十九.タイムリミット
日本、博多。IT Translator国家育成プロジェクト本部……達也が保持する扉を映し出す立体映像を岸本は険しい表情で睨みつけていた。
「そうですか……」
岡本からの定期報告に岸本はうなだれた。扉の制約は自然脳容量の濃度三十パーセント以上。あまりにも厳しい。ベッドでうなされている達也を思い浮かべた。彼の扉に魂を流すことはできない……
一方のブッダ・ガヤからの報告。モニターに映る秋山に目を向けた。心配そうにこちらを見つめている。シンの他力本願による制約の解除。その迷いが晴れる、それに期待して、待ち続けるのはリスクが高いと思われた。
(くそっ)
岸本は拳を震わせた。時間がない……ここにきて、手詰まりか……
「緊急連絡です」
近づいてきたシータが岸本の耳元でささやいた。
「なんだと?」
岸本は悔しそうにうなり、秋山と岡本に険しい眼差しを向けた。
「JAXAから連絡がありました。地球の自転速度が急速に低下している。このままだと、後一日もすれば、自転は完全に停止する」
※
宇宙航空研究開発機構、JAXA。須藤は計測器の数値を血眼の目でにらんでいた。自転速度、毎時700キロメートル。通常の半分以下。先ほどからの急激な低下。
「これじゃあ、一日持たないかも……」
少女が心配そうにつぶやいた。須藤はあふれ出す汗を抑えながらも、タッチパネルを高速な指さばきでたたいた。様々なウィンドウが浮かびあがっては消え、大量の英数字が流れた。
シミュレーション中……
ピーという小さな音の後、地上の様子が立体映像で浮かび上がった。
ニューヨーク。真夏の灼熱日。地上の司令灯が規則正しく点滅し、自動搬送車が理路整然と走っていた。管状昇降機 がせわしくなく移動し、その中で人々が談笑している。立体映像でダンサーが楽し気に踊り、遮光隧道を、大勢の人たちが楽し気に歩いていた。
突然、司令灯が全て消灯した。自動搬送車は停止し、管状昇降機 は逆さまのまま固まった。遮光隧道は暗闇に覆われ、悲鳴をあげた人々で、パニックに陥った。
〝自転停止〟
地上を覆う電磁遮蔽がリセットされ、宇宙から大量の宇宙線が降り注いだ。地上の電子機器回路は一斉に焼き切れ、容赦ない太陽光が降り注ぎ、構造物の内部温度が一気に上昇した。あわてて屋外に飛び出した人々は、強烈な赤外線熱に目は腫れあがり、肌はまっかにただれた。
医療拠点ではAI×OSの主治医が消え、患者の皮膚に差しこまれた状態の人型手術刀から大量の血が溢れ出た。
制御をうしなった核融合炉の温度が急激に上昇し、異様な雷を放ちながら暴走しだした。爆発的な閃光が放たれ、衝撃波で周囲一帯の構造物が消滅。不気味な轟音と放たれた放射線に人々は恐怖に震えた。
立体映像の地球が浮かび上がった。赤く塗りつぶされた場所。高度に情報化された主要都市ほどその被害は甚大だった。
「ひどい……」
涙ぐむ少女の隣で須藤は唇を噛み締めた。再計算したタイムリミットは十八時間。以前の予想よりさらに短い。
(すぐに岸本総理に連絡しないと……)
須藤は額から流れる汗をぬぐった。今、自分にできることは、発生時刻の推定と被害状況のシミュレーションのみ。不甲斐ない己に絶望した。
※
グランマ。創造主により管理される魂の到着地点……
岡本はクリエイターの変わり果てた姿に唖然とした。
「再度頼んでみる。可能性は低いが自分ができることは何でもやるつもりだ」
そう、皆に意気込んでいつもの高原に来たが、その姿に目を疑った。彼は普段フードをかぶっていた。以前、一度取ってくれたことがあったが、その姿をみて驚いた。
「我もかつてはゴーストだったが、今はクリエイターだ。創造主には姿は不要。だが、便宜上、相手の姿を映すようにしている」
今、彼はフードを取っていた。だが、その姿は異様だった。両目、鼻、口があるべき場所に真っ黒な穴が空いていた。首、肩、腕、胸、腹、足……至る所に底の見えない漆黒の空洞が開いていた。
〝もっと知性を……〟
どこからか声が聞こえた。
(いったいこれは……)
唖然とする岡本の前に一匹の蝶がひらひらと舞い込んできた。キラキラと輝き舞いながら、クリエイターの前を横切った。
すとん
まるで掃除機の口に吸い込まれるごみのように、その姿が消えた。ビューと風が吹いた。穏やかなグランマでは珍しいやや強い風。岡本は不穏に感じて周りを見回した。風は背後から吹いていた。
(いや違う)
じっとりと冷や汗が出た。クリエータに向かってすべてが吸い寄せられていた。
※
地球、涅槃……天国への扉がある地……
シンは迷っていた。他力本願。その教えを真剣に聞く愛弟子たちを思い出した。目をうるわして見つめる大勢の民たち。邪念を振り切るように首を振った。
(私にはその資格がない)
一度弟子が涅槃に来たのを見かけ、慌てて隠れた。
(いったい自分は何をしている?)
