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四.Deep Fake

 一か月前、県内の鉄橋下にテントを張って住み着いていた七十過ぎのホームレスが明け方に死体で発見された。何かの衝撃を受けたような、頭蓋骨への激しい損傷。


〝事故か? 事件か?〟


 担当となった高橋の徹底した聞き込みで、ある若い男が捜査線上に浮かび上がった。


 〝岡本(たくみ) 二十二歳〟


挿絵(By みてみん)


 毎晩、鉄橋下で一人でサッカーの練習をしていた若い男。この春、大学を卒業してJリーグに入団が決まっていた。こいつは何か関係しているな……直感的にそう感じた高橋は、すぐに、事情聴取に向かった。


 身長は百九十。大柄で筋肉質なその体躯は、面と向かうだけで、言い知れない威圧感を醸し出している。高橋は、玄関に転がるボールに目を向けた。あのシミは血痕か?


「これに見覚えはありますか?」


 そして、写真を見せた時の、男の戸惑う反応に確信した。こいつは、老人知っている。自分が蹴るボールが直撃すればどうなるか、十分予見できたはず。


(練習中、意図せず、ボールが老人の頭に直撃した。こりゃ、ひとたまりもないな……)


 高橋は男の態度から実行犯であることを確信した。


「あの感じは黒だな。フダ請求しとけ!」


 高橋はパトカーの後部座席に乗り込み、ぶっきらぼうにつぶやいて、ふんぞり返った。


「まだそうと決まったわけじゃあないでしょう 。仮にそうだとしても本人にその意志はないわけですから、刑事責任は問われないんじゃないっすか?」


 村上が眉をひそめながら、運転席に乗り込み、手慣れた様子でエンジンをかけた。


「けっ甘いんだよ。プロのボールのトップスピードを知ってるか? 時速百キロだ。あいつはガタイもでかく相当鍛えてやがった、さらに速いだろうな」

 

 高橋はニヤニヤと口をゆがめ、手をもみながら嬉しそうに話した。


「過失致死で起訴、罰金前科持ちで、夢のJリーグもパーだな……」


 何がそんなにうれしいのか……上げた手をぱっと開き、ヒューと楽しそうに口笛を吹く高橋を、村上は苦々しく眺めた。


 しかし、近くの駐車場の監視カメラに偶然、その夜の様子が撮影されていた。若い男は、テントから離れた場所で一時間ほどの練習後に帰宅。その後、老人が現れ、足を滑らせ壁に頭を打ち付け動かなくなった。


 男の嫌疑は晴れ、事故として調査は終わりを告げた。


「お母さん、この間はどうも。やあ、巧君!! 元気にしてたかい? 相変わらずガッチリした体格で羨ましいね。お母さんも、お元気そうで何よりっす!」


 村上は元容疑者、岡本巧の実家に出向き、出迎えた母親に軽く会釈して、出迎えた巧を見上げて、嬉しそうに白い歯を見せて笑った。


「ということなんです、よかったですね。巧君、Jリーグがんばって! 応援してるよ。お母さんも、息子さんの活躍、楽しみっすね!」


 呆然とする岡本の肩をぽんと叩き、村上はお辞儀をして家を出た。何気に振り返ると、ドアの中から戸惑いながらこちらを見つめる岡本の姿に気づいて、村上は再びにこやかに手を振った。


「白でしたね」


 運転席に戻った村上はため息をついたが、その口元は嬉しそうに緩んでいた。高橋は、納得できないように眉をしかめ。不服そうに軽く頷いた。


「だな、ああもはっきりと映ってるとな。だが、何か気になるんだよな~ あいつは何かを隠している。俺の長年の経験と直感が……」


 高橋の態度に、村上は少しムッとした表情を浮かべてギアを力強く入れた。


「あーそうっすね。その二つ、とっても大事っすよね。でも今回はもういいでしょう。映像っていう決定的な証拠があるんですし」


(さっきの青ざめた表情を浮かべた若者。俺とそれほど歳も変わらない。これからが人生って時に逮捕だなんて、かわいそうすぎるじゃないか)


