18.愉快
雨の音を聞きながら、長椅子の上に仰向けになって、錆びた天井を見上げる。
雨が地面を打つ優しげな音、雨が屋根を叩く強い音、風が吹く裂くような音。
自然が作り出す音楽。
湿った空気の中で奏でられるリズム。
そろそろ、雲の上では太陽が登る準備を始めている頃。
薄暗くなり始めた世界は、少し青みがかってる。
「ねぇ、銀」
私は天井を見上げながら囁く。寝ている牧師さんを起こさないように。
少し離れた座席に座っている銀は、返事はしない。私の方を見る。きっと見た筈。
私は天井を見上げていたから分からないけれど、いつもそうするように、瞳だけを私に向けた筈。
「そう、あなたは銀。銀、銀、銀」
雨が屋根を打つ度に、彼の名前を呼ぶ。
銀は眉間に皺を寄せた筈。いつもそうするように。
「本当の名前は、何?」
あなたが親から与えられた名前。
この世界で生きる為の記号。文字列の番号。
まだ世界が崩れる前に生まれた銀は、生まれたことを祝われた筈。
愛されて、幸せを込めて、名前を授けられた筈。
「何故、偽名だと知っている」
銀の声は静か。雨に消えてしまいそう。
私はふふんと笑う。
「私はあなたと違って、鋭いの」
嘘。鋭いのは本当だけれど、偽名だと知っているのは、噂話を聞いているから。
彼は命を奪うのに、刃物だの、斧だの、鈍く光る銀色の道具を使う。
銀、という名前の由来は、そこから来たとか。
人の命を奪う色が、彼の名前になった。
私は上半身を起こして、銀の様子を伺う。
やっぱり、彼は、私に瞳だけを向けている。
お見通し。私は嬉しくなる。
「私があなたに名前を付けてあげる」
「何を言っている」
「名前を付ける、最大の愛情表現。私はあなたに名前を付ける、愛しているから」
「訳が分からん」
私は立ち上がり、銀の隣に座る。太股がくっつくぐらい、ぴったりと。
彼は迷惑そう。
私は小さく笑う。
「あなたは、私に名前をくれたでしょう」
私は銀の肩に手を回す。彼は心底面倒くさそうにする。
彼は私の手を掴み、自分の肩から下ろす。
「俺がお前に名前を付けたのは、愛しているからじゃない」
私は笑んだまま、知ってる、と思う。愉快に思う。
「なら、子供を作りましょう」
「なに?」
「子供を作って、あなたが名前を付けるの。少しは理解が深まるかもしれないわ。愛ってものに」
私がもう一度、彼の首に腕を絡めたとき、銀色の光が走った。
彼の手には刃物。
私の首筋に当てられている。
冷たい感触、命とは反対の感触、死の感触。
これが突き立てられれば、私の身体から命があふれ出して、全てが終わる。
「離れろ」
私は迷う。
素直に離れようかしら。
それとも、刃に近付く?
命がこぼれ落ちる。
死が全てを包み込むの。
それは愉快。終わりを味わうのも悪くない、けれど、まだ早いと思い直す。
残念、もう少しだけ、ベタベタしていたかったのに。
私は彼から離れて、自分が寝転がっていた長椅子へ座り直す。
「あら」
いつの間にか、雨が止んでいた。
あれだけ降り続いていたのに、終わるときは一瞬。
そしてまた、降り出しそう、ってなるまで、忘れ去られるの。
いつの間にか、寝ているふりをしている牧師さん。
もう少しで、お別れ。




