小心者の悪役 〜ディアーナ視点(中編)〜
長くなってしまったため、中編と後編に分けます。
その侍女――ジェシカから聞いた話によると、あの後、曲がりなりにも公爵令嬢の私に怪我をさせた、ということで、私が踏みつけた侍女は処罰を受けることになったそうだ。
そして、本人不在のため、騒然としたまま、誕生会は終了したとのこと。
(――まあ、そうなるよね)
もう何度目かの溜め息を吐く。
「ありがとう、教えてくれて」
私に御礼を言われた侍女ジェシカは、驚きのあまり固まっていた。
(――悪役令嬢が最初に通る道、ですよね)
公爵より前に、まずは近くの使用人から。少しずつ味方を増やしていこう。万が一、うまくいかなかったら公爵家を出ればいい。幸い私には前に生きた記憶があるのだから。
「お父様とはいつ会えるかしら?」
会いに来てくれないなら、こちらから出向くまで。
ジェシカによると、朝食だけは公爵様と顔を合わせているそうだ。明朝からさっそく作戦開始といこう。
長く寝すぎてた影響で、昨夜は全然眠れなかった。きっと原因はそれだけではないと思うけれど。
朝食が用意された部屋へとやってきた私は、先に席に着いていた公爵に視線を送った。娘が入ってきたというのに、彼は少しも視線を上げなかった。
(これでも病み上がりなんですけど。少しぐらい気にかけてくれてもいいのに……まあ、自業自得だから同情の余地はないけれど)
私は緊張を解すように大きく息を吸い込んで公爵様に挨拶をした。
「おはようございます、お父様」
朝食を口へ運ぶ手がピタリと止まる。公爵様がゆっくりと視線を私に向けた。
目が合うと、にっこりと微笑んでみせる。公爵様の瞳は大きく見開かれた。
「誕生会では……申し訳ありませんでした」
肩を大きく落とし、うつむく。しっかり反省しています、と態度で示す。
「私が傷つけてしまった侍女が処罰を受けたと聞きました」
私の言葉に、ハッと我に返った公爵様が今日初めて口を開いた。
「私の聞き間違いだろうか。お前が、傷つけられたのだろう?」
「いいえ、お父様。私が彼女を傷つけたのですわ」
ディアーナがあんなひどいことをしなければ、怪我をすることもなかったのだから。頭に足を乗せていなければ、飛ぶこともなかったわけだし。
「ですから処罰を受けるべきは私であり、あの侍女ではありません」
公爵様は眉間にシワを寄せた。
「しかし公爵家の娘に怪我を負わせたのは事実。そして、何より招待客が一部始終を見ている」
どんな状況であろうと、貴族が使用人に怪我を負わされたのだ。まったくのお咎めなしとはいかないのだろう。
「では、彼女を私の専属侍女にしてください」
「はっ、何だと……?」
眉間に刻まれたシワが深くなる。
それもそうだ。今度はどんな問題を起こすのかわからない。今より悪くなる可能性だってあるのだ。我儘もいい加減にしろ、って感じよね。
「彼女が私に怪我をさせたのだから、本人が私の世話をするべきかと。それが彼女への処罰ということで、どうでしょうか」
公にはできなくても、近くにいてもらえれば、直接謝罪できるわけだし。
今までの私が我儘を通してきたということもあってか、公爵様は「はあ」と諦めたように息を吐くと「好きにしろ」と席を立った。
朝食後、怯えながら私の部屋へやってきた侍女は、エリザという名前だった。今まで誰一人として名前を覚えていなかった。使用人は使用人。区別なんかディアーナにはなかったのだから。
あの時、エリザが踏みつけられたのも、ただ彼女が一番近くにいた、というだけ。本当に申し訳ないことをした。
まあ実際にしたのは私ではなく、物語のディアーナなのだけど。
「今までひどいことばかりして、本当にごめんなさい。謝って許されることではないけれど、心から反省しています。もう二度とあのようなことをしないと、神に誓うわ」
大きく頭を下げた私にエリザを連れてきたジェシカでさえもあんぐりと口を開けたまま、固まった。
「許して……くれるかしら……?」
あんなに酷い言葉を浴びせ、あんなに酷いことをしたのだから。許してくれなかったら、それこそ早めにこの家を出ていかなければ。
私が恐る恐る頭を上げると、目の前の顔からサーッと血の気が引いていく。エリザは驚くほどのスピードで膝をつき、額を床に擦り付けた。
「とんでもございません! お嬢様にお怪我を負わせたのは私です! 大変申し訳ございませんでした。そして、直接謝罪できる機会を与えてくださり、本当にありがとうございます……!」
