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十七.イザナギノート

(イザナギノート?)


 シータは眉をひそめた。聞いたことがない。大臣たちも困惑してざわざわと騒いでいる。ただ一人、巨大モニターの正面に座る、眼鏡をかけた六十代あたりの男が、目を丸く見開き、唖然としていた。


 7分で整えた髪。細く繊細な眉。精悍で勇ましい面持ち。男は勢いよく立ち上がった。


「梶原さん。お久しぶりです。首相の岸本です。〝イザナギノート〟 残念ですが、あなたの申し出であっても簡単には開示はできません。理由を教えていただけますか?」


 真剣で紳士的な態度から、まじめで上下関係を重んじる人格がにじみ出ている。


(岸本か……)


 梶原は込み上げるなつかしさに、思わず目を細めた。閉成高校硬式野球部 二年下。ひょろりとした容姿。自分を主張せず、にこにこと常に周りに気を配る下級生。その態度に、幾度となく苛ついたことがあった。


 ある日、練習後に忘れ物に気づいて学校に戻った時、誰かが一人で、夕暮れのグランドを走っていた。岸本だった。芝生のグランドを一周する細い剥げ道。岸本ロード。なるべくしてなった。立派に成長したその姿に感銘し、梶原は深々と頭を下げた。


「岸本総理。申し訳ありません。事態は急を要します。詳しくは彼から、岡本巧教授(プロフェッサー)から説明してもらいます」


 梶原の隣に映像が映った。巨大な球体の鏡面。淡い若草がなびく高原に誰かが立っていた。輝きながら、風に揺られるそれは、人と呼ぶにはあまりにも不安定に見えた。


「はじめまして。内閣の方々。今紹介があった岡本です。こんな姿をしていますが、私は正真正銘の地球人だった岡本です」


挿絵(By みてみん)


 三十代半ばあたり。屈強な体躯をしてこやかな表情を浮かべて立つ大男に、シータは呆気にとられた。


(岡本……巧? あっ)


 まじまじとモニターに目を向けた。IT Translator国家育成プロジェクト本部 名誉教授。AIの父と言われた伝説の人。惜しくも二年前、その尊い命がこの世から亡くなった……だが……


(この男はどう見ても若い。梶原会長(プレジデント)はいったい何がしたいんだ?)


 謎の男の隣にたつ梶原にシータは目を向けた。あの卒業式と変わらない、自信に満ちたゆるぎない眼差し。


「そして、ここはグランマと呼ばれる地球から二百光年離れた惑星。私は二年前に死にましたが、その後、魂がこちらにうつり、新たな肉体を得ました。天国、極楽といった方がわかりやすいですね」


(グラン……マ?)


 馬鹿にするな!!……誰かの叫びを皮切りに、飛び交う怒号。頭が真っ白になったシータは、混乱する室内を、なすすべもなく唖然と眺めた。構わず男が冷静な声で続けた。


「クリエイター、地球ではマザーといわれている存在が、地球の自転がしばらくすると停止すると言っています。先ほどの巨大地震はその兆候です。それを回避するために、今、梶原さんが説明したイザナギノートが必要なんです」


 シータは隣に目を向けた。蒼白な顔をした岸本が、口をあんぐりとあけて固まっている。


「突然の事で皆、混乱されているとは思います。ただ、半分ぐらいですかね。マルク出身の大臣たちは理解されたとは思います。正寿郎のゲートが完成しました。おめでとう。あなた達が企んできた闇のプロジェクトがついに成功したんですよ」


(正寿郎? 闇のプロジェクト?)


 突然ピタリと静まった室内。不穏な空気を感じて、シータは周りを見渡した。半数あたり。困惑した表情で、こそこそと話し込む大臣たち。互いに微笑み合うものもいる。


(どういうことだ?)


