平穏な日々の訪れ
「おはよう、リニー。僕の愛しいお姫様」
「……何それ」
「アイリーンパパの真似。似てたでしょ?」
平穏な日々が訪れ、窓際の席に差し込む陽射しが徐々に眩しくなってきた頃。
私の後ろの席に座る婚約者レオナルド・ガーネット伯爵令息は長い前髪で顔の半分を覆い隠したまま、口元に大きな弧を描いた。
私はジトリとした視線を彼に向ける。
「お父様に怒られるわよ」
「大丈夫だよ。アイリーンさえ、告げ口しなければ」
レオはヒョイと肩を竦めてみせた。
ガーネット伯爵令息とロードナイト伯爵令嬢の婚約は瞬く間に知れ渡り、両家の間でしばらくは魔法具を外さないほうがよいという結論に至った。それゆえ、私はまたもや人脈づくりをする機会を失っていた。
最近は落ち着いてきたからいいかな、なんて眼鏡とイヤーカフを外そうとしたら、父とレオに全力で止められた。そういう意味では彼らは結託している。
(まあ、レオがお父様に嫌われていないのは良いことだけど……)
レオは卒業後ロードナイト伯爵家に入ることになりそうで、父から仕事を教わっている。
傍らでニコニコと微笑みながら見守っている老執事に少々やりにくさを感じているみたいだけれど。
「お父様との仕事は順調?」
「ん、そうだね。基礎的なことはある程度、家庭教師に習っていたし、物語には出てこない部分は最初から学ばないといけないのが大変だけど。この国の建国史とか隣国の情勢とか。まるで受験勉強してるみたい」
「あはは、そうかもね」
特にロードナイト伯爵家は隣国アルカディア王国と縁が深い。なぜなら私の祖母、つまり父の母親はアルカディア王国の公爵家の娘だから。
アルカディア王国は魔法と神の守護がある大国で、ジュエライズ王国より圧倒的な国力を持っている。
そんな大国の、しかも公爵家の血筋を引いている父や私はこの国にとって重要な存在なのだ。――主人公チートの一部だと思っているけどね。
ジュエライズ王国は元々もう一つの隣国アンドロスと一つの国だった。
魔法と神の守護があるアルカディアに対抗できる部分が、豊富に取れる魔法石とそれを魔法具に加工する技術だったため、それらを優先的に安定して供給することでアルカディアと協定を結んでいた。
魔法と神の守護を受けているアルカディアといえど、魔力を持っているのはごく一部であり、そのほとんどが名のある貴族ばかりで、多くの国民には魔法具が生活必需品であった。そのため、協定によりアルカディアを他国より優遇することで保護されてきた。
ところが王家は分断し、ジュエライズ王国とアンドロス王国に分かれた。
当初は魔法石を採掘し、ラフカットするアンドロスと、それを魔法具に加工して販売し、魔法石の採掘によって溜まってしまった瘴気を浄化するジュエライズとに役割分担するため分かれたのだが、最近はその情勢が危うい。
調整官として、それらの問題からジュエライズ王国の安定を図っているのがロードナイト伯爵家である。
大国であるアルカディアの公爵家の血縁だから適任といえばそうなのだけれど。
だから、ロードナイト伯爵家の家業を継ぐとなると、この国の建国史や隣国の情勢を学ぶことが必須なのだろう。レオが前の世界での受験勉強を思い出したのも無理もない。
「あっ……受験勉強……?」
「アイリーン、どうかした?」
そういえば前の世界ではよく図書館の自習スペースを使って受験勉強していた。
私は前髪の向こうに隠れているレオの瞳のあたりをジッと見つめた。
「レオは前のこと、どのくらい覚えてる?」
「どうしたの、急に」
「受験勉強、一緒にしてたよね?」
レオは視線を合わせるように顔を少し上げた。
「してたね。図書館で」
いつものように右手で髪をクシャッと掴むと、こめかみを刺激するようにグリグリと擦った。




