修行編:蘭花皇女
景容が声の方向へ目を向ける。すると、離宮の二階から、開かれた窓際で青白い顔をした女が一人、景容に目を向けていた。
「……私は景容と申します」
「……ああ、新しく離宮を管理することになった方ですね。足止めさせてしまって申し訳ありません。私は、蘭花と申します。体調がすぐれないので、しばらくの間はここにいますが、私のことは気にかけなくて結構ですから」
「皇女殿下とは知らず、申し訳ありませんでした。では、私はこれで」
蘭花はただ軽く頷いただけで、それ以上は特に何も言おうとはしなかった。景容はとりあえず、離宮内にある別院を探し始めた。皇帝曰く、そこがこれから景容の住居となるらしい。
だが、離宮内をどれだけ歩いても、それらしい建物は一向に見つからない。東屋、桜に囲まれた池、厨房、庭園を抜けて、また離宮の母屋。
(?)
景容はまったく訳が分からなくなりながら、ただひたすらに離宮を回っていた。ちょうど、何度目になるかわからない東屋にまでやってきたとき、今度は後方から声が聞こえてきた。
「おや。景容殿」
その声に、景容は慌てて振り返る。
「皇女殿下。またお会いしましたね」
「そうですね。……ところで、何かお探しですか?」
「はい。実は、私が住むことになっているという別院を探しているのですが、それがなかなか見つからなくて」
すると、蘭花は首をかしげながら、じいっと東屋を見る。それから、なんとそれを指さしながら言った。
「別院はもうすでにありませんよ。確か、以前火事か何かで別院が燃えてしまったんです。そこで、また同じところに別院を作るのは縁起が悪いから、ということで、もともと別院があった場所には、東屋が建てられたのです」
「……ということは、もともとここにあったのですか?」
「ええ。もしかすると、父上も絵を描いたりと忙しい身ですので、そのことを忘れてしまっていたのかもしれませんね。何よりも絵を描くのが好きな方ですから。ところで、景容殿はこれから寝泊まりするところは用意しているのですか?」
景容はゆっくりと首を横に振った。
「それなら、客間にでも住みますか?」
「客間?」
「ええ。母屋には、皇族の者専用の滞在部屋のほかに、客間があるのです。万一、誰かが客として訪れたとき用のために。ですが、少なくとも私が滞在している間はそこを使う者はおりませんから、そこを景容殿の寝泊まり部屋にしてもよいかと思って」
「いいのですか?」
「もちろん。では、こちらについてきてください」
景容は何度も歩いたばかりの道を、蘭花と肩を並べて歩き始める。その間、蘭花は言葉を話すことはなく、ただひたすらに母屋に向けて歩いている様子だった。だが景容はどうしても、彼女の体を纏っている仙気に気を取られてしまう。
(蘭花皇女は一体どこの宮から修行に来たのだろう。人間界の皇女になるくらいだから錦城宮か? だが、あの宮の娘は確か修行に行けるくらいの実力がない、という噂だったが……。それとも桃妙楼の娘? それとも……)
「着きましたよ」
景容が考えに耽っている間に、母屋の玄関にまで到着していた。蘭花は客間まで案内すると、そそくさと母屋を離れて行った。
そしてその後姿を、景容は食い入るように見つめていた。
(あの皇女は、間違いなく修行者なのに、どうして牡丹郷での記憶が一切ない様子なのだろう?)