最後の関係者 〜アラスター視点〜
僕が六歳になってまもなくジルコニア公爵家の令嬢ディアーナ様の五歳の誕生日パーティーに呼ばれた。
僕は侯爵家の息子であるし、御令嬢と歳が近いこともあり、招待されたのだ。
初めてのパーティー、初めての交流。
胸を踊らせながら会場に足を踏み入れた僕は、僅か数分でこの場に来たことを後悔した。
「拾いなさいよ!!!」
ジルコニア公爵家の美しい庭園に少女の甲高い声が響き渡った。
「あなたが生涯かけても手にすることのできないものを拾わせてあげるっていってるの! そこに跪いて、丁寧に拾い上げなさい!」
少女の前には侍女がうつむき、体を震わせていた。ガクガクと崩れ落ちるように跪き、美しい輝きを放つその宝石をそっと拾い上げようと手を近づけた瞬間――
――ガンッ
鈍い音とともに侍女の頭が芝に埋まる。
シン、と静寂に包まれた庭園で、少女のクスクスと笑う声だけが響いた。
「誰が素手で触っていいって言ったのよ」
大人の手のひらほどの大きさの足が、侍女の後頭部を踏みつけている。
わずか五歳の少女が微笑みを浮かべながら、侍女の頭にグリグリと低いヒールを擦りつけるその光景に、僕は言葉を失った。
今、目の前で起こっていることに恐怖を覚え、身体がガタガタと音を立てて震えだす。突然、襲ってきた激しい頭痛と吐き気に耐えられず、僕は目を閉じ耳を塞いでその場にしゃがみ込んだ。
――ゴンッ!!
ぬかるんだ地面にも響くほどの大きな衝撃に、僕がギュッと瞑っていた目を恐る恐る開けると周囲の様子は一変していた。公爵家の使用人がバタバタと忙しなく走り回り、会場内にいる招待客はざわついていた。
「早くお嬢様をこちらへ!」
僕はしゃがみ込んだまま、状況を把握しようと辺りを見回すと、僕の目に飛び込んできたのは先ほどまで恐怖の対象だった少女が意識を失い、抱えられて屋敷の中へと運ばれていくところだった。
「何をしている。アラスター」
不意に呼ばれた名前に反応し、反射的に顔を上げると、一緒に来ていた父が冷やかな目で僕を見下ろしていた。まるで面倒なものを見るかのように。
「早く立ち上がれ! 帰るぞ」
主役不在の誕生会は騒然としたまま終了した。
◇
しばらくしたある日。
父が上機嫌で帰宅し、珍しく一緒に食事をすることになった。
「よく遊んでいたディルクを覚えているか?」
「はい、覚えています」
「彼はジルコニア公爵家の養子になった」
僕は、ひゅっと息を呑んだ。
(ディルクがあのジルコニア公爵の養子になっただって? それって……)
先日の恐怖が甦る。
父は彼と僕に交流をもたせようとジルコニア公爵に申し入れたそうだ。
結果的に侯爵家という家柄と、ディルクの幼馴染で同じ歳の僕に不適格な要素はまったくなかったため、定期的に公爵家へ行くとになった。
ディルクに会いたくないわけではない。寡黙で表情は変わらないが、悪いやつじゃない。
問題はその義妹になったディアーナの方だ。
あの凄まじい光景が鮮明に脳裏をよぎる。
いくら行きたくないと言ったところで、僕に選択肢はなかった。
◇
今日はあの日以来、初めて公爵家の敷地に入る。僕の心臓は激しく鼓動し、すでに吐き気を催していた。
「なんだ、情けない。これくらいの揺れで酔ってどうする」
父は僕が馬車に酔ったと思っている。
「申し訳ありません」
僕はハンカチで口元を覆いながら、瞳を閉じた。
父はそんな僕を見てフンッと鼻で笑うと、僕の耳元に顔を寄せ、小声で話した。
「ディルクと仲良くしろ。将来、公爵家の当主になるかもしれないのだからな」
父の頭には公爵家との繋がりを作ることしかない。そのための僕だ。使えるものは、何でも使う。それがクオーツ侯爵家だった。
「いや、娘のディアーナでもいいな。婚約者にでもしてもらえれば安泰だ」
僕の身体は鉛のように固まった。
(あの子が僕の婚約者に? そんなの、絶対に嫌だ!)
