第104話 魔に堕ちた者
俺の誕生日パーティーも終わり、そこからは特に何事もなく日々が過ぎていった。
それから更に一週間。
ディーマン大神官から、地の精霊王の琥珀を通して、伝言……というか、手紙が届いた。
長々と俺に対する挨拶等が書かれていたが、要約すると『自分では限界だったので、魔に堕ちたグローカス神官長を抑えて欲しい』ということだった。
神の俺のことを書いていなかったので、恐らくディーマン大神官はこの手紙を父達に見せると考えての手紙のような気がする。
そんな手紙を父親である国王陛下、兄である王太子殿下、将来の義理の父親になる宰相閣下、シュヴァインフルト伯爵、セレスティアル伯爵に見せた。
「……流石のディーマン大神官殿でも、聖属性の結界は三週間くらいが限界でしたか……」
ヘリオトロープ公爵がこめかみに手を当てながら呟いた。
「そうなると、大神官以上に魔力が多く、聖属性を持つ者はヴァル……だけか」
父が盛大に溜め息を吐くと、同調するように兄が頷いた。
「王都のパーシモン教団の教会にヴァルを派遣したくないですね……」
「本当にそれだ! 俺の可愛い息子達の一人のヴァルを何で、面倒臭い教団に向かわせて、助けないといけない?! うちの子、ここ二年以上、教団の面倒事に巻き込まれてる被害者だぞ!?」
兄が言うと、父が自分の執務机を叩き、怒りを露わにする。
教団の面倒事というか、教団もチェルシー・ダフニーとスチール神官、元女神によって巻き込まれてるんだが、それとは別に教団の関連で俺の知らない何かがあるのかな。
「もちろん、大神官個人に関しては、こちらとしても協力関係で良いと思う。人柄はあの教団の中でも一番マシだからな」
「……でも、私が行かないと王都の住民達に被害が向かいかねません」
「……そうなんだよなぁ……。人間が魔に堕ちたという話を今まで俺の代でも前王の代や前の代でもなかった。初代国王の時代なら混乱している時代だったからあった。ここ数百年はなかったから、余計に民達には危険が起きないように、知られないようにしたい。民達に不安を煽りたくはない。王としてはヴァルを向かわせるのが得策なのは分かってる。だが、親としては息子を危険な場所に行かせたくないし、迷惑を掛けている連中を助けに行けとは言いたくない」
「……気持ちは分かりますが、私が行くのが得策と分かっていらっしゃるなら、今から向かいます。こちらに来たのはその報告のためですし。何か、他に心配事がおありで?」
首を傾げて父を見ると、何故か兄とヘリオトロープ公爵、シュヴァインフルト伯爵、セレスティアル伯爵が頭を撫でてきた。
「……ぐっ。十七歳になったのに、ヴァルの仕草が可愛いくて、外に出したくない……。聖属性があるからと聖人にされて、パーシモン教団にいいように使われて、奪われるのは困る」
俺を真正面から見たせいなのか、父が額に手を当てて、悩み始めた。
その言い方は、前から打診があったのだろうか。
それと十七歳になったのに、未だに可愛いと言わないで欲しい。
「可愛いと仰っている意味が分かりません。私が外に出るのが困ると仰るのでしたら、髪と目の色を変えて向かいますが?」
「ん? ああ、成程。ヴァーミリオンとしてではなく、違う者として行くということか?」
「はい。最近は冒険者ギルドに登録したので、依頼を受けにその姿で王都に出ていますので、その髪と目の色で行きます」
「は? 冒険者ギルド? いつ登録したんだ?」
「魔法学園の二年生になったばかりの頃に登録しました。必要な素材がありましたので」
あれ? 話さなかったかな? ヘリオトロープ公爵達には伝えたから、父は知っていると思ったが……といった表情のまま、俺はまた首を傾げた。
「ん? 必要な素材??」
