不穏な日々の到来
「ご婚約されたそうね」
「はい」
燃えるような真紅のドレスに、ワインレッドのルージュ。鮮やかな緑色の髪に宝石の如く輝く青緑の瞳。
対極に位置する補色でまとめられたそのコーディネートは、彼女の存在感をギラギラと際立たせている。
私の目の前にはエスメラルダ・ジュエライズ王妃が少しの笑みもなく座っている。そして、ただ事実確認だけをするように話し出した。
招待状のある茶会であるはずが、来てみれば、王妃様と私の二人きり。
バラの芳しい香りが漂う王城の庭園で近くに流れる噴水の水音だけが私の耳に響く。
「今すぐ、解消していただけるかしら?」
「えっ……?」
(何を――?)
手元のティーカップに視線を落としていた私は王妃様からの突然の要求に思わず顔を上げた。
「あなたには、フレデリックと婚約してもらわないと困るの」
「何を、言って……いらしゃるのですか?」
王妃様の言っている意味をすぐに理解できず、困惑する。そんな私の反応などお構いなしに王妃様は話を続けた。
「フレデリックが変なことを言い出すから」
「変なこと……?」
「ジルコニア公爵令嬢と婚約する、と」
(それのどこが“変なこと”なの? むしろ、お似合いだと思うけれど……)
私の心を読んだように、王妃様は私の瞳をまっすぐに見つめた。
「あなたは、あの子が王太子妃になれると思う?」
まるでエメラルドのような透き通る青緑に吸い込まれそうになっていた私は、彼女の問いかけにハッと我に返った。
(まあ、確かに。あんなにビビリじゃ王太子妃は務まらないと思われても仕方がないか……)
だからって、たかが伯爵令嬢の私が王太子妃になれるはずもない。侯爵令嬢ならまだしも。それに、私はすでに婚約済みだ。それを破棄してまで王家に嫁いだら、王家も伯爵家も醜聞でしかない。
必要以上にビビリな公爵令嬢と、その令嬢が言うことしか信じず、自分の目で直接確認し見極めることができない未来の王太子とでは、この国の存続危機なのはわかるけど、正直、私は巻き込まれたくない。
「陛下。わたくしには、すでに婚約者がおりますし、しがない伯爵家でございます。家格にしても王家とは釣り合わないかと存じます」
(だから、どうか他の御令嬢を――)
「家格はどうとでもなるわ。養子になればいいのよ。だから、婚約解消をお願いしているのでしょう?」
私を養子にしなくとも、他に公爵家や侯爵家はあるし、王太子妃になれるだけの器量がある御令嬢だっているはず。それなのに、王妃様が私にこだわる理由がわからない。
確かに特殊な家柄であることは間違いないけれど、それは誰かさんを怒らせてまでこだわることなのだろうか。
(王妃様はお父様が私を他家に養子にいかせるなんて、本気で許可すると思っているのかな?)
レオにロードナイト伯爵家を継がせようとしているくらいなのに、そんなことありえない。
実際に、今日の茶会のことに対しても、父はお怒りだったと聞いた。
あの時の状況を報告したであろうレオの話によると、息子である殿下から私に直接手渡しさせたことに対して、仕事中にも関わらず滾々と批判をつぶやいていたそうだ。
どうやら、少し前からロードナイト伯爵家に王妃様から私宛ての招待状が何通も届いていたらしい。ただそれらはすべて父が断っていたとのこと。
父を介しては私の招待が難しいと理解した王妃様は、フレデリック殿下を通して私に直接招待状を渡すことにしたようだ。
王妃様の招待状を受け取り、王子に頭を下げられた私は断れない状況になってしまった。私には何の権力もないからね。しがない伯爵令嬢ですし。
だから、あの場に同席していたレオがイヤーカフを外してしまうほど怒ったのも仕方がないことだった。
物語の中では、確かに王妃様の遠縁にあたる侯爵家と縁組してフレデリック殿下と婚約したけれど、今の私はガーネット伯爵家という家格も同等で、さらには婿入りまでしてくれる、美麗で完璧な婚約者がいる。
それを解消してまでフレデリック殿下と婚約したいとは思わないし、仲良くする気すらない。そんな状態で婚約などしたら、それこそ互いに修羅の道だ。
「陛下。婚約は伯爵家両家に関わる重要な事柄ですので、わたくしの一存では決めかねます。申し訳ございませんが、今ここでわたくしからお答えすることはできません」
「私の思った通り、聡明ね」
王妃様が今日、初めて微笑む。
「大丈夫よ、心配しないで。すべてはこの世界のためだもの」
その微笑みに、背筋がゾクリと凍った。