 村上の反抗的な態度に、高橋はしかめっ面を浮かべて、舌打ちし、運転席の背もたれをゴツンと蹴飛ばした。


「偉そうに言うな、ひよっこが。お前は私情を挟みすぎなんだよ! 何もわかっちゃいねぇな。人殺しだぞ? アイツが犯人なら、絶対に、罪は償わなくちゃいけねえ。それがあいつの為になる」

 

(しまった。つい口を滑らせた……)


 村上は冷や汗をかいて、背筋を伸ばして固まった。高橋がしつこく蹴る足の振動が背中に響く……


「いい事を教えといてやる。こういうときの違和感ってのは、特に重要だ。映像だか音声だか、んなもんは絶対じゃねぇ。もっと人間の奥底に潜む何か、現場でしか見えない所から答えを探り出す。それを俺達がやらなくて誰がやる? これからがサイコーに楽しいところだろ!?」


 高橋はニヤリと口を歪め、ぺろりとヘビのように舌なめずりをした。


「すいません……でした」


 村上は、叱られた子供の様に、首をがっくりと垂れ、うなだれ。


(そうだった。獲物をいたぶり、じわじわとなぶり殺す。この人にとって捜査はゲーム感覚……)


 自分とは全く異なる価値観を改めて思い知り、しかし、どうする事もできない未熟な自分にいつもの通り諦めて、あっさり白旗を上げた。ふと、ハンドル脇の小物スペースに、無造作に置かれたメモに気づいた。


(あ……そういや、本庁からの報告がきてたんだ……)


 慌てて髪を手に取り、後部座席の高橋に向き合った。


「すいません、本庁から追加の情報が来てました。この男には十一歳の弟がいて、名前は岡本(つむぐ)っていうすけど、捜査対象に入れるようにって」


「はぁ? 弟? 今さら、何を……」


 予想外な内容に一瞬、ぽかんとした高橋は、興味なさそうに写真を受け取った。栗色の髪をしたほっそりとした少年。どこにでもいる、普通の子供にみえるが……


挿絵(By みてみん)


 たどたどしくメモを読み上げる村上の言葉に、訝しがりながらも、耳を傾けた。


「えっと、博士号……? を授与された超天才児……みたいっすね。これって難しいんでしたっけ? 〝五歳の時に、大学教授が解けなかった難問を、あっという間に解いてしまった〟……ほんとっすかね、これ?」


(超天才児……?)


 慌てて村上からメモを取り上げた高橋は、その内容に面食らって、信じられないと両手で顔を覆った。


博士号(ドクター)


 不自然なひし形の帽子を頭にかぶって、すまし顔でこちらを見る大学生の顔が脳裏に浮かんだ。どことなく、くたびれたその風貌に、若き青春を、多くの苦難と労力に捧げてきた悲壮感を感じる。その偉大な称号を得るために、研究室に昼夜問わずこもりきり、死に物狂いで実験に没頭する彼ら。


(だが、この少年はまだ小学生。義務教育の為、飛び級はない。だとすると受理された方法はただ一つ……)


 〝論文博士〟

 

 大学というバックグラウンドを使わず、己の実力だけで論文を書き上げ、学位をもぎ取る。社会人ならまだしも、小学生が受理されたなんて聞いたことが無い……すました表情で、微笑を浮かべてこちらを見つめる少年の写真を、高橋は、改めて驚愕の(まなこ)で眺め、はやる気持ちを押さえて、メモの続きに目を通した。


『……受理された論文は、〝ニューラルネットワークにおける自動最適化手法〟という表題で、当時は未開拓な()()()()()()()()()()の基礎理論……』


(ディープ・ラーニング……何処かで聞いたことがあるような……)


 顎に手をかけて、ぶつぶつとつぶやく高橋に、村上はあきれてため息をついた。せっかく無事、解決したと思った矢先の、本庁からの横やり。こんなことなら、報告せずに、黙っておけばよかった……諦めてくれるのを祈るように、村上は黙り込む高橋を見守った。


(以前、海外Webの犯罪記事で読んだことがあるような……ディープ……ディープ……ディープ・フェイク!?)


 高橋の両眉が、そびえ立つ絶壁のように鋭くつり上がった。


(確かあの記事では、AIを使って、その場に存在しない人物を作り出していた……もしかして、今回の映像も偽物(フェイク)か?)