「ちゃんと私は報告したぞ、グラナート。殿下が魅了魔法を可視化する魔導具を作るために素材を取りに冒険者登録した、と」
「――あ、そういえば。クラーレットからたくさんの書類を渡された時に言っていたな。どさくさに紛れて言われたから、忘れてたな。ちなみにヴァル。髪と目の色は何色だ?」
「友人達にも見てもらい、金髪碧眼に変えて出ています」
そう言って、見せた方が早い気がしたので、魔法で金髪碧眼に変える。
「あー……うん。まだ、マシか。シエナに似た顔だから、どの色でも美しい分、変装が難しいよな」
苦笑しながら、父は俺を見ながら何度も頷く。
髪と目の色を元に戻す。
「……分かった。ヴァルが行くのを許可する。ただし、何人か護衛を連れて行くように」
「あ、殿下。護衛は出来れば、エクリュシオ子爵やアルパイン、ヴォルテール、レイヴンを避けて頂けますか。殿下の側近としてよく見る者達なので、人によっては色を変えた殿下と気付く可能性があります」
父とシュヴァインフルト伯爵が俺に告げると、兄とヘリオトロープ公爵、セレスティアル伯爵が大きく頷いた。
「分かりました。でしたら、フェニックスはもちろん、ドラジェ伯爵令息とサイプレス卿、グレイを連れて行きます」
「ドラジェ伯爵令息はよく周りを見ているから良いね」
「ええ、フェニックス殿と彼等なら安心ですね。グレイには色々としっかり教えてますから。殿下、お気を付けて」
「そうですね。サイプレス卿は特に魔法に長けていますからね。殿下、ぐれぐれもお怒りになって魔力を漏らさないように」
兄とヘリオトロープ公爵、セレスティアル伯爵が納得するように頷く。
まぁ、紅は言わずもがなだし、ロータスは調和を司る神だし、サイプレスは魔法オタクの魔法を司る神だし、グレイは闇の精霊王の息子だし。
それに、ハイドレンジア達を連れて行くのが無理でも、他にも召喚獣を連れて行けば問題ない。
「えっ、ちょっと待って。俺、ヴァルの側近達はエクリュシオ子爵、フォッグ伯爵、レイヴン卿以外を詳しく知らないんだけど?! いつそんなに増えたの!?」
「グラナート。私はちゃんと伝えたし、王家の影からも報告があったはずだが?」
ヘリオトロープ公爵がにっこりと笑顔の圧力を父に向ける。父はそういえばといった顔をして、目を逸らした。
「……時間が惜しいので、今から参ります」
冷めた目で見ながらソファから立ち上がって俺が言うと、何故か父の目が潤んだ。
「ヴァル……シエナより冷たい……つれない……」
「いえ、意味が分かりません。もう本当に時間が惜しいので、王都の教会に行きますね」
何を言っているのか本当に意味が分からないといった顔をすると、父は尚も目が潤む。
「反抗期? 年齢的に反抗期? セヴィはなかったのに……」
「反抗期ではありません。子供の時からこうだったと思いますが」
「グラナート。反抗期かどうかは後でシエナと考えろ。今はそんなことを言う場合ではないだろ」
溜め息を吐きながら俺が言うと、ヘリオトロープ公爵がすっと助け舟を渡してくれた。
「そうだな……。ヴァル。面倒を強いる形になるが頼む。だが、絶対に自分を守って欲しい。無理はするな。マズイと思ったら逃げろ。いいな?」
真面目な顔で父が俺に告げる。
「はい、分かりました。結果は戻り次第、報告に伺います」
一礼して、俺は父の執務室を出た。
「――成程。それでヴァーミリオン様は私とサイプレス、グレイを選んだのですね」
父の執務室での出来事を説明しながら、王城の南館を出て、現在、王都のパーシモン教団の教会へ向かっている。
ちなみに、俺は金髪碧眼に変えている。
「うん。ロータス、サイプレス、グレイなら、多少何かあっても対応出来ると思ってね。三人共、魔法の耐性が強いから」
「確かにヴァル様の側近達の中では、私やロータス、グレイは魔法の耐性はありますね。一応、ヴァル様よりは弱いですが、聖属性を私も持ってますので、補助は出来るかと思いますから」
