1.日常
薄汚れた小さな一室には、
大きな鏡に、不潔なベッド、うつ伏せの男、それから私。
男は、染みだらけの絨毯の上で、赤い模様を広げている。
私は、ベッドの上に座って大きな鏡を見つめる。
表情のない私が、そこにいる。
身につけている黒いセーラー服は、私なりのメッセージ。
愛する世界へ。
これが私の日常だって。
16年前、私が生まれて直ぐ崩れた世界。
ありふれた病原菌は、無慈悲に死をばら撒いた。
僅かに残った人々は、奪うか、奪われるかの二択を迫られて、
多くは壁で囲った町の中で、近付く死に怯えている。
外にいるのは、町にいられなくなった碌でなし。
「あなたもそうなんでしょ?」
私は微笑む。今や赤い模様は、ベッドの下にまで広がっている。
私は、ローファーで血溜まりを踏んで、男のバッグを漁る。
食料、地図、水、錆びたナイフ、手帳。
手帳には色褪せた写真が挟まっている。
若い頃の男と、隣に佇む奥方、抱えられた男の子。
切り取られた時間。永遠の笑顔。
「残念ね」
私は、写真を男の手に収めた。少しの親切心。けれど、写真は直ぐに真っ赤に染まった。
少しだけ、申し訳なく思う。
「ま、別にいいでしょ?」
あなたはもう写真を見ることはできないし。
奥さんも、男の子も、生きていたって、碌な人生を歩んでいないだろうから。
ドアが開く。埃が舞う。手斧を持った男が、気怠そうに部屋に入る。
「何してる」
無表情に彼は尋ねる。無愛想で鉄面皮。私と仕事をしている喜びを、一つも外に出さない変わり者。
「持ち物チェック。基本でしょう」
「何があった」
「食料やら地図やら……でも、見て、もっと面白い物が」
私は、男の手から赤く染まった写真を奪う。
「じゃじゃーん。あなたがさっき殺した男、家族がいるみたい」
勿論、彼は表情を崩さない。
今更、当然。
「荷物をまとめろ」
「つまんない」
私は写真を放り、ベッドに座り込む。ついでに、手についた血を布団で拭う。
「何してる」
「質問ばかり」
私は両腕を広げる。
「楽しいことしよ?」
やっと、彼の表情が変わった。
怒り。
強い怒り。
彼は自分のバッグを下ろし、一人で死体の荷物を片付け始めた。
つまんない。
私はベッドに倒れ込む。
美少女の誘いを断り続ける。ほんと、つまんない、変な男。
外から、大きな音が聞こえた。彼は手を止めて、壁際に張り付き、ひび割れた窓から外を眺めた。
彼は舌打ちをした。私はベッドの上で笑った。
「お仕事が増えちゃったわね」
彼はバッグを背負い直した。
「行くぞ」
冷たい言い方。
「もっと、愛を込めて言ってみて。囁くように、優しく」
彼は私の手を掴んで、強引に立たせた。
暖かい大きな手。
強引。
嫌いじゃないけれど。
部屋を出ると、死体、死体、死体。
私達を襲って、返り討ちにあった死体達。
頭の割れた死体、首の斬れた死体、背骨の折れた死体。
死の香りが充満する廊下。
怒声が聞こえた。死体の仲間達の声。彼が走り出す。私も走る。鼻歌混じりに。
死体、血溜まり、軋む床。割れたガラスに、止まった時計。屍を乗せた方舟から外へ飛び出すと、瓦礫だらけの町、蔦に覆われた家々、人間の手から放たれた世界。終わりを迎えた文明の名残り。
これが、私達の日常。
私の愛する、世界。