 ゆっくりと顔を上げた高橋がニヤリと口元を歪めて、いつものようにシートに踏んぞり返った。


「わかったぜ、種がよ……」


 水を得た魚の様に、生き生きと輝くその眼差しに村上は背筋が凍った。何かに……気づいた? 


Deep(ディープ) Fake(フェイク)。人間の薄っぺらい嘘を凌駕する、AIによる超深度(ディープ)(フェイク)。この少年はAIを使って監視カメラの映像を改ざんして兄を救った。博士号(ドクター)を受理されるほどの超天才には、朝飯前ってことだ」


(そんな…… まさか……)


 村上の脳裏に、先ほど別れた青年が、悲痛な表情を浮かべて、暗い闇に、渦巻きながら堕ちていく姿が浮かび上がった。その先には、高橋が両手を広げて、いやらしく笑みを浮かべている。


「ちょ……いくらなんでも、無茶苦茶っすよ。たったこれだけの情報で……証拠が少なすぎますって!!」


 まごつく村上に、高橋が有無を言わさない、いつもの高圧的な声色で命令した。


「本庁のサイバー犯罪対策課に調査依頼をしろ。この映像に何か不審な点……特に、〝改ざん〟の痕跡がないのかについてだ」


 わ、わかりました……一瞬、納得できないようにうつむいた村上だったが、いつものように最後には渋々頷き、悲痛な表情で携帯を取り出した。


      ※


 それから数日。本庁からの解析結果が届くはずだったその日。急遽、この案件から手を引け、と上司から高橋は告げられた。


「理由はわからん。とにかく本件は事故として打ち切る。さっさと忘れて、次の仕事に取り掛かれ!」


 目を合わさず、まともに取り合おうともしない上司の態度に高橋は困惑した。


(何か大きな圧力がかかった? これはそれほどやばいヤマなのか。浮浪者を殺した、あの若い男をかばう事になんの意味がある?) 


 歯ぎしりをしながらも、何か見落としがないか、高橋は必死に捜査の記憶を巡った。あの男、岡本巧の両親、親類。特にこれと言って影響力のある人物、団体は見当たらなかった。あいつ自身、サッカー以外、何か特別な才能は無い。気になるのは弟だが……鬼のような形相で黙り込む高橋に、上司がだるそうに新聞から目を離して、吐き捨てた。


「あと、追加情報だ。容疑者の弟、岡本……(つむぐ)だったか? 突然、姿を消したそうだ……まあ、今回の事件とは無関係だろうがな……」


(なんだ……と……?)


 高橋は眼を見開いて呆然と立ち尽くした。どういう事だ? まさか……


 想像した内容に、到底、信じられないと首を振り、絶望したように、うつむいた。


(不自然に県警に情報を流して容疑者に圧力をかけ、ギリギリでなかった事にし、その結果、弟が姿を消した。なにかの取引か? いや、俺はまんまと利用されただけ? だとしたら……)


 どん、と響く机の打撃音に、戸惑う皆の視線が、一斉に高橋に注がれた。


「くそったれ……が!!」


 激しく髪をかきむしって悪態をついた高橋は、目を丸める人だかりも気にせず、怒り狂って周囲の椅子を蹴り倒した。


         ※


 腹の虫が収まらない高橋は、上司に隠れて、事件の資料を徹底的に洗い直すことにした。


〝岡本巧(二十二歳)〟


 両親、弟と同居。母親は専業主婦、父親は中小企業のサラリーマン。この三月に千葉スポーツ大学を卒業。卒業論文は〝近代的な科学的トレーニングに関する考察〟この春からJリーグの東京ヴァルディへ入団予定。


(ここまでは目立った特徴もない……だが、ノーマークだった弟の方は……)


 新たに上がってきた報告書に目を見張った。


 〝岡本(つむぐ)(十一歳)〟


 五歳で論文が学会に受理。その後も立て続けに発表し、若干七歳で博士(ドクター)として学位を授与。


(まさに、超天才児……)


 相変わらずの内容に高橋は目を丸めたが、次の内容に眉をひそめた。


 現在はその所在が不明。しかも、失踪時期はつい最近。正確には高橋が本庁から手を引くように指示された、まさにその日。


(失踪……おそらく、監視カメラの件が関係しているはずだが……)