「ありがとう。何かマズイと思ったら、声を掛けて」
「俺もヴァル様を必ずお守りします。周囲をよく見ておきます」
「どうしても、集中しないといけないからね。ディーマン大神官も注意していると思うけど、グレイ、周囲の邪魔があった時は頼んだよ」
グレイに笑い掛けながら、教会に向かいつつ、思い出したことをロータスとサイプレスに伝える。
「あ、そうそう。ディーマン大神官は神や女神に対する熱狂的信者だから、気を付けてね」
「またまた、ヴァル様。私達が神だと分かったとしても熱狂的にはならないですよ。ヴァル様はハーヴェスト様と双子ですから、大神官が熱狂的になるのも分かりますけど」
サイプレスが笑いながら言うと、ロータスもうんうんと同意するように頷く。
「でも、二人共、一応、俺の眷属神なんだよね? それなら、俺の関係者になるから、信仰してくるよ?」
そう返すと、ロータスとサイプレスの足が止まった。
「サイプレス。大神官には絶対にバレないようにしましょう」
「そうですね! お互いで気を付けましょう!」
二人で頷き合いながら、努めて明るく笑う。
二人も信仰されるのが苦手のようだ。
その隣で、ホッとしたような顔のグレイがいた。
「あ、グレイも俺の甥っ子になるかもしれなかったんだから、バレないようにね。初代国王の孫で闇の精霊王の息子だし」
俺の言葉にグレイもピタリと足が止まる。
「え。俺も、ですか?」
「何となく、ディーマン大神官は俺関係なら、問答無用で信仰しそうな勢いなんだよね。大丈夫だとは思うけど」
「……凄いですね、その大神官様」
三人と話しながら歩いていくと、王都のパーシモン教団の教会に着いた。
教会の大きな扉の前にはディーマン大神官の部下らしい茶色の髪をした神官が一人立っていた。
「ヴァル様、あの神官は件のスチール神官ではないのですよね?」
サイプレスが茶髪の神官を警戒するように見ながら、俺に尋ねる。
「違うよ。過去視で見たけど、スチール神官はやや灰色に黄系の色が混ざった絹鼠色の髪だから、扉の前に立っている神官とは違うよ」
「それなら安心しました」
サイプレスは安堵の表情を浮かべ、頷いた。
ディーマン大神官から話があったようで、扉の前に立つ神官に声を掛けられ、教会の扉を開けてくれた。
初めて入る教会は、恐らくハーヴェストと思われる女性と後光を表したステンドグラスに迎えられ、一般人がお祈りが出来る長椅子がたくさん並んでいる場所――身廊を進む。
内心、こんなに“女神様!”と大々的に出しているのに肝心の女神様の名前を知らないという意味の分からない教団に複雑な気持ちになる。
一国の王に大事な経典を破壊される警備の緩さもどうかと思うが。
そんなことを思いつつ、更に進むと一般人が入れない、関係者のみが入れる神官達の部屋がある場所や罪を犯した者が入る牢屋のような場所も通り過ぎ、先を歩く神官曰く悪しきものを封じる封印の間へと案内された。
その封印の間の扉を神官が開けて、中に入ると、ディーマン大神官が両手を前にかざして、聖属性を込めた魔力を結界に注いでいた。
結界の中心にはグローカス神官長がゆらりと妖しく立っている。その周囲には闇属性とは違う、黒い魔力が漂っている。
それは、元女神と似た気配で、グローカス神官長が魔に堕ちたのは確かなのが分かった。
ただ、何故か俺の目には、グローカス神官長の心臓付近に、ほんの小さな白い魔力が見えた。
『……リオン。最悪の場合、アルジェリアンを喚ぶようにな。聖の精霊王が必要かもしれん』
低く唸っているように聞こえるグローカス神官長を見据え、紅が念話で俺に言う。
『え、そんなにマズイ?』
『大神官より魔力が少ないはずなのに、その大神官が抑えられていない。余程、欲や業が深いのだろう』
