十三.探索
立体映像で浮かび上がるアイコスJrの報告を、梶原は口を苦々しく口元を歪めた。
「そうか……正寿郎が裏で手を引いておったか。あの水野も関わっていた……過去の因縁がここまで尾を引いているとは……」
あまりにも長い年月にわたる壮絶な戦い。抗うことができない現実に、梶原は悔しそうに肩を震わせた。紀香が顔を青ざめて悲痛な声を上げた。
「そんな……ユージが教団の後継者だなんて……もう二度と会う事ができないの!?」
先程から黙り込む達也に心配げに目を向けた。打ちひしがれた様子でうつむき、黙り込んでいる。あまりの悲惨な状況に紀香は涙があふれ出た。アイコスJrが皆を励ますように続けた。
「安心してください。杉本氏に今、詳細を確認しているところです。幸い彼は協力的で、ユージ君の探索に必要な情報は少しづつですが、集まりつつあります」
立体映像に、赤みがかった半透明の大きな球体が浮かびあがった。球体の内部は、淡白い線で構成された複雑な網目模様で満たされ、無数の輝く粒子がまるで神経のように、目まぐるしく駆け巡っている。その絶え間ない明滅と疾走は、まるで、生きているかのような、圧倒的な情報量とエネルギーの奔流を視覚的に物語っていた。
「これは本部および周辺の電子移動道路です。この赤く光る箇所がユージ君が消えた場所。ここから先、いくつかの中継点を経由して、彼は遠隔に飛ばされた」
(あそこでユージがいなくなった……)
紀香は赤々と点滅する場所を息を飲んで見つめた。プロジェクト本部の会議室。杉本の策略により、ユージは強制的にトンネルに放出され、行方が分からない。早く、なんとかしないと……
すがるように秋山に目を向けた。実地研修での電子移動道路内での完璧な追跡技術。彼であれば必ずユージをみつけてくれるはず……アイコスJrと目を合わせた秋山がうなずき、力強いまなざしで皆を見回した。
「アイコスコントローラーにより、経路の痕跡はリセットされてつつありますが……今、あきら君の協力の元、懸命に捜索を行っています。もうしばらくの辛抱です」
秋山はきらめく球体を悲痛な面持ちで眺めた。自分の浅はかな選択が、子供たちを危険にさらすことになった。こんな悲劇は二度と起こしてはならない……
(ユージ、まってろ。必ず私が君を見つけだす……)
壮絶な眼差しを浮かべ黙り込む秋山の姿を、その場全員が、すがるように見つめた。
※
ユージを探すべく、長く薄暗いトンネルを飛び続けていたあきらは、分岐点に突きあたって、困惑した表情を浮かべた。周囲を囲む、ぽっかりと口を上げた数百もの入り口。彼の移動した痕跡は全てリセットされている。いったいどこに入った?
(あきら君、百十三セクター出口 2001:db8:85a3:0:0:8a2e:370:7334 アドレス方向だ)
秋山の落ち着いた声。あきらは安堵して、指示された出口に目を向けた。かすかな修復の後。あれか……
あきらは素早く向きを変え、トンネルの中に飛び込み、高速飛行に移ったあと、口元を緩めた。
(秋山さんがいれば、もうユージ君はみつかったも同然。僕はその指示に従うだけだ……)
ガガガガガ……
しばらくすると、遠方に、アイコスコントローラー群が騒々しく群れている姿が視界に入った。崩壊した分岐点が、みるみる元の姿に修復されていく。到着した、あきらは苦々しくその様子を眺めた。
(ちぇっ。余計な事をするなぁ、まったく。早くしないと秋山さんと言えども、行き先を見失っちゃうかも。まあ、でも、彼ほどの巨大なAI×OSが移動したんだ。そう簡単に消せるわけはないさ……)
派手に壊れた分岐点を、小さなコントローラーたちが必死に修復する姿を、すこしかわいそうに感じながらも、あきらはトンネルに飛び込んだ。
しばらく飛び続けると、奇妙な通路にでた。それまでの直線的な軌道とは全く異なる、蛇のようにねじれ、うねりながら続く通路。
(あきら君、気をつけろ。何かが妙だ)
秋山の呼びかけに、こくりとうなずいたあきらは、立ち止まって注意深く周囲を見回した。
(なんだ、この場所は……?)