 シータは困惑した。岸本が厳しい表情で発言した。


「岡本プロフェッサー……ですか? 闇のプロジェクト。私もうわさでは聞いたことがあります。共信党の時代から続く謎の儀式。宗教の自由は憲法で保障されている。私には理解できないが、自ら信じる神をあがめる行為について何かを言うつもりはありません。しかし、あなたのいう事はにわかには信じられません」


 岸本はモニターにうつる梶原をまじまじと見つめた。かつての軟式野球部の先輩。まじめで厳しい、だが、人の気持ちを重んじる信頼のできる人。互いに議員出身者が多く占める家系に生まれ、野球だけでなく、日本の将来も語りあった。政治家と官僚。進む道は違えどその志は同じはず。しかし……


 円卓の奥に座る大臣が手を挙げた。先ほど梶原に怒鳴られた、八十歳あたりの小柄な男。鋭い目、薄い唇。口をへの字に曲げて、落ち着きなく首を揺らしている。


「あー、いいですか。岡本教授(プロフェッサー)? いや、今は岡本巧さんがいいですか。初めまして。内閣府大臣の鷲津です。宗教法人監督委員会の委員長も兼任しています」


 蛇の様に首を伸ばした男は、曲げた唇をさらにしかめて続けた。 


「あなたのおっしゃるお話、非常に興味があります。我々の母体となる聖星教、その母神マザー。死んだ後も、真の幸福の場所に向かう事ができる。信者たちに大いに励みになります」


 言葉とは裏腹に、鷲津は面倒そうに頭を掻いた。

 

「しかしですな……あなたが本物である証拠がない。今の話を、はいそうですか、と信じる馬鹿はここにはいませんよ」


「レインボーロード」


「はい?」


 つぶやいた岡本の言葉に鷲津が顔をしかめた。こちらをじっと目を合わせて黙り込む岡本に、鷲津は隣に座る大臣に、おかしそうに首を振った。


「なんだ……と……」


 唐突に、青ざめた表情で立ち上がった岸本を、その場の全員が、眉をひそめて眺めた。


         ※


(今日も相変わらず……)


 地震発生の数分前。


 宇宙航空研究開発機構、JAXA。雑多な電子機器で溢れた中央制御室。

 

 周回軌道に配置された衛星〝すざき〟から送信される、きらきらと輝くX線スペクトルを須藤守(二十五歳)は眺めながら、その美しさに目を細めた。


挿絵(By みてみん)


 七色にカラーマッピングされた直線。しし座の方向から地球に、正確にはインドのブッダ・ガヤに届く正体不明のX線トンネル。


 通称、レインボーロード。


 須藤はう~んと背伸びをした。今日は週に一度の当直日。仮想空間も便利だが、俺はこうやって実際の機械に囲まれている方が落ち着く。


 ふと映像にうっすらと反射する自分の姿が目に付いた。ぼさぼさの髪、よれよれの服。


「もう少し清潔にすれば、そこそこの男なんだけどね~」


 立体映像(ホログラム)に映るピンクの髪をした、くりくりした目の少女がため息をついた。黙って映像に没頭する須藤に少女はあきれて首を振った。


挿絵(By みてみん)


 須藤は真剣な眼差しで、不思議な輝きを放つスペクトルに思いを馳せた。


 1962年。宇宙からの物理的な信号の収集を目的として、エクスプローラー111号がアメリカで打ち上げられた。そして、その直後にその〝トンネル〟は発見された。


 知的生命体からの攻撃? 地球が発する未知のエネルギー? 単なる誤検出? 地球へと刺さるトンネルの先が、ブッダが悟りを開いたとされる菩提樹のある地であることから〝天国への道(ロード・トゥ・ヘブン)〟とまで言われた。


 専門機関による詳細な分析が行われ、宇宙探査機がそれが指す宇宙の先に向けて打ち上げられた。混乱を防ぐため、最高機密情報として先進国の一部の機関でのみ情報が共有された。しかし、現時点でその解明には至っていない。


(そして、これが新たに出現した……)


 須藤はパネルをタッチした。一か月ほど前になる。同じく、しし座の方向から地球に向けて伸びる新たなトンネル。ただし、その姿は乱雑に折れ曲がり、太さもバラバラだ。


「さっきのが上品なお嬢様だとすと、こっちはそばっかすのじゃじゃ馬ね!」


 おかしそうに笑う少女に、須藤はうなずいた。


(だが……)


 須藤はトンネルを愛おしそうに眺めた。その複雑に入り組んだ七色の模様と懸命に前に伸びようとする形。思わず引き込まれ、目が離せない。


(そして、そのトンネルのつながる先は……)


 須藤は、宇宙から地球をながめる衛星映像に息を飲んだ。


〝Japan Hakata〟


 ふいに大きな揺れを感じた。地震? しかもでかい!!


