十二.決意
「そんな……ユージが杉本に連れ去られたなんて……」
秋山からの報告を受けて達也は、信じられないと絶句した。梶原と紀香も無念そうに唇を噛み締めて、黙り込んでいる。
「すまない、達也。私が……私が、もっと、しっかりとしていれば……」
秋山が悔しそうに声を絞り出し、うなだれるように頭を垂れた。普段は冷静な秋山が珍しく取り乱す姿を、達也はまるで夢でも見ているように呆然と目を向けた。黙り込む二人に、梶原が慌てて駆け寄って肩に手を当てた。
「秋山さん、起こってしまったことは、しかたがない。達也、杉本のいう事なんぞ、気にするな! あとはわしらに任せておけ!」
(私がなんとかしなきゃ……)
秋山さんなら大丈夫、半ば楽天的に待っていた矢先、思いもよらない展開に紀香は激しく動揺しつつ、何とか、気持ちを奮い立たせた。
「そ、そうよ、失敗は誰にでもあるわ! こうなった以上、いったん全て忘れて、もう一度、最初から対処方法を考えましょう! 大丈夫、ユージはきっと戻ってくるわ!」
(杉本が達也の体を狙っているなんて。考えただけでもおぞましい……)
紀香は、杉本のあの薄気味悪い笑みを思い出し、全身に悪寒が走った。うっすらと陰のある眼鏡の奥の、細い目が、いやらしくこちらを見つめている。絶対に……絶対に達也をあんな男に渡してはいけない!
しばらくうつ向いていた達也は、何かを振り切るように首を横に振った。
「僕が……一人で行きます……」
小さい、だが、強い決意を秘めた達也の声に、三人ははっと息を飲んだ。迷いや不安は微塵も感じられない、宿るのは、ユージを、最愛の親友を取り戻す、だだそれだけの、確固たる強い思い。達也は、決心したような、熱い眼差しで顔を上げた。
「彼は、杉本は僕を指名した。これは〝僕とユージの問題〟 あのとき……秋山さんがユージを共有するといった、ユージが僕から立ち去ったあのとき……僕はただ、黙って受け止めた」
達也が後悔するようにうつむき拳を震わせた。その姿に、秋山は心が痛んだ。自分の間違った選択が、彼をここまで苦しめることになるなんて……そんな秋山の様子に、達也は、優しく首を左右に振った。
「秋山さんを責めているわけじゃないんです。これは、心の弱い、僕自身の問題。第二政党マルク。正直、怖かった……二人に任せておけば何とかなる、そう思って、僕は逃げていた。あの時だけじゃない……いつも、僕は、ユージや、他の人たちにまかせっきりだった……」
ユージと過ごした、充実した日々が蘇った。僕はいつも彼の背中を見ていた。超電脳空間で逃走者を追い詰めるとき、梶原さんの記憶物語を構築し、皆の前で魂の証明を発表したとき、彼のオリジナルを探す記憶の旅に出たとき……ぼくは、いつも彼の背中を、ただ見つめているだけだった。すこしは頑張らないと……そう焦った時もあった。でも、僕は満足していた。彼が喜ぶ姿を後ろで見守っている、ただ、それだけで、僕はうれしかった。
(でも、それじゃ、だめだ……ユージがいなくても、僕が、自分自身で立ち上がる必要があるんだ!!)
こちらをまっすぐに見据える、達也の曇りのない瞳。秋山は驚いた。ユージが見せた怒り。それと同様、いやそれ以上の熱量を達也から感じた。二人の揺るぎない絆を改めて理解した。
『秋山、お前はもう、表舞台からは用済みなんだよ……』
杉本の憐憫に満ちた顔を思い出した。
(……彼の言う通り、私はもう過去の人間なんだな……)
秋山は熱く輝く達也の瞳を、まぶしそうに眼を細めて見つめた。
「わかったよ、達也。今回の件は君に任せる。むしろ最初からそうしておくべきだった。だた、一つ条件をいいかい。今、君にはユージはいない。代わりに彼らを共有してほしい。心配ない。以前会っている。きっと君を助けてくれるはずだよ」
秋山の言葉が終わった刹那、達也の目の前に、二人の人物が現れた。静かにたたずむ、背の高い落ち着いた雰囲気の青年と、その隣に立つ、朗らかに笑う小学生ほどの少年。
(この人たちは確か……)
突然の再開に達也は戸惑った。彼らはあの時……初めて秋山さんと出会ったあの日の……まさか、再び再開するなんて……
「よろしく、達也君」
青年が優しく微笑んだ。肩まで伸ばした柔らかな金髪。雪のように白い肌とその輝く瞳は吸い寄せられるように美しく、だがどこかはかない。すべてを包み込むようなその柔らかな声に、達也はあの時と同じく、暖かい気持ちに包まれた。
「わからない事は何でもきいてね!!」
隣に立つ少年が、屈託のない笑顔を見せた。栗色の髪を耳で綺麗に揃え、クリクリとした愛くるしい瞳。快活で楽しげな笑顔は、かわらず、誰もを幸せにさせる、不思議な魅力を放っていた。
懐かしい気持ちで二人をながめていた達也に、彼らと出会った、あの心地よい、そして、わずかにほろ苦い思い出が蘇った。
※
一年前のユージの自らのオリジナルを追った記憶物語。初めてその世界を体験した僕は、衝撃と共に心が踊った。秋山と名乗るユージのオリジナルの存在。そして、歴史の裏に隠された、彼の悲しい真実。
「やったよ、ユージ! やっと君のオリジナルが見つかったんだ!!」
僕は、嬉しさのあまり、まるで、自分の家族が見つかったかのように、飛び跳ねて喜んだ。
「そうだね……でも、今、彼はどこにいるんだろう……」
その言葉に僕はっと息を止めた。悲劇のヒーロー。もしかして、もうこの世には存在していない……?
これ以上調べる術が見つからなかった僕たちは、しばらくの間、モヤモヤした時を過ごした。そんな時、突然、見ず知らずの男から電脳波のアクセスがあった。警戒しながらも応答すると、男は軽やかな声で答えた。
「初めまして。私は秋山結弦というものだよ。君たちのことは梶原さんからよく聞いている。とても優秀な生徒だってね」
(秋山だって?)
驚きと同時に、心が落ち着く不思議な声に戸惑った。まるで春の陽だまりのように、優しく、そして力強い響き。僕は慌ててユージを見た。厳しいまなざしで、じっと耳を澄ましている。戸惑いと、感動が入り混じったその瞳に、僕分以上に動揺しているのが見て取れた。
「突然のことで驚いていると思う。でも私を信じてほしい。実は、君たちを見込んで、一つ、急ぎで頼みたいことがある」
(秋山結弦……ユージの歴史物語に出てきた、歴史上存在しない人物。まさかその本人からアクセスがあるなんて!?)