なさけなく悔し涙が出た。三千大千世界への不浄な魂の流出。決して許される事ではない。だが、このまま何もせず、地球が滅んだとして、それが正しい行いなのだろうか?
〝一念発起入正定之聚〟
ふと頭に懐かしい声が響いた。法然先生。優しく笑って教える師の顔が浮かんだ。
「他力本願こそが真の理なんです!!」
あさましくも意見をした若き頃の自分。
「そうだね。君の考えはもっともだ。阿弥陀如来様にお頼りし、お念仏を唱えさえすれば誰もが救われる。大変ありがたいことだ。だが、私は自己の努力も必要だと考えている。自力本願。頼りっぱなしじゃいけない。自ら考え、努力して、最後に阿弥陀様にお救いをお願いする、それが正しい道だと思っている」
法然先生は優しく諭すように語っていた。
「今、君がしようとしている事は、その理を変える行為だ。それを敗れば大変な罰がふりかかるかもしれない。しかし、私は応援しているよ。一念発起。自ら考え、努力して、理を変えることも時には必要だ。誰もが救われる世界。楽しみにしている。君ならきっとできる」
〝理を変える〟
当時の私にはその重大性に気づいていなかった。だが、それを変えることもまた理。師の言葉を思い出した。
(法然先生、私は決めました……)
シンは目を開けて立ち上がった。
(時間がない。すぐにでも始めないと)
※
「じゃあ、リセットするよ。三・二・一……ゴー」
ブッダが手を挙げて大きな声で叫んだ。扉が静かにその重々しい扉を開放し、七色に光るまっすぐなトンネルがその先に姿を現した。
「これで大丈夫だ。ここに来さえすれば誰でもグランマに行ける」
ブッダは涼し気に説明した。秋山は呆気にとられた。扉の制約を解除する、シンからそう聞かされてほっとした。
(だが、時間がない、実行にはどれくらいかかるんだ?)
その心配をよそに一瞬で作業が完了した。
「要はシンの気持ち次第だったんだ」
ブッダが笑って答えた。
「他力本願はシンの教えだ。まずは、彼自身が納得しなくちゃいけない。制約の外し方は創造主から聞いていた。でも条件があった。シン自身がそれを望む事。ようやく迷いからふっきれたようだね」
扉を真剣に見つめるシンをみて、ブッダが安心したように微笑んだ。
※
グランマは混乱していた。かつてない突風。
「高原には近づくな!!」
岡本は必死に周りに訴えた。みな恐怖で顔を青ざめている。
(いったい何が起こっている?)