 ガタガタガタ……


 周辺の機器が大きく崩れ落ちた。


「キャー」


 少女が悲痛な叫び声をあげて、姿を消した。頭が真っ白になった須藤は、必死に机にしがみついた。


         ※


 岸本は腕を組んでうなった。


(レインボーロード……まさかその言葉を聞くとは。このことは、首相およびごく一部の側近しか知らされていないはず……)

  

 ちらりと鷲津に目をやった。眉をひそめ、いぶかしそうにこちらを伺っている。イザナギノート、レインボーロード……飛び交う機密事項に、岸本は冷や汗をかいた。


(しかも、一か月ほど前、JAXAから緊急報告があった。新たなレインボーロードの出現。確か、その先は日本の博多……)


 ふと気づいた。IT Translator本部がある場所は確か……


 岡本がにこやかに続けた。


「レインボーロードの詳細は、ほぼ把握しています。こちらにいれば、ある程度重要な情報はいろんな方から聞くことができるので。そして、先ほどの説明の通り、今、地球は危機に瀕しています」


 モニターに地球儀が現れた。ゆっくりと回転する球体は、徐々にその勢いをとどめている。


「その回避のために、ロードの末端、インドのブッダ・ガヤにて、詳細な実地調査が必要という結論になりました。しかし、現在、そこはインド中央政府により閉鎖され、特別に許可された研究機関しか立ち入りが許可されていません」


(それで、イザナギノートか……)


 ようやく意図に気づいた岸本は肩を落とした。先進国に配布された免罪符。現在の科学では説明できない現象、未解明の事象を調査する際に、関係国で情報共有することを条件に付与される特権。


 それさえあれば、いかなる極秘情報、機密機関にもアクセスできる。通称Xノート。日本では〝イザナギノート〟と呼んでいる。岸本は前首相から引き継ぎの際、その存在を説明されたことを思い出した。


         ~


「日本の創世期、その神々の一人〝イザナギ〟 病で死んだ妻を取り戻すため、彼は冥界の封印を開放してその地に降り立った」


 クラシック調の家具で飾られ、落ち着いた首相官邸。にこやかな笑みを浮かべて、古ぼけたノートを持つ前首相を前に、岸本は緊張の面持ちで立っていた。


「しかし、醜い姿の妻に驚き現世に逃げ帰り、怒り狂って追いかけてくる彼女を巨大な岩で閉じ込めた。見てはいけないもの、だが、知りたいもの。〝イザナギノート〟を提示すればいかなる封印も開放されます。しかし、その後は一切保証されません。もちろん生死も。あなたはこれを使う権利があります。もちろん使わない権利も」


 思いもよらない話に岸本は思わず腰が引けた。そんな危険なものがあったなんて……震える岸本に前首相は、にこりと笑った。


「まあ、そう深く考えないで。私はこれを使っていません。ちなみに歴代の首相も。いや、一度例外がありましたね。確か、ある首相が興味本位にそれをある機関に提示した。どうなったと思います? 〝ヘイ、サインなら後にしてくれ〟 どうです。まあ、気にしないで。引き継ぎの最後の儀式のようなものです」


         ~


 大笑いする前首相を唖然と眺めていたのを岸本は思い出した。


(あれは形式上の物ではなかったのか……)


 ふと、いつの間にか、草原に別の誰かが、立っているのに気づいた。


「岸本さん。そうかしこまらないで。彼は信頼できる。前に私が言ったことはジョークだよ。あまりにも君が緊張していたんでね。イザナギノート。その効果は実在する」


 聞いたことがある声に岸本は耳を疑った。


(ジョークだって? まさか……あの部屋には私と彼しかいなかったはず……)


 男の顔をまじまじと見つめた。後ろに流した黒髪と大きな鼻筋。人を安心させるやや垂れた目元と、穏やかな口元。


(真部首相?……なのか……まさか、またお会いできる日が来るなんて……)


 唐突な再開に頭が真っ白になった。かつての記憶がフラッシュバックし、涙が溢れ出て、慌ててぬぐった。


(落ち着け。こんなことはありえない!!)