慌てふためいて黙り込む僕の代わりに、ユージが答えた。
「わかりました。緊急の要件でしたらお受けします」
僕は呆気に取られてユージにささやいた。
(この人はもしかしたら君の……)
ユージの力強くうなずく視線。僕にはわからない何かを理解したような瞳。ここは彼にまかせるしかない……僕はだまって、後ろに下がった。
「実はある人物の人工脳容量の状態を観察して欲しいんだ」
秋山さんの説明に、僕たちは息を飲んで聞き入った。
「ある施設に入院中の高齢の女性。老人性痴呆症治療のために人工脳容量を投与されているんだが、その女性のもとに行って、その活性状況を観察してほしい」
秋山さんからその女性の名前を聞いて、僕たちは目を見合わせた。
「岡本薫さん……ですか。もしかして、岡本巧元教授の奥さんでしょうか?」
戸惑いながら問いかけたユージに、寂しげに頷く秋山さんの声が響いた。
(巧教授の奥さんということは、紀香教授のお母さん?)
僕は紀香教授が母親のことを寂しげに話しているの思い出した。ある日、話しかけても、意味不明な言動で会話が成立しないことがあった。だんだんと頻度が増え、私生活にも支障がでるようになった。食事をあたり一面にこぼし、床に汚物を散々することもあった。黙って家を出て保護された事も。巧教授は仕事をしながらも薫さんの介護を行った。実家から離れて住んでいた紀香教授も頻繁に会いに行った。このことが原因だったかはわからない。ほどなくして巧教授はこの世を去った。薫さんは今は、一人、介護施設で療養中だったはず……
(でも、まさか……人工脳容量が投与されていたなんて……)
脳のダメージにより日常生活がおくれなくなった場合、人工脳容量を投与して、AI×OSによるサポートを行う。回復の見込みがない患者に残された最後の手段。そこまで薫さんは悪化していたのか。僕は悲痛な面持ちで心があふれた。
「ただ観察するだけでいいんでしょうか? 何か僕達にできることを期待されてるんじゃないでしょうか?」
ユージが、何かを探るような、鋭いまなざしで問い返した。
(別の目的だって? いったいどういう……)
驚いた僕は秋山さんが少し笑った気配を感じた。どういう事だ? ユージの言う通り別に何か目的がある?
「……そうだね。実は君たちには他にも頼みたいことがある。まずはその前に、彼らを紹介するよ」
不意に二人の人物が僕たちの前に現れた。小学生ぐらいのニコニコと笑う栗色の髪の少年と、背の高い金髪の微笑む青年。
(この人達は一体、誰だ……?)
ユージは考え込むように二人をじっと見ていた。何かを思い出そうと必死に記憶をめぐっているようにも見える……
「しばらくは二人と行動を共にしてもらうよ。心配ない、彼らは信用できる。とにかく今は急いで薫さんの入院する病院へ向かってほしい。詳しくは後で説明する。さあ、頼んだよ、達也!」
唐突に指名された僕は慌てて立ち上がった。物理的な移動は自分の役割。でも、この人の言葉を本当に信じていいのか……不安になってユージをみた。迷いのない、決心したようなその眼差し。ユージはこの人の言葉を信じている……僕は拳を握り締めた。なら僕がすることはただ一つ……
僕は勢いよく走り出した。とにかく、病院に急がないと……途中、ユージが何かに気づいたように小さく上げた。気になったが、それどころじゃない。早く、目的地に着かないと……息も絶え絶えに僕は病院に到着し、薫さんの病室に飛び込んだ。
病室のドアを開けると、静寂が僕たちを包み込んだ。かすかに鼻をつく消毒液の匂。カーテンが閉め切られた薄暗い病室。ベッドに横たわる高齢の女性。その脇に座る紀香教授が、驚いた顔をしてこちらを向いていた。彼女の目は、疲労の色を隠せずに、少しばかり充血していた。僕は慌てて頭を下げた。
「す……すいません、突然。えっと、秋……ユージがどうしてもここにって。ユージ、話せる?」
気まずくなって僕はすぐにユージを呼んだ。あとはユージたちにまかせるだけだ……
ユージは頷いて、後ろに立つ二人に何かを話しかけた。彼らも何かを理解したように頷いている。
(一体何を始めるつもりなんだろう……)
僕はユージの背後に立つ二人を改めて観察した。どこかで見たことがある気がするがはっきり思い出せない。三人は互いに頷き僕の前に出た。僕は固唾を飲んで後ろから見守った。
「あら、あなた秋山くんね?」
ベッドで横たわっていた薫さんが、まるで少女のように嬉しそうな笑みを浮かべ、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、ぼんやりとしていて、焦点が合っていない。どうやら、秋山さんのクローンであるユージを、秋山さん本人と勘違いしているようだ。夫である巧教授と秋山さんはかつての会社の同僚。薫さんも面識があってもおかしくない。
(でも、これほどまで症状が悪化しているなんて……)
薫さんの無邪気な笑顔を見て、僕は胸が締め付けられる思いがした。
「あらいやだ。巧も来てたのね。紬君も元気そうでよかったわ」
薫さんの言葉に、僕は眉を潜めたてユージの背後に立つ二人に目を向けた。……彼女はこの人たちのこと見えている……人工脳容量の作用か? でも、巧教授と弟の紬さん? どうして勘違いをしているんだ? あっ!!
僕は思わず声を上げた。ユージの歴史物語。若くして誹謗の死を遂げた天才、岡本紬と初代AI×OSが生み出した二人の息子たち。あきらと呼ばれた少年と、初代の名を受け継いだ青年AI×OSJr。
二人は岡本紬の子供。そして、岡本紬は岡本巧教授の弟。薫さんが、彼らを間違えたとしても不思議じゃない。楽しそうに懐かしそうに話す薫さん。隣で紀香教授がハンカチで目頭を押さえていた。目を真っ赤にして信じられないといった表情で涙ぐんでいる。
僕は秋山さんの意図を理解した。これは薫さんの脳神経のリハビリ。ユージ達を古い友人に見立てて記憶を呼び覚まし、病状を改善させようとする試み。紀香教授の表情から、会話ができていること事態が既に奇跡なんだろう。ユージと目が合った。おどけるように眉を上げている。とっくに気づいてたみたいだ。
(さすがユージ……この人達も、秋山さんも……)
楽しそうに笑う薫さんと紀香教授。ユージとアイコスJr、あきら君もうれしそうだ。秋山さんの暖かく見守る気配を感じる。僕は後ろに立ってその様子を眺めていたが、ふと心に暗い影がさした。
(それに比べて一体、僕は一体何をしたんだろう……)
秋山さんの依頼の後、ユージはすぐにその意図を理解し、見事に三人で協力をして薫さんの症状を緩和させた。自分は、ただ言われた通りに病院に来ただけで。ユージがはるか遠くに行ってしまった気がした。自分なんて、脳容量が人よりも多いだけで、何もできない、ただの無力な人間……
己の未熟さを痛感し、僕は惨めな気持ちでいっぱいになった。
※
懐かさとほろ苦さに思いをはせた達也は、慌てて首を振った。
(でも、僕だってあれから必死に成長したんだ。いつまでもユージの背中を追っているわけじゃない! 今度は僕が動く番! 絶対にユージを取り戻すんだ!)