 さらに情報を洗い続け、ある有用なネタをつかんだ。


 目撃情報。少年が姿を消した当日、岡本巧の自宅付近でうろつく、外国人のような、彫りの深い四十代辺りの黒服の男。その名前に目を疑った。


〝加地則貴(四十二歳)〟


 共信党の若き党首。激しく国会で討論する姿が脳裏をよぎった。


『私はいつでも、国民の皆様に真実を語ってきた。しかし、野党の方々は、真実を聞く耳を持っていない! あなた方は、ただ私を陥れたいだけだ!!』


 何かの国家プロジェクトに関する瑕疵追及だった記憶がある。凛としたその態度と、堂々とした受け答え。時折見せる高圧的な物言いに、批判的な意見も少なくなかったが、その目を引く容姿も相まって、多くの国民は彼に熱狂し、周りの政治家たちは、我先に忖度に奔走した。新たな国会のヒーロー像。次期、総理の最有力筆頭株。


(これ程の大物政治家……なぜこんな場所に?)


 その背後に、僅かに渦巻く闇を感じた高橋は、メモを持つ手の震えを押さえきれなかった。


 しかし、それ以降は有用な情報が上がってこなかった。少年の行き先も未だ不明。加地の関連性も見いだせない。高橋は、歯ぎしりをしたあと、心を鎮めるように、一息ついた。


(落ち着け……超大物政治家が関わっているとなると一筋縄では行かねぇ。だが、不自然な圧力も、これで納得できた。敵はでかければでかいほど、やりがいがあるってもんだ!)


 逆境に陥れば陥るほどほど、反骨心の強い高橋の心には、固い決意の炎が渦巻きあがった。


(ったく困ったやつだ……)


 高橋の行動にうすうす感づいていた上司は、呆れたようにため息をついた。本庁からここに出向して早一年。高橋という男の献身的な働きに関心こそすれ、行き過ぎた捜査に、やや懸念も抱いていた。


(あの事件は、加地議員が関わるデリケートな案件。何か問題でも起きれば、せっかく積み上げてきた俺のキャリアが……)


 苦労して上り詰めた山頂から転げ落ちる自分を想像し、青ざめた上司は高橋を呼び出し、わき目もふれずに怒鳴り散らした。


「俺が気づいていないとでも思ったか? さっさと次の仕事に取り掛かれ!」


「……わかりました」


 目を伏せて従順な態度を示した高橋は、心の中で、罵詈雑言の悪態をついた。


(本庁にへつらう情けない犬が野郎が……お前らのようなキャリアの馬鹿にはわからねぇよ。出世ばかり気にして、現実に目を向けようとしない。俺は事件の真実が知りたいだんだ!! それ以外に何がある?)

 

 高橋は表向きは次の案件に着手しつつ、隠れて加地の過去を徹底的に調べ上げることにした。警察人生で築き上げてきた人脈。昔堅気のヤクザ、夜の蝶を束ねる女将、街の裏表を知り尽くす運転手、欲望渦巻く花街の案内人。この澱んだ世界で生き残るため、彼らは協力を惜しまない。利用し、利用される。それが、この街の掟。


 次々と上がってくる報告書に、俺は貪るように目を走らせた。加地の生い立ちから家族構成、人間関係、嗜好、そして心の奥底に隠された欲望まで。やつの全てを、解剖台に乗せるように、白日の下に晒していった。


(見てろよ、あの野郎……徹底的に洗い出してやる)


〝すっぽんの高橋〟


 いつからか着いた、半ば揶揄されたあだ名。


『一度かみついたらてこでも動かない。あいつに目をつけられた犯人に同情するよ』


 陰でひそひそと話している同僚を目にしたこともある。尊敬と嘲笑が混ざった眼差し。上司も自分の行動が理解できないのか、まともに評価しようとしない。高橋はそんな周囲に常にイラついていた。


(お前らと俺とでは思考の次元が全く違うんだよ。すっぽんの高橋だぁ? 面白れえじゃねえか。お前ら含めて犯人もろとも、骨の髄まで噛み砕いて食ってやるよ!!)


 今ではその蔑まされたあだ名が、自分という人間をもっとも端的に表す、誇らしい称号にさえ思えていた。目の前に立ちはだかる壁は、敵だろうが見方だろうが関係ない。全てを喰らいつくして俺は前に進んでやる!


