修行編:蘭花との話
景容は持ってきたわずかばかりの荷物を客間に並べるだけ並べた後、紙と筆だけを持って再び母屋を離れた。
(さっきあれだけ歩いたのに、もうこの離宮のどこに何があるのかを忘れてしまった。せめて、地図を描かないとな。もしまた皇女に道案内をさせるようなことがあったら、牡丹郷に帰っても私がまずいことになる。
それなのに、母屋の扉を開けた瞬間、あろうことか蘭花に出くわしてしまった。
「……あら、景容殿。お急ぎでしたか?」
景容が固まっていると、蘭花の一歩後ろに立っている侍女が見るからに顔をしかめる。
「……いえ、別に。大丈夫です。ところで、皇女殿下はこれからお部屋で休まれるところですか?」
「ええ、まあ。ちなみに、景容殿はこれから何をしに行くところだったのですか?」
「いや、別に大したことではありません。その、私は離宮の管理を任されたとはいえ、まだ離宮に詳しくはないので、せめて地図でも描いて、早く離宮の配置だけでも覚えようと思って」
「それなら、わざわざ自ら描きに行く必要はありませんよ。私の手元に、ここの地図がございます。もしよろしければ、それを持っていってはいかがですか」
「……いいのですか?」
「ええ、もちろん」
二度と皇女の案内は受けない、と誓ってからほどなくして、再び蘭花の案内の下、今度は離宮の地図を手に入れた。それはいたって簡潔に描かれていて、しかも燃えてしまったという別院も地図上には存在していない。完璧な地図だった。
「皇女殿下、ありがとうございます」
「いいんですよ。ところで、離宮に到着したばかりでさぞお疲れでしょう? お茶でもいかがですか」
景容がまだ何も反応していない間に、蘭花はさっそく二人分のお茶を準備し始めている。誰の目から見ても明らかに戸惑い始める景容をよそに、彼女は淡々と話しかけてくれる。
「あと、もしよかったら、今後私の話し相手になってくれませんか?」
「え?」
「別に他意はないんです。ただ、私と身分が近い者と話す機会がなかなかなくて」
「……でも、貴族身分の者と話すのと、お付きの侍女と話すのとでは違うのですか?」
「もちろん違いますとも。貴族の者は遠回しではあるけれど、自分の思ったことを放してくれると気があります。けれど、侍女というのは、私の機嫌を取るような言葉しか言いませんから。はい、どうぞ。あ、よかったらおかけになってください」
蘭花が景容に湯気の立ち上る緑茶を出している間に、侍女は彼のひざ元に椅子を持ってきてくれる。彼は「どうも」と言いながら、緑茶の入った盃を受け取り座った。
「それなら、私でよければ」
「当然です。私からお願いしているのですから。さて、とはいったものの一体何を話しましょうか?」
「では、私が以前に見た夢の話をするのはいかがでしょうか?」