荒れ狂う景色に岡本は頭が真っ白になった。
「扉が開放されました!!」
部屋に飛び込んできたユージが叫んだ。そうか。岡本はほっとした。だが、果たして間に合うのか。地球は、そして、グランマも……紬とアイコスが寄り添いながら不安げにこちらを見ていた。
(こいつらにこれ以上、負担をかけるわけにはいかない……)
「紬……おまえは、アイコスを見守ってやれ」
岡本とユージは互いに頷き、勢いよく扉を飛び出した。いつもの高原。クリエイターは、あのままの姿で座っている。彼を中心として、四方から吹きこむ突風。
「どう思う?」
岡本はユージに尋ねた。ユージはクリエイターの様子を見ながら、考え込んだ。先ほど開放された扉でブッダに言われた言葉……
~
ゆっくりと開く扉の先には輝くレインボーロードが伸び、その先に秋山さんとアイコスJrの姿が見えた。横に立つ見知らぬ二人。背の高い痩せた長髪の男が話し出した。
「やあ、君はユージ君だね。私はブッダ。君に重要な話がある。創造主は三千大千世界に戻ろうとしている」
(シッダールタ・ブッダ……)
ユージは息をのんだ。岸本総理からは状況は聞いていた。地球に存在する、天国への扉を守る案内人……ブッダが続けた。
「僕は創造主に以前聞いたことがあった。なぜ、あなたはそれほどまでに知をもとめるのかと。彼自身もわかっていない様だった。しかし、心当たりはあるようだった」
ブッダは懐かしそうに目を細めた。
「彼は元は、ある惑星のゴーストだった。地球と同じく六道で生き、認められその地に導かれたという事だった。ある時、ひどい嵐があり気が付くと、このグランマに一人たっていた。そして、その時から異常ともいうべき知への渇きを覚えるようになったと。彼は諦めたように首を振って話した。〝なぜ欲するのか? それはわからない、だが、それが自分に与えられた使命、全宇宙が成り立つための理の一部なんだと思う〟と」
(全宇宙が成り立つための理?)
その壮大なスケールにユージは唖然とした。ブッダが悲しい目をして続けた。
「今のグランマの嵐、彼の使命の最終段階。グランマにたまった魂を全宇宙に放出し、新たな創造主として旅立たせるための最終儀式。だとすると時間がない。グランマはその役割が終わろうとしている。創造主の命が終わる時、扉は崩壊する。そうなれば地球は助からない」
~
黙り込むユージに岡本は不安になった。風の勢いは益々増している。バランスを崩し、吸い込まれそうになった岡本は、慌てて地面に這いつくばった。ユージが嵐に向かって、険しい表情で叫んだ。
「理なんてくそくらえだ! グランマは終わらない。僕が終わらせない!! 紬さんとアイコスさんはやっと幸せになれた。岡本さんと秋山さんも再開できた。シンはやっと自分の信じる道を進むことを決意した。タッキーも必死に頑張っている。今ここでグランマを消滅させるわけにはいかない。僕が絶対にさせない!!」
ユージの瞳が薄緑色に輝いた。まさか……岡本は創造主の頭に吸い込まれるユージを唖然と見つめた。
※
正寿郎は魂の抜けがらのように歩いていた。先ほど大量の魂が天から堕ちてきた。
(地上で何かおこったのか?)
特に興味も沸かなかった。
(熱い、のどが渇く、水……)
しかし、周囲は岩場とマグマだまりしか見当たらない。
(なぜ、こんなことに。私はマザーに選ばれたのではなかったのか……?)
一番最初に降りた場所に戻り、必死に出口を探した。
(もう一度……扉に戻るんだ)
ふと、誰かが座り込んでいるのに気づいた。大柄の男。背を丸めうずくまっている。どこかで見た事がある。振り向いた顔に驚いた。
「やあ、正寿郎。やっぱりここにもどってきてくれたね!!」
目を凝らすと他にも誰かいた。十人……いや、数百? 男が嬉しそうに笑みを浮かべて手を広げた。
「皆、君が来るのを待っていたんだ! 聖星教 福岡本部 八代目当主 山下正寿郎。おかえり、我が親愛なる当主」
加地がにっこりとほほ笑んだ。正寿郎は唖然とした。こちらを向いて微笑む者たち。見覚えがある。あの人体実験の日々が蘇った。
~
マザーのために協力してくれるかい? そういって、信者を人工脳容量の実験に協力させた。彼らは喜んでその身をささげてくれた。実験に失敗し、動けなくなった体になっても、その顔はにこやかだった。
「マザーに、正寿郎様のお役に立てて、これ程の幸せはありません」
魂となってもなお、マザーを信じて扉に飛び込んだ彼ら。
(自分で何も考えない愚かども、私がその命を有効活用してあげよう)
内心ほくそ笑みながら、優しい笑顔を繕っていた自分。
