小心者の悪役 〜ディアーナ視点(後編)〜
私に関わる人たちとの関係改善ができてきても不安は消えなかった。
皆がアイリーンと出逢えば気持ちが変わってしまうかもしれない。もしも、何らかの強制力が働いたら? そうでなくてもアイリーンほどの美少女なら、誰もが皆、心を奪われるにちがいない。
学園へ入学する年齢が近づいてくるたび、押し寄せる不安。
今の私ができることは、物語通りになった時のために、この家を出ていく準備をすることである。
そのため修道院に寄付をしたり、慈善事業にも力をいれてきた。司祭様や修道院長にもそれとなく話をして、万が一のためのコネクションは出来ている。
――と、そう思っていたのだが。
「ディアーナ」
「はい、お父様」
「最近、よく修道院へ行っているそうだな」
ギクリ、と肩を揺らす。
「はい。心が落ち着くので……」
「そうか。しかし――」
(まさか、計画がバレている?)
冷や汗が背中を伝う。公爵様は書類から目を離すと私をまっすぐ見つめた。
「君が修道院に身を寄せる日など永遠に来ないから、安心して公爵家にいなさい。ディアーナ。愛する我が娘の居場所は、このジルコニア公爵家だ」
結局、計画のすべては有能な従者となったカイルスを通して筒抜けだった。父をはじめ、ディルクやカイルス、そして――フレデリック王子までもが私の修道院行きを阻んだ。
フレデリック王子は、あの誕生会の事故以降、私を心配してか、もしくは側で監視するためか、以前よりも公爵家に来ることが多くなった。
悪役令嬢であるディアーナが恋をしてしまうほどに優しく、紳士的で、聡明。そして、眉目秀麗。
物語の中では公爵家の令嬢だからという理由のみで渋々付き合いがあっただけなのに、ディアーナの我儘で婚約までさせられた、気の毒な王子様。
だから私は何としても彼との婚約だけは回避したいと思っていた。
――そう、思っていたはずなのに。
会う回数が増えるたびに、彼のことを好きになる。このままでは、本当に悪役令嬢になってしまう。
何とか距離を置こうとしても、その分フレデリックは距離を詰めてくる。
「ディアーナ。君のことを“ディア”と呼んでも構わないだろうか。私のことは“フレディ”と呼んでほしい」
ピタリと寄り添うように座り、耳元で甘く囁かれ、恋に落ちない令嬢がいるわけがない。
「ディア。どうして私との婚約を断ったの? 理由を教えてくれないか?」
懇願する瞳に絆されそうになるが、ぐっと堪え、きっと私より好きになる方が現れます、とだけ答えた。
けれど、それで納得してもらえるはずもなく、“学園を卒業しても気持ちが変わらなければ”という条件付きで仮婚約することにした。
そうまでして私を気にかけてくれていたのに、私が修道院行きの計画をしていたことがフレディには不満だったようだ。それがバレたことにより、私はさらに深い追及を受けることになってしまった。
「フレディは学園で運命の人に出会うの。だから私はその邪魔になる。邪魔をした私は、大好きな皆に断罪されるのよ。それだけは……嫌なの」
理由を言葉にしてみたら、涙が次から次へと溢れ、止まらなくなってしまった。
私は――自分でも気づかないうちにこんなにもフレディのことが好きになっていたのだ。
私は大切な人たちに未来を見通す能力があると告白し、これから起こる出来事を打ち明けた。
◇
昨年から学園へ通い始めたフレディとディルクの元にいつものようにランチを持っていった。
本来なら私もカイルスと一緒に入学する予定だったが、これ以上、物語通りになるのは嫌で、久しぶりに公爵様に我儘を言ってみた。
まさかあんなにすんなりと受け入れてもらえるとは思ってもみなかったけれど。もうすでに公爵家で学び終わっているから行く必要もないそうだ。フレディやディルク、カイルスは今後の社交のためだけに通っているらしい。
昨年まではアイリーンがいなかったから、油断していた。それに物語の中でアイリーンはいつもカフェテリアを利用していたから、思ってもみなかった。
彼女が中庭にいるなんて。
やっぱり物語の強制力があるのかもしれない。登場人物たちと主人公を引き合わせるための。
皆は心配ないというけれど、彼女を目前にした私の体は震えていうことを聞いてくれなかった。皆が私と仲良くしてくれるのは嬉しい。でもその分、心変わりされたら辛くなる。
だから、自分の身は自分で守らないと。
本当の物語が始まった今、私の修道院行きが再燃していた。
◇
アイリーンと中庭で出会った後、私は不思議な感覚を覚えた。
確かディアーナと対峙していたアイリーンは四人の男子生徒に囲まれ、護られていた。
今日の出来事は、ディアーナとアイリーンの立場は逆転していたが、彼女と向き合っていたのはフレディとディルク、そして、カイルスの三人だった。
――彼が、いない。
アラスター・クオーツ侯爵令息。
記憶を遡り、昔、数回だけ会ったことがあったのを思い出した。
ディルクの幼馴染として紹介され、一緒に遊んだ。でも、いつからか屋敷に来なくなった。
その時の私は父と義兄、フレデリック殿下との関係改善が最優先で彼のことを気にかけておらず、いつの間にか彼の存在を忘れていた。
「ねえ、ディルク義兄さま」
先に屋敷へ戻っていた私は、ディルクが帰って来るのを待ち構えていた。帰宅してすぐに話しかけてきた義妹に嫌な顔もせず、丁寧に対応してくれる。
「昔、義兄さまの幼馴染で侯爵令息のアラスター様がいらしたわよね?」
「ああ……」
ディルクは一瞬、手を止めると、少し気まずそうに視線を落とした。
(仲違いでもしたのかしら? やっぱり、私が原因で? 断罪されたくなくて関係改善していた影響が出たのかな?)
「いつからか姿を見かけなくなってしまったけれど、何かございましたの?」
ディルクは一度大きく息を吐くと、口端を横に引き締めた。
「彼は――亡くなったんだ」
「えっ……」
「不慮の事故だった」
ディルクの眉間に寄せたシワが深くなる。そして、悔しそうに唇を噛みしめた。
私は記憶の奥にある物語を辿った。そうして、ぼんやりと思い出した。
アラスター・クオーツの身に起こった出来事を。
彼は――確かに事故には会うが、無事だったはず。
道の端から子どもが飛び出し、避けようとしたことで馬車が横転。結果的に間に合わず、子どもは轢かれて亡くなってしまうが、アラスターは少し傷を負っただけで助かったはずだ。
もしかしたら――私が物語を変えてしまったことで、彼の運命を変えてしまったのかもしれない。
そう考えたら、急に怖くなった。
自分が助かればいいと思って動いた結果、他の誰かが犠牲になるなんて。
ディルクは真っ青な顔をした私を抱きしめ、「残酷なことを伝えてしまい、すまない」と優しく慰めた。