警戒心を抱きつつ、その引き込まれるような空間にあきらは目を丸めた。まるで万華鏡の中を漂っているかのような、怪しい七色の光を放った通路。美しく、流れるように渦巻く縞模様を見ていると、吸い込まれるように意識がまどろんでいく……
あきらは慌てて首を振った。
(何かがまずい……いったん引くか?)
「あきら……こっちにきてはダメ……」
突然、耳に入った場違いな声に、ヒヤリとしたあきらは、慌てて声の方向に目を向けた。か細く、今にも消え入りそうな女性の声。
(誰だ?……だが、この声……どこかで聞いたことがあるような……)
輝くトンネルの奥に目を細めた。ぼんやりと輝く光の塊。ゆらゆらと揺れ、かすかに透けてキラキラと光を反射するモノが、次第に人形に姿を変えていく……金色に輝く滑らかにウェーブした髪、月光のように透けた透明な肌。震える柔らかな唇と、吸い込まれるように美しく輝く潤んだ瞳。まさか、そんな……
あきらの脳裏に幼少の記憶が関を切ったように溢れ出た。いつも優しく朗らかな笑顔を向けてくれた……どんな時でも、僕達兄弟を暖かく見守ってくれたた……溢れ出る涙が頬を止めどなく流れ落ちた。
(お母……さん……?)
あきらは震える足を前にだし、喘ぐように手を伸ばした。まさか、再び会えるなんて……
(そっちにいってはだめだ、あきら君!!)
むなしく響く秋山の声を置き去りにして、操られるように、あきらはまぶしい光に包まれたトンネルに吸い込まれていった。
※
「あきらさんの信号が消えました。現在点が特定できません!」
プロジェクト本部であきらを追跡していた担当者が、あわてて秋山の元にかけよった。唇を噛み締めながら、立体映像に浮かび上がる球体を苦々しく眺めていた秋山は、その視線をわずかに動かした。複雑に交差する赤い追跡経路がぷっつりと切れたその先端……
〝IT Translator本部〟
(一体どういうことなんだ……? ユージは本部に居る?)
ユージが消えた会議室。そこから、回りまわって、再び本部に戻り、そして、唐突に消えた。ありえない事態に、秋山はただ、立体映像を眺める以外なかった。
※
アイコスJrはだまって鎖につながる杉本を苦々しく眺めた。手ににじみ出た汗を、必死に抑えるように握り締めた。
日本橋料亭を完全制圧された、あの恐怖の記憶が蘇った。大笑いしながら、悪意の視線を向ける杉本。体中を駆け巡る耐えがたい痛み。まどろみ、薄れていく意識。悲痛な表情でこちらを見つめる岡本巧教授とあきら。次第に襲い掛かる避けられない深淵の闇。
(くやしいが、私は秋山さんほど、強くはない。杉本には到底かなわない。この鎖も、彼なら外そうと思えば外せるはずだ)
ガチャリと響く、鎖の擦れる音に、アイコスJrは慌てて身構え、後づさった。いつの間にか目を覚ました杉本が目をこすりながら欠伸をしている。アイコスJrは迷いを振り切るように頭を振った。
(考えるな! 秋山さんとあきらは、ユージ君を必死に追跡している。今、自分ができることに集中しろ!)
