ、運殿?」
――な、なんだ……? すでに三人のうち一人を連れて行くような話になってるのか……?
「ね? 運殿?」
運は五十鈴の笑顔から発せられる重圧に慄いていた。
「お、おう……じゃ、じゃあ五十鈴に案内を頼もうかな……?」
「ふふ」
五十鈴はうしろを向いて小さくガッツポーズをした。
「「ぶー」」
そしてミューとフィリーはふて腐れていた。
そして旅立ちの日。
「また三人で旅ができて嬉しいね! お兄ちゃん! 五十鈴さん!」
「はい! よろしくお願いしますね、久遠殿。……それに、運殿も」
「五十鈴さん、顔赤いよ?」
「へわっ!? ち、違います!」
五十鈴は両手で頬を隠した。
「ほれ。道中は長いんだ、とっとと行くぞ」
運転席に乗り込んだ運が二人に言った。
「「はーい!」」
久遠と五十鈴も助手席側から回り込んでトラックに乗車する。
「みんな気をつけてね~! 早く帰ってきてね~!」
「こっちは、なるべく商品の改良・生産を進めておく」
「私はエルフの皆さんに豊穣をもたらせるよう尽力いたしますね」
ミュー、フィリー、カレンの見送りを受けてトラックは進み出す。
「おう! ありがとう! それじゃあ行ってくる!」
運、久遠、五十鈴の三人を乗せたトラックはルヲワ共和国へ向かって走り出した。
相変わらず運たちの旅は空を急がず、あえて楽しむように大地を跳ねて進む。
マケフ領の緑豊かな田園地帯を抜けて、トラックは次第に山がちな道へと入っていた。畑や森が遠ざかり、目の前には岩肌が露出した険しい山岳地帯が広がっている。道端には大小の石が転がり、地面には渇いた土の色が広がる。
時折深い渓谷が現れ、遠くには険しい山脈が幾重にも連なって見えていた。
「やっぱエヒモセスの自然はすげぇなぁ……雄大っていうか、感動して上手く言葉にできん」
「それわかるお兄ちゃん! なんか景色を見ているだけで心が洗われるもん!」
「こうして安心して旅ができるのもすべて運殿のトラックのおかげですね!」
楽しそうに笑う久遠と五十鈴を少し見やって、運は得意げに親指で寝台スペースのほうを指した。
「それなんだが、今回の旅はさらに快適になるはずだぜ? うしろのリビングを見てみろよ。また少しスペースを拡張したからさ。トイレやお風呂、みんなの個室もあるんだぜ」
「ホント!? お兄ちゃん! もうそんなの家じゃん!」
「た、旅なのにお手洗いにお風呂まで……信じられません」
「最近のトラックには災害現場で役に立つトイレトラックなんてのもあるくらいだからな。お前たちも女の子だし、スキルポイントにも少しは余裕が出てきたからさ」
「素敵……素敵すぎるよ、お兄ちゃん……」
「運殿のお心遣いが染み入ります」
「山道でトラックが揺れてもリビングには振動はないはずだから、疲れたら二人ともリビングで休んでていいぞ?」
「大丈夫だいじょーぶ! 私、お兄ちゃんの隣にいたいもーん!」
「はいっ! 私もです!」
トラックは終始ワイワイと賑やかに旅路を進んだ。そしてさらに山道を進むにつれて木々の色が濃くなり、葉は艶を失い始めて岩石の多い土地が広がっていく。窓を開ければ鉱物の香りが風に乗って漂い、遠くには小さな鉱山町の集落が点在しているのが見えた。
頑丈に組まれた木製の橋や岩をくり貫いたトンネルが道を繋いでおり、トラックが進むたびにゴトゴトと低い振動が走ったりもした。
「……運殿」
旅路のなかでふと会話が途切れるタイミングを待っていたかのように五十鈴が静かに切り出した。
「ん? どうした五十鈴」
「町を作ろうだなんて言い始めたのは、本当は、私たちエルフの新しい居場所を作ろうとしてくれているから……ですよね?」
「ん? なんのことだ? 俺は俺自身が誰に気兼ねすることなく暮らせる場所が欲しいだけだからな?」
「であれば、今や運殿には一生遊んで暮らせるような財力があるのですから、久遠殿とお二人でゆっくり過ごせる場所を探せば良いだけではありませんか」
「町を作って人の交流が増えれば、元の世界に戻るために有用な情報が集まりやすいと思っただけだ。五十鈴が気にする必要はないな」
嘯く運を隣から肘で軽く突いて久遠が口を挟む。
「苦しい。苦しい言い訳だよお兄ちゃん。……そんなの五十鈴さんだけじゃなく、みんなとっくに気づいてるんだからね?」
「俺はそんなできた人間じゃねぇと何度も言ってるだろ」
「……そんなだから、みんなが慕ってついて来るんだよ? お兄ちゃん」
「ふん。勝手にすればいいだろ」
正面を見て運転をしていた運は少し窓の外に顔を背けた。
「教えてください。運殿は、どうしてそんなに優しくしてくれるのですか?」
「ん? 俺が? ……優しいか?」
「お兄ちゃん。ちゃんと答えてあげなよ」
「……」
運は少し無言になったあと、正面を向いたまま口を開いた。
「それは俺が、ある人に優しくしてもらったから。だろうな」
「元いた世界の人?」
「そうだな。久遠には初め少し話したけど、俺、向こうの世界では成人前から両親に頼れなくてさ。何度か仕事も変えたし、けっこう苦しい時期もあったんだよな」
久遠も五十鈴もそれを黙って聞いていた。
「そんなときに今の……とは言っても、エヒモセスに異世界転移しちまって退職扱いにでもなってんのかな? ともかく最後まで勤めた会社の社長に拾ってもらってさ。お前はもう家族みたいなもんだからって、色々と良くしてもらったんだよ」
「いい社長だったんだね」
「そりゃそうだ。社会人として基本もなっちゃいねー俺みたいな人間を雇ってくれたばかりか、俺が育てりゃいいんだって、熱心に、丁寧に、一から色々と教えてくれたんだ」
運は少し口を噤んで、顎を少し上げた。
「恩返し、したかったんだけどな……」
「運殿……」
「でもさ、いつも社長は言ってたんだよ。恩は俺に返すもんじゃねぇ。お前のあとから来る奴に返すもんだってな」
「そう……だったのですね」
「家族は俺が守ってやる。そう言ってた社長の気持ちが、ここのところ、なんとなくわかるような気がすんだよ」
運は淡々と続ける。
「だから、俺もみんなを守ってやりてぇ。そう思うんだ」
「お兄ちゃん……」
「元の世界で家族がバラバラになっちまっただけ、余計にな」
「うっ……」
久遠は思わず涙を流し嗚咽した。
「久遠殿……」
久遠の肩を支える五十鈴。
運はそんな二人のほうへ少し顔を向けるとワザとらしくニカッと笑って見せた。
「そんだけだ」
今回の旅は、人の心を優しくさせるような旅になったようだった。