溜め息を吐きながら、紅が周囲を見る。
『リオンに気付いた時に、あの神官長がどう動くかだな。魔に堕ちた者は綺麗な魂に惹かれるからな』
『え、嫌だな、それ。それなら、すぐにどうにかしないとだね。魔に堕ちた者を元に戻すのは出来ないんだよね?』
『ああ。神でも出来ない。だから、元女神もあのままだ』
「それなら、浄化させるのが一番なんだろうね」
念話ではなく、声にすると、ロータスとサイプレス、グレイが俺を見る。
『まぁ、そうだな。聖属性の魔力を使っての浄化が難しければクラウ・ソラスを使うと良い』
「そうか。蘇芳も浄化があったね」
言いながら、腰に佩いている鋼の剣に触れると、擬態から光の剣クラウ・ソラスに戻る。
『私はいつでも良いよ。必要なら、私を使ってね、リオン』
「ありがとう、蘇芳。それじゃあ、ディーマン大神官のところへ行こうか」
封印の間の中心に張られている結界に、聖属性の魔力を注いでいるディーマン大神官の元へ向かう。
「ディーマン大神官」
「ヴァーミリオン殿下。お越し下さり、ありがとうございます。お手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
「気にしないで下さい。状況をお伺いしてもいいですか?」
「はい。結果から申し上げると、グローカス神官長はスチール神官によって魔に堕ちました。どうやら、神官長より年下である私が大神官になったことをスチール神官によって刺激され、更にはヴァーミリオン殿下を教団の聖人に出来ず、教団には貢献出来ずに終わったことで、教団の中での出世も閉ざされました。その絶望を利用されたようです」
ディーマン大神官が説明すると、グローカス神官長から黒い魔力が結界に当たる。すかさず、ディーマン大神官が聖属性を込めた魔力で結界を補強する。
『……絶望がぬるいね。リオンの方が絶望の度合いは上だよ』
短剣に擬態しているフラガラッハこと鴇が念話で呟いた。
『まぁ、絶望だとか感情の感じ方は人それぞれだから。グローカス神官長にとってはそれが絶望だったんだよ』
確かに、そんなことで? と思わなくはないが、感じ方は人それぞれだ。
何せ、狙っていた綺麗な魂が生まれる前に死んだことで、魔に堕ちる女神もいるし。
『そう言われるとそうなんだけどね。何だか、精神面が弱いね。聖職者ってそんなもの? 僕のイメージでは聖職者って、清貧に甘んずる感じなんだけど……』
『私利私欲がなければね。私利私欲に塗れた聖職者は違うんじゃない?』
『あー……そうだね。清貧に甘んずる聖職者なら精神が強そうだけど、私利私欲に塗れた聖職者は精神が弱そうだよね。それなら分かったよ』
納得したらしい鴇は満足したのか、静かになった。
結界の中のグローカス神官長に目を向けながら、ディーマン大神官に声をもう一度掛けた。
「ディーマン大神官。グローカス神官長をどうしたいです?」
「どう……というのは、どういう意味でしょうか? 魔に堕ちた時点で助けることは無理だと分かっています。もちろん、彼を助けたい気持ちはあります。魔に堕ちてしまう程の欲があったのは確かですが、彼は私の兄弟子で、子供の時から色々なことを教えて下さった方ですから。子供の時はこんなに欲に塗れた方ではなかったのですけど、年下で弟弟子の私が先に出世してしまったことで道が別れてしまいましたが」
苦笑しながら、ディーマン大神官はグローカス神官長を悲しげに見つめる。
「ヴァーミリオン殿下。本当なら私が彼を浄化したいところでしたが、私の魔力では抑えるまでしか出来ませんでした。グローカス神官長とはほとんど関係のないヴァーミリオン殿下にお願いするのは大変申し訳ないのですが、浄化をお願いしても宜しいでしょうか?」