 震える拳を必死に押させて、岸本は冷静に状況を整理した。


〝私は二年前に死にましたが、その後、魂がこちらにうつり、新たな肉体を得ました〟


 不意に岡本教授(プロフェッサー)を名乗る男の先ほどの言葉が浮かんだ。


(まさか……だとすると、彼は本物の……)


 あふれ出す涙でモニターに顔を向けた岸本に、真部が優しい眼差しをで続けた。


「インドのブッダ・ガヤ。すべてはそこに、この危機を乗り越える鍵がある。岸本さん。我々はあなた達、地球人の直接の助けにはなれない。ただこうやって、IT Translator本部の方々のおかげで、奇跡的にコミュニケーションが取れるようになった。これは、クリエイターが、神があなた達に与えた試練です。しかし、それは乗り越えることができる。力をお合わせましょう。大丈夫。きっと未来は明るい!!」


 シータは目の前に広がる光景を信じられない思いで眺めた。


(岸本さんのあの様子……まさか、本物の?)


 真部義道(享年 六十七歳)。その華々しくも切ない彼の政治人生が脳裏に浮かんだ。


         ~


 真部義道。自己意志が放棄された政界で、唯一、自らの強い志と信念で政策を訴え続けていた政治家。人間だけでなくアイコスからも広く意見を取り入れたその政策は、皆が幾度となく驚かされた。


 しかし、彼も人間。病には勝てなかった。体調を崩して政界から身を引き、程なくしてこの世を去った。


「あとは頼んだよ」


 最後の挨拶で寂しげに話すその姿に皆が涙した。

 

 しかし、その後に不穏な噂が流れた。


〝真部毒殺〟


 タカ派の真部をハト派のマルクが暗殺した。真部の政策は最先端をいっていた。アイコスによる統制された社会。日本が生んだ誇るべき技術。その更なる飛躍のため、デジタル庁の権限を高めようと躍起していた。


 だが、やや強引ともとれる真部の進め方に対抗勢力も多かった。聖星教を母体とするハト派のマルク。古き良き旧世紀の概念の堅持。超自然的存在の信仰。そして、真部の不審死。ハトがタカを食った。一時、世論はその噂でもちきりだった。


 しかし、彼の死後、その不穏な噂も、次第に消えていった。


         ~


 シータは鷲津をちらりとみた。犯人として噂になった男。


「どうも、うさんくさいなぁ……岡本教授(プロフェッサー)? 真部前首相?」


 鷲津が苦虫をつぶしたような顔をして立ち上がった。


「デジタル庁の技術をすればこんな偽映像(フェイク)を作る事は簡単なんじゃないのか? 梶原さん。いったいこんな手の込んだことをして、何をたくらんでいるんです?」


 鷲津は、首を長くして、威嚇するようにモニターを睨みつけた。


「過去のあなた達の不祥事といい、最近の言動といい……岸本総理、そして、今参加されている大臣の方々。この話はもう少し、しっかりと議論をする必要があると思いますが、いかがですか?」


 徐々に冷静さを取り戻したように、鷲頭の言葉にうなずきだす大臣たち。シータは手に汗を握りながら状況を見守った。


(鷲津の意見も一理ある。梶原さんの話はあまりにも非現実的。だが、本当にそれで一蹴していいものなのか?)


 鷲津があきれたように口元を緩めながら続けた。


「そして、イザナギノート? レインボーロード? そんなものが実在するとすれば、重大な政治規範逸脱ですよ。国民になんと説明するつもりですか? 場合によっては首相の交代も視野に入れないといけませんなぁ~」


 肩をすくめてあきれたように周りに同意を求めた。操られるように首を縦に振る大臣たち。モニターから力強い声が響いた。


「鷲津さん。残念ながら、あなたはここにはこれない。悪い行いをした人は地獄に堕ちる。昔からそういわれているでしょう? 真部さんから聞きました。殺人はいけない。正寿郎は堕ちています」


 その場全員が、ぎょっと青白い顔をしてモニターにうつる岡本に目を向けた。


「今参加されている人の中にも何名かいるようですね。でも安心して。改心はできる。私もそうでした。誰にでも過ちはある。でも人はそれを改め、努力することはできる。今なら間に合います」


「何を……」


 鷲津は口をあんぐりとあけてうめいた。尋常ではない汗が額から流れている。


(やるなら今だな)


