第76話 紫陽花と蓮
門から私室に戻った俺とハーヴェスト、紅、ハイドレンジアはソファに座るなり、全員、長い溜め息を吐いた。
ハイドレンジアが俺達に紅茶を淹れてくれた。
「こんなに何回もこっちに来て、大丈夫なのか? ハーヴェスト」
『大丈夫よ。裏を掻こうとして、すぐやって来るのは分かってたから。だから、敢えて帰ったのよ。案の定、やって来るミストは残念ね』
ハイドレンジアに淹れてもらった紅茶を飲み、ハーヴェストは苦笑する。
『それに、あの母親も来るあたり、焦ってるわね。ヴァーミリオンの魂がすんなり手に入らなくて』
「手に入られても困るというか、俺が嫌だ。俺の魂で何する気だよ、あいつら」
「とても困ります。大切な主がいなくなるのは、本当に困ります。私が絶対、我が君をお守りしますから」
ハイドレンジアが真っ青な顔で、必死に俺に訴える。
「レン、ありがとう」
微笑んで、ハイドレンジアに告げた。
その時だった。
「ヴァーミリオン様、ご無事ですか?!」
転移魔法でロータスが慌てた様子でやって来た。
「ドラジェ伯爵令息?! どうしましたか!? どうして、我が君がご無事かどうかとお聞きするのです?」
「え……エクリュシオ子爵!? 貴方もいらしてたのですか」
「そうですね。元女神が来た訳ですから。我が君にお仕えし、お守りするために私はいるのですから」
「そ、そうですよね……」
先程の勢いは何処に行ったのか、ロータスがトーンダウンした。
多分、ハーヴェストがいることもあり、ハイドレンジアはいないと思っていたのだろう。
「それで、ドラジェ伯爵令息はどうしてこちらに? 我が君の危機をどのように分かったのでしょうか?」
「え、あ、えっと……」
ハイドレンジアが問うと、ロータスがどう答えようかと珍しく目を彷徨わせた。
「ロータス。レンになら言っても構わないよ。元女神もあの母親も見たから」
助け舟を出すと、ロータスは観念するように息を吐き、ハイドレンジアを見た。
「……私は人間ではありますけど、調和を司る神で、ヴァーミリオン様にお仕えする眷属神です。我が主であるヴァーミリオン様のご事情は知っています。なので、今回のヴァーミリオン様の危機は、神の目で気付きました。それでこちらに来たのです」
「調和を司る神ですか? ドラジェ伯爵令息が? 我が君の眷属神……」
「はい。本当なら、エクリュシオ子爵と同時期にヴァーミリオン様にお仕えする予定でした。それを元女神に邪魔をされ、やっと昨年、お仕え出来るようになりました。なので、それまで、ヴァーミリオン様を守って下さったエクリュシオ子爵には感謝しかありません。守り支えて下さって、ありがとうございます」
静かにロータスはハイドレンジアに一礼する。
その彼に今度はハイドレンジアは動揺し、狼狽える。
「い、いえ、あの、我が君は私の主でもありますから、当然のことです」
『ハイドレンジア、とても良いわね。彼も貴方の眷属神になってもらったら?』
微笑ましくハイドレンジアとロータスを見つめ、ハーヴェストがとんでもないことを俺に言う。
「眷属神にならなくても、もう俺の側近だから。俺は神じゃないし」
『そうなのよね。ヴァーミリオンが神だったら、ちょっと分が悪いものね。特に今は』
「あ、あの、女神様。我が君が神だったら、分が悪いというのは何故でしょうか?」
ハイドレンジアが恐る恐る、ハーヴェストに声を掛ける。
『ヴァーミリオンが神だったら、いつでも何処でもヴァーミリオンの魂が狙われ放題なのよ。神は大体神界にいるし、相手も同じ神だから四六時中、狙われ放題よ。逆に人間なら、神界からこの世界に神が行くだけで力をごっそり使うから、毎日行くことが難しい。だから、わたしはヴァーミリオンを人間として生まれるように隠したのよ』
「女神様が隠した、というのは、どういうことでしょうか? 以前、我が君からは隠したのは、その、先程の母親の女神とお聞きしましたが……」
「あー……うん。その時は俺はそう思ってたんだよ、その時は。その後、三つ目の権能を持ってることに神の俺が気付いて、それで自分の状況を知ったんだよ。魔力の覚醒をして、神の俺と一つになったことで人間の俺も知った。ハーヴェストはその矛盾を人間の俺に教えると、神の俺の方にも影響が行くから言えなかったんだよ」
「神の我が君の方に影響、というのは……?」
困惑した顔でハイドレンジアが俺に聞く。
俺も、神の俺と一つにならなければ、何が何だか分からない状態だったろうなと思う。
今でも混乱するし。話を拗らせた元女神達に怒りが沸く。
「どちらの俺も最初は、あの母親が隠したと思ってたんだ。その後、三つ目の権能で真実を神の俺が知ったけど、もし、人間の俺が先に知ると、神の俺の存在が閉ざされた世界ごと、あやふやになって、元女神とあの母親側の手に、人間の俺が渡ってしまう。人間の俺が手に渡った後に、神の俺も自動的にあちら側に渡る。そうなれば、あちらは目的達成になる。先に神の俺が知れば問題ない。先に神の俺が知れば、権能が使えるから、自分の身を守れる。人間の俺が先に知れば、自分の身を守れない。権能が使えないからね。あの母親によって、神の俺側は人間の俺の記憶や感情が繋がってるけど、人間の俺には神の俺の記憶や感情を繋がらないように、妨害されたんだ」