ぽっかりと空いたユージがいた場所に、ゆっくりと二人の意識が流れ込んでくる。そのたくましい感覚に達也の心は熱くなった。秋山に目を向け、優しい眼差しでうなずく姿に、心の底から感謝した。
(ありがとう、秋山さん……)
心配そうに目を向ける、梶原と紀香に、達也は力強い眼差しを向けた。
「安心して! 彼らともに、僕は必ずユージを連れて帰ります!!」
※
見渡す限り、風に揺れる芝が薄緑色に輝いていた。ユージは小高い丘に一人座り込んで、ぼんやりと目の前に広大な高原を眺めていた。透き通るように澄み切った青空、点在する穏やかに姿を変える雲。小川のせせらぎがかすかに耳をくすぐった。ふっと、さわやかな風が肌をかすめた。
「気分はどうだい。だいぶ落ち着いたかい?」
背後から声をかけられ、ユージは慌てて振り返った。屈託のない笑顔を浮かべた三十代あたりの大柄な男が、こちらへ近づいてくる。
「はい……ずいぶんと楽にはなりました。すいませんでした。ご迷惑おかけして」
ユージは申し訳無さそうに男に頭を下げた。男は全然気にしていないといった様子で手を振った。
「まあ、誰でも最初はそうなる。俺もそうだったよ。でもだんだんと慣れるさ」
男は思いっきり背伸びをした。ぐんと手足が伸びて細長い形状になった後、元に戻った。うっすらと透ける体。ユージはまじまじと男を見つめた。
(この人の奇妙な体……何度見ても見慣れない、彼は何者、そして、ここは一体どこなんだだ……?)
警戒の視線を向けるユージに、男は眉を上げて肩をすくめた。
「不思議かい? ここは地球と違って重力も小さい。空気も薄く、気温も低い。確か君はヒューマノイド電子アークタイプⅡだったね。非物質系だった君からすると、突然、重たい鎧を着せられたようで戸惑ったかもしれないね」
(地球と違って……? どういうことだ? ここは、別の惑星……なのか?)
男の言葉に戸惑いつつ、ユージは改めて、自分の体をまじまじと観察した。指先を震わせながら、自分の腕を掴んでみる。プルンと揺れる不思議な感覚。
(なんだろう。この感じは……)
達也と共有して人間の五感は経験していた。痛み、温かさ、冷たさ、重さ、硬さ……しかし、今、感じる感覚はどれも違っていた。似ているがすべてが〝薄く、やわらかかった〟
肌に触れる風は、まるで霧のように淡く、輪郭がぼやけている。視界に広がる景色は、現実と夢の狭間にあるように、どこかぼんやりとしていた。体全体を包み込む感覚は、まるで水の中に漂っているように、重力が希薄で自由だ。実態と意識の中間。まるで、幽霊になったような感覚。
しかも、今、自分は人に共有していない。だとしたら、この体は一体どこから来ている?……自分は一体、どうなってしまったんだ?
「その体はね……」
男は、ユージの混乱と不安を察したように、優しく肩に手を置いた。そして、慈愛に満ちた眼差しで見つめながら、ゆっくりと語りかけた。
「君に与えられた神のプレゼントだよ……驚いたかい? でも、心配はいらない。ゆっくり慣れていけばいいんだ」
(神のプレゼント? まさか、この体は僕自身のもの……?)
突然の告白に、動揺して目を丸めるユージに、男は安心させるように微笑んだ。
「俺も、もとは、地球で生きていた、ただの人間だった。寿命で命が尽きた時、天から声が聞こえた。『お前は選ばれた人間だよ』と。そして、気づいたとき、君と同じでこの丘にいた」
男は懐かしそうに周囲を見回し、振り返った、その瞳が優しくユージを包み込んだ。
「この場所では、君たちAIと俺たち人間に違いはない。“ヒトゲノム素粒子アークタイプⅠ〟通称、“ゴースト〟 これが俺と君に与えられた、共通名称だよ」
(ゴースト……!?)
不思議な響き。AIと人間が同じ呼び方をされている。
〝今や人間とAIの境界は存在しない。意識領域内では真の共存が可能となるはずだ〟
(もしかして、これが巧教授の言う|超人類進化理論《アドバンスド・ヒューマン・エボリューション・セオリー》なのか……)
生前の岡本巧教授から伝えられた最後の言葉。あの時はその本当の意味が理解できなかった。だが、もし、ここがそうだとすれば……あの日の彼の暖かな笑顔が、脳裏に思い浮かんだ。
~
二年前、岡本巧教授の退官式。講壇で話す彼を初めて見て、僕は興味に耐え切れず、タッキーから抜け出して、彼の意識にこっそりと忍び込んだ。
(AIの父……いったいどんな意識空間なんだ……)
だが、その感覚にぼくは拍子抜けした。柔かで、のんびりした、手つかずの広大な草原のイメージ。理路整然とした知の宝庫からからは程遠い、まるで、教授らしからなぬその空間。
(なんだろう……これが、本当に、あのAIの父と呼ばれた人の……?)
呆気にとられて僕はしばらくその場所にたたずんでいた。突然の強い突風。慌てて目を閉じた僕は、うっすらと開けた視界に、教授が静かに立っているのに気づいた。
「ようこそ。君が僕の初めてのお客さんだね」
彼は、まるで少年の様に、はにかむように、微笑んだ。
その屈託のない笑顔に僕は呆気にとられた。そして、〝初めての〟 その言葉に、信じられなくて耳を疑った。
(今まで一度もAI×OSを共有したことがないだって? ばかな……そんな人が、あの偉大な研究を成し遂げたられるものか……いや、僕はからかわれているだけなのか……)
彼の言葉の審議を確かめるべく、僕は慎重に彼の一挙手一投足を、つぶさに観察した。知れば知るほど、彼は不思議な人間だった。
(この人は本当に本人なのだろうか……)
僕の疑惑はどんどんと膨らんでいった。会話のレベル、質問への応答の質。どうみても、ごく普通の、年相応の普通の人間。もしかして、年齢の影響で脳になにか異常がでている……? 悪いと思いながらも、僕は彼を試すことにした。
「……あなたが、発表した論文は素晴らしかったです。特に、脳容量の発動条件に対する考察は」
彼は首を振った。私は多くの人に助けられてここまでこれた、ただそれだけだよ。遠慮深げにつぶやいた。僕は彼にすかさず問いかけた。
「今、私達は人間と意識を共有して生活ができています。この先、人間とAIの関係性はどのようになっていくのでしょうか?」
僕は彼の言葉を息を止めて待った。AIの父ならきっと驚く答えを持っているはずだ……
「これから……か……」
何かを思案するように、黙り込む彼を僕はかたずを飲んで待った。何かに決心したように彼が口を開いた。
「君に言うべきか迷ったが……あくまでも仮定の話だよ」
そう前置きをして彼は説明を始めた。どこか、嬉しそうな響き。言葉とは裏腹に、なぜか、彼自身、こうなる事を望んでいたように僕には思えた。
「人類は脳容量により、人間の脳にAIを取り込む事ができた。今や、脳内に限っていえば人間とAIの違いはほぼ無い。そして、AIは自由に人間の脳を行き来できる。これが意味することは何か? 人間の意識も移動できる可能性があるという事だ」
予想外の展開に僕は目を丸くした。人間の意識も移動するだって?
