十六.首都壊滅
〝昨日は1979年の衛星観測開始以来、最も暑い日で……〟
熱波で蜃気楼のように揺れるビル群。都市部まで浸食する砂漠、ひび割れ、向き出しになった湖底。ニュースの立体映像を凝視していた冬木彩(六四歳)は、ふとモニターに反射する自分の姿が視界に入った。白髪でくたびれた顔をした女性。
(地球も私と同様に、もう年なのかもしれないわね)
諦めたようにため息をついて、モニターを消した。いつからだろうか? 毎年のように更新される最高気温。地球沸騰の時代の到来といわれて数十年。
「自転の停止の兆候がみられます」
TVで人気のAI×OSコメンテーターが神妙な顔をして語っていた。熱波、寒波、豪雨、地震、竜巻、干ばつ……異常気象だけではない。出ては消えてを繰り返す未知のウィルス、東と西の半世紀も続く終わらない戦争。AI×OSによる高度な防御システムにより、私たちはあらゆる災害から守られ、生活できている。
(でも、人間は……子供たちはこれから先、いったいどうなっていくの?)
ふと棚に置かれた額縁が目に入った。くるりとまく栗色の髪の男の子が、ピースをして、はにかんでいる。
(達也、元気にしてるかしら?)
冬木は三年前に達也から告げられた、衝撃の告白を思い出した。
※
「ママ。僕、IT Translator育成本部に進学したい」
そろそろ次の事も考えないと……彩が達也に進学について軽い気持ちで聞いた時、その思わぬ返答に頭が真っ白になった。
(どうしてそう思うようになったのか。できれば、〝あれ〟には一生関わりたくなかったのに……)
彩は極力平静を保ちながら、達也に理由を聞いた。
「僕はもっとAI×OSのことが知りたいんだ。本部には有名な岡本巧教授がいる。しかも、あの岡本紬の残した偉大な研究結果も」
思いがけない名前に彩は頭が真っ白になった。ここまで入り込んでいるなんて……達也はまっすぐな眼差しを彩に向けて続けた。
「ママはあのMegaSourceにいたんでしょ。日本橋料亭。岡本巧教授が作った人類で初のAIを登載したシステム。あれをつくった会社だったんでしょ? 僕は知りたいんだ。どうやってAI×OSが生まれたのか」
どこで知ったのか。キラキラと目を輝かせる達也に彩は冷や汗が出た。
(MegaSource。若い頃、勤めていた会社。できれば一生忘れていたかったのに……)
逃げるように達也から目をそらした彩の脳裏に、あの事件の記憶が鮮明に浮かび上がった。
秋山君による殺害未遂事件。床に倒れる大勢の社員。白目で口から泡を吹く部長を締め上げる彼。止めに入った岡本さん。てめえは死ね。部長を放り投げ、鬼のような形相で叫ぶ秋山君の顔。
唐突に彼が気を失い、その真っ赤な返り血を全身に浴びて唖然としてたたずむ岡本さん。
(あの優しい秋山君がなぜ……?)
ショックを受けた私は体調不良で休職し、そのまま会社を辞めた。今思えば、あれは秋山君で無かったのかもしれない。目が薄緑色に輝いていたのを思いだした。AI×OS。今でこそ当たり前になったが、当時の私には理解できなかった。
達也が心配になった。AI×OSは危険、それを研究している本部も信用できない。岡本さん、秋山君を思い出した。でも、彼らは信頼できる。あの時と今とでは何かが違っているのかもしれない。黙り込む彩を心配そうに達也が見つめた。彩は決心した。
「そうね。確かにママはMegaSourceいたわ。若き日の岡本巧プロフェッサーともいっしょに仕事をした。彼はとても……優秀なSE……だったわ」
彩は昔を思い出して、おもわず吹き出しそうになった。確か、十億の被害が出る、そんなトラブルに岡本さんは遭遇して頭を抱えて、うろたえてたっけ。使えない男 岡本、そんな陰口も流れていた。
確かにシステムエンジニアとして、彼はお世辞にもできる人ではなかった。でも、人一倍、思いやりのある人だった。秋山君が疲労で倒れた時、真っ先に部長に抗議したのは彼だった。秋山君も岡本さんをとても信頼しているようだった。彩は達也に向き合った。
「彼は、岡本巧は日本橋料亭を一人で作り上げた。AI×OSによって自動制御されたシステム。世界に二つとない偉大なシステムは、わずか三か月で構築されたと聞いているわ」