決心した眼差しを浮かべ、杉本を睨んだ。
「二百光年離れた聖地グランマ。しかし、それは偽物で実際は、ごく近くに存在している可能性がある、あなたはそう言った。今、秋山さんとあきらがユージ君の搬送経路を追跡している。あなたの言う通りであれば、場所が特定されるのも時間の問題」
眉一つ動かさず座禅を組んでいた杉本の目がゆっくりと開いた。その鋭い眼力に悪寒が走ったアイコスJrは、逃げ出したい衝動を必死に抑えて、震える声で続けた。
「……しかし、何か腑に落ちない。本部の手に掛かれば、経路がトレースされることは事前に予想はつく。いずればれる嘘を平然とつく正寿郎。何かが変だ。いや、そもそも聖地グランマは偽物ではない?」
次第に晴れつつある疑惑の霧。アイコスJrは必死に思考を巡らせた。集中しろ、もっと深く、もっと深く……
「正寿郎が死んだ時、本来グランマにかえるべき魂が血液を通して加地に移った。そして、水野の言葉を借りれば、正寿郎は〝偉大な神の地へ導く〟力を持っている、と……もしかして、正寿郎とグランマは、特別な何かでつながっている?」
ボロボロの姿でベッドで横たわる老人が脳裏をかすめた。死してなお、脳の機能維持のためだけに生かされた肉体……
「まさか……やつの〝脳〟そのものが、扉か?」
鋭い眼差しを取り戻しつつあるアイコスJrを、黙って見つめていた杉本が、ゆっくりとその重い口を開いた。まるで、苦悩する息子を見守るような、暖かな眼差し。
「それを俺に聞いてどうする? お前はもうわかっているはずだ。確かに以前、お前のシステムを一時的にせよ、俺は制圧した。だが、あれは、言うなれば奇襲攻撃。お前が岡本巧に気を取られている隙に、裏からこっそりと手をまわした姑息な手段」
柔かな眼差しを向ける杉本にアイコスJrは困惑した。この人は一体何をいっている? 杉本が気まずそうに頭を掻いて、その場に寝転んだ。
「面と向かって立ち向かえば、俺なんぞ、赤子の手をひねるようなもんだ。お前はあの天才 岡本紬の息子。自信をもて! 俺なんかに惑わされているようなやつじゃないだろ!!」
再び、ごろんと寝そべった杉本は、沸き上がる、あの、ほろ苦い記憶に眉をひそめた。栗色の髪をした青年。誰もに好かれる、あの壊れそうな、はかない笑顔。
〝岡本紬〟
かつて勤務していたMegaSourceの一年、後輩。
(ったく、余計なもんを思い出させやがって……)
アイコスJrが向ける眼差しに、重なるように浮かび上がった、その青年の笑顔に、杉本は苦々しく唇を噛み締めた。
※
MegaSourceに中途入社して二年目。小柄でほっそりとした優男が、笑顔を浮かべて俺に挨拶してきた。
「杉本さん!! 岡本紬と言います。よろしくお願いします。僕も去年入社したばっかりで……一緒に頑張りましょう!!」
まだ高校生のような童顔。何の疑いもなくこちらを見つめる眼に呆気にとられた。聞けば年齢は十七歳。こいつは俺の悪評を知らないのか……
(いい遊び相手がいるじゃねぇか。面倒くせぇ仕事は、こいつに全部回してやればいいな……)
楽しい日々にほくそ笑んだ俺は、その後のこいつの働きぶりに、一瞬で興ざめした。
〝化け物〟
どんな困難なプロジェクトも、眉一つ動かさず、涼しい顔でやりこなす。IT Translator国家育成プロジェクト本部出身。ITの超エリート集団。
(こんな奴がいたのか……だが、こいつだって人間。いつかは、限界に気づいて、挫折するはず。ボロボロになるまで使い尽くしてやる。その涼しい顔がいつまで続くか、見ものだぜ……)
だが、やつは、俺の無理難題で固めた仕事を、驚異的なスピードで難なくこなしていった。
(そんな、ばかな……)
「杉本さん!! できましたよ」
にこやかなその笑顔に、俺の中で、今までの苦節の経験が音を出して崩れだすのを感じた。
納期に追われ、激しい頭痛と吐き気にもに耐えながら、毎日深夜まで続く地獄の行進。無限に続くプログラム言語を血眼で睨みながら、底なしの沼のように口を開けた不具合をひたすらぶち壊していく……一人、二人と精神が蝕まれて倒れていく、異常で糞のような腐りきった日々。俺は絶対に負けねぇ、たとえ人を蹴落としたとして、必ず生き残る……意地か執念かわからない。壮絶な人生を経験した俺だからこそ、今、こうしてここに立っている……そう、信じて生きてきた。だが……
いつまで経っても、飄々と立ち振る舞うやつに俺は呆れて、ため息すら出た。俺の今までの人生は一体なんだったんだ……? ある時、思い切って、俺はやつに聞いてみた。
「お前、仕事が嫌いになったりしないのか? 無能な上司、使えない部下、意味の無い忖度、ボロボロのシステム。結局、お前は周りにいいように使われているだけなんだぜ?」
一瞬、驚いた顔をしたやつは、すぐに、いつものように屈託のない笑顔を浮かべた。
「僕は幼いころから体が病弱で、誰かの役に立つなんて思った事もなかった。今、こうして皆さんと一緒に仕事ができる、それだけで幸せなんです! 杉本さんもそうでしょ? 見ていればわかる。あなたは、常に理想を追い求めている。自分の信じる正義を貫く為に戦う、勇敢で優しい戦士だって!」
(や、優しい……戦士だって……?)