~
地獄に堕ちてなお、このような顔で敬ってくる彼ら。こいつらは本当に馬鹿で愚か者だ。
「私に近づくな!!」
正寿郎は加地とその背後にたつ信者達を睨んだ。加地は困惑した表情を浮かべた。
「私には君たちを救う事はできない。本当の事を言う。私は君たちを利用していた。最初は単なる興味だった。人間の、脳の未知なる力の解放。だがマザーのいる地、グランマへ通じる扉を見つけた時、私の中で悪魔がささやいた。目的が変わり、ただやみくもに君たちを傷つけた」
正寿郎は加地達に背を向けた。震える肩を必死に抑えて、平静を装った。
「どうだ、これが私という人間の本性だ。わかっただろ、マザーなど信じるな。お前たちは自分でここから出る方法を考えろ!!」
溢れ出る涙を抑えきれなかった。本当はうれしかった。こんな場所でまさか自分を頼ってくれる者たちに再開できるなんて……だが、私にその資格はない。
つらく、長い実験の日々を思いおこした。武井と始めた人体実験。幾度となく繰り返される失敗に、何度も心が折れた。だがマザーに認められたい……その一心で、身も心も削りながらも、のめりこんだ。そして、グランマへの扉を発見した時、ついに私は、その地へ導かれたと確信した。だが……
自分は選ばれてはいなかった……なぜだ。マザーに対する呪いの感情が沸き上がった。確かに人工シナプスの実験で多くの若い命を犠牲にした。扉のためにその魂までも奪った。しかし、全てマザーに近づきたい、お会いたい、その一心のためだった。だが、認められなかった。すべてを否定された。こんな私が彼らの前に立つ資格はない……
「そんなこというな!!」
振り変えると加地が眉を吊り上げて怒りの表情で立ち上がっていた。
「正寿郎、うそでもそんなことをいってはだめだ……昔、君はいっていたね。マザーは素晴らしいお方だ。彼のためなら命をささげてもいいと。それは僕も、ここにいる全員も同じだよ」
今まで見た事もない加地の表情に正寿郎は唖然とした。加地がにっこりとほほ笑んだ。
「君がしたことを僕らは怨んじゃいない。むしろ喜ばしい事だ。マザーにお会いすることに役立てるんだから。残念ながら君は会えなかったようだけど、気にする事じゃない。こういっちゃなんだけど、マザーも見る目が無かった。もし会える時が来たら、ガツンといってやらないとね!!」
加地は声を出して笑った。
(どこまでも間抜けで能天気なやつだ……)
正寿郎は目をそらすように前を向き、再びこぼれおちる涙を拭いた。吹っ切れるように大きく深呼吸した。
(あの弱虫にここまで言われて黙っているにも性に合わない。しかたない、もう少し当主とやらを演じてやるか……)
少し口元を緩めた後、正寿郎は改めて周囲を見回した。
(とは言ったが……)
地獄。見渡す限りの荒れ果てた大地。どこから来たのか、入口も出口も見当たらない。どうする? ちらりと心配そうに見つめる加地と他の信者たちに目をやった。
〝祈れ〟
ふいに、どこからともなく声が聞こえた。
(誰だ?)
正寿郎は慌ててあたりを見回した。振り向くと皆、不思議な顔をしてこちらを見つめている。
(彼らには聞こえていないのか?)
正寿郎は耳をそばたてた。
〝心を込めて我に救いを求めよ。そうすればお前たちを救ってやろう〟
(マザー? 親愛なる我が母神。まさか、その御声を聞くことができるなんて)
正寿郎は、勢いよく振り返った。
「皆、聞いてくれ! 今、マザーの啓示があった。彼が我々を救ってくださる。さあ祈ろう」
正寿郎は手を前で組み目を閉じた。
「親愛なる我が主マザー、どうか我らに導きを……」
※
涅槃。天国への扉の前。シンがテキパキと指示を出していた。
「聖星教は大丈夫だね。浄土真宗は私に任せて。法然先生にも連絡しておく。イエス、ムハンマド、孔子、モーゼには連絡済みだ。ブッダ、何ボーとしてるの。さあ、忙しくなるぞ。まずは地獄の魂の救済だ!!」
シンは熱く語った。
「グランマにいる聖人はゲートを通して語ってもらう。地獄へのアナウンスは緊急用の回路を利用するね」
「本当はいけないことなんだけど」
ブッダがあきれ気味につぶやいた。その様子を秋山とアイコスJrは頼もしく眺めていた。
この調子でいけば、地球の魂は順調にグランマに移送できそうだ。うまく行けば、あと数時間で目盛が減少し、自転の停止も回避できる。だが、グランマの状態が不安だ。岸本総理からはかなり状態が悪いと聞いている。
(岡本さん、ユージ。後は頼んだ……)
秋山とアイコスJrは宙を見上げて祈った。




