20.赤
その「絵」に出会ったのは、とある町の、軍の施設。
その日、銀を待つのに飽きた私は、珍しく軍の施設に入って、訳もなく廊下を歩いた。
軍人達が私を見て、おや、と興味を抱く。
一方、私が興味を持ったのは、人ではなく、壁に飾られた、「絵」。
一人の女性が描かれている。髪の長い女性、真っ直ぐ前を見詰め、手には分厚い本。
美しい、と多くのヒトは思うであろう、女性。
でも、ソレは、私の興味の外。
私が目を惹かれたのは、背景の、赤。
ただ一色に塗られたムラのある、赤。
女性を描くために赤が塗られた、というより、赤を塗るために女性を描いた。
私はそう感じた。
私に言い寄ってきた軍人達の言葉を躱し、絵について尋ねる。
絵に興味を持つヒトはいなかったけれど、何人か、絵を描いた男の存在を明かした。
この時代に芸術家なんて絶滅危惧種だから、有名みたい。
彼はこの町にいる。
町の外れで、未だに絵を描いている。
私は会いに行くことにした。
薄汚れた町を歩く。ローファー越しに、石畳の凹凸が主張する。
町を囲む壁沿いの、石の家。ヒビだらけの家。今の時代では立派な家と呼べる部類。
辺りは静か、人はいない、おかげで、汚れてもいない。
扉の前。鉄の扉に、ノックを二回。
扉の覗き穴から視線を感じる。
きっと、喜んでいることでしょう。
突然の美少女の訪問。
喜ばないのは、銀みたいな、変わり者だけ。
扉が開いた。開けたのは初老の男性。痩せ細って、白い髪も、白いお髭も滅茶苦茶。
けれど、私は気付いた。
瞳だけは光っている。希望に溢れた、少年のように。
私は、この光を持つヒトに興味がある。
某かの希望を持ち続けているヒトだけが持てる、目の輝き。
混沌に差し込む光。
私は、自分の勘が正しかったことを悟る。
「俺に何かようかね?」
かすれた声。私は微笑む。
「はい。偶然見かけたあなたの絵に、惹かれましたの」
芸術家さんは、私を家に招き入れる。私は素直に従う。
彼のお城は荒れていた。床が見える場所がほとんどないぐらい。
キャンパスや、絵の具、バケツ、彫刻、如何にも芸術家の道具と、布団、食べかけの食事、本などの生活用品が入り乱れてる。
まるで、わざと散らかしているみたい。
「ここで、絵を描いているの?」
芸術家さんは物を踏みながら、木製の椅子に座った。
「そうだ」
私は遠慮なしに家の中を見渡す。
雑多に散らかる物の中に、作りかけの作品を幾つか見かける。
風景の絵や、木彫りの人形、削りかけの彫刻。
芸術家さんは絵の続きを描き始めた。空を青く塗っている。
私は立ったまま、後ろからそれを眺める。
「何故、絵を?」
芸術家さんは筆を止める。
「俺にはこれしかなくてね」
筆は再び動き始める。
私は床に落ちていた写真を拾う。
夕焼けの海岸線。赤い空。
「何故、青く塗っているの?」
芸術家さんは再び筆を止める。
ゆっくりと振り向いて、私を見る。
「あなたは、赤がお好きでしょう」
芸術家さんは、目を丸くして、驚いているみたい。
「あんたも、俺と同じ、だな」
変人。
芸術家さんは、吐き捨てるように笑った。
私も微笑む。
「もう、赤色の絵の具がないのさ」
芸術家さんは作業の続きを始める。
私は首を横に振る。
「残念ね」
「分かるかね」
「ええ、分かるわ」
彼は赤を愛している。
愛する物を失う、なんて思うと、怖気が走るわ。
だって、そんなの、生きている意味がないもの。
「そうさ」
芸術家さんの握る筆に力が入る。
「俺はもう長くない。最期の作品は、赤く染め上げたい。途方もない赤に」
燃え上がるような、赤に。
地獄の炎のような、赤に。
血潮沸き立つような、赤に。
「見てみたいな」
私は呟く。
「あなたの傑作、人生をかけた、赤色を」
芸術家さんは筆を捨てた。
筆が転がって、青い絵の具が床に散らばる。
「見せよう」
彼は机の引き出しから地図を取り出した。町の地図。赤いペンで丸印。
「工房がもう一つある。明日の夜、この場所へ来てくれ。未完成だが、俺の作品がある」
彼の瞳は、らんらんと輝いている。
私は微笑みながら頷いた。