 シータが、勢いよく立ち上がった。


「皆さん。事態は急を要します。デジタル庁の提案は検討の余地があります。決を採ります。賛成の方は挙手をお願いします!!」


 場の全員が、戸惑うように顔を見合わせている。パラパラと手が上がった。皆、青白い顔をして、腕を振るわせている。


(先ほどの岡本教授(プロフェッサー)の言葉がきいたようだ。だが、これ程堕ちる心当たりがある者がいるなんて……)


 シータはあきれ返ってその様子を眺めた。鷲津は黙って手を降ろしたまま。


「では、賛成多数で決定とします」


 シータが勢いよくハンマーを叩いた。鷲津がシータをぎろりと睨みつけた。


「もし、虚偽だった場合、誰が責任を取るんだ。梶原の上司となると……」


 皆、一斉に川野に注目した。川野は慌てて挙げた手を降ろした。


「私が……責任を持つ」


 岸本が眉間にしわを寄せ、厳しい表情で答えた。


「そうか……なら問題ない」


 鷲津はにやりと口をゆがめて手を挙げた。


         ※


 東京の直下型地震から程なくして、ロサンゼルス、メキシコシティ、イスタンブール、サンティアゴ、リマ、ブエノスアイレス……主要な大都市で大地震が発生。世界は大混乱に襲われた。


 電力の停止。灼熱極寒の異常気象下では、バックアップ電源を持たない建築物に住む人は即、死を意味した。


 遠隔監視モジュールアダプターは故障し、低速な光ファイバー通信に制限され、世界中のコミュニケーションが大幅に制限された。


 仮想空間へのログインは制限され、膨大な機会損失が生まれ、経済は壊滅的に衰退した。


 自動運転制御システムが破壊され交通が混乱、多くの死傷者が出た。


〝人類滅亡〟


 最悪の事態に、世界中が絶望を感じたそのとき、日本の動きは迅速かつ冷静だった。地震大国で培われた経験。震災による被害は時間との闘い。海外派遣部隊を即時に編制。被災地に向け次々と自衛隊を派遣した。


 洗練された日本の派遣部隊。日本が生み出した誇るべき技術、AI×OS(アイコス)。医療、救助、通訳、インフラ、物流、衛生、心理。あらゆる専門知識を携えた緑色の瞳をした若きサムライたちが被災地を躍動した。


〝彼ら十人は、一個大隊に匹敵する〟


 日本の頼もしく、迅速な行動を世界中が涙し、賞賛した。


         ※


 岸本は眉間に皺をよせた。世界同時多発地震。


「後、数分もすると、各国の主要都市にて同規模の地震が発生する。災害支援の準備をすすめておいたほうがいい」


 岡本教授(プロフェッサー)の予見に従い、派遣部隊の編成を進め、結果、迅速な災害支援につながった。そして、ついさっきJAXAから緊急連絡があった。


 地球の自転速度が低下しつつある。その影響により地球を覆う電磁場が減少。このままでは、有害な宇宙線が降り注ぎ、がんや遺伝子変異、放射線障害の発生リスクが増加する。完全に停止すれば、地球の気候が激変し、壊滅的な破壊をもたらす可能性がある、と。


 次々と的中する岡本教授(プロフェッサー)の予見。


(やはり真実なのか。いや、しかし……)


 今だ疑いの気持ちがぬぐい切れない。真部前首相との再会で感傷的になったが、鷲津のいう通り、彼らであればフェイク映像を作成することも、事前に情報を入手することも可能なのかもしれない。


 何とかして、自分自身でこの真偽を確かめる必要がある。手元の遠隔立体通信コミュニケーション・モニターに若い男が浮かび上がった。


「岸本総理、お待たせして申し訳ありません。宇宙航空研究開発機構、JAXAセンター長の須藤です。本日の当直は私一人でして。緊急でご確認したいことがあると伺っていますが……」


 岸本は黙ってうなずき、男をまじまじと観察した。まだ二十代半ば。自然(ネイティブ)脳容量(シナプス)の濃度が即、実務能力に直結する現代。年齢が上がれば管理職になれる時代は、はるか昔。改めて、老木ばかりからなる内閣の時代錯誤を痛感し顔をしかめた。


