己が見たもの 〜ディルク視点〜
遠縁の公爵家に引き取られることが決まったのは、六歳になった頃だった。
剣術のセンスと、魔法具にかけられた機能を見抜く才能が高く評価されたようだ。
辺境の地から一週間かけ、王都の近くに構えられたジルコニア公爵家へとやってきた。
公爵家には自分と一歳違いの娘がいるらしい。
「……義妹か……」
噂では相当、傲慢で奔放な御令嬢らしい。
たとえそうだとしても、それに対して何とも思っていなかった。自分は与えられた責務を果たすのみ。
そう、教え込まれていた。
初対面で会った公爵家の御令嬢は、自分と対面すると父親であるジルコニア公爵の背後に隠れ、ぶるぶると震えていた。
一歳しか違わない、まだ子どもである自分を見て、そんなに怯えるとは思ってもみなかった。
(――あれほど臆病なのに、傲慢で奔放?)
公爵家で日々を過ごすうち、義妹であるディアーナは自分に慣れてきたのか、徐々に近づいてくるようになった。
「ディルク義兄さま、一緒にお勉強してもよいですか?」
「ああ、かまわない」
昔から表情が乏しいといわれていた。しかしそれは貴族社会において良い面もあるようで、公爵家からは重宝された。
ディアはこんなに無愛想な俺にも事あるごとに屈託のない天使のような笑顔で笑いかけてきた。
「ディルク義兄さま、そろそろ休憩されてはいかがです? 一緒にお茶にしましょう!」
「ああ、そうだな。ありがとう、ディア」
俺を信頼し、甘えてくる可愛い義妹に、いつの間にか俺自身が心をひらいていた。
こんなに優しく、気遣いのできるディアの、どこが“傲慢で奔放”なのか?
噂など、当てにならない。どこかの誰かがディアのことを妬み、吹聴したに違いない。
これを境に、俺は己の見たものしか信じないと心に決めた。
◇
「何だと!? それは事実なのか?」
「はい、間違いありません」
ある日、ディアの従者であるカイルスがとんでもない情報を仕入れてきた。
俺のディアが公爵家を出て、修道院に身を置こうとしている、と。
確かに最近、慈善活動として頻繁に修道院へ行っていた。ディアのために割り当てられた小遣いの一部を寄付していたことも把握している。
それがすべて将来的に修道院に入るためであった、だと――いったい、どうして?
思い当たるのは、王家からの婚約の打診。
フレデリックとは幼少期から交流があり、ディアもフレデリックを好意的に見ているものと思っていた。
しかし、ディアは父親に断ってほしいと泣きついたのだ。
泣いているディアを慰めながらも、内心喜んでいる自分がいた。
巡ってこないと思っていた婚約者の座が今、目前にあるのだから。ディアが俺と結婚すれば、公爵家から出ずに今のまま、父親とも一緒にいられる。
ジルコニア公爵もそれを望んでいるはず。
そう歓喜したのも束の間、フレデリックは条件付きでディアとの婚約を確約させた。
そこまでしたから、ディアは――
『フレディは学園で運命の人に出会うの。だから私はその邪魔になる。邪魔をした私は、大好きな皆に断罪されるのよ。それだけは……嫌なの』
美しい雫が、白い頬を伝う。
(フレデリックだけではなく、俺にも断罪される、と? そんなこと、あるわけがない)
てっきりフレデリックとの婚約は嫌だが、王家から打診があった以上、俺と婚約することも難しくなってしまったから、修道院に逃げるのだと思っていた。
でも、そうではなかった。
ディアの憂いの原因は、“未来が視える”という彼女の能力にあったのだ。
フレデリックが他の令嬢に想いを寄せてしまう未来に絶望した。それはすなわち、ディアもフレデリックを愛しているということだ。
ディアに傷ついてほしくない気持ちと、もしもその未来が現実になったら、自分がディアを支えてあげられると思う気持ちの間で揺れた。
◇
「ディアの言ったとおりだった」
入学式が行われた後、教室に戻ってきたフレデリックが眉間に深いシワを寄せていた。
「昨日、会ったんだ。例の女子生徒に」
俺は目を見張った。
普段あまり表情を変えない俺の驚いた様子に、フレデリックは慌てて付け加えた。
「いや、もちろん毅然と対応したよ」
だから心配はいらない、と俺の肩にポンと手を置いた。
問題はその後だった。
昼休憩にディアがやってきて、いつものように中庭へ向かうとディアが悲鳴を上げた。
「え……? なぜあなたがここにいるの!?」
そこにいたのはディアが恐れていた人物――アイリーン・ロードナイトだった。
事前に聞いていた特徴そのままで、ディアの能力が本物であると理解した。
彼女はズレていた眼鏡をうつむき加減でぐいとかけ直す。それを見て、俺はハッと気がついた。
「その眼鏡は……認識阻害の魔法具か?」
彼女の姿に靄がかかる。
(魔法具を使ってまで、気配を消したい理由は何だ? まさか……ディアに危害を加える気か? そうだとしたら、なぜ?)
人の悪意には理由がないことも暫しある。ディアについての噂がそうであったように。
(彼女も、その類か?)
「ご機嫌麗しゅうございます、フレデリック殿下。ジェイド様。初めてお目にかかる方がいらっしゃいますのでご挨拶させていただきます。わたくし、ロードナイト伯爵家アイリーンでございます」
彼女は丁寧に礼をし、自己紹介した。
確かに俺とディアは彼女と初対面だ。しかし、未来を視ているディアにとって、彼女は初対面の相手ではなかった。
フレデリックの背に姿を隠し、華奢な肩を小刻みに震わせている。そんなディアの様子を感じ、たまらなくなったのかフレデリックが宣言した。
「ロードナイト伯爵令嬢。君がどんな手段を使おうと、私が君に心奪われることはない。私の心にいるのはディア、ただ一人だ」
目の前にいる彼女はきょとんとした顔をし、不思議そうに首を傾けた。
「そうですか。どうぞお幸せに」
「「「えっ……?」」」
想像していなかった返答に、思わず驚きの声を上げてしまった。
彼女の返事を聞いてもなお悲観的なディアをなだめているうちに、いつの間にか彼女の姿は消えていた。
◆
「あれも彼女の策略でしょうか……?」
カイルスはゆっくりと走り出した赤い馬車を睨みつけていた。
「ガーネット伯爵家の馬車か……」
彼女と一緒にいた男――あいつも認識阻害の魔法具を使っていた。それもかなり上等なものを。
能力を持った自分でも見抜くのが難しいほどの上級品。それを――たかが伯爵家が?
「ロードナイト伯爵令嬢が言ったように、彼女は我々に何もしていない。それに――我々は彼女のことを何も知らない」
確かにフレデリックの言うとおりだ。
俺は――己の見たものしか信じない。