「……構いませんよ。ディーマン大神官で難しいのなら、聖属性で魔力が多い私が対処するしかないでしょうから。ただ、少しだけなら、正気に戻せますが、最期に彼に何か言わなくてもいいですか?」
「えっ、お待ち下さい。少しだけ正気に戻せる? そのようなことは聞いたことがありません」
「……私の再生の権能であれば、本当に少しだけですが、可能です。グローカス神官長はまだ、ほんの少しですが、心臓の辺りに聖属性が残っていて、完全には魔に堕ちていないようです。今なら、本当にわずかですが、正気に戻せます。その後は、浄化することになりますが」
「何故、そこまで……」
「先日、私に祈りましたよね? “グローカス神官長を赦して欲しい。心を少しでもいいので守って欲しい”と。祈りを受け取ったと私は言いましたよ」
俺がそう告げると、ディーマン大神官が大きく目を見開く。
隣で聞いていたロータスとサイプレスが俺を驚いた顔で見つめる。
「……守護と再生を司る神のヴァーミリオン様に、受け取って頂けただけで、私は良かったのです。全ての祈りに神様も女神様も応えて下さるとは思っていません。ただ、私の祈りを聞いて下さるだけで満足だったのです」
「全ての祈りと言われると、祈られるのは初めてで、今のところ、ディーマン大神官くらいですけどね。私に祈るのは。なので、私に対する全ての祈りはディーマン大神官からのだけなので、私が出来る限りのことはしたいと思ってしまうんです」
苦笑すると、ディーマン大神官は呆然と俺を見る。
「どうします? 少しですが、彼と話しますか?」
「――お願い、しても宜しいでしょうか……」
悲しげにディーマン大神官が俺を見つめる。
俺が静かに頷くと、ディーマン大神官は祈りを捧げる。
ディーマン大神官の強い聖属性の魔力が祈りと共に俺へ向かってくる。
三回目だが、やっぱりまだ慣れない。
俺の手にディーマン大神官の魔力が触れた瞬間、反応して姿が服装はそのままで神の俺になった。
金髪碧眼に変えていた俺の髪が、普段より少し長い前髪を見て、青みを帯びた黒――濡羽色になり、目が普段と変わらない金と銀の色違いの目に戻ったのが、封印の間に飾られている鏡で分かった。
神の姿になったのを見たロータスとサイプレス、グレイが驚きで目を見開く。
「もしかして、神のヴァル様、ですか? ハイドレンジアさんとミモザさんが自慢気に話してました」
「ああ。神のヴァーミリオンだ。口調もそちらに依ってしまうが……」
自嘲じみた笑みを浮かべ、呆然と俺を見るグレイに言う。
「俺も神のヴァル様を拝見出来て、嬉しいです。綺麗です!」
目を輝かせて、グレイが俺を見つめる。
グレイの視線が少し恥ずかしくなり、目を逸らす。
「そ、そうか。ありがとう、グレイ。ディーマン大神官。準備はいいか?」
「はい。宜しくお願い致します」
「ヴァーミリオン様。どうか、ご無理はなさらないで下さい」
ディーマン大神官が頷くのを確認して、結界に近付こうとすると、ロータスが声を掛けてきた。
「大丈夫だ、ロータス。問題ない」
小さく笑い、グローカス神官長を閉じ込めている結界に近付く。
「結界を解くから、俺の後ろにいるようにしてくれ」
ロータス達とディーマン大神官に声を掛け、俺の後ろに移動したのを確認してから、結界に触れる。
ぱんっと乾いた、まるで風船が割れるような音が鳴り、聖属性の魔力を込めた結界がなくなる。
なくなった途端、グローカス神官長が俺へと手を伸ばす。
「ヴァル様っ!」
慌てた様子でグレイが声を上げると同時に、グローカス神官長が俺に触れるよりも前に、十歩くらい離れた位置でグローカス神官長が弾かれ、封印の間の後方の壁に吹っ飛び、当たる。
「グレイ。大丈夫だ。常に多重結界を掛けてるから、悪意のある者は俺に触れることが出来ない」