この説明をするだけで、当事者の俺でも頭が混乱する。
「妨害することで、人間の我が君のことを、神の我が君が守れないように、あの母親の女神は狙ったということでしょうか?」
「多分ね。人間の俺は神しか持てない属性を持っていても、神に対する耐性はほとんどない訳だしね。だから、紅達のような強い召喚獣が必要なんだ。今の、一つになった俺でも、身体は人間だから必要だしね。耐性は少し上がったけど」
それでも誤差の範囲だから、どうしても紅達が必要で、常に誰かしらは側に居てくれるようになった。主に、紅や青藍、五百年前の家族になるはずだった月白達が。萌黄はウィステリアの側に居てくれている。
「……色々と拗れてますが、我が君を必ずお守りしないといけないことがよく分かりました。私も微力ながら、お守り致します」
『ハイドレンジア、ありがとう。貴方のような人がヴァーミリオンについてくれて、本当に有り難いわ。だから、少し、わたしも貴方に加護を与えてもいいかしら?』
静かに聞いていたハーヴェストがハイドレンジアに近付き、微笑む。
「えっ、あの、女神様。その、とても畏れ多いのですが……!」
ハーヴェストの言葉に、ハイドレンジアがまた狼狽える。
『畏れ多いと言わないで。わたしからも大切な弟を守ってくれてる貴方にお礼がしたいのよ。わたしの加護で、これからもヴァーミリオンを守ってくれる?』
上目遣いでハーヴェストがハイドレンジアを見る。相手を落とすその仕草は、間違いなく俺と一緒だ。もちろん、無差別に俺もハーヴェストも使わないが。
「うぐっ……。我が君と同じお顔で、上目遣いは本当に反則です……! 加護、ありがとうございます。もちろん、我が君は必ずお守り致します!」
顔を真っ赤にして、ハイドレンジアがぷるぷる震える。
『ありがとう。貴方に与える加護は、守りと反射よ』
「守りは何となく分かりますが、反射、とは?」
『言葉通りよ。どんな攻撃、魔法等何でも反射する。跳ね返すわ。ただ、常にではないわ。跳ね返せるのは十回まで。ハイドレンジアの任意で出来るようにしておくから、よく考えて使ってね』
「それは、十回も我が君に危険なことが起きるということでしょうか?」
『いいえ。ヴァーミリオンが十回も危険なことが起きるわけではないわ。ヴァーミリオンはもちろん、貴方や貴方の最愛のシャモア、ミモザ、ウィステリアにも起きるかもしれないから、念の為よ。そういう訳だから、貴方に加護を与えるわね』
片目を瞑って、ハーヴェストはハイドレンジアに手をかざした。
青色と銀色の淡い光がハイドレンジアに降り注ぐ。
『これで、貴方に加護を与えたわ。守りで更に魅了魔法の耐性が上がったわ。ミモザにも後でこっそり守りの加護は与えておくね』
「ありがとうございます、女神様」
ハイドレンジアは笑顔でハーヴェストに一礼した。
そして、ハイドレンジアは俺に近付いて来て、ハーヴェストとは違う笑顔を向けた。
「我が君。色々と拗れているのは分かりますが、今、我が君が分かる範囲で構いませんので、洗いざらいお話頂けますか?」
「あー……そう来るか。来るよね……」
「分かっていると、いないとでは心構えも、お守りすることも難しいですからね」
ハイドレンジアが黒い笑顔で、俺にずいっと顔を近付けた。
その後ろで、ロータスが苦笑している。
俺の眷属神なんだから、そこは何かフォローしてくれないかなぁ……。
『諦めるんだな、リオン。ハイドレンジアは過激だからな』
今まで静かに見ていた紅が、念話で告げる。何だか、全て過激で片付けられてる。
「……明日でいいかな? どうせなら、ウィスティやディル達にも伝えようと思うんだけど」
「そうですね。確かに、もう夜も遅いですし、明日は魔法学園もお休みですからね。皆様にも知って頂いた方が、我が君をお守りする手は増えますね」
納得したようで、ハイドレンジアは頷いて、俺から一歩離れてくれた。
「はぁ……本当に拗れ過ぎて、もう嫌だ……」
話すことは別に構わないけど、考えないといけないことが多くて、もう嫌だ。
「精神的な疲れのせいだけど、どうにかあいつらを捻り潰せる方法ないかなぁって考えちゃうよね」
「……ヴァーミリオン様。落ち着いて下さい。お疲れなのは分かりますが、物騒になっていらっしゃいますよ」
ロータスが苦笑して俺に言う。
「疲れると短絡的な思考になりやすいからね。物騒にもなるよ。とりあえず、休もうか。ロータスも来てくれてありがとう」
『そうね。ヴァーミリオンも休んだ方がいいわね。ロータスもわざわざありがとうね』
俺とハーヴェストが微笑むと、ロータスが呻いた。
「うぐっ。な、何故、私にはお二人での笑顔攻撃なんですか……! エクリュシオ子爵より耐性がないというのに……!」
珍しく顔が真っ赤にしながら、ロータスはぷるぷる震える。
「あ、ごめん。そんなつもりはなかったんだけどね」
謝ると、ロータスは落ち着きを取り戻した。
そして、ハーヴェストは神界へ、ロータスはドラジェ伯爵邸へ戻って行った。
ハイドレンジアも自室へ、俺も紅とベッドへ向かった。
この日はそれから、元女神やあの母親が来ることはなかった。