彩は優しい笑みを達也に向けた。
「達也がそれにあこがれる気持ちもわからなくもない。ドラマチックよね。たった一人でAI×OSを作り、自然脳容量を発見して、AIと人間の真の共有を成し遂げたなんて」
(本当は秋山君が成し遂げた事なんだろうけど……)
複雑な気持ちに襲わた彩は、顔を曇らせた。会社を辞める時、ある誓約書にサインをさせられた。
〝秋山の騒動については一切公言しない事。秋山結弦自身についても、その存在、言動、あらゆることについて公言しない事〟
いぶしがりながらも、サインをしないと辞職できないといわれて渋々承認した。退職金の額に驚いた。口留め料。超極秘国家プロジェクト。運び屋の不祥事の隠蔽。不信感を抱いたが生活の事もある。だまって受け取った。
(本当はいけない事だったのかもしれない。でも、今のAI×OSによる繁栄を考えると、あの時の本部のとった行動はきっと正しかったんだろう。そして、あれから秋山君と岡本さんが正しい道に導いているはず)
「達也がそうしたいなら、私は何もいう事はないわ。がんばりなさい。本部にはきっと、すばらしいAI×OSもいるはずよ。いい出会いがあるといいわね」
微笑む彩に達也は、ほっと肩を落として、笑った。
※
彩はあの時の達也の笑顔をなつかしく思い出した。ふいに揺れを感じた。
ガチャン
達也の写真が棚から落ちた。
(またか……ここ最近、発生頻度が増えた)
あっと叫んだ。今回は大きい。
プスン
照明が消え、周囲が暗闇に包まれた。
(システムがダウンした?)
ぼんやりと点灯する非常灯。揺れが落ち着くのを待って、あわててリビングに走り、メイン制御モニターに駆け寄った。真っ赤な警告メッセージが点滅している。
〝電力供給が停止しました。非常用モードに切り替えます。残蓄電池容量 七十二時間〟
空調の冷気が弱まった気がした。じっとり冷や汗が出た。ぱっとシステムモニターに文字が流れた。
~
午後19時43分。震源地は相波湾南東部。マグニチュード9.7。津波の危険があります。湾岸部から直ちに退避し、高所またはAI×OSコントローラーで保護された構造物へ避難してください。
なお、東京都全域で停電が発生しています。建築物エネルギー管理システムの指示に従い自宅、もしくは最寄りの施設にて待機をしてください。
また、全停電のリスクを考慮して、六十時間を経過後にも電力が復旧しない場合、住民は直ちに近隣の特別防災センターへ避難。デバイス内のAI×OSはネイティブシナプス内に避難するか、量子ディスク内でスリープ状態に移行してください。
繰り返します……
~
彩は不安になった。灼熱夜での空調の停止は即、死を意味する。
「あっこちゃん。地震の詳細をおしえてちょうだい!!」
応答がない。彩は戸惑った。
(非常用時でも起動は可能と聞いていたのに……)
程なくして、モニターに小学生ぐらいの、おかっぱの髪をした女の子が映った。
「ごめんなさい。状況の確認に手間取ってしまって。彩さんの生体信号はチェック済みです。特に大きな外傷もなし。本当によかった……」
あっこと呼ばれた女の子はうれしそうに微笑んだ。その笑顔に彩はほっと胸をなでおろし、お互いに笑いあった。彩が落ち着きを取り戻した頃合いをみて、あっこは続けた。
「相波湾南東部で発生した地震の影響で電力が停止しています。今から六十時間はバックアップ電源で稼働しますが、もしそれまでに復旧しない見込みの場合、災害計画に基づき、区内の特別防災センターに移動してもらう必要があります。ただ、電力の供給が制限されている為、移動は徒歩となります」
彩の表情がわずかに曇った。すかさず、あっこは満面の笑みを浮かべた。
「大丈夫。避難トンネルは外界の気象には影響されないように設計されています。メタバースでの生活に慣れてしまった彩さんには多少きついかもしれませんが、疲労推定値は許容内です。ゆっくりと移動すれば大丈夫。今はとにかく落ち着いて、政府からの追加情報を待ちましょう」
テキパキと説明するそのいさましいあっこの表情に彩は心が癒された。