 調べを進めるうちに、加地という男の像の輪郭が、高橋の頭にくっきりと浮かび上がってきた。財閥の次男坊。厳しい両親の元、気の強い兄にいじめられ、年の離れた姉に泣いて甘える軟弱者。学校になじめず、現実逃避から空想のSF世界に没頭する毎日。


〝軟弱な巨人〟


 大きな体を丸め、うつむき自信なさげに歩くその姿から、いつからかついた不名誉なあだ名。


(意外だな……人は見かけによらないもんだ)


 今の加地からは到底想像できない暗黒の学生時代。意外な一面を垣間見て目を丸めた高橋は、首をかしげながらも、報告書に目を通した。


 財閥系私立を大学までエスカレータ式に苦難無く過ごし、二十二歳で結婚。相手は名もない資産家の三女。政略結婚でもなければ、自由恋愛でもない。聖星教と呼ばれる宗教団体の合同結婚。子供の頃から夢見がちだった青年は、現実逃避を繰り返し、最後には宗教団体に身も心もささげるまでに染まりきっていた。


(聖星教は()()()()()()……なるほどなぁ~ここで政治とつながっていやがったか……)


 高橋はごくりと唾を飲み込んだ。


〝聖星教〟


 秘境と呼ばれる山奥の怪しげな建物で、人間の未知なる能力を開花させる修行を繰り返していると噂される宗教団体。信者は年々増加し、その巨大組織は、共信党を支える貴重な支持団体として、威厳を振りまいている。


(聖星教を通して、政治家としての道が開け、見事、第二政党の党首にのぼりつめたってわけか……それにしても……)


 軟弱な巨人と第二政党の党首。言い知れぬ違和感に戸惑いながらも、高橋は報告書に目を向けた。


 結婚後、財閥系大手の子会社に役員として入社。さしたる成果もあげずに幽霊のように淡々と会社に通う日々。子供は無し。しかし、そんな日常に突然変化が訪れた。三十七歳で唐突に政界に進出。凛としたたたずまいと端正な顔立ちで、瞬く間に有権者の心をつかみ、四十一歳で共信党の党首にのし上がる。


(なんだこれは?)


 高橋は知れば知るほどほど、加地という男の奇妙な人生に困惑した。今の姿からは想像できない軟弱な学生時代。無気力な社会人生活。打って変わった唐突な政界進出と、わずか四年で上り詰めた党首の地位。


(こいつの突然の急変、何か気になるな……)


 目の前に座る上司にちらりと目を向けた。部下に無関心なように、熱心に新聞に目を通している。ちょっと、動いてみるか……高橋は席をゆっくりと立ち、静かに出口に向かった。


         ※


「こういうものです。少しお聞きしたいことがあるのですが……」


 かつて加地が勤務していた財閥系企業。ビルの入り口から出てきた女性社員に高橋は和やかに声をかけ、警察手帳と一枚の写真をおもむろに掲げた。酒瓶が並ぶ薄暗い飲食店のカウンター、派手な服装の女性が、にこやかにお酒をついでいる。


 突然のことに目を丸くした女性は、写真を目にしてさっと顔が青ざめた。高橋は、笑顔を絶やさず、女性の耳元に顔を近づけて囁いた。


「ここじゃ何ですので、別の場所で……」


(誰でも一つや二つ、後ろめたい事はあるもんだ)