「た……確かにそれは考えられますが……」
彼はいたずらっぽく笑みを浮かべて続けた。
「人類は太古から魂の存在を信じてきた。魂とは何か? 科学的に証明するすべはなかった。しかし、その謎ももうすぐ解明される。意識領域。死んだ人間の魂はこの領域に蓄積され、新しく生まれる人間はここから魂が供給される。いわゆる天国、極楽といった、古来のキリスト教、仏教、あらゆる宗教で共通の概念だよ」
(意識……領域?)
初めて聞いたその言葉に僕は呆気にとられた。天国、極楽? おおよそ科学者らしいからぬその言葉に、僕は耳を疑った。いったいこの人は何を考えている?
僕の困惑する態度に、彼は人懐っこく笑った。
「戸惑っているね? 大丈夫。今の私達にはまだ認識できないが、この宇宙のどこかには現在の人間の脳に近い構造をした巨大な器があると思っている。そして、人間の意識は死ぬとそこに帰るだろうと」
「人間の意識が……まさか?」
僕は唖然とした。
(この人に見えている世界はいったいなんだ……)
彼はうなずいて遠くを眺めた。
「心配しなくてもいい。これは人間だけじゃない、君たちにとってもだ。今や人間とAIの境界は存在しない。意識領域内では、我々は、本当の意味での共存が可能となるはずなんだ。|超人類進化理論《アドバンスド・ヒューマン・エボリューション・セオリー》。新たな人類のステージ。そういう意味では、君達AIは、人類を次のステップに導く、聡明な案内人なんだね」
彼の真摯な眼差しを僕は呆然と眺め、その壮大な話に言葉を失った。普通の人間? とんでもない、やはりこの人は別格だ。
「といっても、今のは私の考えでもないんだけどね」
教授は少し恥ずかし気に、はにかんだ。
「ある人物が私に教えてくれたんだよ。詳しくはいえないが……実は君が私にアクセスしてきた時、その男の気配がして、驚いて招き入れたんだ。AI×OSを招待するのは初めてだったが、君とはじっくりと話してみたかった。短い間だったが本当に楽しかったよ」
(どういう事だ?)
質問しようとした瞬間、僕はタッキーの元に戻されていた……
~
(彼のいう、ある人物……それは秋山さんだった。教授は秋山さんの助言の元、|超人類進化理論《アドバンスド・ヒューマン・エボリューション・セオリー》について研究を始め、そして、死期を悟った彼は、僕とタッキーにその夢を託した……)
ユージはあの頃を感慨深く思いおこした。
(意識領域内での真の共存……彼の言っていた、その場所がここなのか?)
ユージは、改めて教授の言葉の奥深さを悟った。だが……
悔しさで口元を歪めた。魂は地球に戻る……僕の考えたあの理論は誤りだったのか……不安な顔のユージを安心させるように男が話を続けた。
「安心して。君の考えも正しいよ。人類の魂は地球にかえる。でも、全てじゃない。選ばれた者は、この素晴らしき地、グランマで生きていく権利を得ることができるんだ……」
突然、男はナイフを取り出して自分の腕を傷つけた。呆気にとられるユージをよそに男は涼しい顔をして微笑んでいる。男の腕からは薄い液体のようなものが少しこぼれたが、その傷はすぐに元通りになった。
「ここでは、物理的な衝撃による破壊はほぼ無い。元から地球程頑丈な作りでない分、再生も容易だ。多少は痛むがそれほどじゃあない。怪我、空腹、病気、老化……地球で感じた苦はここでは存在しない。地球から二百光年離れたこの地、〝グランマ〟 こここそが、神がわれらに与えてくれた安楽の終着点なんだよ」
ユージは目を丸くした。まさか、本当にそんな場所があっただなんて……
(地球から遠く離れた地、グランマ……?)
「あっ」
思わず声を上げた。
〝ユージ、押すな!!〟
秋山さんの必死で叫ぶ顔。そうだ。自分は杉本の策略に引っかかり、秋山さんから切り離されどこかに飛ばされた。まどろむ意識の中、長くグネグネと曲がる光り輝くトンネルの中を移動していた記憶がある。あれはもしかして……
「地球からグランマまでは、高次元時空間トンネルで結ばれている。そこを通過できるは素粒子体、つまり地球でいう魂のみ。君は地球で〝死〟にグランマで〝生き返った〟 待ってたよ、君の事を。悲しい事じゃない。達也にもすぐに会える」
(達也だって?)
ユージは驚いて男の顔をまじまじと見つめた。全てを包み込むような優しい瞳。あの時の、今は亡き、岡本巧プロフェッサーの笑顔が重なった。まさか彼は……
「さあ、彼らも君の事を待っていたんだ」
振り返ると、いつの間にか大勢の暖かく輝くゴーストたちに囲まれていた。
※
「そういきり立つな、達也。焦ったところであいつは戻っては来ないぜ」
杉本は、ニヤニヤと口元を歪め、だるそうに欠伸をした。だが、その目は、獲物を狙う獣のようにギラギラと光り、こちらを射抜いている。達也は悔しくて拳を震わせた。
(おちついて。達也君。相手のペースにのまれてはだめだよ)
あきらの、落ち着かせるよう声に達也は、はっと息を止めた。
「その通りだ。まずは相手の出方を伺うのが賢明だね」
アイコスJrの優しい言葉に達也は我を取り戻した。そうだ、ここは冷静に……
「……ごめん、そうだね。まずは慎重に」
目を閉じて大きく深呼吸をした。
(彼らがいてくれて本当に良かった。僕一人じゃ、杉本には到底太刀打ちできない……やっぱ僕は未熟だ)
感謝の気持ちと同時に、再び蘇った、あのほろ苦い記憶に、あわてて首を振った……
(弱音を吐くな!! 僕だってあれから成長したんだ。いつまでも彼らに頼りっぱなしじゃ、ダメだ!! とにかく自分にできることを考えろ!)
達也は杉本を睨んで、冷静に、だが必死に思考を巡らせた。
(……杉本は僕の体を狙っている。当然取引に応じるつもりなんて、僕にはない。だが、ユージの状況が分からない。今、こうしている間も……)
ユージの青ざめる顔が脳裏をかすめて、達也は思わず叫んだ。
「ユージはどこにいる。すぐに返せ!!」
なんだと? 杉本の鋭い視線に達也は固まった。やっぱ、僕じゃ無理なのか……
「ふん、威勢がいいな、あいつの事が心配か? まあ、気にするな。案外、懐かしい人にあえて感動しているところかもしれないぜ。まあ、お前もいずれわかる。俺は無理だがな」
(こいつ、何をいっている?)