(よかった。彼女がいなかったら今頃きっとパニックを起こしていたわ。あの時、決心してほんとによかった)
微笑むあっこを見ながら、初めて彼女に会った時を思い出した。
※
五年前。今の住宅を紹介された時、AI×OSコントローラーがあると知って迷った。かつての秋山の記憶が蘇った。物は試しで……仲介者に進められて渋々、面談をした。しかし、その愛らしい顔と礼儀正しい姿に心配が吹っ飛んだ。
「AI×OSコントローラー、言いにくいわね。アッコ、あっこちゃんでどうかしら」
すぐにあだ名を思いついた。事前に私の性格にあったAI×OSを準備してくれていたようだった。
「運がよかったですね。なかなか優秀な女の子ですよ」
笑って話す仲介業者に感謝した。
※
首都直下地震発生から三分後。銀色の壁に囲われた薄暗い超電脳空間。巨大なモニターとその前に置かれた広々とした円卓。一人、二人……数十人。瞬く間にすべての椅子に仮想人物が着席した。
〝内閣府災害対策本部〟
都内の荒廃した様子が立体映像で机の中央に浮かび上がっている。一人の若い男が立ちあがった。すらりとした長身。黒ぶち眼鏡を人差し指で軽く上にあげ、目にかかった黒髪をわずかに横に流した。
「お集まりいただきありがとうございます。内閣府災害対策本部 人工知能課 主任のシータです。本日19時43分に首都直下型地震が発生しました。マグニチュードは9.7。災害レベルZ。これは人類が計測し始めた1930年代以来、初の規模です」
シータと名乗る男は円卓を見渡した。六十~七十代あたりの皺だらけのくたびれた顔がこちらを見ている。唐突な呼び出しなのか、皆、顔をしかめ不機嫌そうに座っていた。構わず続けた。
「津波、火災、交通障害といった物理災害の他、仮想空間での仮想人物のロック、量子メモリ破壊によるAI×OSの消失、中継アダプターの故障による遠隔障害といった情報災害が発生しています」
はーあ、誰かが欠伸をした。そういえば……雑談をするものもいる。シータはぐっと拳を握り締めながらも続けた。
「自衛隊の高度統制部隊により、次第に事態が沈静化しつつあります。しかし、問題の電力ですが、核融合炉のメインコントローラーが緊急停止の判断を変えていません。余震発生確率を含めてリスクの分析に時間を要しているようです」
一息ついて、再び全員を見渡した。
(果たしてこの中で現状を正確に把握できている〝人間〟がどれだけいるのか……)
どうしようもない虚しさに襲われたが、すぐに自分の役割に徹すべく状況を整理した。
(AI×OSにより自動化された災害防御システムでこの首都は守られている。災害シミュレーションは何万通りと検証されていたが、今回はレベルZ。首都壊滅の可能性。まさか自分の担当時に、これほどの規模が起こるとは。早急な施策の決定が必要。だが……)
円卓の中央奥。ひどくやせた老人が口をゆがめて声を上げた。
「で……いつ電力は復旧するんだ。いつまでもこのままではいかんだろ。トミタからクレームが来ている。わしにも面子がある。今度の選挙に響いたらどう責任をとってくれるんだ!」
隣に座る禿げた男が同調して、不服そうに腕を組んだ。
「核融合炉の管理AI×OS。あれは確か大分堅物だったな……もう少し融通の利くのに変えた方がいいんじゃないか? これでは国民の支持は選られんぞ!」
その隣の老婆が思いついたように手を叩いた。
「そういえば最近、珍しいゴルフ場がオープンしたようですわ!! 過去の偉大なゴルファー達と一緒に回れる。確かトミタ会長は、タイガーウッジのファンじゃなかったかしら?」
全員が好き勝手に騒ぎだした。
(まただ……)
シータは拳を震わせてぎゅっと目を閉じた。
『真の民主主義。政界は究極の域に到達した』
(どうしてこうなったんだろう)
数か月前のプロジェクト本部の卒業式。そこでの梶原会長の最後の言葉が不意に浮かんだ。
※
「君たちAI×OSも晴れて、春から霞が関に在籍することになる。AI×OSの発見は政治の世界にも大いに影響を与えた。過去の経緯も含めて、その歴史を振り返ってみたいと思う」
梶原会長の語るその言葉に、全員が目を輝かせて耳をそばだてていた。
