19.制服
雨上がりの朝、ひんやりとした空気。濡れた地面、穴だらけのアスファルト、できたての水溜まり。
側溝を流れる水、人のいない道、点在する家。ガラスは割れ、扉は外れ、家の中は荒れ放題。
その光景は暴力的。犯罪の後。いわば被害後の、被害者の姿。
とはいえ、町と町の間に巣は張られる。町に近付けば近付くほど、外の住民は遠のく。
荒廃した世界の姿は、安全危険に関わらず、どこも同じ。
牧師さんを送り届ける任務。最後の道のりは、長年整備されていないボロボロの地面を、水溜まりを避けながら歩く、単純なゲーム。
襲撃もなければ、遺体の一つも見当たらない。散歩、といっても差し支えのない、穏やかな時間。
ふと、嫌な匂いがした。
鼻の悪い私が、誰よりも早く察知する匂い。
人の匂い。町の匂い。生者の匂い。
「もうすぐ、ゴール」
私が呟くと、牧師さんが、私へ目を向ける。
「どう? 初めての外出は。楽しめたかしら」
彼は苦笑い。きっと、悪い冗談だと思ったのでしょう。
楽しめた? ありえない。一体、いくつの死を、この目で見てきたのか、って。
そして、瞼を閉じる。肉体的な瞼じゃない、心の瞼。
悲劇から目を逸らすための、分厚い瞼。
「忘れないで、牧師さん」
私は牧師さんの二の腕を掴む。彼は驚いて、立ち止まる。
「あなたがこの旅で出会った悲劇を忘れないで。愛を忘れないで。彼等の苦しみを忘れないで」
目を逸らしてはいけない。瞼を閉じてはいけないの。
この世界に存在する悲劇の物語を、全身で記憶して。
何故って、忘れてしまうなんて、勿体ないでしょう?
牧師さんは頷いた。私の真意が伝わったとは、思えないけれど。
町の門が見えた。周囲には見張り。矛盾を抱えた武器を持って、私達を警戒する。
後はお決まりのパターン。
通行書、賞賛と皮肉、銀は無愛想に兵の言葉を聞き流し、私は礼儀正しくお辞儀する。
この町にも存在する宗教家の施設へ向かう。
教会はない。宗教家の施設は、少し広いだけの簡素な建物。けれど、建物があるだけまし。町の中には、家を持たない人だってたくさんいる。
牧師さんは温かく迎えられた。
新たな門出。ここで、彼は生きていく。
その美しい心で人々を助けていく。
銀が報酬を受け取っている間、私は、施設の長椅子に座って、飾られた絵を眺めた。
上半分に天国、下半分に地獄が描かれた絵。上半分は、光の中で天使が踊っていて、いかにも幸福そう。下半分は、血の池の中で、人々がもだえ苦しんでいる。
家族のために家族を殺し、永遠に血の池に浸かる彼を思い出す。
現実は、二階で眠る家族も、骨になって横たわっている。
「さなぎさん」
牧師さんに声をかけられて、私は「なぁに?」と視線を向ける。彼は着替えていた。黒いコートで全身を包んでいた。
彼はこの数日のお礼を告げた後、小さな声で、
「君さえ良ければ、この町に」
と囁いた。
私は微笑んだ。
「言ったでしょう。私は、物語を愛しているの」
新たな物語が、悲劇と愛が、私を待っているの。
牧師さんも微笑んだ。彼も、答えを予測していたみたい。
「君は僕の想像に収まるような人じゃない」
彼は諦めたように首を振った。
「最後に、なんでそんな変わった格好をしているのか、教えてくれないかい?」
私は自分を指さす。牧師さんは頷く。
私は立ち上がって、その場でくるりと回る。
風を感じる。
スカートがひらりと舞う。
世界が私を軸に回る。
知ってた? 牧師さん。昔、私達の年代の子供達は、皆、この服を着て学校に通っていたの。
知識を学ぶ場所、常識を学ぶ場所、集団生活を学ぶ場所。
学校。
制服は、社会証明だったの。何者でもない子供が、何者であるか、一目で分かる為の、記号。
それが、普通だった。それが、当たり前だった。
だから、私はこの服を着るの。
私にとって、滅びゆくこの世界は、日常。
かつて子供達が、意識的に世界を憎み、無意識的に世界を愛しながら大人に成長したように
私も、この世界を愛しているから。