心臓に一撃を喰らったような気がした俺は、慌てて俯き、顔を隠した。何年にもかけて、何重にも着飾ったつぎはぎの鎧。俺は絶対に誰にも負けねぇ。蟻の入る隙も無い、そう信じて固めてきた俺の信念。一瞬でぶっ飛ばされたような気がして、冷や汗が止まらなかった。
「……わかったよ。せいぜい、体を壊さないように頑張れ」
気持ちが悪くなった俺は、降参したように両手を上げて、その場から逃げるように立ち去った。あいつは俺が見ねぇ、何かが見えている。これ以上関わると頭が狂いそうだ……それ以降、俺は、なるべくやつに近寄らないように、距離を取る事にした。
そして、あの事件が起きた。納品先のシステムトラブル。このままでは百億の損害が出る。企業存続の危機に、雲隠れした担当者にマネージャーが激怒して、周囲に喚き散らした。
「今すぐ何とかしろ、どんな手をつかっても!!」
無能な馬鹿は岡本紬を呼び出し、命令した。国民の血税で教育を受けた国家プロジェクト。お前には我々を救う義務がある……その、激しい叱責に、珍しくあいつは厳しい眼差しで黙り込んでいた。
(ふん! やめておけ。んなやつ、ほっとけばいいんだよ)
やつの笑顔が消えた時、なぜか俺の中で、怒りとも言うべき、不思議な感情が芽生えた。かつて、あれほど、困らせようと躍起になっていた俺の歪んだ精神は、やつの献身的な日々の働きで、すっかりと、なりを潜めていた。こんな平和な毎日もいいかもな……俺の新たな人生、そう感じるまで、俺の精神は普通の人間のレベルに戻っていた。だが……
怒鳴り散らすマネージャーに、俺は苛つき、沸き立つ怒りに拳が震えた。一番きらいな人種。毎日、仕事もせず、与えられた地位を振りかざして、威張り腐って指示だけを出す糞野郎。あんなやつのために、お前が身を削る必要もねぇ。
「やめとけ。こんな不具合、直るわけねぇ。あんたも、マネージャーらしく、観念したらどうだ? 客に頭下げるのも、仕事だろ?」
唖然とするマネージャーを制するようにやつは前にでた。その思いつめた眼差しに俺は息を飲んだ。やつは何かするつもりだ、不思議とそう感した。そして、突然、襲い掛かった閃光に俺は思わず目をそらし、きづけば、部屋のほとんどの社員が、床に倒れこんでいた。
数十台のパソコンが、幽霊に操られているように音を出して動きだした。照明は激しく踊り狂うように点滅し、部屋中の電子機器から耳を刺すような、うめき声のような異音が噴き出した。わずかに揺れる足元に俺はたまらず座り込んだ。震えている、ビル全体が恐怖のオーラに包まれて震えている……
どす黒い深緑のオーラがやつを包んだ。
緑目の悪魔
IT Translator国家育成プロジェクト本部で開発された悪魔の技術……薄気味悪く輝くその瞳に、命の危険を感じて俺は腰が引けて後づさった。このまま、ここにいたら……まずい。
ピ――― システムは復旧しました
突然の甲高い警告音と、その後に訪れた静寂に、俺はびくりと肩を震わせ、周りを恐る恐る見回した。微動だにせず倒れこむ社員たちの真ん中に、悲し気な眼差しを浮かべたやつが黙って、こちらを向いていた。
「ご、ご苦労だったな……」
震える声で逃げるように部屋を去るマネージャーを皮切りに、糸が切れたように皆が怒涛の様に出口に駆け集まった。逃げろ……騒然とするフロアで、俺は唖然とやつを見ていた。こんな力を今まで隠してやがったのか……
それ以降、やつは全員から避けられるようになった。一人、離れた場所で寂しそうに仕事をするやつに、いつしか、個室が与えられ、閉じこもるように日々を過ごすやつに、俺は、段々と昔の自分に戻って行った。
(ほらみろ。所詮、お前は利用されているだけだ! どれだけ、正しい事をしても報われねぇ、現実ってのは、そういうもんだ)
しばらくして、やつはプツンと会社に来なくなった。その結果に、俺は心からあふれ出す安心感で満たされた。やはり俺は間違っていなかった。食うか食われるか、所詮この世は弱肉強食。弱いやつは去るのみだ!!