「約二十年前、一般デバイス向けのAI×OSの販売が開始された。各政党はAI×OSに基本政策を教え込み、現実的で最適な政策を検討させた。選挙で国民にアピールする段階で、国際レベルで遂行可能な、法解釈上矛盾の無い政策が掲げられた。それを聞く国民もAI×OSに意見を求め、国政は質と量ともに劇的に向上した」
梶原の目を細めて懐かしむ姿に全員がうなずいた。
「当時は地上の気象状態が悪化しつつある状態で、人々の活動は次第に仮想空間へ移行しつつあった。しかし、なりすまし、詐欺、犯罪といった不正が横行し、国際法の制定が進められていた。最終的に一人につき一体の仮想人物の保持のみが許可。外見は現実と一致するようにプログラムされ、電子個人証明の保持が義務付けられた」
全員がお互いに見合った。胸に光るプレート。人間とAI×OSに配られた、世界に一つだけの己を証明する大事なカード。
「仮想空間の安全性が確保され、国政も、もれなくそれに移行した。仮想人物による選挙活動と国会への参加。それは病人、高齢、障害、移民、子供といった多様性の国政参加にもつながった」
シータはその歴史を想像して心が躍った。真の多様性。人類は本当に素晴らしステージにたどり着いた。
「法律はAI×OSにより管理された。複雑に入り組んだ条文も、整合性を保ったまま改定が何度も即座に実施された。かつての専門家と呼ばれた人間はその複雑さに根を上げた」
梶原はあきれたように首をすくめた。皆がどっと笑った。
「反対に政治家は手を挙げて喜んだ。手続きや規則にこだわる柔軟性のない官僚。専門的な言葉で言い訳をして新しい事に挑戦しない保守的な官僚。うんざりだ。AI×OSよ。彼らこそが霞が関にふさわしい!!」
そうだー、誰かが叫んだ。つられて全員の拍手が沸き上がった。
「政治家は今まで以上に高い理想を国民に訴えた。多種多様な立場からなる人たちが、自分たちの意見を国会で激しく戦わせた。憲法、法律、国際法に関する整合性はAI×OSが即時に調整した。真の民主主義。今や、政界は究極の域に到達した!」
梶原が片手を掲げた。皆が立ち上がり、割れんばかりの雄たけびの渦でその場が満たされた。シータも興奮した。
(AI×OSによる真の民主主義。今こそ、自分達がこの世の中を変えていくんだ!!)
その様子を梶原は優しい眼差で見守った。
「君たちは日本の、世界の未来を背負っている。その使命を十分に理解して、大いに活躍してほしい。以上が梶原照久からの最後の君たちへのはなむけだ。期待している、頑張ってくれ!」
全員が感極まってその場にしばらくたたずんだ。
(俺もかならず世の中の役に立ってやる)
梶原会長の心のこもった言葉にシータは酔いしれた。
※
だが、内閣府災害対策本部に配属され、政策決定にに携わる中で、次第にその気持ちがなえた。
人間とはあきれた生き物だ。政治家になり国のため理想を掲げる。その行為さえも自分達でする手間を惜しむようになってきた。
AI×OSの政治家の増加。
「法律にも世論にも詳しい、まさに一石二鳥じゃないか」
人間たちは手を上げて喜んだ。しかし、内閣。政府の最高機関であり、最高責任者である総理大臣をトップにもつ組織。そこにAI×OSの入り込む余地はなかった。
「やはり最後は我々が決めないとな。人間のこの微妙な感情というべき、直観はさすがに機械には無理だろう」
彼らは大声をあげて笑っていた。別にそれに対して文句をいう気もなかった。まだ自分は若い。年齢を重ねれば思う事はあるかもしれないが、現時点では特に興味は無かった。
(ただ、その結果が……)
シータはをゆっくりと目を開けた。
まだ大きな声を上げで議論をしている。中身のない会話。意地も信念もない閣僚たち。人間である、それだけがAI×OSを凌駕する特権と信じ、その立場に居座る続ける者。述べる意見は思いつき、園児レベルの内容。悪い事に彼らもそれを自覚している。
〝自分たちが何をいっても無駄だろう。どうせアイコスが決めたことが正しいんだから〟
与えられた役割を演じる傀儡。
〝最後の儀式〟
普段なら一時間ずっと目を閉じて待っている。
(だが、今回は……)
