存在を消して 〜レオナルド視点(後編)〜
「えっと、私は目立たない方法を教えてほしかっただけなのですが」
「ですから、こちらへどうぞ」
アイリーンを半ば強引にガーネット伯爵家の馬車に押し込むと向かい合わせに座った。
少し開いた窓の隙間からは甘い花の香りがふわりと入り込んでくる。
アイリーンは気持ちを落ち着かせるように大きく息を吸い込むと僕に問いかけた。
「レオナルド様、この馬車はどちらに向かっているのでしょうか?」
レオナルド様、なんて呼び方に距離を感じる。同じ伯爵家であるし、何より彼女にはそんなふうに呼ばれたくなかった。
「アイリーンさん。僕たちは同じ家格ですし、敬称は必要ありませんよ。クラスも同じですし、レオでかまいません」
彼女は少し躊躇った後、
「では、私もアイリーンとお呼びください」
「それなら敬語もやめようか、アイリーン」
「そうね、わかったわ。レオ」
僕はアイリーンにとって最初の友人となれた。
今は――それで充分だ。
「アイリーンに対して失礼な態度を取っている人たちは、ジルコニア公爵家と関わりのある人ばかりだね。フレデリック殿下を除けば」
アイリーンが気にしていた行き先には触れず、学園内でした話を考察し、思わず呟くと彼女は驚いて顔を上げた。
「フレデリック殿下とジルコニア公爵家のディアーナ様は婚約しているのでは?」
(――え? なんで?)
「いや? 確か婚約者候補として名前が挙がっているだけだったと思うよ。フレデリック殿下に今、婚約者はいないはず」
なぜアイリーンは二人が婚約していると思い込んでいたのだろうか。あまり社交がなかったと言っていたから、単に耳にする機会がなかっただけなのか。
「そういえば、変な噂を耳にしたことがあるんだけど」
「変な噂?」
「うん。何でも、ジルコニア公爵令嬢がフレデリック殿下に婚約の条件を出した、って」
「婚約の条件?」
「そう。フレデリック殿下はジルコニア公爵令嬢と婚約したいけれど、彼女は卒業するまでの間に殿下の心変わりがなければ、という条件を出したんだってさ」
アイリーンの反応をみるため、ガーネット伯爵家の情報機関を使って調べたことをそれとなく伝えてみると、彼女は驚いたように呆然とした。
「大丈夫? 馬車に酔った?」
「平気よ、酔っていないわ」
「ああ、よかった。もう少しで着くから」
思っていたより強い反応に、頭の中に渦巻いていた疑問が確信に近づいた。それに悟られないよう彼女の顔を覗き込み、話を逸らした。
馬車がゆっくりと速度を落とす。窓の外はいつの間にかたくさんの店が並ぶ大通りに差し掛かっていた。
「ここだよ」
先に降りてアイリーンをエスコートする。
自分が差し出した手に彼女の手が重なると、僕の胸がドキリと音を鳴らした。
僕は何事もなかったようにある店の扉を開け、その店内へと案内した。
「ここって……魔法具店……?」
ここは――知る人ぞ知る店だ。なぜなら、入れる人が限られているから。
アイリーンは、キラキラと光る鉱石が埋め込まれた美しい品々を見て、胸の奥底から「ほう」と深い息を漏らしている。
この表情を――僕は、知っている。
「……やっぱり、君は……」
「ん? 何か言った?」
「いや? 何でもない」
(――まだだ。まだ確信は持てていない)
今回の目的はアイリーンに魔法具を贈ること。
店内を見て回り、一つの魔法具が目に留まる。
縁が銀色で、テンプルには編み込みの細工がしてあり、ヨロイに小さな赤い鉱石がはめ込まれている眼鏡だ。それを手に取ると彼女に差し出した。
「これはどうかな?」
隅から順番に商品をじっくり眺めていたアイリーンの隣に立つと、気配に気づかず少し驚いた表情をしてから、僕の手の中の眼鏡に視線を移した。
「綺麗……」
(そう言うと思った)
僕は満足げに唇を横に引き、「かけてみて」とそれを手渡す。彼女が不思議そうに首をひねったので、僕も同じように首を傾けた。
「知りたかったんでしょ? 目立たない方法」
「……え?」
彼女は半信半疑というように僕に促されるまま眼鏡をかけ、自分が映る鏡を見ると――
「うそ……すごい……」
「気に入ってくれた? それならプレゼントするよ」
「え、大丈夫よ。自分で買うわ」
「僕に贈らせて。昨日のお詫びも兼ねて」
アイリーンは受け取れない、というように首を振るので、贈らせてもらえないと一生煩慮して生きていくことになる、と半ば脅しのような文句で肩を落としてみせると、渋々了承してくれた。
綺麗に包んでもらい店を出ると、アイリーンは通りの反対側にある書店をじっと見つめていた。
「寄っていく?」
「今日はもう帰るわ。眼鏡、プレゼントしてくれて、ありがとう」
「どういたしまして。家まで送るよ」
すでに辺りは橙色に染まっており、だいぶ長い時間を過ごしていたのだと気がついた。時が経つのを忘れてしまうほど、彼女の隣は居心地が良かった。
◇
「おはよう、アイリーン」
翌日。早速プレゼントした眼鏡をかけてきてくれたアイリーンを見て、僕の口元は綻んだ。
「似合ってるね。効力も問題ないみたいだ」
「そうなの。とても快適な登校だったわ。本当にありがとう!」
「どういたしまして」
彼女の満足そうな微笑みに、思わずつられて笑顔になった。
昼休みが終わり、スッキリとした顔で教室に戻ってきたアイリーン。
「なにか良いことでもあったの?」
「うーん。嫌なこともあったけど、結果的に気持ちは吹っ切れたから良かったかな」
