不穏な日々の憂鬱②
過去回想です。
「待ってください! 私も並びます!!」
私は肩で息をしながら列の最後尾に滑り込んだ。
「良かった……間に合った」
会場まであと少しというところで「間もなく、終了です」という声が聞こえ、走る速度を一気に上げた。その甲斐あって一番最後だが並ぶことができた。
私は息を整えながら、乱れた制服を直すと鞄から鏡を出し、髪型を確認する。
今まで一度も表に出てこなかった作家が初めて開催するイベント。ちょうど受験が終わり、合格発表されたタイミングで知り、もしかしたらこれは運命かも、と思った。
幼い頃から大好きだった物語。
心優しく、容姿端麗な王子様に初めての恋をした。彼と結ばれる美しい主人公に嫉妬してしまうほど、彼は私の理想の王子様だった。
だから私は、主人公に酷いことをして断罪されてしまう令嬢に少し共感した。
大好きで、やっと婚約者にしてもらえたのに、他の令嬢に彼の心が奪われていくのを近くでみているなんて辛すぎる。
彼女は間違った行動をしてしまったかもしれない。でも、その気持ちはよくわかる。
私だって、もし大好きな婚約者が他の人ばかりみていたら、心が苦しくなるもの。
そんな切ない想いを抱えながら、何度も何度も読み返した。作者がこの物語に込めた想いを綴ったあとがきまで、すべて。
この物語は、亡くなった弟さんと一緒に思い描いていた世界の一部なのだそうだ。その世界をずっと覚えていたくて本にした、と書いてあった。
(あの人が――作者?)
想像していたよりも、ずっと若い人。三十代半ばといったところか。
私は鞄の中に鏡をしまうと、交換するように一冊の本を出した。
パラパラとページを捲り、発行日を確認する。その本は今から十八年前に作られたものだった。
もしあの人が作者だったら、私と同じくらいの年齢で書いたことになる。
(すごいなあ……)
思わず感嘆の息を吐く。そして、あとどれくらいで順番が回ってくるか何気なく列を見た。
「大丈夫、大丈夫。気にするな。愛莉はどんな姿でも可愛いよ」
「玲音くんには言われたくない!」
「ええ……本気なのにー」
私の二つ前にいる同じ制服姿の高校生。
(共学、か……)
私は自分の制服に目を落とした。私の通う女子校の制服はこの辺りの地域では可愛いと評判だ。
制服同様、前に並ぶ二人とはまったく違う高校生活を送ってきたのだと改めて感じた。
(彼氏、かな? いいなぁ……)
よく見ると、彼はモデルのような体型をしており、時折振り返ってこちらを見る顔は、びっくりするほど整っていた。
(うっわぁ……かっこいい!)
物語に出てくる王子様を実写化したら、こんな感じかもしれない。きっと彼と一緒にいる女の子は物語の主人公のように可愛いのだろう。さっき、彼が彼女にそう言っていたように。
興味が湧き、私の前にいる女性の背後から覗き込むようにして彼の影に隠れている彼女を見た。
(え……っと? あれ?)
そこには普通の女の子がいた。にこにこ話す仕草は愛嬌があるものの、すべては普通、だ。
(あの子が付き合えるなら、私だって付き合ってもらえそうじゃない?)
何だか物語の主人公の気持ちが初めてわかった気がした。先に出会ったのが彼女ではなくて私だったら。きっと主人公もそう思っていたに違いない。
二つ前にいたその二人の順番が来て、彼女が作者と話をしている。それを優しい瞳で微笑みながら見つめている彼は、紛れもなく理想の王子様だ。
彼女は本にサインを貰うと、それを大事そうに胸に抱きかかえて、振り返る。
(あっ……私と同じ本!)
私が腕に抱えている本と同じものを、彼女が持っていた。
私と同じ趣味の女の子が彼の隣にいる。彼も彼女と同じ本を持っている私に興味があるのか、チラチラと何度も私の方を振り返っている。
私はそんな彼から目が離せなくなっていた。
すると突然、彼の整った顔が大きく歪む。
「愛莉、逃げろ!!」
彼の叫び声が聞こえた。
彼は彼女を後ろから抱きしめる。それを呆然と見ていた私の耳に大きな爆発音が入ってくる。それと同時に、一瞬で目の前が真っ赤に染まった。
私の記憶は――そこで途絶えていた。