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屍の星  作者: 中野南北
17/18

17.さなぎ

 彼女の黒い髪が僕の頬を撫でる。さらさらとした感覚は、優しさを想起させる。

 視界いっぱいに広がる彼女の顔は美しかった。恐ろしいほどに。

 大きな黒い瞳、形の整った鼻や唇。左右対称。白い皮膚には皺も染みもない。

 理解できない。彼女は呼吸すら、甘い香りがした。


 異様に僕に近付いた彼女は、悪魔的ともいえるような笑みを浮かべて、耳元で囁く。「話して」と。

 僕は熱で頭がぼんやりする中、気がおかしくならないように目を瞑った。

 そして、再び目を開けると、彼女は少し離れていて、代わりに、僕の手を、自分の両手で包んだ。

 

 ひんやりとした手。陶器のような美しい手。

 彼女は完璧すぎた。人間として、女性として。

 本当に人間なのだろうか、という突拍子もない疑問が、僕の頭に浮かんだ。

 そして、その疑問を振り払うために、僕は語った。


 複雑な話じゃない。よくある話だ。

 僕は17年前に生まれた。世界が病に蝕まれる1年前。平和な時代の記憶はない。

 両親は僕を生かすために、まだ世界が町と町に分断される前の国を彷徨った。

 途中で父は殺された。僕を庇ったらしい。母は栄養不足で死んだ。僕に食料を渡して衰弱したからだ。

 つまり、僕は両親の命の犠牲の上に存在している、とも言えるし、

 僕が両親を殺した、とも言える。


 行く宛てのない僕は、母が死んだ町で、宗教家達に拾われた。

 彼等は神を信じ、世界がまだ救われることを確信している。

 僕にはわからない。少なくとも、町の外がここまでの状況とは理解していなかった。

 僕は命には価値があると、信じて疑わなかった。当然のことだから、考えもしなかった。


 頭に刃が刺さった男、首が切断された男、歩道橋に吊された男女、甘い匂いのする家。


 ここには命の価値がない。

 いや、もともとなかったのだろうか。

 僕が両親から渡された命のバトン。

 これを誰かに繋ぐのが使命だと信じていた。


「もし、このバトンに価値がないのなら、僕は生きる理由を亡くしてしまう」


 僕の語りは、雨の音に掻き消されそうだった。

 彼女は表情を変えずに聞いていた。

 微笑み。

 不思議だった。

 同情的でもなく、嘲笑的でもない。

 無感情ではないが、心揺れているようにも見えない。

 我が子を腕に抱く母のような、自然な笑み。

 例えるなら、それだった。


「命のバトン」


 彼女が言った。


「良い例えね」


 僕は間を置いて笑った。

 彼女の感性が分からない。まるで掴み所がない。

 けれど、その掴み所のなさが、彼女の魅力を増やしている。


「君はどんな人生を?」


 僕が尋ねると、彼女は笑みを浮かべたまま、不意に、僕に近付いた。

 僕の耳でも食べるんじゃないか、と思うほどの距離で、囁く。


「ひみつ」


 知らない方がいいこともあるの、と彼女が言うので、

 酷いな、と言い返した。

 彼女は笑って、僕の手を放した。

 僕は残念に思う。

 彼女は美しかった。

 彼女に触れてもらえるのが、嬉しかった。


「でも、お礼に、最初の質問には答えてあげる」


 さなぎ


 私の名前は、さなぎって言うの


 そう語る彼女の声は、いつも通り平坦で、特になんの感慨も含んでいなかった。


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