「へえ……そう。それなら良かった」
何かあったなら、教えてほしかった。
そう思った自分に少し驚く。今まで“目立たず、関わらず”だった自分が、まさか自ら関わりたいと思う日が来るなんて。
「レオにお願いがあるの」
「ん? なに?」
「昨日のお店への行き方を教えてくれない?」
「もちろん、構わないよ」
彼女からの願ってもないお願いに、僕の唇は大きな弧を描いた。
◇
「あの……私、“行き方を教えてほしい”って言ったのだけど?」
「だから送ってあげてるんだよ」
ガーネット伯爵家の馬車の中。僕の真向かいに座る不機嫌そうな彼女の様子に、堪えきれず口元が緩んでしまっていた。
「行き方さえ教えてもらえれば、自分で行けるわ」
拗ねるようにプイッと顔を外に向けたアイリーンが可愛く思えた。
「ほら、アイリーンは何をしても目立ってしまうからね。目立たない僕が側にいれば、何かと役に立てるだろう?」
「うっ……」
彼女の機嫌を取るため、わざと過去の失言を持ち出した。本当の理由は違っているのだけれど。
「それに……昨日の魔法具店は目印にはならないよ」
「それ、どういう意味?」
「あの書店に行きたいんだろう?」
「そう、だけど……」
「それならやっぱり僕の案内が必要だね」
アイリーンは理由がわからず首をかしげるが、僕は笑いながら「行けばわかるよ」といった。
口頭で説明するよりも実際に見たほうが理解できるだろう。
「あ、れ……? どういうこと?」
書店側から見た通りの向こうにあったのは、テラス席のある可愛らしいカフェだった。
それもそのはず。あの魔法具店は入る人を選ぶ店なのだから。
「だからあの店は目印にはならないんだ。この書店に行きたかったら、今の道をつかうといいよ」
「……わかったわ、ありがとう」
想像通りの反応に、僕の口元は緩みっぱなしだ。
「あの店に行きたくなったら、僕に言って。いつでも連れて行ってあげるから」
あからさまにがっくりと肩を落とすアイリーンに、いよいよ我慢の限界だった。僕は口元を押さえ、肩を揺らした。
木のぬくもりが伝わる温かい雰囲気の書店に入ると、アイリーンは特定の分野の棚でピタリと足を止めた。
順にラベルを追っていき、気になった本を見つけたのか、少し背伸びをしてそっと手にとった。
「鉱石の本?」
つい気になって、背後から覗き込むように声をかけると彼女は驚いたようにビクリと肩を揺らした。
「あー、ごめん」
眼鏡の存在を忘れていた。アイリーンの反応に気まずくて肩をすくめると、彼女も苦笑いで答えた。
アイリーンは手の中にある本をペラペラとめくりながら頷く。
「石に興味があるの」
「石?」
(――ねえ。それって、やっぱり……)
彼女は家でゆっくり読むわ、と笑うとその本を購入して書店を出た。
店を出るとすぐ、アイリーンがグイッと僕の袖口を引っ張り、急いで歩き出す。
(急にどうしたのだろう? 急ぎの用事でも思い出したのだろうか?)
引っ張られるまま、後ろを歩く僕に目もくれず、一直線に馬車へと向かう。乗り込む一歩手前で、僕らの前に三人の男が立ちふさがった。
「まさかこんなところにまでついてきたのですか? しつこいですね」
同じクラスのカイルスがアイリーンを睨みつけるように言った。
「誤解をされております。わたくしはそちらの書店に行っておりました」
アイリーンは腕の中に抱えていた本を見せ、その先にある店に視線を送った。三人はその書店をチラリと見る。
「そんな言い訳、通用するとでも?」
カイルスが腕を組み、小さく溜め息をついた。
先日もそう思ったのだが、貴族にあるまじき失礼な態度。それにアイリーンが何をしたというのか。
「私が皆様に、何か失礼をいたしましたでしょうか。私の知らぬところで失礼がございましたら謝罪いたしますのでご教示いただけますか」
僕と同じ疑問をアイリーンが三人に問うと、彼らは顔を見合わせた。
「それから私の行動は、私の自由です。それとも、私の予定すべてに殿下やジルコニア公爵家の許可が必要でしょうか?」
「そ、それは……」
「先日も本日も私から皆様にお声をかけてはおりませんし、何を勘違いされているかわかりませんが、私は皆様に興味はございません」
アイリーンは掴んでいた僕の袖口を放すと、今度は腕をぐいっと引き寄せた。
(――え? ちょ、ちょっと待って……)
「それに、私には同行者がおりますので」
三人の視線が右に移動し、僕に集まる。アイリーンが抱え込んだ僕の腕がピキピキと硬直していく。
「彼が私の行動の証人です。皆様と関わろうとは少しも思っておりませんので、今後、私を見かけても今のように話しかけず、無視していただくのが一番かと存じます」
固まったままの僕を、半ば引きずるように馬車へと引っ張る。
「では、失礼させていただきます」
アイリーンは一礼をし、ガーネット伯爵家の馬車に僕を押し込むと、呆然としたままの僕に、早く出してほしい、と促した。
馬車の中で我に返った僕に、アイリーンは深く頭を下げた。
「ごめんなさい。変なことに巻き込んでしまって」
腕に残る柔らかい感触を思い出し、高揚感と罪悪感で体が震える。やましい感情に気づかれないよう腕で口元を覆った。
「いや……大丈夫だよ。アイリーンこそ、大丈夫?」
「ありがとう、私は大丈夫よ」
アイリーンはそんな僕に少しも気づかず、ニッコリと微笑んだ。
僕にしか見せない安心しきった笑顔に、僕は右手で右耳辺りの髪をクシャッと掴み、こめかみを刺激するようにグリグリと擦った。