平穏な日々の終焉
「君は本ばかり読んでたけど」
そういえば、そうだった。
図書館は私のお気に入りの場所だった。静かで、混雑していなくて、何より大好きな本がたくさんあったから。
成績優秀だった玲音くんに勉強をみてもらい、何とか同じ高校に進学することができたものの、ついていくのがやっとで、大学は別々になってしまうかもしれないな、と思っていた。
それでも、彼は諦めず懸命に教えてくれた。
そのおかげで二人とも第一志望の同じ大学に受かったのだ。
「その節は、大変お世話になりました」
「本当にね、苦労したよ」
私は「あはは」と苦笑いした。
今も私のことで彼には苦労をかけている。彼はなんてことないと涼しい顔をしてこなしているが、きっと並大抵の努力ではない。
これまでもクオーツ侯爵家を出て、私を探しながら、たくさん辛い思いをしただろう。前の記憶が六歳という幼い時からあるがゆえにずっと孤独だったはずだ。どんなにガーネット伯爵家が温かく迎え入れてくれていたとしても。
本当に、彼には頭が上がらない。
「まさか、その苦労があんな形で水の泡になるなんて思ってもみなかったけどね」
「……」
(――そう、かもしれないね……)
あれは、きっと――私のせいだ。
「ロードナイト伯爵令嬢」
最近では声をかけるどころか、まったく近寄ってこなくなっていたカイルスが少々申し訳なさそうな顔をして、私の名を呼んだ。
「何か?」
「少し時間を取ってもらえるだろうか?」
本音では関わりたくない一択だけど、断ったことでまた不快な思いをするのも嫌だ。
私はレオに視線を向けた。それに気がついたレオはコクリと小さく頷く。
「彼が同行するのを許可していただけるのでしたら」
カイルスは今初めてその存在に気づいたかのようにレオに顔を向けた。
「ああ、君たちは婚約したのだったね。おめでとう。もちろん、構わないよ」
カイルスと二人きりで移動して、変な噂が立ったら互いに困るわけだし、レオにはまた迷惑をかけてしまうけど、一緒にいてもらえたら誤解を生むこともないし、何より私が心強い。
カイルスについていくとクリスタルガーデンという名のついた学園内にある庭園のガゼボに案内された。
そこには、すでにフレデリック殿下が座っていた。ディルクの姿はない。
「ご苦労だったね、カイルス」
さながら私たちと同じクラスのカイルスに私を呼び出すよう彼が頼んだのだろう。カイルスは静かに頭を下げると、私にチラリと視線を向けてから、その場を後にした。
「ロードナイト伯爵令嬢。急に呼び出してしまい申し訳ない。ガーネット伯爵令息も、まずはそこにかけてくれ」
金髪碧眼の王子様は柔らかい笑みを浮かべながら、向かい側のベンチを勧めた。
私たちが腰掛けたのを見届けて、フレデリック殿下は口を開いた。
「先日は不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳なかった。君たちとは初対面であったのに失礼な態度をとってしまったこと、今さらながら恥ずかしく思っている」
前回の謝罪とは違い、心から悔やんでいると感じられる。
「殿下。もう謝罪は結構です。私には素敵な婚約者ができましたし、殿下に誤解を与えるようなことはもうありえませんので」
隣にいるレオにニッコリ笑ってみせると、彼はいつものクセを発動させた。
「そうだったね。婚約、おめでとう」
「「ありがとうございます」」
(それを直接言うために呼び出したの? 謝罪と祝福のため?)
私と同じ疑問を抱いたのか、レオが問いかけた。
「殿下。本題に入っていただけますでしょうか」
フレデリック殿下は大きく息を吸い込むと、小さく頷いた。
「実は――私の母、ジュエライズ王妃が君に会いたいと言っているのだ」
「え?」
(今、なんて? 何で王妃様が私に会いたいの?)
フレデリック殿下はスッと私の前に一通の招待状を差し出す。
「王妃主催の茶会の招待状だ」
レオが突然、イヤーカフを外した。そして、それをギュッと力強く握り締める。
「なぜ殿下が直接、彼女に渡すのです?」
急に存在感が増したレオにフレデリック殿下は驚く様子もなく、首を左右に振った。
「それが……私にもわからないのだ。伯爵との約束があったから、直接渡すことはできないと母上には断りを入れたのだが、どうしても私から直接渡すよう懇願されて……」
フレデリック殿下は腕を組んで、困ったように顔を顰めた。
(――ん? 伯爵との約束って、何?)
レオが突っ込むかな、と思い、チラリと視線を送るも、彼の視線は華やかな装飾の施された招待状に釘付けのまま。
(これは――知ってるやつだ。お父様とレオは結託してるからなぁ)
私の知らないところで父が色々と対処してくれたのだろう。今までの経験からそうだとは思っていたけれど、そこにレオまで加勢しているとは思わなかった。
「とにかく。ロードナイト伯爵令嬢。必ず参加してくれ。よろしく頼む」
王子に頭を下げられ困惑する私と、王子を前に不敬なオーラを隠しもせず放つ私の婚約者は、平穏な日々が終わろうとしていることをひしひしと感じていた。