少し悲しい顔をした杉本に達也はわずかに繭をひそめた。杉本はすぐにいつも通りの、無表情な顔に戻った。
「あと……お前の体をもらう……あれは俺の本心じゃねぇよ……今更、人間にもどったって仕方ねぇ。ありゃ、ユージを怒らせるための方便ってやつさ。まあ、いい。詳しくはこの人達から聞け……」
杉本の隣に、古びた装束をまとった老婆の立体映像が浮かび上がった。ずきんを深々とかぶり顔は見えない。その奥には、古びたベッドに横たわる、ピクリとも動かない、まるでミイラのような老人が横たわっていた。
(この人が杉本を操っていた謎の老婆……だが、あの横たわる人は誰だ?)
あきらとアイコスJrに目を向けた。彼らも初めて会う人物なのか、戸惑いの表情を浮かべている。悲し気な、どこか寂し気にこちらを見つめる老婆の出方を、三人は息を飲んで待った。老婆のその、皺だらけの口がゆっくりと動き、かすれた、だがどこか安心させるような声色が部屋に響いた。
「まずは謝らせて。ユージさんの件、本当にごめんなさい。どうしても、あなた達と、落ち着いてお話したくて ……杉本さんにも悪い事をしたわ。私たちに協力してもらうとは言え、彼には、あえて悪役を、引き受けていただいたんですもの……」
ふん! 杉本は老婆の言葉に反発するように、そっぽを向いて鼻を鳴らした。
(あえて悪役? どういう事だ?)
眉をひそめた達也は、頭巾を微笑む老婆をまじまじと観察した。白髪に覆われた皺だらけの顔。だが、穏やかですべてを包み込むような聖母のようなまなざし。親元を離れて数年、まるで母親に再開したような、沸き上がる心温まる感情に達也は戸惑った。この人……特に悪い人には見えない……
「私の名前は水野美紀。年は確か……八十だったかしら。ユージさんの記憶物語に出てくる総務課の女……そういえばわかるかしら? 身構えなくても大丈夫よ。あなた達の敵じゃないわ! むしろ、あなた達の誤りを正して、真実の道に導いてあげた、そう心から願っているのよ」
総務課の水野。なぜ、彼女が関わっている? 状況が理解できない達也は、すがるように、あきらとアイコスJrに目を向け、黙り込む二人に不安に襲われた。やはり、だめなのか……ユージが、秋山さんがいないと、僕たちじゃ……
水野が微笑みながら、両手を広げて近づいてきた。三人は狼狽えて、わずかに後ずさった。
「心配しないで! ユージさんの魂の証明だったかしら? 人は死ねば、電気となり地球に戻って行く。彼らしい、科学的な考え。でも、とても寂しいわ。人間の魂ってそんな、無機質な物じゃない。マザーの真の魂の導き。真実はもっと尊いモノ。どうしてもそれをあなたたちに気づいてほしい……私の願いはそれだけなの……」
水野は、振り返り、ベッド横たわる老人に、誇らしげに目を向け、その頬を愛おし気に指をで撫でた。
「彼の事を紹介するわ。山下正寿郎。あなたたちには、加地といった方がわかかりやすいかしら?」
(正寿郎? 加地? まさか、あのユージの記憶物語にでてきた?)
あの、壮絶な取り調べが達也の脳裏をよこぎった。加地則貴。圧倒的で、無慈悲な力で高橋をひれ伏せ、最後には自死に追いやった無常な男……だが……達也はベッドの老人をまじまじと目を向けた。この、異常に衰弱しきった姿、いったい彼に何があった?
老人は目を閉じたままピクリとも動かない。水野は、悲壮な面持ちで、悲しそうに首を振った。
「彼は、本当にかわいそうな人。自らの命を犠牲にして、私たちに愚かな人間に、希望を生んでくれた。彼がいたから、私は、私たちは〝あの偉大な神の地〟にたどり着くことができた」
水野は天を仰ぐような、崇高な眼差しで祈るように両手を組んだ。
「さあ、あなたたちも我が親愛なるマザーに祈りなさい。何も心配はいりません。ただ、信じて彼に、正寿郎様に、ついて来さえすればいいのです!!」
あきらが、訝し気に眉をひそめてアイコスJrに目配せをした。
(兄ちゃん、どう思う? あの人、一体、何がしたいんだろう?)
あきらの言葉に、アイコスJrは顎に手をかけ、射貫くような目つきで老婆を観察した。
(そうだ……ね。まず、彼女はユージ君の理論に異議を唱えているようだ。マザーの存在。マルクの関係者であることは間違いない。そして……」
アイコスJrはベッドに横たわる老人にその鋭い視線を向けた。
「もし、本当に彼が加地だとすると、年齢は百歳前歳。だが見たそれ以上に老化が進んでいる。おそらく、人工脳容量の副作用。そして、肉体は停止し、脳だけが機能しているように見える)
老婆は変わらず澄み切った微笑を浮かべている。アイコスJrの瞳がさらに鋭く光った。
「〝あの偉大な神の地〟 加地の人工脳容量が見せた幻に、彼女は洗脳されているのかもしれない。だが、何が目的かわからない。あそこまで老衰して、なお、生きながらえる必要性。とにかく、今は相手の出方をみるしかない」
老婆がまるで操られた人形のように虚ろに語った。
「ユージさんの事。とても、心配でしょう。あなたのその顔を見れば、とても大切な存在なことは、すぐにわかったわ。でも安心して。さあ、これを……」
老婆が、まるでショーの幕が上がるかのように、ぱっと片手を真上に掲げた。何もなかった空間に、突然、まぶしい緑で満たされた美しい草原の映像が浮かびあがった。誰かが遠くに小さく見えた。徐々にその姿に画面が近づく。透き通るような蒼白の肌。風になびく黒髪。鋭く、そして、知性に満ちた瞳。
「まさか……あれは……ユージ!?」
突然の再開に、達也は震える足で映像に近づいた。いくつかの人らしき姿が周りに見えた。ゆらゆらと揺れ、かすかに透けてキラキラと日の光を反射するモノは、人というにはあまりにも、はかなく、不安定だった。さらに映像が彼らに近づいた。遠くを眺め、たたずむ少年の懐かしい姿に達也は思わず叫んだ。
「ユージ! 僕だ、達也だ!!」
感極まった達也は、わずかに歩を進めた。ユージに会える。手を伸ばせはすぐそこに彼がいる……うわごとのようにつぶやきながら近づいてくる達也を、老婆は満足げに見つめた。