断れるわけもなく、黙ってうつむくことしかできなかった。
「待たせたね」
先に通されていた談話室の扉が開くと、ジルコニア公爵とディルク、そして、彼らの後ろに隠れるようにディアーナが姿を現した。
(えっ……? あれがあのジルコニア公爵令嬢?)
先日の誕生会で見た人物と同一であるとは思えない仕草と表情。何より彼女から邪気のようなものを一切感じなくなった。
恥ずかしそうに自己紹介をする姿は、年相応の愛くるしい御令嬢、そのものだった。
さらに驚いたのは彼女の側には先日、後頭部を踏みつけられていた侍女が笑顔で従事していたことだ。
何があったのかはわからないが、彼女が良い方向に変化したことは確かだった。
「城下における瘴気の状態はどうだ?」
ジルコニア公爵と父の会話が始まる。
子どもたちは子ども同士でテーブルについているが、同席している父親同士も顔合わせついでに仕事の話ができるというメリットがあったのだろう。元より父も仕事の報告を兼ねて同行したようだ。
「滞りなく。しかし、このままですと今年の予算枠は超えてしまうかと」
「そうか。では、次回の会議で議題に挙げよう」
「ありがとうございます」
クオーツ侯爵家は、この国の浄化を主に家業としている。家柄上、そういう能力に特化したものが生まれやすく、代々クオーツ家の当主は浄化能力に優れており、自分の気を放出することで浄化を行っていた。
しかし、その嫡男として生まれた僕の能力は、その真逆だった。
僕は吸収してから浄化する。一度、体内に取り込まなければならない。そのため、瘴気や邪気にあてられやすく、体調を崩しやすい。
父が僕を蔑む理由である。
そんな出来損ないの僕にも政治的な利用価値はあったようだ。ただ、僕がジルコニア公爵令嬢と婚約することはありえないだろうが。
二回目の訪問までは付き添っていた父も、これからは私が同行しなくてもしっかり交流を続けるように、とだけ言って、付いてこなくなった。
僕としても、その方が心が軽い。なにせ一番近くに吸収すべき邪気があっては、僕の体調は悪いままなのだから。
そうして何度目かの訪問をした帰り道、僕の乗ったクオーツ侯爵家の馬車は、一人の少年を避けきれずに横転した。
城下にほど近い林道であったが、御者は気を失っており、轢かれた少年も身動き一つしない状態で助けを呼べるはずもなく。僕は――ゆっくりと目を閉じた。
夜になっても戻らない馬車を捜索していたクオーツ侯爵家がそれを発見したのは、辺りが薄明るくなった翌朝になってからであった。
冷たくなったその身体を一番最初に抱きしめたのは、白髪の執事だった。
じいや、と呼び、いつも僕を気にかけてくれていた優しい執事。彼だけが僕のことをいつも心配してくれた。邪気にあてられ、体調を崩した時も、熱を出し、寝込んでいた時も。
「大丈夫です。じいやが側にいますよ、坊ちゃま」
いつもそう言って、手を握っていてくれた。抱きしめてくれた。そして、今も――
同じ言葉を繰り返しながら、じいやはボロボロと涙を流し、ピンと張ったシワのない執事服が汚れるのもいとわず、ぎゅうと両腕に力を入れて、冷たくなってしまった身体を温めるように抱きしめ続けている。
(――悲しませて、ごめんね。じいや)
僕――アラスター・クオーツの人生は、この場所で幕を閉じたのだ。
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