「岸本総理?」


 須藤が眉をひそめた。


「ああ、すいません。須藤さん、こんな時に業務ごくろうさまです。ご存じの通り、本日、19時43分に首都直下型地震が発生しました。その72分後の20時55分。全世界で同規模の地震が発生しています」


 須藤の顔がさっと青ざめた。JAXAでも相当の被害が出ていることが目に取れた岸本は、緊張の面持ちで続けた。


「先ほどのあなたからの緊急連絡、地球の自転速度の低下。私は専門家ではありませんが、これは地震と関連づいているように思えます。あなたの意見を聞かせてもらってもいいですか?」


 岸本の質問に須藤は戸惑ったように黙り込んだ。岸本は須藤の表情をじっと観察した。


(私は真部さんのように強くはない。鷲津のように狡猾でもない。梶原さんのようなリーダシップもない。だが、目には自信がある。人を見る目。念のため連絡をとってよかった。この若者は何かに気づいている)


 落ち着きを取り戻した様子で、須藤が口を開いた。


「……確かに関連は見つけました。ただ、現時点ではその原因がはっきりと説明できません」


 須藤は話そうか迷っている。微笑んで促す岸本に須藤は決心した。


「レインボーロードがわずかに膨張したんです。世界中で直下型地震が発生した直後に。正確な事はデータを確認する必要はありますが。ただ気のせいではないと思います。毎日見ていますので。まずはこちらのグラフをご覧ください」


(膨らんだ?)


 岸本は首をひねりながら、須藤が示すグラフを眺めた。


「地球の自転の回転速度を示すグラフです。東京の首都直下地震が発生した直後から、急激に減少しています。このままでは後一年足らずで自転は停止します」

 

 岸本は須藤が指す場所に目をやった。それまで横にまっすぐ伸びていた線が、その地点から下り坂を降りるように急に右下に下がっていた。


「しかし、これを見てください。ここで速度が増加に転じています。そして、この時間が先ほど説明したレインボーロードが膨らんだ時間、つまり、世界同時地震が発生した時間です」


 岸本は再び指し示す場所をみた。下っていた線がV字回復のごとく右上に伸びている。


(どういうことだ?)


 戸惑う岸本の様子に、須藤が決心したようにうなずいた。


「これは……全くの推測なのですが、地震によって地球になんらかのエネルギーが蓄積され、それがレインボーロードに流れ出し、その影響で自転が回復した。しかし、いったい何のエネルギーで、どういう理屈でそうなっているのかは、はっきりしないのですが……」


 須藤はあきらめたようにうつむいた。岸本は首をひねった。


(確かに彼の説明は理にかなっている。だが、そうなると、自転の速度を戻すには地震を発生させる必要がある? いや、違う。何かを見落としている。思い出せ。岡本教授(プロフェッサー)は何をいっていた?)


 黙り込む岸本に須藤は不安そうな顔をした。


「すいません。中途半端な考えを説明してしまって。実はロードが膨張したのは、正確には地震発生直後ではなくて、数分後なんです。となると、灼熱や極寒などの二次災害と関係している気もしますが」


(二次災害? ……あっ)


 岸本はおもわず叫んだ。岡本教授(プロフェッサー)の言葉を思い出した。


〝ここはグランマと呼ばれる地球から二百光年離れた惑星。私は二年前に死にましたが、その後、魂がこちらにうつり、新たな肉体を得ました〟


(仮にグランマがしし座の方向、二百光年先にあるとするとどうなる? 二次災害でおそらく多くの人が亡くなった。彼らの魂がレインボーロードを通ってグランマに移動した。その可能性はないのか?)


 岸本は必死に考えを整理した。

 

(しかし、正寿郎は地獄に堕ちたといっていた。悪人は地獄。善人は天国という事か。そして、天国に移動できる人が多ければ、自転の停止は起こらない。岡本教授(プロフェッサー)の狙いはそこか?)


 何かに気づいた様子の岸本に須藤が眉をひそめた。


(だが、どうやって? 人類に訴えるのか? 正しい行いをしましょう、と。いや違う。インドのブッダ・ガヤで調査が必要といっていた。そして、そのためにイザナギノートが必要だと)


「岸本総理?」


 目を見開き呆然とする岸本に、須藤は不安な眼差しを向けた。


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