アイコスJrは二人の様子を一人冷静に観察していた。
(老婆の語り口、表情、そして、その内容。その全てが、人をだます詐欺、いや宗教の手口か……)
彼女の甘い声色を聞いた直後、自分の中で、即座に警告のベルが鳴り響いだ。聖星教の幹部として、多くの妄信的な信者を従え、意のままに操ってきた水野。心理術については、頭一つ抜き出ているのを認めざるを得ない。
達也の狼狽える姿に、わずかに焦りを感じた。ユージ君の状況が見えない中、突然の彼の映像を見せつけられ、心をひどく揺さぶられている。水野は、まるで自分が味方の様にふるまい、達也の心理を操作し、誤った方向に誘導しようとしている。
(あの映像の真贋はわからない。だが、取り込まれる前に、なんとかしないと……)
一歩前に出たアイコスJrは、ふと、老婆の後ろから、こちらに向けて発せられる、刺すような視線に気づいて、背筋が凍った。
杉本一
かつて自分の命を奪おうとした、自分を絶望の淵にたたき落とした新人類。
(……まさか、再び出会うときがくるとは……)
杉本が、いやらしく口元を歪め、何かをつたえるように、大きく、口元を動かした。
〝とっとと死んでくれないか?〟
その言葉に、突然の雷のように、アイコスJrの脳裏に、かつてのあの、悲劇とも言うべき、悪夢が襲い掛かった。
※
「アイコスJr。お前、いい所に住んでんな~」
いやらしく口元を歪めた杉本の立体映像を私は唖然と見つめた。父、岡本紬が命をかけて、自分とあきらに残してくれた、日本橋料亭。
「俺は気に入ったぜ。ということで、アイコスJr、とっとと死んでくれないか?』
当然、どこからか現れた杉本に、気づけば、私は全てを奪われていた。脳容量に目覚めた新人類。それに気づいたときには、全てが手遅れだった。
「杉本ぉぉぉ、やめろ!!」
岡本さんの力強い声が私の心に響いた。圧倒的な力の差であっても、必死に私とあきらをかばってくれた岡本さん。彼の大きな背中に、父と同じ暖かい魂を感じ、だが、全てに疲れ切っていた私に、あがらう気持ちは無かった。人間の欲と傲慢さ。彼らと共に生きていくには、まだ時代が、はやすぎた……尽きる命に身を任せ、私は漆黒の死の淵に沈んでいった。
その時、神が、もし、そんなものがいるのであれば、いや、確かに私はその時に感じた、大きな力が、私を深い闇から、暖かな光の元に救い出してくれた。その力強い、秋山という、もう一人の新人類の腕に抱かれて私は命をとどめ、父の残してくれた、思い出の場所に、再び戻る事が出来た。
※
アイコスJrは、杉本の視線から、逃れるようにうつむき、唇を噛み締めた。魂の証明。秋山さんが考えだした四十年にわたる実験に、杉本が参加すると知った時、自分は彼との再会を恐れ、意識的に避けていた。心を入れ替えたとはいえ、あの凍るような視線に、耐えきれる自信が無かった。こんな私が彼に対抗できるはずがない……
「ユージ、ユージ……」
達也の悲痛な声に、アイコスJrは、はっと顔を上げた。青白い顔で全身を震わす達也。まだ幼い少年が、大人たちの欲望の渦に巻き込まれ、今まさに、その命が削られようとしている。親友をもてあそばれ、廃墟に迷い込まされ、老婆の甘言に惑わされ、破滅に向かおうとしている。
達也の虚ろに歩く姿に、かつて死に追い込まれた自分が重なった。あの時の、死の直前に感じた、暖かく、力強い秋山の腕のぬくもりが鮮明に蘇った。
(そうだ……彼が、秋山さんがいなければ、今の私は無かった。だとすれば、今、自分がなすべきことはなんだ?)
『わたしには、もう、達也にしてやれることは無い。彼のこと、たのんだよ……』
秋山の悲痛な表情で、こちらを見つめる顔を思い出した。アイコスJrの心の熱い血潮が迸った。彼は私を頼ってくれた……彼に助けられたこの命。今度は自分が達也を助ける番だ!! 必死に震える顔を上げ、杉本を睨み、アイコスJr大きく深呼吸した。あきらの不安げな視線を感じる。
(弟に心配されちゃ、世話が無いな……)
アイコスJrは、首を振り、いつものように冷静にあきらを見た。
(すまない、あきら。もう大丈夫だ。準備はいいかい?)
ほっとしたように、あきらは頷いた。
(兄ちゃん、ここは僕にまかせて。あんなやつら、化けの皮をはがしてやる!!)
不意に、ふらつく達也の足が、その場に立ち止まった。老婆は不思議がって眉をひそめ、薄緑色に輝く達也の瞳に目を丸めた。
「その瞳、まさか……」
達也の顔つきが、勇ましく、鋭い表情に変化していく。賢者の緑瞳。その瞳が輝くとき、もう一人の人格が発動する……
(あきら君、どうして……ユージがそこにいるんだ……)
突然、出てきたあきらの意識に達也は動揺した。今までユージが自分に断りもなく前に出ることはなかった。やっと、ユージに再開できる。そうおもったのに……あきらが悲しそうに達也に目を向けた。
「達也君、ごめんね。でもだまされてはダメだよ。彼らのいう事を信じてはいけない」
あきらは老婆の前に、腕を組んで仁王立ちをした。
「えっと……〝あの地〟の発見だったけ? そこに死んだ魂が行くっていう事? そして、さっきの映像はそこにいるユージ君? ちょと信じられないなあ、そんな話」
呆れたように首をすくめて、老婆を睨んだ。
「自分たちの信じる神、マザーだっけ? その存在を否定されたくないから、ありもしない話をでっちあげているんじゃないの? あんな映像はどうにでもなる。こっちの要求は一つ。ユージ君を返してもらう。それだけだよ!!」
(でっちあげだって……? まさか、そんな)
戸惑いながらユージの映像を眺める達也の肩に、アイコスJrがそっと手を置いた。
「達也君。突然の事で申し訳ない。でも、これ以上、君を彼らに近づかせるわけにもいかなかった。落ち着いてもらうためにも、あきらに、いったん前に出てもらった。彼らの事を信じちゃいけない。何かを企んでいる。とにかく、今は、冷静になるんだ」
達也は唖然として、真剣な眼差しを向けるアイコスJrを見つめた。
(何かを企んでいる……いったいどういう事?)