「そ、そういえば、そうでした……。多重結界、そりゃあ掛けてますよね……。神の姿のヴァル様に驚いて、魔に堕ちた神官長が触れてしまうと焦ってしまいました」
「グレイ、驚かせたな、すまない。ディーマン大神官、グローカス神官長を正気に戻してみるぞ」
「は、はい」
吹っ飛んだ壁の前で、俺を警戒するように低く唸るグローカス神官長に一歩、二歩と近付く。
追い掛けるように、ディーマン大神官も付いてくる。
再生の権能を意識し、右手に魔力を込めてグローカス神官長の心臓付近に当たるようにすると、辺りに漂っていた闇属性とは違う黒い魔力が消える。
俺の目では白い魔力が一気に、グローカス神官長の身体中に広がるのが見えた。
「……グローカス神官長?」
恐る恐る、ディーマン大神官がグローカス神官長に声を掛ける。
「……ゼウス。すまない。聖職者なのに、魔に堕ちてしまった……」
懺悔するように、グローカス神官長がディーマン大神官を真っ直ぐと見つめる。
その目は、俺が初めて会ったカーマイン砦の時に見た欲に塗れた目とは違う、誠実な目をしていた。
「何故、どうして、魔に堕ちてしまったのですか。私が、貴方を差し置いて、大神官になったからですか……」
泣きそうな、悔やむような、震える声音で、ディーマン大神官はグローカス神官長を見つめる。
「……それもあるが、全ては私の心の弱さだ。何の努力もせず、ただ、大神官の息子だから、私は大神官になれると慢心していた。お前が必死に聖属性の魔力を磨いたり、努力しているのを見て、知っていたのに、大神官になれると私は慢心し、お前が大神官になった時に嫉妬してしまった。それからは嫉妬深くなってしまったその心の弱さに付け込まれた。私のせいだ。お前の責任じゃない」
「……貴方が、幼い時から努力しているのは私は見てきました。だから、大神官は貴方がなると思っていました。私はその背中を追い掛けるものだと、疑わなかった。色々な欲に塗れても、貴方なら気付いて、挽回されると思っていたのに、どうして、魔に堕ちるのですか! それでは、憧れていた昔の貴方に追いつけないではないですか!」
震える声で、尚もディーマン大神官はグローカス神官長に投げ掛ける。
「憧れていた、のか? 昔の私のことを、お前が?」
驚いたように目を見開き、グローカス神官長がディーマン大神官を見つめる。その顔は、有り得ないと言いたげだった。
「当たり前じゃないですか! 昔のグローカス神官長は真っ直ぐで、誰より信者を大切に接する優しい神官でした。生きることに悩んでいた私を救って下さったのは、貴方と女神様です。だから、今は欲に塗れても、貴方ならいつかは挽回されると思っていました。それまでは大神官の座は守り、貴方に譲った後、私は別の宗教を興すつもりでした」
グローカス神官長に真っ直ぐと見つめ、ディーマン大神官はそう言い放った。
真面目に言いつつ、自分の野望を言うディーマン大神官に内心、溜め息を吐いた。
大神官の座を譲った後に、本当に宗教を興すつもりだったんだ……。そのことに驚きだ。
「……そうだったのか。お前の本音を最期に聞けて、良かった……。本当にすまなかった」
苦笑しながら、グローカス神官長は俺に目を向けた。
「……ヴァーミリオン殿下は、神様だったのですね……」
「ああ。守護と再生を司る神だ。グローカス神官長を正気に一時的に戻したのは再生の権能を使った。気付いていると思うが、正気に戻れるのは本当にほんのわずかだけだ」
「ええ。そうですね。自分の身に起きていることですから、分かります。殿下、今更言うのは遅いことは重々承知ではありますが、先日の非礼をお許し下さい」
「ああ。許す」
淡々とした声音で、俺は頷いた。
神の俺に依ってしまっているせいで、淡々と言ってしまう。人見知りにも程がある。