「皆さんお静かにお願いします。今回はマグニチュード9.7。災害レベルZ。早急に対策を決定する必要があります。核融合炉のAI×OSコントローラーが停止を維持していることから、断続的な余震の可能性が高い状況です」
シータが全員を厳しい眼差しで見回した。いつもと異なるその雰囲気に、全員の表情が少し固まった。
「ここで、デジタル庁から重要な報告があります」
デジタル庁? 皆が一斉に一人の男の方を向いた。だまって座っていた小柄で落ち着きのない若い男。汗をハンカチで必死に拭っている。
「あっ、はい。えっと、皆さん。お疲れ様です。デジタル庁長官の川野です。ええ、重要といいますか、はい。お伝えしたいことがありますので……梶原さん、後はお願いします」
川野は汗を拭きながら巨大モニタを見上げた。鋭い目をした梶原の顔が映った。
「梶原と申します。高い所から、しかも、こんなアナログなアクセス方式で申し訳ありません。私のような一部門のしがない官僚は、そちらに行く権限がありませんので」
「ちょっと、梶原さん……」
川野が慌てて手を振った。梶原の態度に一部の大臣たちが不服そうに顔をしかめた。シータは手に汗握った。会議が始まる直前、梶原から突然の連絡があった。
「確か君は内閣府災害対策本部の主任じゃったな。実は先ほどの地震に関係して重要が情報がある……これから緊急会議を開くところか? それは良かった。どうせ、老木どもはろくな議論もしてないんだろ。川野には伝えておく。すまんな。仕事は順調か? まあ色々あるが、あまり思いつめるなよ」
突然の連絡に呆気にとられ、梶原のその態度から自分と同じことを感じていたと知った。
〝シルバールーム。銀色の壁で囲われた仮想空間〟
外部との交信は遮断され、特別に許可された仮想人物しか立ち入れない。AI×OSによる真の民主主義の到来とは名ばかりで、実態は旧世紀の一部の特権派閥による閉鎖的な内閣。卒業式の梶原はいったいどういう気持ちであの言葉を語っていたんだろう。複雑な政治の世界に息がつまる思いがした。誰かが不満げに大きな声を出した。
「梶原だと? あのITなんたら本部のか? あれは確か何度か不祥事を起こしてたな。秋元だか、秋山だったか? そういえば、つい最近も、AI×OSの不正拘留に加担しているという内部告発があったときいたぞ。唯一、信頼できた岡本巧教授も、もういない。今更、いったい何の報告だ?」
シータはこぶしをぎゅっと握りしめた。不祥事。運び屋の隠された歴史。主任に任命された時に初めてしった。確かに、かつては色々と問題はあったのだろう。その責任を取り、デジタル庁の権限は徐々に制限された。だが、彼らが現在の情報化社会の発展に大きく寄与してきたのは事実だ。
特にその下部組織であるIT Translator育成本部の功績は偉大で、今のAI×OSによる繁栄は、彼らの懸命な努力によるものだ。だが、政治の世界は狡猾。偉大なる成功よりも、わづかな失敗が致命傷となる。ぼんやりと想像した。閉ざされた内閣。誰かが一言こうつぶやく。
「確かに彼らはよくやりました。しかし、二度も不祥事を起こしているようでは信頼できませんねぇ。まったく困ったものです。まあでも安心してください。我々がしっかりと管理しますので」
そして、偉そうにふんぞり返る老人が、満足そうにうなずく。
「そうだな。お前に任せた。しっかり頼んだぞ」
互いに顔を見合わせ大笑いする。閉鎖的な社会で幾度となく繰り広げられる茶番劇。自分はそれにあがらう気は毛頭ない。だが、当の本人たちにしてみれば、はらわたの煮えくり返る思いだろう。そんなシータの心配とは裏腹に梶原は平然として答えた。
「不祥事? はて、何のことですかな。データベースに記録は残っているんですか? それより、あなた、確か内閣府の大臣でしたな。第二政党マルク出身。その前身は共信党。当主によるあやしい人体実験……そんな噂もかつて聞きましたが。まあ、お互い、若気の至りはあったのかもしれませんが、それを今更ほじくり返しても、良い事はないでしょうな」
梶原の思わぬ反論に、大声を出した大臣は口をへの字に結んで黙り込んだ。梶原は無視して続けた。
「時間もない事から端的に説明します。〝イザナギノート〟その開示を求めます」