 茶店の席に着き、青白い顔で戸惑う女性を前に、高橋は心の中でほくそ笑んだ。


「すいませんね、突然。実はある事件を捜査してまして、是非、ご協力を仰ぎたく……」


 高橋は目を細くして、到着してお茶を女性に勧めた。女性が指を世話しなく組み変えながら、おどおどと口を開いた。


「あの……さっきの写真のことですが……会社には、その」


「ええ、それはもう。ちょっとしたお手伝いをしていただければ、私としてもあなたを困らせるつもりは十々ありませんので」


 にこやかな高橋の様子に女性社員はほっとした様子で肩をおろし、落ち着きを取り戻すと、眉を非閉めて、マジマジと高橋の顔を見つめた。


「警察……ですか? でもこんな手荒なこと、違法じゃないんですか。確かに私は会社に黙ってお店で働いてましたけど。それにしたってこんなやり方、おかしくないですか?」


 ニコニコと微笑む高橋にやや強気になった女性が口を尖らせた。


「違法……ですか。まいったな~ 犯罪を働いてるかもしれない相手に逆に訴えられるなんて」


 高橋は少し困ったような風に頭をかいた。


「犯罪……ですか? 私がですか……」


 女性がやや不安そうに消え入りそうな声で尋ねた。高橋はおもむろに別の写真を出した。先ほどと同じ店、今度は別の男が写っている。髭面で若い男。女性の顔が再び青ざめた。


「ご存知ですよね、この男。ある事件の容疑者なんですけど、最近行方をくらましてましてね。どこかに隠れてると思うんですが、匿ってる人がいるとすれば共謀罪で罪に問われますなぁ」


 女性がうつむき、だまりこんだ。高橋が嬉しそうな顔をして手を揉んだ。


「何もそんな難しいことじゃありませんよ。ちょっとだけ会社で調べてもらいたいだけです。捜査の一環ですよ。具体的には、かつて在籍していた〝加地則貴〟という社員の過去の勤務記録や出張記録について調べてほしいだけです。ご協力していただければ、他の罪は軽減されるでしょうなあ。どうします?」


 一転して氷のような鋭い目付きで高橋は女性を睨みつけた。ゆっくりと顔を上げた女性は、震え上がってこくりと頷いた。


「それはありがたい。本官も大いに助かります。大丈夫、優秀なあなたならすぐに終わりますよ。しかし、友人は選ばんといけませんなぁ」


 うまそうにタバコをふかす高橋に女性はゾッとして身震いした。


         ※


 メール、勤怠、旅費、給与、有給……社内のシステムに残っている、加地に関する、ありとあらゆる情報が予想以上に素早く手元に届いた。


(よっぽど自分の罪を軽くしたかったようだな)


 縮こまる女性を思い出して高橋はほくそ笑み、上機嫌にその内容に目を通した。


 給与面では一般的なサラリーマンよりかなり優遇されていた。だが、勤務内容は平均のさらに下。メールは一日一回。定時退社時の業務報告のみ。有給は常に全て消化。出張もなくただ漫然と会社と家を往復する日々。財閥親族としての体裁を保つだけのお飾り。


(しっかし、情けない男だな)


 高橋は中身をみてあきれ、死んだ目で過ごす加地を想像し、哀れにさえ思えた。


 しかし、出張記録に目を通してふと違和感を感じた。三十歳あたりから。年に数回、遠方に出かけていた。明細は東京~博多となっている。


(博多?)


 詳細な出張記録は無い。急いでページをめくった。徐々に出張回数は増え、三十三歳の頃には二週間に一度は出かけていた。博多駅からのタクシーの領収書に目をやった。


(五千円弱、二十km付近か。そこに何かあるな)


 高橋はパソコンを開き、インターネット検索で〝serch Earth〟と入力した。宇宙空間にぽっかり浮かぶ地球のアニメーション。


挿絵(By みてみん)


 〝博多駅〟と入力すると地球が回転し、日本列島が見え、九州、博多駅にぐんと近づいた。年代検索と書かれたボタンをクリックし〝1998年〟と入力した。博多駅周辺のビルの数は減り、代わりに緑が増え、九年前の風景に時代が一気に遡った。


(まったく便利な世の中になったもんだ)


 うまそうに煙草を吹かせながら、〝周辺二十km〟と入力した。博駅周辺に浮かび上がったジグザグの赤線。高橋は入念に線上に目を凝らした。

 

 ふと山奥に不思議な施設がある事に気づいて、重なる小さな文字に目を凝らした。


〝聖星教 博多本部〟


(ここか……)


 高橋はにやりと口を歪めて施設の航空写真を眺めた。高い塀で囲われた広い敷地。淡い緑は、短く刈り上げ整備された芝である事を示している。中央には、寺院のような、ピラミッド状の巨大な建物がある。その頂上の、天高くそびえたつ、不気味な巨大な円柱に高橋は眉をひそめた。


天国につながる道(ロード・トゥ・ヘブン)。死んだ魂が行きつく聖域。ったくそんなものを信じるなんて、きがしれねぇな……)


 呆れたように高橋は首を振ったが、加地の行く先を特定できたことに満足して、画面を閉じた。

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