既視感のある光景にいたたまれず、エリザの横にしゃがみ込んだ。
「顔を上げて」
エリザと視線が合うと、安心させるようにニコッと笑ってみせた。
「これから、よろしくね」
エリザとジェシカは顔を見合わせると、ホッとしたように「はい」と微笑み返してくれた。
◇
ディアーナと問題を起こした侍女が和解したと執事から報告が上がった。
妻がいなくなってから、朝食の席でしか顔を合わせなくなった娘と直接会話をしたのは初めてだった。
必要なことや、欲しいものがあれば、いつもは執事を通して、私にねだってきていたから。
今日、目にしたディアーナは容姿こそ自分と似ていたが、話し方や振る舞いが、まるで妻を見ているようだった。
その後も様子を見ていると、妻の生き写しかと錯覚するほど穏やかになっていた。
すべては、あの日から。あの最悪だった誕生会から変わった。性格も、柔らかい微笑みも、気遣いも――すべてが愛する彼女を思わせた。
いつの間にか妻がいた頃の娘への想いがよみがえっていた。
ディアーナが倒れた後、王家の体裁を保つためだけに見舞いに来ていたフレデリック殿下も、回数を重ねるたびに、その期間が短くなっていき、自主的に訪問してくるようになった。
心を入れ替えたディアーナは愛おしい。それに気がつかない者はいないだろう。
このままでは王家にディアーナを取られてしまいそうで、以前から検討していた養子の話を早めることにした。
◇
「明日、お前に義兄ができる。粗相のないようにしなさい」
少しは関係改善できていると思っていたのに、衝撃的な一言を聞いてしまった。
物語ではまだまだ先の話だったはずが、どうしてこんなに早まったのか。
心臓が口から飛び出してしまいそうなほどに、バクバクと鼓動していた。
初対面の日。私はジルコニア公爵の背後に隠れて、義兄になるディルクをジッと観察した。
物語よりも幼い容姿。自分と一歳しか違わないからまだ六歳だ。
何とかしてディルクと仲良くしなくては。
「ディルク義兄さま、一緒にお勉強してもよいですか?」
「ああ、かまわない」
ディルクは気持ちを表現するのが苦手なのか、あまり表情を崩さなかったが、私が笑いかけたり、話しかけたりしても、決して邪険に扱わず、何をするのにも付き合ってくれた。養子だからと子どもながらに気を遣っているのかもしれない。
本来のディアーナだったら、きっと幼すぎて理解できなかっただろう。だから、ディルクに蔑まれていると思い込んで、勝手に嫌っていたのだ。
「ディルク義兄さま、そろそろ休憩されてはいかがです? 一緒にお茶にしましょう!」
「ああ、そうだな。ありがとう、ディア」
ディルクは私が誘わないと一切休まない。まだ幼いのだから、根を詰めないでほしい。
公爵家の養子として色々と背負い込み、頑張りすぎだ。私が頼りないばかりに、公爵からの期待も大きいのだろう。本当に申し訳ない。
十歳になった頃、遠縁の伯爵家から私の従者としてカイルスがやってきた。
あれから五年も経ち、私はすっかりここがどこかということを忘れていた。こうして時折思い出させるのは理由があるのだろうか。
(――ということは、まさか……)
私が断罪される未来が近づいている、ということなのだろうか。
私はブルリと肩を揺らした。
物語の中のようにカイルスに我儘や迷惑をかけないようにしなければ。
初めて会ったカイルスは常に伏目がちで少しも笑わなかった。行儀見習いも大切だけど、年相応に笑ったり、泣いたりしていいと思う。
私は過去の失態で、恥ずかしすぎて公爵家の敷地内から出られなくなってしまったけれど、その中で楽しいことをたくさん知っている。だから、カイルスにも教えてあげたい。幸い、私専属の従者見習いなのだから、私が引っ張り回しても誰も文句は言えないはず。
「カイルス! ダメよ、もっと笑ってくれなきゃ! 楽しいときは思いっきり笑うの!」
私がニーッと笑ってみせると、カイルスは顔を上げて、ほんの少し頬を緩ませた。
「カイルス……! あなたの瞳って、宝石のようにキラキラしていてとっても綺麗ね!」
初めて目が合った気がした。淡い新緑色の瞳。まるで翡翠のように美しい。
綺麗なカイルスの瞳から、つうと一粒の雫がこぼれ落ちた。
「……カイルス? ご、ごめんなさい! 私、あなたを悲しませるようなことを言ってしまったかしら」
突然頬を濡らしたカイルスを見て、慌てふためく。そんな私に彼は「綺麗だと言われたのは初めてです」と柔らかく微笑んだ。