「――ありがとうございます。それと、どうか、ゼウスを、ディーマン大神官を宜しくお願い致します。彼は私の自慢の弟弟子で、敬虔な信者です。きっと、殿下の力になると思います」
俺に一礼して、グローカス神官長は微笑んだ。
俺より年上の大神官を宜しくと言われても……。
普通は逆ではないだろうかと言いそうになる。
まぁ、良いんだけど。
「分かった」
「それと、スチール神官には気を付けて下さい。彼は私を魔に堕とした後、教会に確認に来るであろう殿下を狙っています」
「それは平民の少女のためにか?」
「はい。私を魔に堕としたのは、彼が使った禁呪です。魅惑や夢幻といった心を惑わすものでした。彼は我がパーシモン教団の禁書を持ち出し、それを良心の呵責もなく使っています。貴方様にも禁呪を使おうとしています。どうか、お気を付け下さい」
「分かった。気を付ける。忠告、感謝する」
俺が頷くと、グローカス神官長はホッとした表情を浮かべた。言いたいことは全て言えた、そんな顔だ。
「ゼウス、今まで、本当に迷惑を掛けた。私はここまでだ。すまないが、後は頼む」
穏やかな笑みを浮かべ、グローカス神官長はディーマン大神官を見遣る。
「――っ! はい……。グローカス神官長、ありがとう、ございました……」
泣きそうになるのを堪えるように、眉を寄せてディーマン大神官は頷いた。
「殿下。魔に堕ちた私を一時的に正気に戻して下さり、ありがとうございました。お陰で、心残りはありません。浄化をお願い致します」
恭しく頭を下げ、グローカス神官長は俺を見た。
「分かった。――貴方の、次の生に、幸多からんことを」
静かに告げ、右手をグローカス神官長に向けて、翳す。右手から聖属性を魔力に込めて、グローカス神官長に放つ。
白い、聖属性の魔力が強く輝き、封印の間が光で覆われた。
「ヴァーミリオン殿下。ありがとうございました。最期に、グローカス神官長の言葉が聞けて、良かったです。魔に堕ちたままだったら、誤解したまま何も分からず、後悔ばかりしていたと思います」
横たわるグローカス神官長から顔をこちらへ向け、力ない笑みを浮かべてディーマン大神官は俺に頭を下げた。
「いえ。魔に堕ちたグローカス神官長を元に戻せず、あの方法しか出来ませんでした。すみません」
俺も小さく頭を下げると、ディーマン大神官は慌てた。
ちなみに神の俺から、金髪碧眼の変装した姿に戻っている。
「そんなことはありません。神でも魔に堕ちた者を救うことは出来ないのは存じています。それに、殿下は最期に、グローカス神官長の次の生のことを祈って下さいました。私達にとってはとても有り難いことなのです。彼も喜んでいると思います。本当にありがとうございます」
深々と頭を下げて、ディーマン大神官は微笑んだ。
「これからは、スチール神官の動向をよく見ておきます。これ以上、神官達を魔に堕とされても困りますから」
「何かあったらいつでも言って下さい。私も気を付けておきます。それと、ディーマン大神官。念の為、権能を使わせて下さい」
そう言って、俺は右手をディーマン大神官に向けると、魔力を込める。
右手から赤色と金色が混ざった光がディーマン大神官に降り注ぎ、雪のように消えた。
呆然とディーマン大神官は俺を見つめる。
「守護の権能を使いました。これで、スチール神官が禁呪を使っても、魔に堕ちることはありませんし、他の禁呪にも掛かりません。安心して下さい」
「ありがとうございます。ヴァーミリオン殿下。お礼にお祈りをしても宜しいですか?」
「先程、姿が戻ったばかりですし、また祈られるのは困ります」
魔力がごっそりと減るので、一日一回……は勘弁して欲しいけど、本当に時々にして欲しい。
「そうですか、とても残念です。また祈らせて下さいね?」
「……気が向いたら」
目を逸らしながら言うと、ディーマン大神官は苦笑した。