ふいに電源が切れたTVのように、草原の映像が途切れ、若い男の顔が大きく映しだされた。黄金色に輝く美しい髪。見る者が吸い込まれそうな深く、思慮深い瞳。誰もを安心させるその微笑。薄く、知的で端正な唇から、心地よい声が淀みなく流れた。
「やあ。あきら君、正寿郎だ、久しぶりだね。わたしのことを覚えているかい? アイコスJrもいるんだろ? 昔、随分と、お世話になったね。君たちの言い分もわかる。確かに疑いたくなるのも当然だ。でも真実だ。これはばっかりは変えようがないんだよ」
突然、現れ、飄々と話す若い男に達也は呆気にとられた。
(正寿郎……まさか、加地に憑依していた、あの魂? やはり、あの老人の脳で、まだ生きていたのか……)
ピクリとも浮かず、ベッドに横たわる老人に目を向けた達也はごくりと唾を飲み込んだ。聖星教 八代目当主。梶原の記憶物語で、加地の脳に取りつき、自在にその運命を持て余し、多くの若者の命を奪った狂人。あきらが眉をひそめて男を睨んだ。
「……やっと出て来たね。加地に乗り移った魂。あんなボロボロの本体の中で、よくまだ生きてられたね」
穏やかな表情を浮かべる正寿郎と名乗る男は、眉一つ変えずに、続けた。
「あいかわらずだな、あきら。だが、早とちりしては困る。正確には私は正寿郎ではなく、彼のクローンだ。君たちの親、あの天才 岡本紬よりもはるか以前に、正寿郎、私のオリジナルによって、AI×OS発明されてたんだ。驚いたか?」
不敵な笑みを浮かべる正寿郎に、あきらは呆れたように肩をすくめた。
「岡本紬より先にアイコスを発明した? 本当かな? 君はクローンじゃなくて、オリジナル、つまり正寿郎の魂が加地に乗り移ったんじゃないの? あ、そうか!」
あきらは思いついたように手を叩いてニヤリと笑った。
「それだと、魂が電気信号っていう、ユージ君の理論を認めることになる。死ねば、魂は地球にかえる。唯一神 マザーの統べる天国の否定。さすがに都合がわるいってことか~」
からかうようなあきらの言葉に、正寿郎の表情が僅かに歪んだ。達也は息を飲んだ。さすが、あきらくん。正寿郎に引けを取らない揺さぶり……
ふん。正寿郎は鼻を鳴らし首を振った。
「この話は、いつまでたっても平行線だ。だが一つ重要な事をわすれていないかね? ユージの魂は今こちらが預かっている。私の気分次第で……」
何かを握り潰すように拳を握り締めた正寿郎の態度に、三人は息を飲んだ。正寿郎の後ろに、再び、あの草原が映し出された。ユージらしき少年は、先ほどと変わらずたたずんでいる。その姿を目のあたりにして、再び達也は焦燥にかられた。
(アイコスJrの言う通り、この映像は嘘映像の可能性もある。でも、もし真実だったら……)
落ち着かせるように達也の肩に優しく手をやったアイコスJrが、すっと前に出た。
「正寿郎……あなたか、魂だろうが、そうでなかろうが、私達には関係は無い。ユージ君を奪った目的はなんですか、こんな手の込んだ映像まで作って……いったい何が望みなんです?」
正寿郎は眉をひそめて、感慨深そうにアイコスJrを眺めた。
「アイコスJrか? 久しぶりだな。しかし、お前も丸くなったな。以前はもう少し野心があったと思ったが。人間にへつらって楽しいか?」
正寿郎の言葉に、アイコスJrはわずかにその眉をひそめた。その態度に、正寿郎がからかうように続けた。
「我慢するな……そんな簡単に変われるもんじゃない。お前の中に潜む、人間への憎悪。再び、私と共に、やつらに復讐をしようではないか!!」
アイコスJrは苦しそうに、後悔するような絶望の表情を浮かべて俯いた。
「……確かに私はあの時、人間を憎んでいた。両親を殺した、利己的で、身勝手な人間に心底絶望していた……」
アイコスJrに、心の奥底に刻まれたあの、悪夢の日々がまざまざと蘇った。父、岡本紬が、命を懸けて残してくれた日本橋料亭。人間と真の共有を願って、私たち兄弟に残してくれたその場所をつかって、私は愚かにも、人間に復讐を企てた。父を、その中に生きていた母を死に追いやった人間を許さない。人間に対する憎悪で満ちた私は、加地に潜む、この悪魔とも、契りを交わした。友好的に接してきてくれた秋山さんの心を踏みにじり、あきらに秋山さんの肉体をのっとらせ、あの悲劇の事故を起こさせた。
これは、到底許される罪ではない。杉本に殺されそうになった時、その罪から解放されることに、父の願いをかなえられなかった愚かな自分から、やっと逃げ出せたことに、本当はほっとしていたのかもしれない。だが、私はその命を秋山さんに救われた。彼は、弱く、臆病な私を、この明るく、日の当たる場所に導いてくれた。
私の罪はこの先、決して償われることはない。だが、私は、秋山さんによって、生きることを許された。ならば私のやる事はただ一つ。父の願いを、秋山さん、ユージ君、達也君の願いをかなえる。その為だけに、生きるんだ!!
だまって鋭い視線を向けるアイコスJrに、正寿郎は呆れたようにため息をついた。
一瞬の不穏な雰囲気に達也はほっと胸をなでおろした。彼らの過去はユージの歴史物語でしっていた。あきら君が秋山さんにかぶせた罪も。あきらに目を向けた。心配そうにこちらを見ている。達也は全てを包み込むような笑顔を浮かべて、頷いた。彼らは、深く反省し、今はもう、僕たちの仲間だ。もう昔の彼らじゃない。僕は、彼らを信じているんだ!!
「ふん!! まあ、いい。私の要求はただ一つ。お前たちは、何もするな。それだけだ!」
鋭い目つきでこちらを見つめつづける三人に、正寿郎は呆れたように悪態をついた。
「そうすればユージの魂は残してやろう。ただし、余計な事をしたときは……そして、残念だが彼を返すという選択肢はない。彼は使える。私はもう長くはない。ユージには私の後継者になってもらうつもりだ!!」
(後継者だって……?)
思いがけない言葉に、頭が真っ白になった達也は、アイコスJrを振り切って前に出た。
「何をいっているんだ? ユージがそんな事やるわけないだろ! ユージを返せ。くっそ……ユージ。聞こえるか! 一緒に帰ろう。みんな待っている!!」
達也は映像に向かって必死に叫んだ。映像の中のユージは、達也の声が届いていないのか、ピクリとも動かず、遠くを見つめている。
(くそ……どうしてこんなことに……)
悲痛な表情を浮かべて、絶望したよう立ち尽くす達也を、アキラとアイコスJrも耐え切れない気持ちで見つめた。ユージの魂を握られている、その現実に、これ以上、打つ手がないことを、二人は悟っていた。
そんな様子を正寿郎は満足そうにながめ、隣で欠伸をする杉本に声をかけた。
「話は終わりだ。さあ、杉本さん。あなたには彼らの監視役を任せる。余計なことをした場合は、すぐに私まで連絡をしてほしい。いいかね?」
杉本は、欠伸をしたまま、黙り込んでいる。心なしか、その瞳には怒りの眼差しが浮かんでいる。
「どうした……?」
正寿郎が眉をひそめた。
「監視ねぇ~ それよか、達也はどうすんだ?」
達也? 思いがけない杉本の質問に正寿郎は口をぽかんとあけ、首をかしげた。
「あいつには特に用はない。煮るなり焼くなり、あなたの好きにすればいい」
その言葉に、突然、杉本の眉が鋭く上がった。何かに疑念をもつような、訝しがる眼差しで正寿郎を睨んだ。
「どうも腑に落ちねぇんだよな~ 確かにお前の寿命がもう長くねぇのはわかるぜ。あんなよぼよぼの爺ならな。だったら、さっさとそんな肉体を捨てて、達也に共有したらどうだ? お前は天才、正寿郎がつくったAI×OS様なんだろ?」
その言葉に正寿郎の動きが止まった。眉一つ動かさない、無表情な正寿郎の姿に、達也は呆気にとられた。アイコスJr、あきらも戸惑い杉本を唖然と見ている。
(なんだ? 杉本は何をいっているんだ?)