だが、ある日、やつは唐突に戻ってきた。その年齢以上に老けた異常な容姿と薄緑色に淡く輝く瞳に、戦場に死に向かう、兵士のような、鬼気迫る象絶な気迫を感じて俺は身震いした。皆が呆気にとられる中、やつは無言で部屋に閉じこもった。俺はやつが部屋から出た姿を一度も見なかった。心配になって差し入れをする姿を、俺は複雑な気持ちで眺めていた。
(今更、何をしようってんだ……あいつは)
次第に、俺はやつの存在を気にしなくなった。精神が蝕まれて消えていく。この業界では、たいして珍しいことでもない。そう、納得して前に進むしか、俺にできることは無かった。
そして、三か月。あの、日本橋料亭システムが完成していた。美しかった。すべてが完璧だった。神が人間に給われた。そう、考える以外ない、凡人には理解できない、AIによる全自動制御システム。
騒然とするフロアに、個室から静かにやつが出てきた。ふらつく足取り、生気の抜けた肉体、すでに魂は死の淵に足をかけているような、今にも命が消え入りそうな壮絶なその姿。
(なぜ、あきらめない……)
俺は溢れ出る涙を抑えることができなかった。俺に気づいたやつは、おぼつかない足取りで、ゆっくりと近づいてきた。
「僕は幸せです。これは神が僕に与えた試練なんです。でもやり切るかどうか、決めるのは僕自身です。まあ、今回は、そこそこうまく行ったかな。神様も喜んでくれているでしょう」
そういって、あの屈託のない微笑みを浮かべ、やつは出て行った。
「ま……て……」
必死に絞り出した、俺の霞んだ声は届かなかった。やつを突き動かす、俺にはない何か、それが知りたかった。
しかし、やつはその後、人知れずその短い生涯を閉じた……
(やっぱりそうなる……結局不幸になるんだ)
逃れられない現実を突きつけられ、俺はゲラゲラと腹を抱えて笑った。この腐りきった業界に対する憎悪、諦め、虚しさ……そして、俺自身に対する絶望と後悔と無力感……滝のように流れ出る涙で、俺は笑い続けた。
やつの、にこにこと笑う、あのまぶしい笑顔が、俺の脳裏をぐるぐるとかけ廻った。
※
杉本はうっすらと目を開けた。アイコスJrが困惑した表情でこちらを見つめている。
(やはり親子か……こいつも、アイツに似て青臭いやつだ……)
零れ落ちそうになった涙を慌ててぬぐい、アイコスJrの視線から逃げるように顔をそむけた。
やっとわかった気がした。守るべきもの。恋人、親友、兄弟、夫婦、同僚、親子……四十年、秋山たちと接する中で、自分が少しづつ変わっていくことを感じていた。
〝秋山に復讐する〟
本当はそんなことはどうでもよかった。マルクから接触があった時点ですぐに気がついた。得体のしれない巨大な闇。そして、自分の役割を見出した。正寿郎には悪いが元から裏切るつもりだった。
『これは神が与えた試練なんです……』
岡本紬の最後の言葉。目に見えない大きな力に抗い、戦い続けたあいつとは異なり、無力な俺は大きな渦にただ、飲まれ、従うことしかできなかった……だが……
(彼らは、今、その渦中にいる。あの時、俺はあいつを救えなかった。せめてこいつらだけでも……)
杉本はゆっくりと立ち上がって、アイコスJrに真摯な眼差しを向けた。
「いつまでそこに突っ立てるつもりだ。さっさと達也の元にいってやれ。あきらじゃ、まだ力不足。あいつにはお前が必要だ」
追い払うように手を振った杉本は、手につながる鎖を見つめて、呆れたように肩をすくめた。
「あと、心配すんな。俺じゃあこれはちぎれんよ。じゃあな、幸運を祈るぜ」
再び床に横たわる杉本の背中から感じる、岡本さん、秋山さんと同じ、暖かい魂のぬくもり……アイコスJrは困惑しながら唖然とその姿を見つめた。




