修行編:仙気漂う皇女
景容は人間界で相応に名を馳せていた貴族、景家の子として生まれ変わった。赤子の身ではあったが、牡丹郷での記憶は明確に残っているし、自分の意識もはっきりとしている。
その十七年後に、彼は官吏登用試験を受けた。生まれてから誰も彼に期待しなかったおかげで、試験日は微塵も緊張することなく挑んだ。その結果、誰もが想定していなかったことに、景家では彼が唯一登用試験に合格したのだ。
「容。明日は宮殿に参内する日だが、準備はできているか?」
と、景家の主、つまりは景容の人間界での父親に開口一番に言われる。その時、景容はまだ書斎の扉を閉めよう、としていたころだったのに。だがとりあえず、彼は父親の前まで歩きながら答えた。
「ええ、できています。必要なものは全て準備いたしましたから」
すると、父親はなぜか首を横に振った。
「違う。参内するための準備と言ったら、心の準備に決まっているだろう!」
「はあ」
「明日、参内し陛下に謁見するための心の準備はできているか?」
「……申し訳ありません。私は参内するのが初めてですので。ちなみにですが、どのような状態であれば、心の準備が整ったといえるのでしょうか?」
その時、父親は食い入るように景容を見ながら、真剣だが心を痛めたような声音で言った。
「その状態であれば、問題はなさそうだ」
翌日。昼前に、景容は父親と共に参内した。宮殿内には、少なくない人々がせわしなく、そして静かに行きかっている。誰も宮殿内では言葉を交わしてはならない、というような決まりもないはずなのに。
宮殿の門をくぐりぬけてから少しして、景容が居心地の悪さを感じ始めたとき、それまで一定の節奏で歩いていたはずの人々が一斉に、壁にぴったりと背中をくっつけるようにして道を譲っていく。一応、彼は父親に目を向けるが、特に変わった様子はない。相変わらず、急ぎ足で歩を進めている。
「父上、あの者たちは一体何をしているんです?」
「あの者たちは奴婢だから、皇族に道を譲っているんだ。おそらく、もうすぐここを皇族の誰かが通るんだろう」
と、父親が言った刹那、輿に乗せられた女が咳をしながら通り過ぎて行った。皇女らしい。
だが、景容は彼女とすれ違った時、思わず大きく目を見開いた。
(いま牡丹郷から人間界に修行しに来ているのは私だけじゃないのか……? どうしてあの皇女からは仙気を感じられるんだ?)
景容が通り過ぎたばかりの皇女を振り返り見ようとすると、そっと父親にたしなめられる。
「皇女殿下をそんなにじろじろ見るんじゃない。失礼だ」
「……はい」
景容は沸き起こる疑念を無理やりに抑え込みながら、再び前に向き直って歩き始めた。
それから少ししたころに、目的地である皇帝の書斎が見えてきた。扉の前には奴婢が二人立っていて、暇そうに二人で何かを話しているようだった。
彼らは景容らの姿を見かけると、「陛下からお話は伺っております。どうぞお入りください」と言いながら、景容らを書斎に入れた。