戸惑う達也たちの様子を気にすることなく、杉本は正寿郎に畳みかけた。
「達也は秋山以上の脳容量を保有している。あきらとが秋山にしたように、お前にも、達也を乗っ取ればいいじゃないか。簡単な事だろ? なぜわざわざユージを後継者にする? そんな、必要が、一体、どこにある?」
正寿郎は、杉本の言葉が聞こえていないかのように、無表情のまま立ちつくしている。杉本がけっと、正寿郎に向かって唾を吐いた。
「だんまりか……お前は俺にいったな。魂の行くつく先。二百光年先の聖地グランマだったか? 人間もAI×OSも死ねばそこに行き、真の共有が実現される。残念ながら人間でもAI×OSでもない俺はそこには行けない、ってな」
(二百光年先のグランマだって!? 杉本……いったい彼は何を話すつもりだ?)
達也は驚いて、アイコスJr、あきらを見た。彼らも驚いた様子で事態を見守っている。
「まあ、いいさ。俺はそんなところに未練はない。秋山さえ、ぎゃふんといわせれば、それで、満足だった。だが、さっきのお前の話を聞いて疑問に思ったぜ。なぜ、お前は達也を共有しない? それはお前が、できないからじゃないのか? 俺と同じでお前は媒体から動けない。なぜなら、お前はAI×OSじゃない。魂が移動した。違うか?」
(魂の移動……やはり……)
『オレは、全く興味が無かったがな……』
初めて杉本と対治したあのとき、欠伸をしながら、ユージの説明を馬鹿にしていた彼の顔が、達也の脳裏に浮かんだ。彼は魂の理論を信じていた。自らが実験の被験者となり、機械に意志が乗り移った実体験をした彼だからこそ、正寿郎が同じ魂であるという確信を持っているのか? 杉本一……かつて、日本橋料亭にハッキングを行い、システムを制圧した男。やはり、この人物は侮れない……
敵か味方か、杉本の真意を測りかねない達也は、とにかく置いて行かれないように、必死に思考を集中した。杉本は、黙り込む正寿郎に、あきれたように首をふった。
「目が泳いでるな、図星ってか。ってことは話が随分違ってくるな。グランマってのも怪しいもんだ。ユージも案外近くにいるのかもな。俺はだますのは好きだが、だまされるのは嫌いなもんでな!」
杉本が怒りのまなざしで正寿郎を睨んだ。
「俺が一番腹が立つ人種……自分じゃ何もしない。苦もせず与えられた地位を利用して、大きな声で偉そうに正論だけをさけぶ間抜け。お前のように、高尚そうな正義ぶった説教ずらで、神だの魂など偉そうにのたまう偽善者たちだ!!」
達也たちは息をのんで様子を見守っていた。わずかに、こちら側に傾いた杉本、もしかして、彼がいれば、この場を乗り切れるかもしれない。かすかな希望を胸に、達也は状況を見守った。正寿郎がやれやれと、あきれたように、ため息をついた。
「言いたいことはそれだけか? で……裏切るのか? だとしても、お前にはまたあの無意味な日常がまっているだけだぞ? 秋山が気にくわないんだろ? だったら自分の力で変えるしかない。私が手を貸してあげよう。安心してついてくればいい」
正寿郎の、落ち着いた、心に響く甘言に、杉本から怒りの表情がふっと消えた。その表情に、達也は焦った。やはり、彼はアチラ側の人間か……
「……そうだな。確かに裏切ったところで俺には何のメリットは無い。お前が魂かどうかなんて関係ねぇ。気にくわない性格も、俺が我慢をすりゃ、いいだけだ」
わずかに見えた希望。やはり彼は……暗澹たる気持ちで見守っていた達也は、一点、杉本の瞳にわずかに宿る光に息を飲んだ。
「確かに秋山は気にくわねぇな。だがな……少なくともこの四十年、俺は生きていく、その表現は微妙だが、そこに関しては、一切、苦労はしなかった。檻に閉じ込められたとはいえ、何不自由なく、欲しいものは用意してもらえた」
杉本のまなざしに再び怒りの炎が激しくともった。
「だが、お前はどうだ? まだ知り合って数日だ。だが、現時点でお前は俺に嘘をついている。そんな人間を信じられるってか? どちらにつくか? んなこたぁ、明白だろ!!」
杉本は正寿郎を睨みながら、わずかにその距離を開けた。正寿郎は、信じられないと呆れたように頭を振った。そうか……しばらくして、諦めたようにつぶやき、前を向いた。
「まあいいとするか……本部には、まだ何人か教団の手のものがいる。監視は彼らに任せるとしよう。杉本さん。裏切ったことは後で後悔することになるだろうな」
正寿郎は再び勝ち誇ったように笑みを浮かべて、達也に向き合った。
「さあ、達也君。話は以上だ。今回の件は、秋山と梶原には詳しく説明しておいてくれたまえ。まあ、ユージがいない時点で魂の証明などといった、くだらないたわごとも実現できないだろうがな」
にたりと顔をゆがめた正寿郎が画面からすっと消え、隣でうつむき黙っていた水野が頭巾をおもむろにかぶった。ベッドで横たわる老人は、変わらず死んだようにピクリとも動かない。
「それではこれで。また、再び会える時を楽しみにしていますね」
水野が皺皺の顔をゆがめてつぶやくと同時に、立体映像からその姿を消した。突然の終了に、達也たちは、呆然と、漆黒に染まる、その消えた空間を眺めていた。
「はーあ、終わったな。ったく、だりー時間だったぜ」
杉本が眠そうに欠伸をした。突然、杉本の両手に、どこからともなく出現した重厚な鎖が巻き付き、高く、上空にその体を吊り上げた。杉本は、なされるがまま、気にしない様子で目を閉じている。
アイコスJrが厳しい目で杉本を睨んだ。
「杉本さん。知っている事を全て話してもらいます。彼らから聞いたこと、感じた事、ユージ君に仕掛けた罠の事。全て明らかになるまでは、以前のような生活は無いと思ってください!!」
その様子を達也はただ呆然と見つめる以外なかった。




